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民間人の校長って間違っていませんか?
http://www.asahi.com/national/update/0113/TKY201001130237.html?ref=goo 以前から民間人の校長の人格・資質を教育委員会のレヴェルでどう判断するのか疑問に思っていました。 長年教師をやってき人物なら担任・主任・教務・教頭とほとんど毎年のように人格資質を確認して評価をすることが出来ますが何故教育に全く関係のない民間人を校長にして大切な教育を任せることが出来るのかと疑問に思っていました。 中には教師よりも確実に優秀な人もいるでしょうし熱意も持っている人物もいると思いますが、少なくとも3年間は担任を持って貰いその経験を評価した上でないと校長の仕事は任せられないと思います。 民間人から校長にすることで現場が混乱しているだけではないでしょうか?
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こんにちは。 教育への民間人の参入は賛成ですが、しかしその長ともなると話は別です。私は一般人ですが教育は本来、実践的または通俗的なものから離れたところにあると思います。将来なんの為になるかは分からない事を中心に学ぶと思うのです。要するに子供が真面目に遊ぶ場所です。ですからそういう意味でのプロフェッショナルな人が教育学の専門家として、良い方は悪いですが専門バカとして突き進んでいくことは悪くありませんし、逆にもっと専門的に突き進むことで別な見方で広域な見識になるのだと思います。その補佐的な役割として民間人の登用をするのがベストだと思います。 最近、成人式である事件がありました。不良が例のごとく暴れて市長がいさめて拍手喝さいがおこって、不良退散という一幕がありました。 この茶番劇は何だか面白くない。要するにこの市長の対応が良い線いっているんだけどちょっと物足りないのです。 拍手喝さいを浴びた後もう一喝足りないのです。 「君たち、拍手をやめなさい。恥ずかしくないのか。仮にも君たちの仲間じゃないのか。長いものに巻かれるのだけが人生じゃないんだ。君たちが社会を担うんだ。それぐらいの気概をもて。」 起承転結の結の部分が陳腐なのです。 要するに何をいいたいかと言うと、突き詰めるならとことん突き詰めてほしいということです。
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- heartmind
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おはようございます。確かに民間人でそれなりの苦労をされた方の意見は人生論として参考になると思います。しかし、教育学を突き詰めたら少し方向が違ってくるのではないでしょうか。最近では公立中学の校長が企業経営者の教訓を参考にしたりしているのを見ると、それはかなり保守的思想の毛色のもので、教育とかけ離れているのではと思えてしまいます。企業と学校は違いますし、違わなくてはいけないと思うのです。理想と現実も違うということと同じだと思います。子供は慢心させのびのびとした自由な発想をさせることも、論理的思考も、倫理観を養うこともいずれも必要だと思います。 あまり俗化が進むと現実に役立つことしか学ばなくていいという本末転倒がおこると思いますがどうでしょう。
お礼
回答ありがとうございました。多くの人に学校に来てもらって多くのことを教えて頂きました。 一番心に残っているの巨人で選手を引退した頃の原監督に来て頂いたときです。 教師の研修会では民間の多くの方に来て頂いて興味深い話しをたくさん聞きました。そういった意味では民間からどんどん参入して欲しいと思っております。 今後10年ほどで多くの教師が退職していますので、民間の経験がある方がどんどん教師になって頂きたいと思っております。
- hukuponlog
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#15ですが。 >教壇に立った経験があるのに何故今教師でないのでしょうか? ? 私は今でも教員ですよ。校種が大学に変わっただけです。冒頭に「教員養成系大学の教員で、現場経験もあります」と書いてある通りです。 >教師の仕事は自分の仕事としてつまらない そんなことはありません。あまり詳しくは書けませんが、未だに30過ぎの教え子達と年に2回は飲み会をやりますし、mixiには私の卒業クラスのグループが年度ごとに複数立ち上がっています。楽しくやっていました。 ただし、私は新卒の頃から、管理職になるつもりはありませんでした。また、いい年になって、後進を現場で育成することに限界を感じたのは事実です。「何で今の若い教員は、こんなこともできないのだろう」と思うことが多々ありました。だったら、教員養成の場からそれをしようと考えました。幸い、研究についても多少の実績があり、学位も持っていましたので、声がかかったということです。 現在は、教員を志望する大学生に、教職科目を中心に授業をしています。同時に、教員免許更新講習や校内研究の講師等で、現場の先生方とも接しています。
