• 締切済み

脳の働きと心の動きについて

自分の心の動きの観察をしていて最近うすうす気がついたのですが、 脳っていうところの守備範囲の広さというか、意識的な動きや無意識な動きが複数働いて、人って日々暮らしているんだなと、ふと思いました。 何か作業をしている時、例えば皿洗いをしている時、その姿勢や手の動きを観察していると、実にしなやかにテキパキと適切に作業を進めて行きます。 いちいち意識する必要なく、自動的に動作が行われます。 反復して動作を記憶しているためだとは思いますが、その場面での判断も自動的に行っています。 (これは無意識の働き?) 作業を進めていながら、脳内では全く関係の無いことを考えています。 今日はひどい目に会ったなとか、または楽しかった場面を思い出し、脳内でフィードバックさせていたりと、皿洗いとは全く無関係の事を考えています。 (これは無意識と意識の間??) さらに皿洗いをしながら、「もうすぐ8時だ、観たい番組がもうすぐ始まってしまう、早く片付けないと!」という欲望的な思考も働きます。 (これは完全に意識の部分でしょう) もう一つ、その時、例えば何か心配ごとのタネを抱えていると、意識していなくても心の奥または記憶の片隅でくすぶっていて、どこかうっすらと気分を重くさせている部分があります。 (これは無意識の領域かと) さらにもう一つは、その間も脳は心臓や肺や内臓などの身体コントロールの指令を発しています。 なんと皿洗いの最中にこれだけの働きが行われているんだなと、ふと気がつきました。 主に人は、意識的な思考のみが主体と考えがちですが、そうではないなと。 実際はもっとあるのかもしれませんが、自ら感じ取れたのはこれくらいでしょうか。 そこで、こういう脳の働きをもっと知りたくなりまして、コメントやお勧めの書籍などお教えいただければと思いましての投稿です。 ちなみに、脳科学系の本は既に多少読んでみましたが、脳のどこどこの箇所でドーパミンが、とか具体的な説明が多いので余計に分かりにくかったです。 脳内名称やホルモンの名前を知りたい訳じゃなく、脳にはこういう働きをしておりこういう場面でこう動いています、的な実践的とでも言いましょうか、そんな本って・・・・誰か教えてgoo

みんなの回答

  • foomufoomu
  • ベストアンサー率36% (1018/2761)
回答No.6

心理学的な脳の働きへのアプローチでは、フロイトとユングが有名ですが、この2人は「少し違う、大きく違わない」程度です。やさしい解説本もたくさんあります。私が読んだことのあるのは  コミック ユング―深層心理学入門/石田 おさむ (マンガ解説本をバカにしてはいけません。すべての事象に図解が付いているわけですから、とても理解しやすいです) ただし、いまでは、この2人を否定する学者が多いのはご存知と思います。(心理学は文系の学問らしくて、実験の検証が、いまいち論理的でないような。。。) この2人が否定されている理由で大きいのは、前述のニューロコンピュータでシミュレーションできるようになったのと、MRIなどの測定器で普通に活動している脳を観測できるようになったためでしょう。今では脳の働きは、かなりのところがわかっています。 生理学的な脳の働きへのアプローチとしては、この人の本がお勧めです。 http://www.gaya.jp/ikegaya.htm 私が読んだのは、「脳は何かと言い訳する」(だったと思う)ですが、たぶんどれを読んでも興味深い内容だと思います。(たぶん1冊読めば十分だとも思います。) あとは、NHKの「人体」第2集「驚異の小宇宙・脳と心」と、BBCのディスカバリーチャンネル「脳・未知のフロンティア」(youtubeで見れます)でしょうか。

reza2011
質問者

お礼

書籍のご紹介を有難うございます。 参考にさせて頂きます。 心理学系では最近アドラーを読みました。 感じるべきは今この時で、過去や未来をあれこれ考えても自らを惑わすだけ、という点でも今回の私の質問と一致する部分でした。 脳科学書籍については、とりあえずの選択で入っていこうかと思います。

