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キレイな社会でキタナイ私が生き残るためには?

  • 質問No.5581151
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お礼率 27% (3/11)

はじめて質問をさせていただきます。
わたしはいま、日本社会にすごく違和感をおぼえているものです。
この違和感・・・一番感じるのは、他人が冷たく、また攻撃的、排他的になっているということ。
街からは少しでも無秩序、汚いモノ、ヒトは消え去ってゆき(排除と自殺)、代わりに綺麗で秩序あるモノ、ヒトがどんどん増えているように見えます。
でも・・・わたしはその状況にすごく違和感をおぼえるのです。
理解ができないのです。さらにいうと、適応できなくて困っています。
なぜ、人は異常なまでに綺麗さを追求するのでしょう。
逆に言うと、なぜ汚いものを完膚なきまでに抹殺してしまうのでしょうか。
・・・自分のことをいえば、わたしは流行のおしゃれにあまり興味がありません。文学や芸術に興味が集中し、お金があれば、その分野に投資します。しかし、昨今の若者でわたしのような人種(特に女性)は少数派のようです。みんな、やたらおしゃれに金を費やしたり、資格や仕事の学習に時間を費やしたりしているように思われます。
わたしはそんなある意味「スマート」な生き方ができないのです。
周りは「スマート」な方ばかりですから、気の合う友人がなかなかできません。
街にいるとすごく疲れます。飲み会で無理矢理テンションを上げるのも苦痛です。でも、そうするのをやめるとすぐ排除されますね。
なんでそんなにキレイでやたら明るくなくちゃいけないのですか。
結局は疲れて、手元には何も残らないのに。
ものすごい孤独感をおぼえます。ふと、消えたいとも思います。
かなり疲れています。こういう自分が生きてゆくにはどうすればよいのでしょう。
ある程度は近場の人間に適応するよう努めますが、できれば気の合う人間に出会いたいものです。
いいようのない孤独感から脱け出すにはどうすべきなのでしょう。
一気に書いたのでとりとめない文章、悲鳴のようになってしまい恐縮ですが、助言を頂けるとうれしいです。

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.11
  • ベストアンサー

ベストアンサー率 16% (73/436)

この世はキレイとキタナイに二極化できるほど単純ではないと思います。
なぜそんなふうに極端に考えてしまうのでしょうか?
まるできっちり善と悪を描いているアメリカ映画の見過ぎのようではないですか。

人々はみな、人は外見だけではないということはわかっています。
だけど、外見で判断されることのほうがほとんどです。
テレビのアナウンサーだってある程度美しくなければなれません。
私も人のことはいえない容姿ですが、あまり美しくない人がTVに出てると
「あららら。あんまりキレイじゃないね、この人」なんて思ってしまいます。
だからキレイとか明るさにこだわるのです。
私も流行のファションなどには興味がありませんが、自分の好きなスタイルを作り、
そのなかで自分らしさを表現できればいいなと思います。
この世の中にはいろいろな世界がありますし、いろいろな人がいます。
流行のスタイルでファッショナブルな人のなかにも、文学や芸術に興味を持っている人もいるし、
明るく振る舞っている人のなかにも孤独を感じている人もいます。
別にみんなに適合しなくてもいいじゃないですか。。?
飲み会で無理にテンションを上げなくたっていいじゃないですか?
芸術に興味があるなら芸術系の人たちと交わればいいじゃないですか?
ご自分がしたいと思う事を貫けばいいんですよ。
人は誰でも孤独です。
でも結局人はみな孤独なんだと認識することで、もっと強くなれる気がします。
とりとめがない内容ですが、参考になれば幸いです。

その他の回答 (全10件)

  • 回答No.10

ベストアンサー率 51% (111/217)

 質問の文章を言い換えれば
「外見を気にする社会で、外見に無頓着な自分が気持ちよく楽に生きて行くには?」と言う事でしょう。
 質問への答えをもらいやすいように表題ひとつでもよく考えておられるのでは?

