• ベストアンサー

文系文章とは何でしょうか

文系文章  とは一体何なのでしょうか。ある程度ネットで文系文章という言葉に関して調べてみましたが、どうもしっかり定義されている訳でもない、なんとなくのニュアンスで使われているような言葉に思えます。ですが、検索してみればある程度使用されており、どうも文系文章(そして理系文章)という形で、文章体型に傾向がある様に思えます。 また、頭が悪い文系文章 といえばどういうものになるのでしょうか?文系文章自体がどうも曖昧で分からないのに、それに頭が悪いと言う、これもまた今一つハッキリしない形容詞をつけられているので尚更混乱しています。 どなたか、言葉の意味を教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.3

   名ばかり造語 ~ 実態のない概念に関する草稿 ~    1.起    もとは、大学入試の難易度を、国公私立の理系学部と文系学部に分類 したのが始まりです。偏差値と人気と競争率に絞って、国立大学医学部 を頂点に、私立大学文学部を底辺とする、受験産業の序列です。    つぎに、これを推進する人々が「理系能力は、文系能力にまさる」と 唱えはじめ「自然科学は人文科学にまさる」と考えるようになりました。  しかし、官僚などの出世ぶりは、文系の秀才が独占しているのです。    その結果、理系の博士号をとるのに、30歳まで大学院に残った人が、 かならずしも望んだとおりの人生を約束されないことも分ってきました。  おそらく経営陣が、ほとんど文系的発想の持主だったからでしょう。    2.承    漢字の四字熟語は、古来どのようにでも造語できます。  誰かが提唱して、ピンと来なければ、それきりの価値しかありません。  あなたの人生に、重大な影響をもたらす人の発言ならともかく……。    日本語の占拠率は、全世界のネット環境では、わずか1パーセントに すぎません。ほとんど英字でやりとりされているので、あたらしい概念 が出現すれば、かならずアルファベットで表記されるはずです。    したがって、自動翻訳ソフトがどのように解読するか、試してみれば、 それが価値ある概念かどうか、おのずから判明します。 http://honyaku.yahoo.co.jp/transtext    文系文章 → A faculty of liberal arts sentence  ↓  教養学科文の能力 ⇔ The ability of the liberal arts sentence    理系文章 → A physical science sentence  ↓  自然科学文 ⇔ A natural science sentence    なお、自動翻訳ソフトを軽蔑する達人たち(ネイティブ原理主義者) は、われわれの日本語が、もし英語圏の人々に読まれる機会があっても、 それにまさる手段がないことに、なぜか言及しません。    3.転   ── シリコンバレーへ続く高速道路に、グーグルの求人広告が出てい る。そこには自然対数と素数に関する問題が書いてあり、解答をインタ ーネットに数字で入れて最後にドットコムをつけるとウェブサイトに行 き着く。そこではつぎの問題が待っている。それも解き明かして、解答 をパスワードとして人れ、正解であれば、あるメールアドレスを手にで きる。そのアドレスに自分の履歴書を送って、やっと就職活動が始まる。 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4569697739 ── 竹内 一正《グーグルが日本を破壊する 20080416 PHP新書》P43    4.結    いちばんの誤解は「なにより科学的な立証が優先する」という迷信で、 「科学では証明できない現象がある」と主張する人々を説得できません。  最近は「民主主義は多数決に縛られる」という難問に直面しています。    古典学では「雄弁術や論理学で人々を説得できる」と考えられたのに、 ルネサンス以後に、ゆらぎはじめたのです。  それが存在するかどうか、確認してから名づけても遅くはありません。  

047y321e
質問者

補足

なるほど、確かに文系文章だとか理系文章だとかというものがあるかどうかも不確かですよね。いや、あるとしても、それはただの傾向に過ぎないかもしれないし、その傾向は、理系や文系などと言う枠組みよりも、個人の資質によるところが大きいかもしれませんよね。 そう考えると、存在自体が不確かな言葉に悩む事が、十分価値あることなのだろうか?という疑問がわいてきます。 インターネットという世界で、多くの人に自分の創作物を見て貰えることは非常にありがたいですし、色々なコメントが貰えて嬉しいのですが、何度かそういうやり取りをしていると、一つ心しなくてはいけないなぁっと思うことがあります。 何かコメントをするとき、あるいはそれを見る時、その言葉にグッと目を凝らして、睨みつけてみて、何かふらふらするような言葉、あるいは所属が不確かな言葉、そして良識に反する言葉と言葉使いは、触れないようにした方がいいのではないか。 今回お答え頂けた皆様の言葉は確かなものですから、これをのみこんで糧としないといけないなと思います。 お答え頂きありがとうございます。