お礼
回答ありがとうございました。私も多くの若い皆さんに教師を目指して欲しいと思っております。 貴方のような方に是非校長をして頂きたいと思いますがそれは無理なようですね。是非多くの若い皆さんに教育の仕事のやりがいを教えてあげてください。 荒れてきておりますので締め切らせて頂きたいと思います。
- hukuponlog
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何だかずいぶん荒れていますね。 私は、教員養成系大学の教員で、現場経験もあります。その立場から。 まず民間人校長の登用・採用には基本的に賛成です。 それはもちろん、反対意見を述べておられる皆さんが危惧されるような事態は、現実に起きています。噴飯ものの意見を聞いたこともあります。ただ、これからの時代は、間違いなく市民が発言し参加を求める時代です。「子どものことは学校にお任せ」「教育のプロのみが、教育行政や学校運営に携わるべき」は通じない時代が来ているはずです。 学校の閉鎖的体質や教員の固定観念があるとすれば、それを打破する意味でも新しい発想を学校に取り入れること自体は、大変良いことだと思います。「主権者である市民の感覚を大事にした学校経営」と言うといささか大仰かもしれませんが、そうした方向を志向する機会となるかもしれません。 ただし。ここからが大事ですが、それならば登用される「民間人」はもっと多様な人達でなければならないはずです。それこそ、専業主婦でもおじいちゃんでも、或いは福祉関係者、NPO主催者でも良いはずです。ところが、全国の実態を見ると、登用される「民間人」はいつでも経営者や企業の管理職経験者なのは何故でしょう? もちろんその人たちも素人の市民ではありますが、全てではない。経営者や管理職とは違う発想をする市民は(専業主婦、福祉担当者、あるいは孫を持つ高齢者など)いくらでもいます。「素人」でも良いのなら、その人たちだって決して資格に欠けるわけではない。ところがどういうわけか、経営者や管理者の発想・行動様式だけが「社会」「市民」を代表するかのように語られている。それはこのWebでも同じです。 ここが、今の問題なのだろうと思います。その背景には、私が、先に述べた意図とは異なる採用側の「意図」、具体的には企業の「上意下達システム」を教育現場にとり入れることにのみに執着した、があるということだろうと思います。その「意図」を認識したとき、理念はともかく、現状を手放しで賛美することは、少なくとも私にはできません。 もっとも、私は「希望」は持っています。ある程度熟達した素人は、きちんと現状の学校の良さ・先生の良さ、企業と異なる学校運営の必然性を理解します。そして自分の企業経営者的な発想に適切な修正を加え、自分の持ち味を出すことができます。そういう民間人出身校長にも会うことが出来ました。その人たちに対する、必要な補佐はプロがすれば良い。 ですから、もう少しこの小さな芽がどのような花を咲かせるのか(咲かせないのか)を見届けたいと思っています。
お礼
済みません逆質問です。 方は教壇に立った経験があるのに何故今教師でないのでしょうか? おそらく、教師の仕事は自分の仕事としてつまらないとと思って教師を断念した方だと思います。 毎年我が校には何人も実習生が来られますがその90%は教師の道を進んでおられる人はおられません。 ほとんどの人がこんなにきつい仕事なのに給料がそれに見合うだけは貰えないと思って教師の道を断念していると思います。 私自身も5人の教育実習生を担当しましたが、教師に慣れた人はたった一人です。もう一人は幼稚園の先生になりました。 熱意があることと、その実力があることは別次元の話だと思います。 男子小学生の多くはプロのスポーツ選手を夢見ていますが、中学高校の時点で夢をあきらめています。 でも教師の仕事は私のように毎日先生から体罰を受けて「このバカがお前はヤクザのにしかなられん」(高校時代)と言われ毎日体罰を受けていた私が現実の今も現実にとある小学校の教師をしており毎日多くの先生から「済みません、教えて貰って良いですか?」と言われ毎日の教師生活をしています。 私の新任の頃は何度も質屋に通ったこともありますし、私の尊敬する叔父は3000円給料を貰った日に8000円のコートを買うようなどうしようもない人物でしたが立派に教頭として定年退職を迎えております。 もし今でも教師の夢を持っておられるのでしたら、その教員免許をいかして再び教壇にたってその上で校長を目指して頂きたいと思います。