 歴女さんとか鉄女さんとか、文化への興味がオタク化していく人もおられるのですから、気にする必要はないとは思うのですが、毎日の生活でしんどいのはつらいですね。
 
 私も無頓着なほうですので偉そうな事は全く言えません。
 周りの人が不愉快になるレベルでなければ、最低限の清潔感を保っていればそれで良いと思います。

大阪での話ですが、何日お風呂に入られていないのか?独特の異臭を放つホームレス風のおっさんが環状線の電車内で、周囲5メートル以上誰も近づけない状態にまでなっていました。席が空いているからと何気なく座った私はその後約15分間、苦行を強いられました。周りの人はすぐに逃げていきましたが、私は数駅間だしと思ったのが失敗でした。
 この話は極端ですが周りに迷惑をかけない限りどんな容姿でもいいと私は思います。
  • 回答No.9
人と自分を比べている限り幸せは訪れない気がします。
結局は自分がどこに幸福を求めるかによって、どこに努力する必要があるかも決まって来るのでしょう。

朝、出勤前に時間のない中、辛くても少しでも早く起きておしゃれして化粧する。友達と会う時、合コンに行く時、相手に気遣って綺麗にする。(綺麗で居ることは、必ずしも競争のためだけではないはずです。)

しかし、こういうことに気を取られるのは、やはり社会の中でビューティフルピープル(美しく生きてる人たち)の中に入りたいと思うからです。 そして、この人達は必死に努力をしているということも忘れないでください。

「プラダを着た悪魔」という大ヒット映画があります。主人公の女性は、ファッションには興味もなく、自分の目指す時事ジャーナリストになる夢のために已むなく有名ファッション誌に入社。ダサイと散々言われても気にしませんが、やがてその業界に身をおいて成功するため、自分がすべき努力を怠っているとこ気付くのです。美しく着飾る事を覚え、それにより周囲も変わり仕事の本質を身をもって理解し認められる様になります。
しかし、彼女は最終的には自分の志す地味な世界に戻る決意をします。
もちろん映画の世界の話ですから、現実はそう簡単ではないでしょう。
しかし、自分の求める物が何かによって、あなたも綺麗である努力をするか、そうでなければ別の自分をみがく努力をするかです。

誰しも、ただなんの努力もなしに綺麗で居るのではないということは理解すべきです。

自分の信じる道と目標のために何かしていますか?
あなたにはあなたの幸せのために出来ることがあるのです。自分と違う人を疎ましく思うより、自分に自信が持てる何かを見つけてはどうですか?

まずは努力して綺麗にしている人達を認める事。それは、自分自身を認めてもらう第一歩です。
  • 回答No.8

ベストアンサー率 22% (505/2263)

私は質問者さんと同じで、外見にこだわりません。
父もそうでした。洗濯はしていましたが、着ているものはボロボロに近く、普通ではありませんでした。(大正生まれなので、気にしない可能性もあり)
私もセーターに穴があっても気付きませんし、気付けば縫って使います。勿体無いから。子供の一人が私そっくりで、いつまででも同じものを着ています。また髪型にも全く無頓着で、私も彼も妻に適当に切ってもらっています。
あんまり、みっともないと、変なので、適当には取り繕いますが、格好良くしようとは思いません。

社会を見ても、よく見ると自分と同じようにしている人も居ます。

だから、気にしないようにしていて良いと思います。

それぞれ、自己満足できればそれでいいのではないでしょうか?
  • 回答No.7

ベストアンサー率 28% (29/103)

美しく咲いた花には蝶が寄ってきます。美味しそうな野菜には虫も寄ってきますよね。

人は、心や姿形が、美しいかったり、可愛いかったり、明るかったりする人に寄っていくものでしょう。

あなたのように、ある意味、頑なな考えの方には、なかなか気の合う人との出会いは難しいかもしれませんが、でも、いないことはないと思いますよ。

「この人とともだちになりたい!」と思うようなことがあれば、歩み寄ればいいですよね。

私も、流行のおしゃれなどには、興味がありません。しかし、おしゃれをしている人を批判的に見ているわけでもありません。
それぞれ、重きを置くところは違っていいのだと思っています。
母にも「もう少しおしゃれしたら!?」とよく言われます。そして、母のお古をよく貰い、着ています。
弟もお嫁ちゃんも、いつも着れなくなった服をくれます。「お姉さんは何でも着てくれるから。」と。
私は、「元がいいから、何を着ても似合うのよ!」と笑っています。

寂しければ、求めればいいわけです。
しかし、基本、人は誰もが孤独ですよ。
あまり、頑なにならずに、広い心で人に接してみましょう。
あなたが少しでも変わると、人も変わるものです。がんばってね!
  • 回答No.6

ベストアンサー率 10% (734/6910)

