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神仏に慈悲を願い、取りすがる事は信仰の自由の範囲内で完結するのか その4

littlekissの回答

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回答No.4

おはようございます、primeapeさん。 さきにことわりをひとつ その4というのに、その一も、その2も、その3も読んでない すまん  ところで、自我の破壊がテーマなんか? 【二つの世界】 http://www.dr-kobayashi.com/twoworlds.html シンジ「もういやだ。死にたい。何もしたくない。」 ミサト「何甘ったれたこと言ってんのよ。」    「立ちなさい。あんたまだ生きてるんでしょ。」    「だったらしっかり生きて、それから死になさい。」   ミサト「ここから先はもうあなた一人よ。全て一人で決めなさい。誰の助けもなく。」

noname#117439
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ご紹介のHPは面白かったです。 そして確かに2つの世界を一つに結ぼうとする事をもくろんでします。

noname#117439
質問者

補足

思索の展開。 今回の論点です。 人間は確かに善性を備えた存在であり、何もかもを肯定しようとする本能がある。 しかしながら、二つの世界で別れたままで肯定しようとはしないで欲しい。 これは、留まる者には悪であり破壊者であろう。 そう言う訳で自我崩壊を促す事はものともしません。 ブラフマンとは古代の神の事ですが、この神は「我はある」を証明する神としてある「我」としての神です。自我と言ってもブラフマンと一体の「我」の意思は巷にあふれる自我論とは異質な意思の表れ方をする。今のところはね。

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