- ryuken_dec
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>学級担任も出来ないような人物が貴方の大切なお子さんの >学校の校長で全ての事が校長の命令で行われるのですよ? だから話のすり替えはおかしい。学級担任をやった経験がないことを学級担任をできないとするのはどういう悪意なのか?サッカー監督をやったことが無くてもサッカー監督ができないとは限らない。 そして学級担任ができるかという話なら、現役の教育者上がりの校長の多くもできない。今年の4月から学級担任や教科担当をやらせてもできない校長が多数。どうしてこういう事実を無視する? 過去にはできたからと、またも話をすり替える? >PTA総会で「私は教師の敬遠が無いのでよく分かりませんが・・」 >なんて発言するのですよ。 しない。株主総会で「私は営業の経験がないのでよく分かりませんが・・・」なんていう技術畑出身の社長はいない。仮にいたとすれば、それはその人個人の問題で民間出身者全員ではない。 民間批判の根拠が「思う」「思う」ばかりで全くの客観的な根拠がない。 教育者上がりの校長がどれだけ立派な教育者なのか? 校長児童の自殺者が年間100人以上いるのに、いじめによる自殺が長年にわたって0人で推移した。各学校の教育者上がりの校長がいじめやいじめ自殺を隠ぺいした。子どもが遺書に「いじめられてつらいから死にます」と書いてもPTA総会で「いじめはなかった」と言ってきた人達。 自分の人事評価にマイナスをつけないためにいじめ自殺者を0と報告してきたのが教育者上がりの校長。 このような校長の多くは長年教育者しかやったこなかったので、クビを切られると再就職先も無い。だから教育委員会などに歯向かえない。子どもが自ら命を捨てるくらいに苦しんでいるのにそれを無視して教育委員会の顔を伺っている。 これより優秀な人が民間にいない?民間人でも多くは子どもが「いじめられて死にたいです」と相談してきたら何らかの対処をする。少なくともこの点では優秀だ。 このような問題があるから、民間で実績があって教育委員会などとしがらみもなく、上の顔を伺わなくてもいいような校長を採用しようという話にもなっている。民間でも引く手あまたな人なら教育委員会に苦言を呈してクビになっても再就職先があるので、文句を言える。 >長年教師をやってき人物なら担任・主任・教務・教頭とほとんど >毎年のように人格資質を確認して評価をすることが出来ますが だから大嘘。
- ryuken_dec
- ベストアンサー率27% (853/3139)
>校長や教頭の不祥事は少なくありませんが、少なくても若い頃から20年ぐらいの >教師生活の中で問題を起こすような人物は校長や教頭になることはありません。 校長としての適性があるかの話では?校長として問題を起こしても、それ以前に問題を起こさないならいいというのは話のすり替え。 >しかし貴方がもし校長の採用試験に受かったとしても現場に立った >経験がない貴方に教育上の問題の解決方法が見つかりますか? 校長資格の審査に合格していない私に聞いてどうするの? その審査に通っていない人に聞いて答えられないから、民間出身者がダメというのは話のすり替え。 >経営者の場合はこれまでの経営の実績を評価してヘッドハンテング >することが出来ますが、教育現場では教育実績でしか評価する物が >無いのではないでしょうか? 教育だけを全くの別物とするのも事実を見誤った考え方。 >多くの校長や委員会の推薦があってもこのような事件があり得るのに前の >会社でどんな仕事をしていたのよく分からないような人物に校長を任せる >ことの方がずっと危険だと思います。 これが成立するには多くの校長や委員会の推薦が妥当という前提が必要。それを説明せずに一方的に民間を危険と言うのも論理のすり替え。 >でも最低3年ぐらい学級担任の経験をする事にいったい何が問題なのでしょう。 これも話のすり替え。 3年ぐらい学級担任の経験をする事は問題ではない。しかし、それが校長としての資質の評価に役立つかが議論されていない。 現場の適性が低くても校長としての資質が高いことがある。それをどう図る?