>他人が冷たく、また攻撃的、排他的になっている
>汚いものを完膚なきまでに抹殺してしまう
これが質問者さんの言う綺麗で秩序あるヒトの姿なのでしょうか?
加えて、おしゃれや文学・芸術に興味があってテンションの高い人がスマートな生き方をしている人?
他の方も仰っていますが、そういった人達もそうじゃない人達も一部の人間であって、そんなに偏っているとは思えません。
そして、スマートに生きているように見える人であっても、孤独感がないとは言い切れません。
もっと色々なものを見聞きする必要がありそうですけど・・
  • 回答No.5

ベストアンサー率 56% (22/39)

No.3の方もおっしゃっているように、同じ思いの方は結構居ます。
私もその一人です。
でも、この集団社会の中で生きていく以上、ある程度「合わせる」という術は必要だと思っています。
全く同じ考えで全く趣味が同じで全く同じ価値観の人間は居ません。
それぞれが少しずつ歩み寄って、同じ部分が幾つか重なったときはじめて気の合う人になります。
独自の趣向だけを貫き、極端な生き方をしていれば、気の合う人にはなかなか出会えません。
それが分かっているから、私達は社会に合わせようとします。
人と関わろうとします。
そして、たくさんの人と関わっていれば、よりたくさん気の合う人と出会えます。

また、流行等に興味がないということですが、質問者様はあまりご自身に関心がないのでしょうか?
勉強・おしゃれ、これらは自分自身を向上させたいと思う気持ちがないと、まず手を出しません。
文学や芸術は精神的な豊かさをもたらしてくれ、憧れる気持ちも分かりますが、現実社会では精神面で人を判断できません。
外見や資格など、目で見えるものが優先されます。
なので、最低限の身だしなみは必要です。

無理に合わせる必要はありませんが、社会の矛盾を嘆くより、自分自身を変えないと、何も変わらないのが現実です。
  • 回答No.4

ベストアンサー率 27% (654/2416)

修行が足りない、と言わざるを得ない。

ハッキリ言うとさ、貴方もキレイになりたいんでしょ?キレイに興味があるからそういう事思っちゃうんでしょ?
なら、キタナイのやめれば良いじゃん。キレイになれば良いじゃん。
努力しなよ、としか言えない。


自分がキレイだろうが、汚かろうが、その在り方に対してしっかりした裏付けがあれば気にもならないよ。
画一化されたキレイさに興味がないなら、例え汚かろうが何にも影響はないもん。(それが自分の”正しい”だから)
自分が納得ずくの上でのキタナイなら、別にキレイを気にする必要もないでしょ。その有利不利も納得済みなんだからさ。


汚くて孤独だと感じるんなら、キレイになれば良い。
それだけの話でしょ。
  • 回答No.3

ベストアンサー率 41% (66/160)

貴方のような気持ちの人は、結構沢山居るということをまず言っておきます。

 沢山の人が、社会に排除されないように生きるにはどうしたらよいのかを考えて、おしゃれしたり、テンションを無理矢理あげたりして、日々を生きています。
身の回りの人に、「貴方はナチュラルに、天然にハイテンションなのですか?」と、インタビューしてまわるとどうなるでしょうか?ほとんどの人が「努力している」と答えるのではないかと僕は想像します。

< 人は異常なまでに綺麗さを追求する >・・・・のでは無く、よりよい社会を目指して、人々が動いている。しかし、正解が分からないので右往左往、試行錯誤を繰り返している。というのが実情だと思います。
 貴方は、その社会の流れに乗るのが嫌であって、自分は自分らしさを追求し生きていくという選択をするなら、誰にも文句は言えませんし、そのようにすべきでしょう。
都会を離れ、地方の限界村落へ移住する若者たちが沢山居ます。彼らと話をすると、本当に解き放たれたような自由さと生き生きとした生命力を感じます。彼女らはもちろん化粧などしませんが、眩しいほど輝いています。美しく明るいです。金銭的には非常に厳しいでしょうが、金銭以外のものがたっぷり手元に残るそうです。

さて、僕の話は、よもやま話でしたが、参考になるでしょうか?なれば幸いです。
グッドラック。健闘を祈る。 共に学び、共に成長しましょう。
お礼コメント
yam_may

お礼率 27% (3/11)

