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いつから日本人は、人ではなく空気を読むように堕落したのですか?
いつから日本人は、人ではなく空気を読むように堕落したのですか? 私は日々周りの圧制に耐え、自由を固持して戦っています。周りに理解者はいません。 先日も影が薄いなどという文句を、ある団体から承りました。正直腹がたつと同時に、なぜ親しくもないのに影を濃くせねばならないのか不明でした。 影が薄い、すなわち無言、言葉という武器がないのは認めるとして、影が薄いままだんまりしつづけるのと比べて、私はこれから無理やり武装し、周りと同じように固まって、無駄な我慢と仲間はずれにされる恐怖に耐える方々と同じように、ひょうきん者を演じたほうが身のためですか?それとも自由を愛する者としての誇りを保ったほうが自分らしくてよいでしょうか? ちなみに真面目な質問です。アドバイスをよろしくお願いします。
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- LTCM1998
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いつから,という疑問に対しての回答がないようですので。 ひとつのターニング・ポイントは日露戦争です。 国の興廃をかけての戦争に,薩長閥による人事を行なった。それでも,有能な人間を排除まではしなかったのが救いでした。 「空気を読んで」採用した乃木のために,人命の損失が無駄に行なわれました。 もうひとつ,より重大なのは,昭和初期,戦争へ向かっていく道においてです。 政府は軍部に口を出すな(統帥権干犯)という空気が作られ,悪法・治安維持法も手伝って,無謀な戦争への道を食い止めることができなくなりました。 二つはつながっています。後者は「日露戦争以降の英霊」を持ち出すことで,空気によって国際協調路線を叩き潰しました。 なお,このとき,「統帥権干犯」をさかんに訴えて軍部に媚を売った政治家の一人に鳩山一郎がいます。また,無謀な戦争の中で「国民服」すなわち服装まで統制しようとした役人が,岸信介です。なんか二人ともダメな孫が最近いたような気がしますね。 イラクへの派兵は「雰囲気で決める」と断言した人もいましたが。 外交においては,知己同士の個人的なつながりが大きく作用することはあっても,「空気」ということはありえません。 では,日本に外交があったかというと,せいぜい幕末期の勝海舟,明治期の小村寿太郎,ぐらいのものです。 幕末~大正は欧米列強に習って帝国主義へのコピペ外交,昭和に入って戦前は軍部主導による孤立,戦後はアメリカ追従,と,150年間で独自外交といえるのは数えるほどです。 「空気」でしか物を考えられない蛮族にしては,ゼロでないだけマシかもしれませんが。 昔は良かったもなにもなく,ほとんどたどりうる昔から「空気」が主流であったと言えるでしょう。 (日露戦争の生き残りはすでにいないでしょうから)
- crivelli45
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私も、「空気を読む」という言葉が好きになれません。 読むべきは、人です。 「空気」とは、良い風に言い換えれば「人と人との関係性」のことです。 その関係性の中に、自分も含まれている組織や集団の中においては、その集団の中の動きを円滑にするために、ある程度の努力が必要になると思います。媚びる必要はありませんが、何がしかを察して動いたり、配慮したりするという努力です。そのために、たまにはおどけてみる必要も生じてくるかもしれません。 その努力は、自分を含め、その集団の中に居る全員にとって、役に立つものであることが多いので、「これ以上は我慢や無理をしすぎるから自分にはできない」という限度を超えない限り、やってみる価値があると思います。 ただし、自分を含まない集団・・質問者さまの仰る「ある団体」が、質問者さまが所属してない・関係や取引がないというのであれば、これにあたると思いますが・・に対しては、上記のような配慮は、少なくてよいと思います。礼節のある対応さえしていれば、わざわざ明るい人物を演じる必要まではありません。 影が薄いとか濃いとかという言及については、これは個々人の主観に基づく発言なので、放置でよいのではないでしょうか。 寡黙な人でも、妙に存在感のある人もいるでしょう。 おしゃべり好きなのに、さして目立たない人もいるでしょう。 というか、団体の中で”右へならえ”している人々のほうが、他所から見れば全て同じ言動なので、個々人の個性や魅力は薄まって見えるかもしれませんが・・ 質問者さまの年齢を存じ上げませんが、周囲と言動が似ているとかいないとか、一緒に行動する時間の長さとかを基準にして人を嫌ったり、仲間はずれにしたりするようなことは、社会に出れば激減します。 固まることが好きな人々・グループというのはどんな世代でもいらっしゃいますが、そうでない人も増えるので、特にプライベートの場では、個人でフラフラっとしていたところで不自由を感じたり、いやな気分になることは少なくなってくると思います。 固まらない者どうしが結局は仲良くなり、適度な距離感を保っていい友人づきあいができるようになりますよ。
影が薄いで間違いないですね? 毛が薄いではないですね? 毛が薄いなんて露骨に言われたら、誰でも腹が立ちます。 ならば簡単なこと。 自然にしていればいいんです。 いちいちいろんなことに反応しない。 どこが自由を固持してるんですかまったく・・・。
- totoen
- ベストアンサー率66% (4/6)
普通の人は一人でいるのが耐えられないので 分かり切ってるショーを演じているときいたことがあります。
- ueue3131
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私も、pamtmarm さんと同じ考えで、空気を読むより、人の気持ちを読めるようになることが 価値のあること、レベルの高いことだと思います。 意地悪な人がいる集団の中には、悪い空気が漂っています。そんな空気を読むと、自分も意地悪な言動をするようになります。 あなたに「影が薄い」などと言った人たちは、周りに漂っている、悪い空気を読んだり、吸ったりして、心の中まで悪い空気に汚染されてしまっているのでしょう。空気を読むことはできても、それによって傷つく人の気持ちを読めないのですから、何の価値もありません。 ただ、世の中は、そんな汚染された心の人ばかりではありません。いい人もたくさんいるはずです。 自分は、空気は読まないけど、人の心は読めるぞ…という心意気で誇りをもって生きてください。 そして、誰かが困っているときに、いつもは無口なpamtmarmさんが、さりげなく助けてあげたら…、人に責められて悩んでいる人に「そんなこと別にいいじゃん。いいたいやつには言わせて置けばいいよ。」みたいに、声をかけてあげられたら…素敵ですよね。あなたに助けられた人は、空気を読むことより、もっと大切なことがあることに、初めて気付くでしょうね。 ただ、「自由を固持して戦っている」なんて意識は、なくていいかもしれません。戦うような相手ではないはずですよ。必死で空気を読んで、「みんなと一緒」を求めている、弱い人たちは。
- sakura-333
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団体の方々は影が薄いと言いながら、なぜそんなにその人の存在が気になるのですか? 言っている事とは逆で辻褄が合いませんね。 空気を読むという意味を悪用したに過ぎないのではないでしょうか。 どう考えても自由を愛する者であって問題ないと思いますが・・
- elixir_200
- ベストアンサー率9% (37/405)
世の中にはサイコパスっつー人種がいるんですよ。 そのことについて知識を得れば、あーなるほどね。という感じで 自分の思い通りの人生を満喫することができますよ。 あなたの疑問も解決するでしょう。 サイコパスについてはネットで調べてみてください。
- spbaba
- ベストアンサー率36% (71/197)
自分らしく生きられた方が、良いと私は思います。 無言で! 無視でさえなければ全く問題ないと思います。