その他の回答 (5)

回答No.6

   理系の系脈 ~ 過去質問と過去回答から ~    cyototu さんが漱石を引用されたので、寺田寅彦を思いだしました。  《吾輩は猫である》に登場する風変りな理学士・寒月のモデルであり、 さらにその門下生もまた、いわば理系随筆家として知られています。   ── 文系と理系の融合を試みた随筆 ──(Wikipedia) http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2560753.html  茶道の物理学 ~ 茶道と物理学に詳しい方に質問です ~   <PRE>  夏目 漱石  作家  18670209 江戸 19161209 49 /慶応 3.0105~《吾輩は猫である》  寺田 寅彦  物理学 18781128 東京 19351231 57 /筆名=吉村 冬彦~《茶碗の湯》  中谷 宇吉郎 物理学 19000704 石川 19620411 61 /北海道大学教授~《雪は天からの手紙》 ────────────────────────────────  大西 巨人  作家  19190820 福岡 /元毎日新聞記者~《神聖喜劇 1960-1980》 </PRE>    出典不明ですが「数学者は、ひとこと云うために原稿用紙で数十枚も 書かなくてはならない」という述懐が印象的でした。  もちろん文学者も、数十分の記憶を数十年かけて述べた例があります。    しかし、なんといっても衝撃的だったのは、つぎの発言でした。 http://q.hatena.ne.jp/1172190396/75725/#i75725  最後の授業 ~ 勇退する十二人の男たち ~   ── そこで利根川教授は、すこぶる興味ある事実を述べた。 「わたしの研究室では、来年の課題を“文学”と決めることもできます」  これには、作家とノンフィクション作家も、黙りこんでしまった。  利根川教授は、ノーベル文学賞作家が“化学”というテーマでは小説 を書けないことを、ずばり指摘してしまったのです。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4149869.html  理系文学待望論 ~ さらば、余りに文系的な文学談義 ~  

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.5

一般の使い方かどうかは自信がありませんが、私が理解している区別を書いてみます。同じ人が、文系文章と理系文章を共に上手に使いこなすことが出来ますので、その例を見れば、この分類の意味が自ずと判ると思います。 先ず文系文書の一つの典型として、夏目漱石の『硝子戸の中』の出だしの文章です:   硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来ない。書斎にいる私の眼界は極めて単調でそうしてまた極めて狭いのである。 この文章は「窓の外を眺めていると何本かの木と電柱が立っていた」と言っているだけで、何を言いたいのかまるで判らないのですが、けだるい雰囲気は巧く伝わって来る。 一方、理系文章の典型は、同じく夏目漱石の、今度は『草枕』の出だしの文章です: 山路を登りながら、こう考えた。  智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。  住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。  人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。  越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。 理路整然として、何が言いたいのかはっきりと読者に伝わって来る。そして、芸術家とは何かを大変巧く言い当てておりすね。

  • himana77
  • ベストアンサー率21% (37/174)
回答No.4

記憶が鮮明でありませんが、1年くらい前、役所とくに中央官庁で使われる独特の表現をそのように言うとテレビで聞いたような気がします。以下は、その薄ぼんやりした記憶を掘り起こしての記述です。 一般社会では使われないけれども、役所の仲間内では良く知られていることを思い出させるような言い回しを含めた文章、ではないでしょうか。つまり、その「仲間内では良く知られていること」を知らない人が読んでも意味の無い文章だが、分かっている人が読むと、価値のある文章となるようなものではないでしょうか。 事例としてちょっと変かもしれませんが、例えば「日本は非核三原則、つまり核兵器は作らず、持たず、持ち込ませずの方針」も文系文章のような気がします。 そのまま読むと、持込みもさせないのだなと、理解されます。ところが、アメリカは核兵器のありかを公表しない立場だそうですから「持ち込ませず」は原潜に積んであったとしても確認しようがないもの、したがって、原潜に積んで持ち込んでいたとしても、非核三原則は守られるという理解をする。 理系文章で言うならば(どこかで聞いたように思いますが)非核2.5原則となるように思います。つまり、作らず、持たずの2原則と、持ち込まずは確認しようが無いから1つの原則とは言えず、0.5の原則とする、という立場。

