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文語詩と口語詩の立てわけとは何なのでしょうか?歴史的仮名遣いが使われて
kogotokaubeweの回答
- kogotokaubewe
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文語詩と口語詩の違いは、その名の通り、「文語」(古語とも呼ばれる昔の日本語)が使われているか、「口語」(現代語)が使われているかの違いです。 言葉そのものの違いです。 文語=家を出(い)でけり。 口語=家を出た。 の「いでけり」と「でた」の違いです。 これに対して「仮名遣い」はそれらの言葉を平仮名もしくは片仮名で書くときの書き方の違いです。 「家」を「いへ」と書くのが歴史的仮名遣い(旧仮名遣い) 「家」を「いえ」と書くのが現代仮名遣い(新仮名遣い) 言葉そのものの違いが、文語詩と口語詩の違いです。 どんな文字を使って書いてあるかは、文語詩と口語詩の区別に関係ありません。 現代仮名遣いは戦後用いられるようになりましたから、『源氏物語』や『徒然草』といった古典の文語で書かれた作品は当然、歴史的仮名遣いでしかかかれていません。これに対して明治以降の戦前までの作家(たとえば夏目漱石)は、口語を用いても歴史的仮名遣いで作品を書きました。 国語の教科書に載っている「坊っちゃん」や「こころ」はそれを現代仮名遣いに直したものです。 もし漱石が「吾輩は猫なり。名いまだあらず」とか書いたりしていたら、「吾輩は猫である」は文語の小説です。でも「吾輩は猫である。名前はまだない」と書いたから、「吾輩は猫である」は口語の小説です。 明治以降もしばらくは文語が用いられましたので、島崎藤村なんかは「花ある君と思ひけり」と文語で書いて「花がある君だと思った」と現代語では書きませんでした。 だから藤村の詩は文語詩です。 したがって「花ある君と思『い』けり」と歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに直したとしても、「けり」という口語(現代語)では使わない文語の助動詞が使ってあるから、あくまでも文語詩です。 もし、「Hana aru kimi to omoi keri」とローマ字で書いてあっても、「おもい『けり』」という昔の日本語が使われているなら、文語詩です。「omotta」と現代語で書かれていれば、口語詩です。 さらに、万葉仮名(奈良時代の和歌集『万葉集』を書き記すのに用いられた文字、下記URL参照)で書かれていようと、 http://fubako.s150.xrea.com/kanajiten.html 梵字(仏教で用いられるインドで昔使われていた文字、下記URL参照)で書かれていようと、 http://www.mandalar.com/BonjiDigitalDictionarySAMPLE/member/_Bonji/50_chart.html 古代ヨゴ文字(アニメ『精霊の守り人』に登場、下記URL参照)で書かれていようと、 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/6f/834908474d79a01474de2ba25bb352e3.jpg 「おもいけり」と読めるように書かれていれば文語詩で、 「おもった」と読めるように書かれていれば口語詩です。 (現代でも、現代語を書き記すのに〔じぶんの好みで〕歴史的仮名遣いを使う方もいらっしゃいますが、そういう方が現代語で詩を書けば、それは口語詩です。)
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