お礼
学級担任も出来ないような人物が貴方の大切なお子さんの学校の校長で全ての事が校長の命令で行われるのですよ? 不安はありませんか? PTA総会で「私は教師の敬遠が無いのでよく分かりませんが・・」 なんて発言するのですよ。 学級担任がどんな失敗をしたのか指摘することも出来ないし、どんな教育実践が優れていたのかを評価することが出来ない人物ですよ。 意欲がある人物ならたった3年ぐらい学級担任をすることぐらい何の問題もないと思います。 例えばプロ野球やJリーグの監督で選手の経験は全く0の人物を監督にすることがあり得るでしょうか? バカが教育に口を出したときに教育は崩壊するしかありません。 かって乃木大将が学習院の校長をしたことがありますが、彼は人材を見抜く才能はしっかり持っていたと思います。はたしてそんな人物が今の日本の民間に埋もれていると思っておられるのでしょうか? 教育の世界は何百年も続いているの日本の文化です、それこそ平安時代から今と同じような教育システムは立派に存在しています。 庶民の教育、寺子小屋も卒業生の中から優秀な人物を教師に据えて、その中の優秀な人物を塾長に据えることは普通に行われていたことです。 例えば20人ぐらいの小さな建設会社の社長を選ぶときに実際に家を建てたり、販売に関わった人物を社長にすることは普通だと思います。 貴方がどんなに意欲があってもそんな会社の社長になることは不可能だと思います。 校長となると何百人の子供に責任を持てる人物でなければいけない仕事ですよ。 特に現在仕事をしていないのに(必要とされていない人物なのに)校長の採用試験を受ける人物なんていったい誰が信用するのですか?
- y0OilIo1lm
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私は、教育現場というものが第一にすべきなのは子供達の人格形成で、知識学力は第二義的なものだと考えている偏向人間です。少なくとも小学生を対象に社会教育などは全く無用、というよりも弊害が多いと思っています。 口先で百編繰り返すよりも一つの範を示すほうが余程効果があります。それが「教」育です。故に校長は実際に子供達と接する先生方の範たるべき人格者でなければなりません。「先生は世間知らず」と良く言われるようですが、仮にそうであったとしても、むしろその方が良いのです。この意味で、教育現場をひたすら歩いて来られた叩き上げの先生が校長になるのが理想だと思っています。 さて、参考URLの記事を見ましたがひどいですね。二度も面接をしていながら見抜けなかった。未然に発覚していたから良かったもののもしそのまま校長になっていたらどうなっていたでしょう。社会人は多かれ少なかれ世俗の垢に塗れています。なのに何故そのような社会人を校長にさせたいのか、私には積極的な理由が分りません。 上記のような危険性があるのですからご質問者様が仰るとおり、最低限三年ぐらいは学級担任を経験させた上で判断すべきものだと思います。その間にその人間の本質がある程度明らかになってくるものと思います。“二度も面接をしておきながら見抜けなかった”ということを肝に銘じるなら、当然そういう結論に達するはずです。 余談ですが、面接した人達の責任問題はどうなるのでしょうね。そういう人達が教育の根本を牛耳っているとすれば日本の将来はマジで、ヒジョーーーに暗いです。
お礼
ご理解頂いてありがとうございます。 今良く民営化と言われていますが、公教育の民営化は絶対にやってはいけないことだと思います。
- ryuken_dec
- ベストアンサー率27% (853/3139)