  • masa2211
  • ベストアンサー率43% (178/411)
回答No.2

理系文章を定義し、そうでない文章を文系文章としたほうがいいかも。 中公新書の「理科系の作文技術」(初版:1981年)という本に、理系文書の定義(というか特徴)が 書かれています。 理系文書は論理的ですが、論理的とは、「別の意味にとれる可能性が無い文章」を意味します。 例1 ・青い目のきれいな女の子 目が青い? 女の子が青い?(青い服を着ている。) 目がきれい? 女の子がきれい? どうとでもとれます。 ・薬品Aと薬品Bを1グラム 1グラムづつなのか、合計して1グラムなのか? ついでに、A0.3グラム+B0.7グラムでもいいのか? 意味間違えたらかなりマズイですが、表記からは判別できません。 こういうのは、理系でも文系でも悪文でしょう。 例2 1つの論文(や、小説)内で同義語(たとえば、炭酸ガスと二酸化炭素)が混在 炭酸ガスと二酸化炭素を別のものと解釈される可能性があるから、こういうのはダメ。 炭酸ガスと二酸化炭素なら、まあ大丈夫としても、 「工兵隊」と「土木局」が混在したらアウトでしょう。(両方ともcorps of engineerの和訳であり同じ役所を指す。) ですが、文学なら? 小説で、「ぼく」「僕」「小生」「オレ」「あたい]が、全部「私」だったら? 意味は通じるけれど味気ないのもいいところ。 例3 宮沢賢治の雨ニモマケズ ・雨ニモマケズ 風ニモマケズ 途中略 ソウイウ人に私ハナリタイ 最後まで読んで、初めて言いたいことがわかります。 理系的には、そりゃない。 理系のルールは、読んだ箇所までで意味が把握できる (「別の意味にとれる可能性が無い文章」を敷衍すればこうなります。) なので、 私ハ次ノヨウナ人ニナリタイ。ソノ人トハ..... というような文章となり、とてもじゃないが文学作品とは言えなくなります。 で、文系文書が悪口の意味で使われるなら、 ・論理的に書くべき内容の文章なのに論理的でない ということ。文系文書そのものが悪いというわけではありません。 理系文書は、わかりやすさ(=誤解しにくい)を優先するために、冷たい文章であり感情が無い文章となりやすいという欠点があります。

047y321e
質問者

補足

「別の意味にとれる可能性が無い文章」 なるほど、文系文章はこれ以外、とりわけ「色々な解釈が出来る文章」であるということですね。もちろん、その文章から漂う気品でしたり、嗅覚や聴覚に訴えかけるような衝撃、こういったものも文系文章の特徴となると思いますが、解釈の余地というのは、文系文章と理系文章をバッサリと分ける白線になると思います。非常に参考になります。 しかし、論理的に書くべき内容の文章なのに論理的ではない、ですか。うーん、なるほど。自分が死んでも良いから友達を守ろうとする少年の物語を論理的に書くべきだとは思いませんが、その心情や動機を説明する部分で、論理的に説明すること、詳細に説明することを怠っていたのかもしれません。冗長に過ぎては台無しですが、説明が不足していても今一つ感情移入出来ないでしょうし、難しいものです。 ご回答ありがとうございました。

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1855/6063)
回答No.1

論理的な筋道がわかりにくい、あるいは筋道が無い、情緒的な文章 みたいな事を言うんでしょうね。 生れたばかりの若い言葉でしょう。 おっしゃる通り定義も無いコンセンサスもあやふやな、これを言う人の恣意に頼るばかりのこのような言葉で何かを言ってやった気分になれる、というのは文系理系に関係なくあまり賢い態度だとは思えません。 ただ、理系の研究者なんかが文系の人間が書く文章をまだるっこしいと感じるのは珍しいことでは無いようですね。 まあ、今のところは単なる罵倒語のひとつ、というあたりで深く考えることも無いように思います。

047y321e
質問者

補足

理系文系の方が、違う畑の方の文章に納得がいかないということは、しばしばあるようですね。 仰る通りコンセンサスのない言葉で、しかも歴史もない、新しい言葉ですよね。これを使って人の文章を評価する、こういう方の言葉を真面目に受け取っても疲れるだけかな?と思い、そんなに気にしないでおこうとおもいます。 ちなみに私は、少しエログロのあるお話を書きまして、それに対して「頭の悪い文系文章にしか見えない」という評価をされる人がいたのです。 創作活動をはじめて一月ですし、批判は歓迎するところでしたので、抽象的で良くわかりません、定義があいまいですと言って詳細な説明を求めたら、「言葉通りで、定義の仕様がない」と返されました。 言葉通りなら、定義出来て当然ですよね。定義できないのに、言葉通りと使えるわけがない。こういう人の言葉なので、気にしないでおきます。 ご回答ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 文系理系別アンケート‐あなたにとって良い文章とは?

