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素朴な疑問を思いつきました。

こんばんわm(_ _)m 脳を少しも傷つけないで冷凍し、解凍できる技術があれば、1000年後の世界も見れますか? それとも自我や意識は、機能していてこそ存在できるものなんですか? つまり『記憶』とは動きなのか? それとも一度シナプスの働きなんかを止めても『記憶』は記憶されたままでいられるのか? 宜しくおねがいしますm(_ _)m

  • sowow
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  • ベストアンサー
  • JF1Msf
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回答No.1

 僕の考えでは、記憶すること事態は動的だと思いますが、記憶そのものは静的だと思います。つまりその点に関しても、脳とコンピュータと同じだと思います。だから、もしそんな技術があれば、1000年後の世界も見られるんではないでしょうか。  精神的、また肉体的な損傷を受けて、人格が全く変わったり、記憶が失われたりすることがありますよね。でもそんな人が元に戻ることもある。記憶を、物理的なニューロン回路と考えれば、書き込まれたハードディスクと同じで、動きはないのではないでしょうか。

sowow
質問者

お礼

なるほど。 でも記憶は「取り出せない」からといって「壊れている」とはいえない場合があります。 脳の「取り出す装置」の部分が復旧すれば、失われたと思っていた記憶は実は最初から壊れてはいなかったとわかるわけです。 ありがとうございます。

sowow
質問者

補足

記憶とはニューロンの回路であり、シナプス部の伝達物質等の活動であり、活動電位とかいう電気であるというのが今の定説だろうとおもいます。 それら(他にも沢山あると思いますが)のうち、どれかが少しでも欠けたら記憶は記憶ではいられないんじゃないか?と思いました。 となるとかなり動的なものでは?と。 今現在、静的なものだという証拠は出てるんでしょうか?

その他の回答 (1)

noname#25358
noname#25358
回答No.2

 できるらしいですよ。  人間の脳とコンピュータを直接サイバーコネクトする技術も、現在マジで開発中です。 (実用化にはまだまだ時間がかかりそうですけど)

sowow
質問者

お礼

「マジ」すか!? SFではよく見かけますが・・。 凄いことになってますね。

sowow
質問者

補足

コンピューターがもっと発達すれば、 たとえ記憶が動的なものであっても、静的なものに「変換」して保存できるかもしれないですね。 また変換などしなくても、コンピューターのほうがもっと脳に近づけば良いとも思います。 が、実際のところどうなんでしょうね?

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