  • rabbit_cat
  • ベストアンサー率40% (829/2062)
回答No.5

脳がどのようにして記憶・思考・意識といった高次の機能を実現しているのか、現時点の脳科学では「全く」わかっていません。いろいろな人がいろんな仮説をたてて果てしなく論争をしていますが、現時点では「未知」としかいいようがないです。 一方で、脳が、例えば、神経細胞とそれらをつなぐシナプスで構成される、とか、さらに個々の神経細胞の細かな構成や性質といった生理学的な知見はここ10数年で急激に増えました。 計算機を構成する個々の素子として考えると、神経細胞というのは、非常の強力な素子です。素子単体でみれば、神経細胞は、現在のコンピュータを構成するトランジスタよりもよほど高度な信号処理ができます。 したがって、神経細胞をたくさん集めることで、現在のコンピュータと同等以上の高度な情報処理が実現できることは何も不思議ではないです。ただし、人間の脳の中で、神経細胞が数十億個をどのようなルールのもとで動かして、どのように意識という機能を果たしているのかが全く分かっていないということです。 例えるなら、コンピュータのCPUはトランジスタという素子を数十億個集めたできたものです。宇宙人が地球にやってきてCPUをばらしてみて、それが数十億個のトランジスタで構成されていることが分かったとしても、それらをつないでいる基本的なルール(例えば、2進法の概念など)を発見しない限り、なぜコンピュータが動くのかはわかりません。

reza2011
質問者

お礼

有難うございます。 他の方への文章と同じ内容で誠に恐れ入りますが・・ スピチュアル的または通俗心理系になるかと思いますが、私の考えでは意識的な思考や深層にある感情とは別に、身体的な感情のようなものがあり、これはもちろん無意識の領域ですが、それら双方のバランスで人の心の状態、例えば精神的快楽や苦痛が自分の意図とは関係なく発生していると、ある日気がつきました。 問題となるのはやはり、ノーコントロール状態の負の感情、気分が落ち込んで意識しても改善しない状態、例えば失恋がきっかけのような苦しさ、訪れてもいない将来の離婚や孤独死などを漠然と心配して心苦しむ、対人関係がうまくいっていないときの心配事で苦しい、人と比較して劣等感で苦しむ、などという状態はなぜ意識しても解決せず、何かの精神的上書きが起こるのを待つなど他力本願的なのか、ということです。(意味不明かも知れませんが) 脳の働きには様々な守備領域があり、もしかすると無意識部分の身体感情があるなら、というかあるようですが、これと意識思考のバランスが乱れている状態、それは意識部分が実現不可能な欲求を持っている時、身体側はそれを身体的なピンチと捉えて意識部分にも分かるように信号を送り、何か対策をしましょうねと、苦しみを発生させているんじゃないかと。 この手の苦しみの積極的な解決方法として、精神カウンセリングのフォーカシングという手法や座禅瞑想が、意識部分を無にして身体の状態に耳を澄ますと心の縛りが解きほぐされますよ、というのがあります。 身体側の感情のようなものと意識側の思考状態が食い違えば当然痛みが起こり、逆に意識側が身体側と仲良く歩調を合わせて協力し共に歩めば、精神的には安定するという実にシンプルな現象なんだなと。 なので昔からピンチの時は「大丈夫、心配ない」とか、「ま、いいか。何とかなる」 と自分に言い聞かせよと言いますが、より身体側の感情のようなものに積極的に働きかけることで、心の疲労は軽減されるんだな、と思いました。 こういう現象は、科学的に証明しようとすると余計ややこしくなるんでしょうね。 しかし、こういう現象が実際にあると感じます。 そこでその身体側の無意識な感情のようなものって、実際脳科学的に存在が確認されているのかなと思いましての質問です。 (ちょっと質問のカテが違ったような気もしますが、大目に見てやってください^^;) また何か良いアドバイスを頂ければと思います。

