• 締切済み

万葉集の山部赤人の富士山の歌について

万葉集の中で山部赤人は 天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は という歌を歌っていますが この歌の 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は という部分の大意といいますか、山部赤人がどういう時に歌ったのかをできるだけ詳しく教えてください。

みんなの回答

noname#111031
noname#111031
回答No.2

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/akahito2.html このサイトで詳しい解説が読めます。以前このOKWAVEで田子の浦の場所に付いての議論がありました。現在の田子の浦ではないと言う意見もけこうあるようです。

  • sosdada
  • ベストアンサー率33% (265/792)
回答No.1

 「振り放け見れば」でいったん切れます。「日」と「月」が対句です。漢詩の影響ですね。富士山の高さを賛美しています。あまりに高いので太陽も月も隠れる、と。  移動する太陽の姿も隠れ、照る月の光も見えない。白雲も行き先を阻まれ、いつからか雪が降っていたのだった(過去の助動詞「けり(ここでは ける )」は、この時代、発見した驚きが入る)。語り継いでゆこう、富士山の高さを。  赤人の経歴が分からないので、実景を詠んだのか、人づてに聞いて想像で詠んだのか、分かっていません。「風土記」などの影響で地方の風土への関心が高まっていた時代です。  

関連するQ&A

専門家に質問してみよう