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機械論的身体観とは、意識が、機械的身体を一部分一部分すべてコントロール

ghostbusterの回答

回答No.2

>「思考する私」が、直接身体を操っているのだとする たとえばメルロ=ポンティは、こんな例を出しています。 右手が左手を、左手が右手を、互いに握り合っているところを想像してみてください。 右手が左手をさわっている、と「意識」してみるとします。右手が左手を感覚し、知覚している。と同時に、右手は左手によって触れられ、感覚され、知覚されてもいます。知覚しているのは、右手か左手か。知覚されているのは右手か左手か。 同じ右手が「心」の側になったり、「モノ」の側になったり。 右手も左手も、ともに知覚主体の側でもあり、同時に客体でもあります。 これを端的に言い表したのが、この表現です。 「最大のパラドックスは、私の身体が〈見るもの〉であると同時に、〈見えるもの〉だ、ということである」(p.210『シーニュI』みすず書房) この右手と左手の二重感覚は、単に自分の内で呼び覚まされるだけではありません。 たとえば、雨の歩道を歩いていて、目の前の人がすべって転倒する。一瞬、自分の全身に緊張が走る。「見ている」わたしが「転倒」を経験するのです。 あるいは、ドリブルからパスへ、そうしてゴール前の選手のシュート、というサッカーの、時間にしてみれば文字通り一瞬の動きが成り立つのも、選手相互が相手の動きと空間的な位置関係を「自分のもの」として把握しているからです。 他人の身体が見えた瞬間、自分の意識の内に「自分」「他人」という意識が生じる以前に、「〈見るもの〉と〈見えるもの〉」の二重感覚が呼び覚まされる。 別の言い方をすれば、ほかの人の身体感覚が、自分の内に乗り移っている、といえます。実際、「拷問」という行為が成り立つのも、サスペンス映画を観て自分の心臓がドキドキするのも、高いところに立っている人を見て足がすくむのも、すべてこの二重感覚です。 知覚し、感覚するものは、同時に、知覚され、感覚されるものではないか。 つまり、身体というのは「一つの両義的な存在の仕方」で存在するのではないか。 西洋の思想史、ひいては科学や法律全般は、「わたしの身体」という言葉に端的なように、身体を所有する「思惟する私」を中心に置いて、発展してきました。 ロックは「身体」を私有財産の筆頭に置いたし、人権思想も「自分の身体を自由にする権利は自分にある」と謳います。臓器の移植や「脳死」が問題になるのも、身体はモノであり、わたしたちを人間として尊厳あるものにしているのは「精神」である、という思いは、いまなおわたしたちに根強いものであるといえるでしょう。 けれども、心身二元論、あるいは機械論的身体論では、この「二重感覚」は説明できません。 メルロ=ポンティが上げるのは、生後間もない赤ちゃんが、育児室で「伝染泣き」する例です。赤ちゃんは空腹感や不快感を直接感じていなくても、誰か別の泣き声を聞くことで、その声がいつも伴っている身体的な「感じ」が同時に否応なく生じ、その泣き声に伝染したかのように、一緒に泣いてしまう。 このように、自他の区分ができていない以前の身体性を、メルロ=ポンティは「癒合的身体」と名づけています。そうして、この癒合的身体は、実は、大人になって、自他の身体が区別されて生きている段階であっても、いつもその基盤として、意識にのぼらない在り方として働いている。だからこそ、わたしたちはこの「二重感覚」を味わうことができるのです。 あれやこれや書きましたが、少しでも参考になるところがあれば幸いです。

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