    良い文章の定義とは何でしょうか。 それは時と場合によって変わるように思います。 読み手の性格や能力ならびに文系理系の別、 文章の目的やその他の背景により、 同じ文体でも評価はだいぶ異なります。 【質問1】 あなたにとって「読みやすい文章」とは何ですか? 【質問2‐A】 文系の方へお聞きします。 理系の人が書いた文章について、 どのような一般的傾向を感じますか? また、理系の人が書いた文章は、 あなたにとって読みやすいですか? 【質問2‐B】 理系の方へお聞きします。 文系の人が書いた文章について、 どのような一般的傾向を感じますか? また、文系の人が書いた文章は、 あなたにとって読みやすいですか? 【質問3】 「読みやすい文章」の定義は人によって様々であり、 普遍的かつ絶対的な価値基準を導き出すのは困難です。 それゆえ、個人の文体や言葉遣いの特徴は、 時に姑息な“揚げ足取り”(※)の材料とされます。 この種の短絡的な“揚げ足取り”をする人間は、 情報社会の進展とともに増えると思いますか? それとも減ると思いますか? 理由の併記もお願いいたします。 ※論述内容が気に食わないがゆえに、 枝葉末節な言葉尻を引き合いに出して 情緒的に揚げ足を取る行為などが例。

  • 文系とは

    学生の頃、いわゆる文系と言われる人たちとのコミュニケーションにつまづく事がしばしばあり、文系の方が圧倒的に数で勝っているし平和に柔和に暮らすのは自分のスタイルでもあるので、文系の人たちの間に浸り、結構取り入れられたと思います。 が、会って数日しか経過していない人に「頭の使い方が理系なんだねー」と言われたりする位やはり分類的には理系の様です。 大分理系を崩してまで文系を学んだつもりなのですが。。。 さて、前置きが長くなってしまいました。 質問はこうです。 「文系」とはどういう人の事を言うのでしょう。 人を見れば分類はできますし、他人がその分類に文句をつけない位、周囲と一致した”見分け”はできていると思いますが、さてその定義はと聞かれると何とも答えられません。 「文系」という癖に口で私に勝てる人もそう居らず。 むしろ理系同士の方が言いたい事を言い合って正常に清浄に会話が成立しますが、文系の人相手だと思った事を言うとすぐに感情的になるので言い控える事が多く、あまり楽しくないので興味が沸きづらいです。 思った事を率直に表現する事は理系の方がやるし、受けても理系の方が受け取り方が巧いと言うか正常に受け取れるケースが多い様です。 文系というからには言葉に於いて長けててほしいと人情的に思うものの中々そうはいかないよう。。。 私自身以前は完全な理系でしたが大分文系的になったと思っていますが他人の評価がそう付きやすいので理系側に立った物言いをしています。 文系ってなんでしょう。

  • 文系人と理系人の違い

    私自身も、理系(学校)→文系(学校)→理系(学校)→文系(仕事)という遍歴を辿っており、理系と文系に所属している時々で、 理系人と文系人の違いというものを感じている者です。 但し、どこが違うかっと言われても明確には言えません。 今までに気づいたことは、(勿論一概には言えませんが) ・文系の人の話はやたら長い、出口のないループ会話を延々と繰り返すことに苦痛を感じていない様子。むしろ、楽しんでる様子。ついでに言語表現が豊か。 ・頭の中が文章でいっぱい(と文系の友人が語ってました)。つまり、感じていることが文章化されて頭に入っている。一方、理系の人は非言語化(記号とか線とか点とか事象を記号・図形化)して認識している傾向がある!? (これは理系の友人が語ってましたが、私もどちらかというと後者で、事象の図式化から始まり、文章を加えていく工程です) 日々、なにげなく暮らしていて少々感じる違和感はこれくらいですが、 これは皆さんも感じていらっしゃることなのか、 または、もっと明確な違いが他にも存在するのか、 その要因は何なのか、 はたまた理文の問題ではないのか、について ご意見をお聞かせ願えればと思います。時々気になるので・・・・

  • 『動詞、形容詞、形容動詞』文法お得意な方!どうか!