noname#221368
noname#221368
回答No.4

 #2です。 >前の回答では、ニューロコンピュータは失敗したと書いてありますが、・・・ と読めましたか・・・。  #3さんの仰るように、ニューロコンピュータはある意味、期待通りの成果を出してくれたと自分も思っています。例えばファジープログラムのメンバシップ関数を、学習により自動チューニングしてくれるなんて、ニューロコンピュータ以外では出来そうにもない。  憶測ですがこれらは既に製品化されていて、今式のエアコンや洗濯機や扇風機のロムや電気回路として当たり前のように組み込まれている気がします。 >脳は、適切な情報の粗視化を行って扱うべき情報の量を減らして演算し、しかも適切な出力を行っている・・・ と予想するという事は、 >現在でも、脳の働きの基本は、ニューロ・コンピュータ、という考え方は変わってないはずです。 という事でもあります。  ただ現在のニューロコンピュータには、決定的に何かが足りない。一つの例が、適切な情報の粗視化のやり方です。とても具体的ですぐにでも解決できそうなものなのですが・・・。その何かは、地道な大脳生理学の研究からしか出てこないのかも知れません。  結局まだ、脳をシステムとして理解しようとするには、時期尚早という事なのだと思います。でもそれは、誰もが是非やってみたいんですよね(^^;)。

reza2011
質問者

お礼

有難うございます。 他の方への文章と同じ内容で恐れ入りますが・・ スピチュアル的または通俗心理系になるかと思いますが、私の考えでは意識的な思考や深層にある感情とは別に、身体的な感情のようなものがあり、これはもちろん無意識の領域ですが、それら双方のバランスで人の心の状態、例えば精神的快楽や苦痛が自分の意図とは関係なく発生していると、ある日気がつきました。 問題となるのはやはり、ノーコントロール状態の負の感情、気分が落ち込んで意識しても改善しない状態、例えば失恋がきっかけのような苦しさ、訪れてもいない将来の離婚や孤独死などを漠然と心配して心苦しむ、対人関係がうまくいっていないときの心配事で苦しい、人と比較して劣等感で苦しむ、などという状態はなぜ意識しても解決せず、何かの精神的上書きが起こるのを待つなど他力本願的なのか、ということです。(意味不明かも知れませんが) 脳の働きには様々な守備領域があり、もしかすると無意識部分の身体感情があるなら、というかあるようですが、これと意識思考のバランスが乱れている状態、それは意識部分が実現不可能な欲求を持っている時、身体側はそれを身体的なピンチと捉えて意識部分にも分かるように信号を送り、何か対策をしましょうねと、苦しみを発生させているんじゃないかと。 この手の苦しみの積極的な解決方法として、精神カウンセリングのフォーカシングという手法や座禅瞑想が、意識部分を無にして身体の状態に耳を澄ますと心の縛りが解きほぐされますよ、というのがあります。 身体側の感情のようなものと意識側の思考状態が食い違えば当然痛みが起こり、逆に意識側が身体側と仲良く歩調を合わせて協力し共に歩めば、精神的には安定するという実にシンプルな現象なんだなと。 なので昔からピンチの時は「大丈夫、心配ない」とか、「ま、いいか。何とかなる」 と自分に言い聞かせよと言いますが、より身体側の感情のようなものに積極的に働きかけることで、心の疲労は軽減されるんだな、と思いました。 こういう現象は、科学的に証明しようとすると余計ややこしくなるんでしょうね。 しかし、こういう現象が実際にあると感じます。 そこでその身体側の無意識な感情のようなものって、実際脳科学的に存在が確認されているのかなと思いましての質問です。 (ちょっと質問のカテが違ったような気もしますが、大目に見てやってください^^;) また何か良いアドバイスを頂ければと思います。

