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どうしてでしょう?
他人が個人の欲望を満たすために殺人を行ったらみんなが非難するのに、 他国が国家の欲望(国益)を満たすために殺人(戦争)を行ったら、支持する人もいるのはどうしてでしょうか?
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#2です。 テロと戦争に明確な違いはありません。ただ一つだけ、主体が国家であるか、特定集団であるか、という違いがあるだけです。よって本質が暴力である点には違いがありません。 簡単に言ってしまえば、国家に対する姿勢一つで全く違った見方をすることになるということですね。国家に懐疑的な人には、国家の戦争は全て暴力に映るし、国家というフィクションを信じる人達は国とテロ集団を区別して戦争を支持するということです。 テロ集団がテロをする理由は、自分達の政治思想を広めようとするためです。つまり、テロ集団も政治集団なのです。その点について、権力を通じて政治を行う国家とテロ集団とは同一といえます。テロ集団が実権を掌握、政権を樹立すれば国家になるというのは歴史の証明するところです。
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- kyuukeityu
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1です。お礼や他の方の回答を読み、改めて欲望を満たす戦争を支持している人がいる理由を考えました。 理由としては、支持している人にとっては、その戦争は敵を倒すものとみなされ、欲望を満たすための戦争と見えていないことなどが考えられます。 あるいはその利権を得る事が「正しい」とみなされている事もあるでしょう。 先にあげられたイラク戦争でも、石油などの利権をめぐる戦争と考えた人もいれば、「悪の枢軸」の一つを倒す戦争とみなした人もいました。 その戦争をどう捉えるかで、支持するかどうかの態度も変わるのではないでしょうか。 今のところ私の考えは1の時とあまり変わっていません。 自国、他国の戦争・テロに関わらず、「敵」を倒す戦争とみなされるか、自分たちにその戦争が有益な結果をもたらすとみなせば、その人は支持するでしょう。 その判断の目安の一つが、自分たちのコミュニティにとってよいか悪いかなのだだと思います。 質問者さんにとっては、国益を満たすための戦争のように見えても、そう見えない人もいるでしょうし、その認識の違いがこの質問では大きいかなと思います。
お礼
お返事ありがとうございます。 >欲望を満たすための戦争と見えていないことなどが考えられます。 欲望を満たすための戦争と見えているのに支持している人も多数いるので、その点を解明したかったのですが。 >「悪の枢軸」の一つを倒す戦争とみなした人もいました。 それが取って付けた張りぼてのような理由に過ぎないことを理解できない人は相当な政治音痴でしょう。イラク程度の独裁国家は他にもごまんとあるのですから。その中でイラクに矛先が向けられた理由は明々白々でしょう。 >今のところ私の考えは1の時とあまり変わっていません。 私が求めているのは貴方の個人的な考えではなく、私の質問に対する答えです。 >自国、他国の戦争・テロに関わらず、「敵」を倒す戦争とみなされるか、自分たちに >その戦争が有益な結果をもたらすとみなせば、その人は支持するでしょう。 少なくとも日本においては、「敵」を倒すものであっても、テロを支持する人は極めて少数だと思いますが。北朝鮮で日本人がテロを行ったとして、それを支持する人がいると思いますか? >その判断の目安の一つが、自分たちのコミュニティにとってよいか悪いかなのだだ >と思います 闇金融の人を殺害してその存在を消すことは、自分達のコミュニティにとってプラスになるでしょうが、それを個人が行ったとして、支持する人がいるでしょうか? >質問者さんにとっては、国益を満たすための戦争のように見えても、そう見えない人も >いるでしょうし、その認識の違いがこの質問では大きいかなと思います。 そう見えない人のことは初めから対象外にしているのですが。
- kuwachan21
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何も戦争ばかりではありません。 かつてヨーロッパ諸国が行った植民地政策も同じことです。 戦争が殺人なら、植民地政策は不法侵入であり泥棒行為です。 個人が行ったら当然非難され、処罰の対象となりますが、国家が そのような行いをする背景には、自国(民)に利益をもたらすという 大義名分があるからです。 大義名分も裏を返せば、国民の政府に対する不満のすり替えです。 自分たちに向けられている国民の不満や怒りを、特定の外国を悪に 仕立ててそれを攻撃することで、フラストレーションを解消しようと 言うわけです。 さらにこれは、植民地政策にも戦争にも言えることですが、それら 外国の侵略(政権や経済の掌握=イラク攻撃もこれが名目だと、私は 思っています) によってもたらされる自国への物質的金銭的利益に よって、自国経済を活性化させる狙いもあります。 だから(国家の大義名分に踊らされる、愚かで教養のない)人間は、 戦争を支持するわけです。 あくまでもこれは私の持論ですから、あまり鵜呑みにしないように。