>長年教師をやってき人物なら担任・主任・教務・教頭とほとんど >毎年のように人格資質を確認して評価をすることが出来ますが 長年教師をやってくれば校長の資質があるかを見極められると言うのは幻。 >教育に全く関係のない民間人を校長にして大切な教育を任せることが出来るのか 教育現場は世間と隔絶された世界ではない。他と共通するもの類似するものがある。そこでの実績や行動を評価することである程度の評価をすることはできる。 民間企業や他団体でも普通に行われていること。 元メーカートップが航空企業のトップになるのもその方法。航空企業のトップになるのに3年間パイロットをやる必要は無い。アメリカ政府の要人達も元ゴールドマンサックスなど民間人スペシャリストが多数。財務長官になるには財務省で3年間働いてからなんていうのはナンセンス。 >上の記事は教育委員会が校長として推薦した人物がそもそも教育者として失格であったという記事です。 たった1人だけで全体は語れない。 それなら教師から上がってきた校長は立派なのか?川口市立川口高校校長の市川和夫の事件はどう説明する?昭和52年から教員としてのキャリアをスタートして、県立総合教育センターなどで指導主事を努めた人だ。長年教員をやってきたのに何を見ていたんだろう? papabeatlesさんの理屈だと、長年教員をやってきていれば人格資質を確認できたはずだけど・・・これが立派な人的資質?
お礼
日航という会社は学校と違って整備する人操縦する人受付をする人多くの職種があって成り立つ会社です。学校の現場とは大きく違います。 校長や教頭の不祥事は少なくありませんが、少なくても若い頃から20年ぐらいの教師生活の中で問題を起こすような人物は校長や教頭になることはありません。 しかし貴方がもし校長の採用試験に受かったとしても現場に立った経験がない貴方に教育上の問題の解決方法が見つかりますか? 経営者の場合はこれまでの経営の実績を評価してヘッドハンテングすることが出来ますが、教育現場では教育実績でしか評価する物が無いのではないでしょうか? 「長年教員をやってきていれば人格資質を確認できたはずだけど・・・これが立派な人的資質?」 多くの校長や委員会の推薦があってもこのような事件があり得るのに前の会社でどんな仕事をしていたのよく分からないような人物に校長を任せることの方がずっと危険だと思います。 私は民間人の校長採用を全面的に否定する物ではありません、でも最低3年ぐらい学級担任の経験をする事にいったい何が問題なのでしょう。
- jamiru
- ベストアンサー率5% (170/3044)
言われるとおり民間官僚に関わらず中堅の登用がいいと思いますね。 肩書きが立派では先に進めにくいでしょう。
- tadagenji
- ベストアンサー率23% (508/2193)
No.5です 民間で社長や取締役などになった=トップに上り詰めた人は校長には向かないでしょう。 企業などの組織では、上に行くほど下に疎くなるので校長などいわば民間では支店長や営業所長に近い職分では、部長、副部長、次席程度のレベルが向いています。 これらのクラスは、なにか新しいことをやりたくても稟議制度による煩雑な手続きをクリアしてからしか実行できなかった苦い経験をしているので、ひとつの学校内の全実権を持たせれば画期的なことも実行可能となり、教育委員会との折衝もお手の物でしょう。
- yama_x
- ベストアンサー率20% (188/940)
「長年教師をやってき人物」の価値観が、子どもたちを一般社会で働く「民間人」として 教育していくのに適しているのかどうかが疑問視されている、という事でしょう。 小学生の親としての感覚で言わせていただくと、親二人がかりで子ども一人に対する教育 (学業というより社会に巣立つ大人になるよう教育していくこと)ですら困難なのに、 担任一人(最近は複数担任制の学校もあるようですが)対数十人の子どもの教育(学業+ 社会教育)ができるわけはありません。 学校での教育の状況、学業の理解度などを親にもしっかりと示し、教員・親が補間しあって こそまっとうな大人に育っていくと思われるのに、いじめその他の状況など、親に連絡 することもなく、通知表などでも評価が悪い子の親から文句が出るかもしれないと、あたり さわりのない事しか書かず、とにかく問題として取り上げられることの無いような対応しか せず、そのくせ「自分たちはやるべきことをやっています」みたいな顔をしている人たちが はびこっている組織で純粋培養された人より、「民間人」の方が、まっとうな大人を 育てられると思います。 