  • foomufoomu
  • ベストアンサー率36% (1018/2761)
回答No.3

前の回答では、ニューロコンピュータは失敗したと書いてありますが、見方によるのですが、私はそこそこ成功したと思っています。 もう一度ニューロ・コンピュータについて書いておくと、 脳には、メモリーにあたる脳細胞、脳細胞をつなぐ電線にあたる神経線維、神経線維の中間にあって抵抗のような(専門的にはコンパレータといいます)働きをするシナプス、これだけの部品しかないんです。 いったい、ほんとに、これだけの部品だけで、計算、推論、複雑な記憶、ができるのだろうか? ということで、脳をまねて、そんな働きをする電子回路を作ってみたら・・・簡単な計算、判断、画像の記憶や照合、ができることが分かった。というのがニューロ・コンピュータの概要です。 とくに画像の記憶照合は従来のコンピュータが最も苦手とする部分なので、実際に、手書きの郵便番号の読み取りに使われています。 一時期、ニューロ&ファジーという宣伝で、エアコン、エレベータなどが売り出されていたのを覚えているでしょうか? 従来のコンピュータより、人間の感覚に近い制御ができるということで、それなりの成果を上げています。(どちらかというと、「ファジー」の部分のほうが、人間的な効果を出しているのですが) 現在でも、脳の働きの基本は、ニューロ・コンピュータ、という考え方は変わってないはずです。 ただ、ニューロ・コンピュータの処理には理論上限界があることが、まもなく分かったので、この原理だけでは脳の働きを100%説明することはできない、とも考えられています。

reza2011
質問者

お礼

有難うございます。 他の方への文章と同じ内容で恐れ入りますが・・ スピチュアル的または通俗心理系になるかと思いますが、私の考えでは意識的な思考や深層にある感情とは別に、身体的な感情のようなものがあり、これはもちろん無意識の領域ですが、それら双方のバランスで人の心の状態、例えば精神的快楽や苦痛が自分の意図とは関係なく発生していると、ある日気がつきました。 問題となるのはやはり、ノーコントロール状態の負の感情、気分が落ち込んで意識しても改善しない状態、例えば失恋がきっかけのような苦しさ、訪れてもいない将来の離婚や孤独死などを漠然と心配して心苦しむ、対人関係がうまくいっていないときの心配事で苦しい、人と比較して劣等感で苦しむ、などという状態はなぜ意識しても解決せず、何かの精神的上書きが起こるのを待つなど他力本願的なのか、ということです。(意味不明かも知れませんが) 脳の働きには様々な守備領域があり、もしかすると無意識部分の身体感情があるなら、というかあるようですが、これと意識思考のバランスが乱れている状態、それは意識部分が実現不可能な欲求を持っている時、身体側はそれを身体的なピンチと捉えて意識部分にも分かるように信号を送り、何か対策をしましょうねと、苦しみを発生させているんじゃないかと。 この手の苦しみの積極的な解決方法として、精神カウンセリングのフォーカシングという手法や座禅瞑想が、意識部分を無にして身体の状態に耳を澄ますと心の縛りが解きほぐされますよ、というのがあります。 身体側の感情のようなものと意識側の思考状態が食い違えば当然痛みが起こり、逆に意識側が身体側と仲良く歩調を合わせて協力し共に歩めば、精神的には安定するという実にシンプルな現象なんだなと。 なので昔からピンチの時は「大丈夫、心配ない」とか、「ま、いいか。何とかなる」 と自分に言い聞かせよと言いますが、より身体側の感情のようなものに積極的に働きかけることで、心の疲労は軽減されるんだな、と思いました。 こういう現象は、科学的に証明しようとすると余計ややこしくなるんでしょうね。 しかし、こういう現象が実際にあると感じます。 そこでその身体側の無意識な感情のようなものって、実際脳科学的に存在が確認されているのかなと思いましての質問です。 (ちょっと質問のカテが違ったような気もしますが、大目に見てやってください^^;) また何か良いアドバイスを頂ければと思います。