お礼
お返事ありがとうございます。 >だから(国家の大義名分に踊らされる、愚かで教養のない)人間は、 >戦争を支持するわけです。 なるほど。国家の大義名分に踊らされないようにしないといけませんね。
- taroimo_hasami
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一番の方へのお礼を読みました。 >様々な利権を得ることが目的の戦争についてです。 >そのような戦争を戦争当時国でない人間が支持するケースを想定していました。 ケース1 イラク戦争 イラク戦争は石油をめぐる利権戦争の一面もありましたが、日本国内にもアメリカを支持する人達がいました。支持派の理由は対北朝鮮政策で米国との関係が重要になる為、良好な関係を保つために支持すべきだ、との論調が強かったように思います。 次に、イラクの独裁者、サダムフセインに対する純粋な嫌悪感からの支持者や、民主主義を世界各国に広めようとする勢力の支持者たちも戦争支持だったように思います。 もう一つは、テロ問題に付随する賛成派。 よって、支持派の人達は利権以外の理由で賛成していたように思われます。 ケース2 その他の戦争 利権以外の戦争でも、たとえばイデオロギーがらみや宗教がらみである場合、同一のイデオロギー、宗教を信奉する人達が、国外の同一勢力による戦争を支持します。 つまり、利権がらみで戦争をすると言うと聞こえが悪いので、何らかのオブラートに包み、それを大義名分として戦争を遂行するわけです。 そして、その大義名分に共鳴する人達が、当事国以外であっても支持しているという構図が出来上がります。
お礼
お返事ありがとうございます。質問文で触れているように、欲望を満たすための個人の殺人との比較に一番興味を覚えています。 >米国との関係が重要になる為、良好な関係を保つために支持すべきだ、 >との論調が強かったように思います。 良好な関係というのも、私には一つの欲望の表れだと思えてしまいます。例えば個人だったら、Aさんと良好な関係を維持したいので、Aさんの殺人を支持するということも有り得るのだろうかと、思ってしまいました。 >次に、イラクの独裁者、サダムフセインに対する純粋な嫌悪感からの支持者や、 個人の殺人も、己が嫌悪している人物に対するものなら支持してしまうのだろうかと、感じました。 >民主主義を世界各国に広めようとする勢力の支持者たちも イラク程度あるいはそれ以上の独裁国家は他にもいくらでもあると思いますが、そういった国は独裁体制というだけで、攻撃されて当然と考えているのだろうかと感じました。 >もう一つは、テロ問題に付随する賛成派。 攻める必要がないという見解の国が大多数の状況下で、強引に攻撃を開始することこそ、まさに最悪のテロと言えるような気がしてなりませんが。 >そして、その大義名分に共鳴する人達が、当事国以外であっても支持している >という構図が出来上がります。 個人の殺人であっても、大義名分を振りかざしていたのなら、それに共鳴して支持する人がいるということでしょうかね。 大義名分を振りかざした攻撃(自衛以外の戦争)とテロは、一体どこに違いがあるのか非常に疑問です。
- kyuukeityu
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支持されるのは相手が「敵」だからだと思います。 個人の殺人が非難されて、国家の戦争が非難されないのは、まず個人の殺人は、そのコミュニティのメンバーを傷つけることになり、その社会のモラルに反します。 ですが戦争は、敵国を攻撃する事であり、自分のコミュニティにとっては敵を倒す事だから、プラスとして捉えられる人もいると考えられます。 仮に個人の殺人でも、殺された人が極悪非道な人物とみなされていると、その殺人が非難されないこともあるのではないでしょうか。 もちろんこの場合は、iyomiさんの「個人の欲望を満たすための殺人」とは少しニュアンスが異なるとは思います。
お礼
お返事ありがとうございます。ご意見参考になりました。ただ、ちょっと正確に伝わっていないと思えるところがありましたので、補足させて頂きます。 >個人の殺人が非難されて、国家の戦争が非難されないのは、 質問では、国家の戦争をトータルに考えていたのではなく、様々な利権を得ることが目的の戦争についてです。 また、そのような戦争を戦争当時国でない人間が支持するケースを想定していました。
お礼
お返事ありがとうございます。 >国家というフィクションを信じる人達は国とテロ集団を区別して戦争を支持する >ということです。 テロも戦争も本質が暴力である点は同じなのに、テロは全否定する人でも戦争は支持する場合があるのは、「フィクション」の部分に何らかの幻想を抱いているということなんでしょうかね。