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どうして加藤被告(秋葉原殺傷)のことを友達だと思うのでしょうか?

どうして加藤被告(秋葉原殺傷)のことを友達だと思うのでしょうか? 今、ヤフーニュースを見ていたら、秋葉原の殺人事件のことが取り上げられており、 加藤被告の友人が次のように述べたそうです。 抜粋: また、加藤被告の小中高校時代の同級生の男性が証人として出廷。男性は「やったことは許されないが、私はまだ彼を友達だと思っている。彼と話がしたい」と話した。 私は最近、友人関係で悩んでいました。 この男性はどうして加藤被告のことを友人だと思うのか すごく興味があります。 沢山の方のご意見をお聞きしたいです。 宜しくお願いします。

みんなの回答

  • rijicho
  • ベストアンサー率26% (6/23)
回答No.9

加藤さんが本当はいい人だからでしょう。 彼は感情表現の仕方に問題があったからあのような事件を起こしましたが、それだけ追い詰められていたということです。 彼を屈折した人柄にし、凶行に走らせた一番の原因は母親です。 母親が死刑になればいいのに。

回答No.8

どういった付き合いだったかわかりませんが 真の部分(事件じゃなくて)を知ってるとか 自分が周りと違うと(独身だったり、低所得だったり)すると 孤立するのはよくわかる。 話せる人もいなくなるので はけ口がなくなるのですよね 溜まりに溜まって爆発。

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.7

うーん、削除される可能性が高い質問かと思うけど。 プライベート、特定の人の話だからね。 ただ、質問の趣旨としては回答するに意義があることかも知れないので、早めに読んでくださいね。 まず、彼の心情についての言及はしない。 先に言ったようにマナー違反かも知れないから。 全般的なことだけいいます。 友情関係というのは、その後に友達がなにをしようと生き続けることは十二分にありえることです。 それは友情関係を育んだ「そのとき」に、その切欠があったゆえです。 長い期間会うことがなく、その後に再開して話をしてみたらガッカリして、友情が醒めてしまった、という話も、逆説的に言えば「ありえる」ことです。 しかし、長期間会わなかったら消えるということは断言はできません。 また毎日のように会っていても、何らかのことが切欠で醒めてしまうこともあれば、そうでないこともあります。 友情とは相手の「何か」を信じることだと思います。 その「何か」が最重要事項なのであり、拠り所でもあるのです。 壊れやすく、しかし、時間に束縛されることはない。 それが「友情」の特色でしょう。 特に男性同士の友情は、そういった特性が見られますね。 また男女間の愛情というものと、大きな違いがあるのがその部分でしょう。 思い出が存在する限り、友情は不変なのかも知れない。 何らかの「落胆」させられることが起きない限り、友情は不変なのでしょうね。 落胆があっても継続する友情というものもあります。 それは「思い出の中の相手」に、何かの「真実」を見ることが出来た時です。 つまり「友情」というのは、両想いじゃないと存在できないものじゃないんですよ。 片想いでも友情はちゃんと本人の中に在るわけです。 相手に対して「確認」を求めることで壊れていく「友情」が最近は多いですね。 でも、友情というのは「尽くすこと」で保たれるときもあるのですよ。 あなたはどうだったでしょうか?。

  • zura69
  • ベストアンサー率18% (69/367)
回答No.6

この友人がどの程度の仲かにもよりますが、 穿った見方をすれば、異常殺人者を見捨てない友達である ということで自分も特殊だと思いたいのかなという気もします。

  • utyatopi
  • ベストアンサー率49% (1127/2257)
回答No.5

小中高校時代の同級生として、<友達>として多感な時期をいろいろ悩みとか話し合ってきたのにも拘らず、加藤被告が<孤独>から自暴自棄になって事件を起こしたとの報道からだと思います。 長い間離れていても、一目合えたならば、電話一本かかってきたならば、年月は関係なく、すぐ昔の<友達>関係に戻れると信じていたのだと思います。 離れていても<友達なんだ!>と自負していたと思います。 それなのに加藤被告は<誰も自分の事を見向きもしてくれない…><孤独だった>と自暴自棄になってのあの事件…。 <友達>だと信じてくれてさえいたならば、<友達>だと解らせられていたならば、あのような事件にはならなかったのではないか…その方は<友達>であったはずの自分を責めたのだと思います。 その自分に対しての悔しい思いと、加藤被告への思いから、あのような発言になったのではないでしょうか…。 余談ですが、私はめったに会えなくても、幸せな事に<友達>が財産だと思っています。 悩んだり衝突したりしながら、誰もが自分にとっての大切な<友達>を見つけていくのだと思います。 頑張ってくださいね!

回答No.4

根本的には、凄く良い人だったのでしょうね。最近多いですが、日ごろ大人しくて繊細な人のほうが、こういった犯罪を起こすと。我慢に我慢を重ねたのに、たまたま、プッツンしてしまったのかもしれません。 事件当時、「彼女がいたら、こんな事件を起こさなかったかもしれない」という発言がありましたが、凄く内気で、腰の低い人という可能性が高いです。 しかし、テレビのこういう報道って、気をつけなくてはいけない部分があります。 いわゆる「ヤラセ」という奴です。共産思想が悪いとは言いませんが、共産思想を持った人権保護団体の力で、捏造報道をされることがあるからです。 街角アンケートという名目で、そのインタビューや結果が報道されますが、過去に何度も出演したことがある奴だったり、アンケート結果を捏造したりと多々あります。

  • mizukino
  • ベストアンサー率21% (224/1064)
回答No.3

やったことは許してはいけないことだけど、加藤被告に罪を償ったあとも、また更生してほしいとの 思いから出た言葉だったんじゃないかと思います。 この言葉を言うのにとても勇気がいったでしょうね。偉いなと思いました。思っててもなかなか言えるもんじゃないですもんね。

  • 0t0p
  • ベストアンサー率50% (39/78)
回答No.2

大事件でしたよね‥ 遺族の方や、沢山の方の人生を、急激に変えた事件だと思います。 その方は、とても仲が良かったのではないでしょうか。 小中高の友達だそうですし‥ 悲しんだ人が沢山いる。そう知った中で「友達」と言い切るには、かなりの勇気がいりますよね。 きっと、その方も事件を境に人生が変わった1人なのだと思います‥ でもだからこそ、忘れられないのかもしれません。 一般的な友人と、同じ感情で捉えていいのか私には分かりません。 とても複雑な感情がある「友人」なのではないでしょうか。

回答No.1

友人とはそういうもんでしょ。 なにか不都合があったらすぐに他人になるなんて言うのはそれこそそれは友人じゃなかったんでしょ。いいことばっかりをしてくれるのが友人なのですか?

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