    『動詞、形容詞、形容動詞』 の範囲で理解度を確認する、小テストの問題をつくることになったのですが、 中学生レベルの頭がずば抜けて賢い子に、簡単には解かせられないような難題をいくつか教えてください! たくさん教えてください。 自分は文系は苦手で、いつも簡単だと言われます。 動詞なら動詞の問題、形容詞なら形容詞とわけて頂いても結構ですし、 何か文章があって、その中からそれぞれ適する品詞を見つけ選びなさい。という混合した形でもOKです。 また、その回答と、 どのへんが難しい(間違えやすい)など、解説も合わせて頂けると 大変助かります! どうか文系の皆さまご協力願います! m(__)m

  • 「読みやすい文章」アンケート

    「読みやすい文章」アンケート 【1】 あなたの専門(専攻分野)は文系ですか?理系ですか? 【2】 あなたの物の考え方のセンスは、 文系っぽいと言われますか? 理系っぽいと言われますか? 【3】 あなたにとって「読みやすい文章」の要素は何ですか? ベスト3を教えてください。 【4】 専門的記述ではない日常的な文章についてお聞きします。 自分と同じ専門分野に属する人の文章を読んだ場合と、 自分と違う専門分野に属する人の文章を読んだ場合とでは、 やはり前者の方が読みやすい傾向を感じますか? 【5】 (A)文系的 (B)理系的 (C)芸術的 文章をこの三種類に無理やり分類した場合に、 それぞれの特徴を一言で述べるとすれば、 あなたはどう表現しますか? 以上。

  • 文章の書き方

    文章を書く際に、特に形容詞とか接続詞などについて、漢字で書けるものをどの程度漢字で書くのが良いのかちょっと悩んでいます。何でも漢字にすれば良いものではないですし漢字を多用するとかえって読みづらいと思いますが、逆に仮名ばかりだと文章が引き締まらないしそれこそ読みにくい感じもします。 例えば「即ち」と「すなわち」、「全ての場面で」と「すべての場面で」、「かわいそうな」と「可哀想な」、「但し」と「ただし」などといった場合です。 要領を得ない質問ですが、何かアドバイスがございましたらご教授頂けると幸甚です。

  • 皆さんにとって 「わかりやすい文章」 「良い文章」 とは何ですか?

    20歳台の男性です。 突然ですが、皆様へ「文章」に関して質問があります。 大体のご年齢、世代の明記をお願いいたします。 ※長めですみません。 ※小中学生の皆さんからの回答も歓迎。  答えられるところだけでもオッケーです。 【質問1】 文章が上達する「きっかけ」というのは存在すると思いますか? あなたの体験をお聞かせください。 可能であれば、かつ、差し支えなければ、 詳しくお聞かせ願えると、幸いです。 私は、今ここで文章を書いているのが不思議なくらい、 中学生あたりまでは、全く文章の書けない人間でした。 学校では、よく読書感想文を書かされましたが、 1時間ないし2時間、“必死で”考えても作文用紙には、 「おもしろかった。」と、いつも1行だけ。それしか出てこない。 (不良だった訳でも、さぼっていた訳でもない。) 先生も呆れたのか、オツムがおかしいと思われたのか、 相手にされず、怒られもしませんでした。 その辺の“ギャル文字・ボキャ貧ギャル”でも私の子供時代より、 まともな文章を書いています。 そんな私も、どういう訳か、大学を卒業しましたが、 大人になってからは、随筆を書いて非常に良い評価を受けたり、 仕事でも文章力は、評価されています。 (役所の書類のような文章を作るのも、得意です。) でも、何がきっかけで書けるようになったのかは、 自分でもわからないんです。(記憶がはっきりしない。) 【質問2】 昔は漢字の練習と同様、鉛筆を動かす=文章の上達、 という方もいましたが、 コンピュータやネット掲示板が普及した今では、 そうとも言い切れないような気がします。 ネット掲示板に参加したり、ワード文章の編集をしているうちに、 タイピング技術と同時に、文章力が上達した経験はありますか? 「はい」の方、どのくらいの頻度で、 コンピュータを使って文章作成をしていますか? 【質問3】 文章力と、読書頻度に関連性はあると思いますか? 【質問4】 あなた(回答者さん)にとって、 「良い文章」とは、どんな文章でしょうか? 【質問5】 モデルになるような、良い文章はありますか? 小説家でも何でもいいです。 オススメがあったら、教えてください。 【質問6】 万人にとってわかりやすい文章は、あると思いますか? ここでは、説明文に限定して考えてください。 この質問6についてですが、私も頭を悩ませます。 シンプルな文章を書く=バカ、複雑な文章を書く=賢明、 と思い込んでいる、イヤミなエリート野郎がいますが、 難しい事象を、わかりやすい言葉で説明できている文章こそ、 本当に素晴らしい文章だと、私は思います。 ところがです、わかりやすいの定義には、ある程度までは共通でも、 そこから先は、個人によるズレがあるようなのです。 私の説明文章は、たまにわかりにくいと言われます。 で、わかりやすいように工夫して修正してみせます。 面白いことに、理系の人間からわかりやすいと、 高評価を受ける文章を作っても、それを文系の人間に読ませると、 散々の酷評を受けたりします。 そこで、文章の【構成】を修正してみると、 (コンピュータは切り貼りができて便利ですね・・。) 文系受けするようになることがあります。 ところが今度は、それを理系の人間に見せると、また酷評・・・。 万人にかわりやすい文章を作るのは、不可能だと思いました。 まあ、良く考えると、周囲の事象や物を、 普段、無意識に定義・文節していますが、 それには言葉を使っています。 視力や聴力が違うように、気質・性格が違えば、 世界認識も違うはず。 自分と思考パターンや気質の似た人間の書いた文章が、 読みやすくて、そうでない人間が書いた文章が読みにくいのも、 ある程度は仕方がないんでしょうか? ちなみに、私は、一応文系の学校を出ていますが、 思考パターンは理系型だ、あるいは理系っぽいと、よく言われます。 (バカ系だ、となじられる事も。) 何かいいアイデアがあったら、教えてください。