noname#221368
noname#221368
回答No.2

 脳の動作や機構を、システムとして理解したいというのは、現在のところ見果てぬ夢なんですよ。  今からもう一世紀前くらいにウィーナーは、そういう方向の考えに基づきサイバネティックスを提唱しました。その路線に従ってシャノンの情報理論や計算理論などが発展し、それらは今では欠かせない常識になっています。人体を有機材料で出来た機械と見るサイバネティックスのもう一つの功績として、体感フィードバックとその自動処理機構の存在が明らかになった事です。 >何か作業をしている時、例えば皿洗いをしている時、その姿勢や手の動きを観察していると、実にしなやかにテキパキと適切に作業を進めて行きます。いちいち意識する必要なく、自動的に動作が行われます。  体感フィードバックの自動処理機構には、「歩く」という単純な四肢の制御まで含まれます。さらに意識にはほとんどフィードバックされない、心臓や肺の活動などの制御もある。しかしそこまででした。サイバネティックスという言葉が聞かれなくなって、かなり久しい・・・(^^;)。  脳をシステムとして理解するとなったら、最もアナクロには、次のようになるはずです。  脳の動作を概略再現する電気回路を組めば良い。しかしそれには脳ネットワークの素描くらいは必要です。その関連で言うと、脳には「野」があり、各野は聴覚中枢だったり視覚中枢だったり言語中枢だったりして、脳は分業体制をとっているのはかなり明白にわかっている。そういう事は、一世紀前にもわかっていた。だからウィーナーは、それらを回路素子とした電気回路によって、大雑把な脳の素描ができるのではないか?と期待した。しかし駄目だった。  けっきょく各野の相互作用、つまりシステムとしての各野の統合方法が、まるでわかっていないからです。そこで現在でもまだ、各野の働き(挙動)を地道に具体的に追跡する段階にとどまっていると思えます。しかもその過程で脳は、純粋な電気回路ネットワークではない事までわかってしまった。ホルモンやドーパミンという化学作用によっても自らを制御し、その比重は絶対に無視できないほど大きい。  しかし数学モデルとしては、化学作用まで含めて電気回路に置き換えうるはずだ。というか物理的に電気回路を使わなくても同じ事ができる。想定する電気回路と等価な動作をするプログラムがあれば良い。そしてこっちの方が、自由度が高い。  この発想が、大雑把に言ったニューロコンピューターです。ニューロコンピューターではとにかく仮想的に数値実験できる。たとえ現在、システムとしての各野の統合方法がわかっていなくても、数学的に表されたニューロ素子の前提が妥当なら、「数打ちゃ当たる計算」を大量に行えば、脳の動作に近い解も出てくるのではないか?。もしもそうなら、脳の物理的な具体的動作機構は未知でも、システムとしての要件は探れるはずだ。つまり脳の動作機構を、具体的な物理化学機構と切り離して、外堀から攻めて行ける。この考えは、サイバネティックスの発想に最も近い。  ここに立ちはだかったのが、個人的にはロバスト問題だと思います。ニューロコンピューターの最も得意そうなところはどこでしょう。体感フィードバックの自動処理機構と思えませんか?。  ところが実際に計算させてみると、腕一本動かすのさえフィードバック情報の自由度が多すぎて、計算不能でした。脳はある意味、超並列コンピューターですが一個一個の素子は、シリコンチップより低速です。だから並列処理機能を持ったスパコンなんかを使って束になってかかれば、体感フィードバックの自動処理くらいできるだろうと思われましたが、駄目でした。それはサイバネティックスの影響で発達した、計算量理論からの結論です。  脳は、適切な情報の粗視化を行って扱うべき情報の量を減らして演算し、しかも適切な出力を行っている事になります。この適切な情報の粗視化(例えば平均を取るとか)のやり方がわかっておらず、これも各野の統合方法の一部に含まれるはずです。これをロバスト問題と言います(・・・言ったと思う(^^;))。ニューロコンピューターは、2本の上腕・下腕と五本の指さえ満足に動かせません。  ・・・というのが現状と思えます(^^:)。現状では、脳をシステムとして理解するというのは、見果てぬ夢です。それが出来たら、意識の数学モデルも出来ると思います。