確かに「教育指導要領」等にそったことのみが「教育」だと言うのであれば、「長年教師を やってき人物」に民間の人はかなわないでしょう。 ただ、全うに社会に適合した大人に育てていくことを「教育」とするのなら、民間人を 校長にしたことで混乱している現場の方が、既に「民間」の社会には適合できなくなった 大人の集まりであるおかしな社会になっている、ということでしょう。 教育の現場が、民間出身の校長でも充分に受け入れていける普通の社会になるか、 「自分たちができることは学校教育だけである」ことを認めて、できていないことは できていないと素直に外部(親・その他社会組織)の協力を求められるようなオープンな 組織になることが望まれているのだと思います。 ちなみに、参考で貼られている記事はあまり本質問にはふさわしくないのかと思います。 生粋の教員による破廉恥な事件も多々あることですし・・・ 個人的には生粋の教師の採用・昇進のレベルがどのように判断されているのかの方が疑問です。
お礼
上の記事は教育委員会が校長として推薦した人物がそもそも教育者として失格であったという記事です。おそらく校長に推薦されるような人物は会社の経営者であったと思いますが彼がどんな経営をしていたのかいったいどうやって調べるのでしょうか? 業績を上げるだけならリストラ・サービス残業・食品偽装・粉飾決算 どんな方法もあります。本当に校長にふさわしいような人物なら今すでに会社の重要なポストに就いて校長になることが不可能なのでは無いでしょうか? ちなみに教師の昇進は管理職試験があり毎年の校長の人事評価・これまでの教育実践などを総合的に見て総合的に判断されております。 私は民間人を校長にすることに反対しているわけではありません。 校長になれるくらいの人物なら3年ぐらい学級を担任の経験して教師を指導して頂きたいと思います。
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お礼
回答ありがとうございます。 小学校では今ゲストティチャーとして多くの人に来てもらっています。 傷害を持っている皆さんや、かってスポーツを頑張ったけどオリンピックの選手選考大会で負けて出場出来なくて努力することの大切さを教えてくれた方。地域の伝統を伝えようと頑張っておられる高齢者。万引き防止のために働いておられるガードマンの方 かって薬物中毒になられて更正された方、戦争の時の苦しみを語られた方等多くの人に来てもらった経験があります。 外国から来られて日本で頑張っておられる人(このときは通訳もボランテアでした)にも来てもらいました。 皆さん大切な時間を使って来てもらっておりますが全て無料です。 しかし、その時こんな話しをして欲しいが誰かいませんかと校長か教頭に相談すると必ずすばらしい方を紹介されました。 確かに私たち教師が「こんなに頑張っている人がいるよ。」 と話すよりも何十倍も為になります。教育とは多くの人たちに多くの人たちに支えられている仕事だと思います。 プロと呼ばれる皆さんは本当にすばらしいと思います。 多くのプロがいるから今の日本の発展があります。トヨタ・ソニー・日立・三菱、私の家をたった700万で作ってくれた大工さん。カードもローンも無かった時代に全く私に後払いで良いからと眼鏡を一日で作ってくれた眼鏡屋さん(正眼堂)そして私の好きなラーメン屋の味(昭和30年から全く同じ味でたった500円です) 是非そんなプロの苦労を教育現場で話して頂く機会が増えたらよいと思いますがなかなかそんな余裕が教育現場に無いのが現実なのです。 プロと言う人たちは一生をその道に捧げる人だと思います。 私もヒラ教師でもうすぐ定年を迎えますので自宅で小さな塾でもしようかなと思っています。 回答本当ありがとうございます。 この年になって「あーーそうかあの先生が言った言葉の意味がやっとわかった」と思うことが最近になって良くあります。 是非回答者さんもゲストゲストティチャーとして子供達に大切な経験をお話ししてください。