  • 文系、理系という言葉は英語で何と言う?

    日本で高校などでは、文系が得意とか理系が得意と言う表現をしますが、辞書をひくと、文系の学生はarts student、理系の学生はscience studentなどと表現するように書いています。 また、a person with an arts backgroundというのも載っていましたが、それだと文系の教育を受けた人間と言うニュアンスに解釈したくなります。 実際にアメリカのサイトなどで検索すると、それほどよく使われている言葉でないようですし、a math personという表現は見つけましたが、反意語はnot a math personであって、特に日本語みたいに理系という表現に該当するような表現はないようです。 また、いちいちI'm good at math and scienceという言い方をするようで日本語のように1語で簡単に表現する言葉も見つけられませんでした。 どなたか、文系、理系にぴったりの言葉をご存知ありませんか?よろしくお願いします。

  • 文系修士から理系博士へ

    現在、文系のM2です。 研究し始めた専門が理系にも関連しており、研究していくうちに、その関連している理系(といっても半分は文系のような研究科)のほうに興味を持ち始めました。 しかし、興味はあっても頭自体は完全な文系です。 その理系の研究科の博士課程に入りたいと思っているのですが、やはり私のような文系の場合、博士過程は受けず、もう一度修士から入ったほうが良いでしょうか?(学部からもう一度入り直すということは、考えていません) 修士修了後は、1年間アルバイトをして、授業料を貯めてから受験するつもりなので、院試まで時間はあります。

  • 理系と文系の違いとは?

    小・中・高校と、特に苦手な科目はなく、しかし数学だけは計算や検算が面倒とか、暗記のほうが得意だし…とか理由をつけてサボリがちだったため、数学の成績はいつも「ふつう」でした。 高校3年では当たり前のように文系コースに入り、私大の文系に進んだのですが、ひょんなことから卒業後はプラグラマになってしまいました。 文系人間でもプラグラムが組めるという見本のような人間なのですが、頭の中でロジックを組むのが大好きで、もしかしたら自分は理系人間なのでは?と思うことがあります(と現在進行形で書いていますが、プログラマをしていたのは数年前までのことです~)。 上司からは「君は理系の考え方ができる」といわれたことがあり、ますます混乱してしまいます。 よく(?)、理系人間と文系人間に分けられますが、違いはどのようなことなんでしょう。 私は理系人間なのでしょうか、それても文系人間? それともその中間?(っているのかな?) ちなみに学生時代の得意科目は、国語(勉強しなくて済むから楽!)で、好きで努力してよい成績をとったのは社会(これは暗記ですから)、理科はなんとなくやっててもなんとかなり、英語が苦手でした。数学はなるべく避けて通ってました(笑)