回答No.1

>自分の心の動きの観察をしていて最近うすうす気がついたのですが、 >脳っていうところの守備範囲の広さというか、意識的な動きや無意識な動きが複数働いて、 >人って日々暮らしているんだなと、ふと思いました。  良い部分に気がついたと思います。  そうですね。  何気なく行っている行動について意識的に感じるとこうなってくると思います。  もしも、行動に意識を持つと?  として紹介ができそうな雑誌としては先日、バックナンバーとして取り寄せた雑誌として、 -------------------------  最先端の脳科学が、最大の難関に挑む  脳と意識  ロボットに意識は生まれるか?自由意思はあるか?クオリアとは?  Newton  2012年5月号  株式会社ニュートンプレス 定価1000円 ------------------------- >ちなみに、脳科学系の本は既に多少読んでみましたが、脳のどこどこの箇所でドーパ >ミンが、とか具体的な説明が多いので余計に分かりにくかったです。  これは脳生理学の側面から捉えた場合ですね。  雑誌22ページ、プロローグの一部を紹介します。 ------------------------- 脳で見られるさまざまな活動は。こまかく調べていけば、物理的(化学的、電気的)な振る舞いとして説明できるはずだ。 このように、メカニズムとしては解明できるはずの現象(解明する手段があると考えられる現象)は「イージー・プロブレム(簡単な問題)」とよばれている。 これに対し、それら脳内でおきた物理的な現象をもとに、意識というものがどのようにして生まれるのかという問は、現在のところ、解明の手段がみつかっていないとされる。さらに 、将来にわたっても、原理的に解明が無理かも知れないという主張もある。  オーストラリアの哲学者、デイビッド・チャーマーズ博士による指摘だ。このような問題は「ハード・プロブレム(むずかしい問題)」とよばれる。 ------------------------- >Newton (ニュートン) 2012年 05月号 [雑誌] >http://www.amazon.co.jp/Newton-%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3-2012%E5%B9%B4-05%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B007FSZJPG/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1413282336&sr=8-1&keywords=%E8%84%B3%E3%81%A8%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%80%80%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3  興味を持っていただければ幸いです。

reza2011
質問者

お礼

有難うございます。 ご紹介の書籍、機会があったら読んでみます。 スピチュアル的または通俗心理系になるかと思いますが、私の考えでは意識的な思考や深層にある感情とは別に、身体的な感情のようなものがあり、これはもちろん無意識の領域ですが、それら双方のバランスで人の心の状態、例えば精神的快楽や苦痛が自分の意図とは関係なく発生していると、ある日気がつきました。 問題となるのはやはり、ノーコントロール状態の負の感情、気分が落ち込んで意識しても改善しない状態、例えば失恋がきっかけのような苦しさ、訪れてもいない将来の離婚や孤独死などを漠然と心配して心苦しむ、対人関係がうまくいっていないときの心配事で苦しい、人と比較して劣等感で苦しむ、などという状態はなぜ意識しても解決せず、何かの精神的上書きが起こるのを待つなど他力本願的なのか、ということです。(意味不明かも知れませんが) 脳の働きには様々な守備領域があり、もしかすると無意識部分の身体感情があるなら、というかあるようですが、これと意識思考のバランスが乱れている状態、それは意識部分が実現不可能な欲求を持っている時、身体側はそれを身体的なピンチと捉えて意識部分にも分かるように信号を送り、何か対策をしましょうねと、苦しみを発生させているんじゃないかと。 この手の苦しみの積極的な解決方法として、精神カウンセリングのフォーカシングという手法や座禅瞑想が、意識部分を無にして身体の状態に耳を澄ますと心の縛りが解きほぐされますよ、というのがあります。 身体側の感情のようなものと意識側の思考状態が食い違えば当然痛みが起こり、逆に意識側が身体側と仲良く歩調を合わせて協力し共に歩めば、精神的には安定するという実にシンプルな現象なんだなと。 なので昔からピンチの時は「大丈夫、心配ない」とか、「ま、いいか。何とかなる」 と自分に言い聞かせよと言いますが、より身体側の感情のようなものに積極的に働きかけることで、心の疲労は軽減されるんだな、と思いました。 こういう現象は、科学的に証明しようとすると余計ややこしくなるんでしょうね。 しかし、こういう現象が実際にあると感じます。 そこでその身体側の無意識な感情のようなものって、実際脳科学的に存在が確認されているのかなと思いましての質問です。 (ちょっと質問のカテが違ったような気もしますが、大目に見てやってください^^;) また何か良いアドバイスを頂ければと思います。

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