ありがとうございます。
社会がおかしいんだと思ってるだけでは、何も変わらない。みんなも試行錯誤している・・・そう、そのことへの実感が、この頃自分の中で薄れていたようです。自分と人との関係が薄いものになっていて、信頼できないと決め付けているところがある。だから人との距離を置いていると、どうしてもこういう悲観的見方になってしまいます。

みんなが努力しているのはわかりますが、それを、どこかで軽蔑している自分がいました。「あんなに人に合わせて、流行に時間を消費して、しかも自分の夢や目標がない人たちなんて、糞くらえ」と・・・。自分も、周りに適応する最低限の努力はしているのですが、時々どっと疲れが出てきて、努力できなくなります。もうなにもかも放り出し、自然に囲まれたなかで「清貧」に生きていこうかと思い詰めたり・・・。でも、そんな勇気もきっかけもなく、惰性で日常にかえってゆきます。

さはありながら。同じ目標、気持ちを共有する仲間。人と人との関係。互いのためになる絆。やはり、それがないに等しい今の自分の状態では、限界があるようです。少しずつでも、自分から動いてみようと思います。
投稿日時:2010/01/10 12:06
  • 回答No.2

ベストアンサー率 27% (286/1037)

世の中綺麗なものが目立っているだけな気もしますけどね
綺麗な事を仕上げるのにもどれだけ汚れが出ていることか
綺麗だと思えているものが本当は別のところの美しさを壊しているか
人の行動、思考は矛盾と葛藤だらけです
スマートに生きていると思える人も
矛盾と葛藤に日々悩み苦しんでいるはずです
大小はあるでしょうがね

飲み会でテンションを無理にでも上げれるだけ
なかなか「スマート」ですよ
後はそれが自分にとっても楽しいことになれば
始終ハイテンションでいられるんでしょうね多分
無理しているのは心身に悪いですから
適当なところで明るく逃げることですね
あとは無理した自分を後悔するのではなく
褒めるようにしてみるとちょっと変わるかもしれません
「あんな無理するんじゃなかった」を
「あれだけ頑張れたんだ!」みたいに

急に人生変わりませんから
少しのことを変えて生きましょう
孤独だなと思えば今の世の中ネットでどれだけでも
同士は集います(非難がくることもありますが、、、)

ちなみにお好きな文学や芸術はどんなものですか?
お礼コメント
yam_may

お礼率 27% (3/11)

ありがとうございます。
キレイなものの裏側に、汚いものがあるんだという悲観的視点、それにわたしはずっととらわれてきたのです。上面だけキレイで、中身(性格)が汚い、または教養がない人に、嫌悪感を抱いてきました。自分とて中身が優れているとはけっしていえませんが、受け入れられない人間を多く遮断し、付き合う人間をかなり絞ってきたのは確かです。
異様に潔癖であったことに、無理が生じてきたのでしょうか。
少しずつでも、自分を変える・・・生きていくために、うまく自分をだましだまししていくのも、必要なのかもしれませんね。

文学は幻想的で美しい文体のものが好きでして、芸術的な分野では景観の写真や映像分野に興味が強いです。勉強と創作に力を入れていこうと思っているのですが、なかなか思うように進んでいません。わりと興味の対象は広いのですが、それだけにまだ半端な水準にいるので、なにかと不安を抱えてしまいがちなのでしょうか・・・。
投稿日時:2010/01/10 11:17
  • 回答No.1
気の合う人が必ず居る、という前提で
そういった人と出会える率を上げる方法とすれば、

兎に角、なるべく多くの人と接してみる。
そういう人が出入りしそうな場所に出入りする。

というのが一般的です。


ちなみに私は、貴殿のような人が抹殺されているとは感じません。
お礼コメント
yam_may

お礼率 27% (3/11)

ありがとうございます。
そういった努力はこれまであまりしてきませんでした。
所詮ほとんどは無駄な努力になり、自分が傷つくだけだろうと思ってしまい腰が重くなるんですね。
これまで、一人で趣味の世界に偏って楽しむという生きかたは苦痛でなかったのですが、最近になって「これでは限界がある」と感じ始めたものです。人との関係ということの大事さが、身にしみてきたのです。
それが人より遅かったのかもしれません。

人が抹殺されているように感じてしまうのは、知っている人が孤立感を深めたまま死んでしまったこと、自分自身がかつて人格を否定されるような言動に傷ついたこと、また報道される世の中の事件などが悲観を高めているような気がします。
投稿日時:2010/01/10 08:58
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