• 締切済み

男女同権主義理論とセクハラ理論の矛盾

男女同権主義には、一方でセクハラパワハラという「女性は保護されるべきもの」という認識があるため、矛盾があります。 ですので、今後一切、セクハラ理論は認めないということで主張すればいいのでしょうか? また、セクハラ理論を大々的に掲げるならば、男女不平等主義を同時に唱えればいいのでしょうか? 現状:男女同権を唱えるのと同時に、セクハラ理論(保護されるべき女性)を唱えるダブルスタンダードである 改善策:男女同権を唱え、かつセクハラ理論を破棄する     男女同権を破棄し、セクハラ理論は大々的にする

noname#105097
noname#105097

みんなの回答

noname#181349
noname#181349
回答No.6

認知度が低いのか、日本人男性が我慢強いのか知りませんが、女性から男性への、セクハラ・パワハラもありますよ。 「セクハラ」「女性上司」などで、検索してみてください。 男女平等とは、同じ力配分で仕事をするとか、同じ仕事をするとかではなく、性差による弱点や個人差も認めつつ、「仕事仲間に敬意と気遣いを持って仕事をする」という考えであればいいと思います。

noname#105097
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。女性から男性ももちろんありますね。ただ、件数的には問題になるほどでもないでしょう。

回答No.5

>男女同権を唱えるのと同時に、セクハラ理論(保護されるべき女性)を唱えるダブルスタンダードである #3の phj さんと同意見です。 「男女同権」の定義の問題です。 権利と義務は表裏一体です。 物理的、道義的に義務を果たせないものについてまで同権を主張できません。 従って、全てにおいて「男女同権」はあり得ません。 セクハラ理論(保護されるべき女性)は、女性が物理的に男性と同じくらい強くなったときに始めて同権を云々できることであって、現状ではほとんどの女性が物理的に弱い立場にあるので保護は当然の話として出てきてもおかしくはありません。 つまりダブルスタンダードの問題ではないと考えるのが妥当です。 過去、仕事においても「男女同権」が言われて来ていましたが、女性の社会進出(仕事ができるようになってきた、または仕事ができる場が多くなってきた)が目覚ましくなる、つまり社会全体が女性も仕事ができると社会の多くが認めてきたため、「男女同権」が正当化されているのが現状ではないでしょうか。 私は、すべてについて男女同権が言えるのではなく、社会という背景によって男女同権がうたえる項目が増減すると考えています。

noname#105097
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 おっしゃること最もだとです。 ただ、そういう論理だと、女性は庇護されるべきだし、かつ、権利が同等なべきだと言うあまりにも傲慢なことがまかり通ることになり、人心の荒廃につながっていきませんかね。もちろん、より公正に考えれば、おっしゃることはより合理性が与えられますけど。

  • honde
  • ベストアンサー率5% (10/182)
回答No.4

くだらんカタカナ言葉に翻弄されてるだけで、単なる「いじめ」だよ。 「いじめ」に男も女もないよ。

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.3

持論で申し訳ないのですが、私はかねてから、男女同権ではなく「男女同権・同義務」と表記すべきだ、と考えています。 権利論でいうと、男性並みに権利が付与されたと少々大げさで、権利を振りかざす人もでてくるのですが、その裏に「義務」がついて回っていることには案外気づいている人が少ないようです。 たとえば他の方の回答にあるような「生理休暇」は女性のみの認められた権利であると共に、社会に対して「子供を生む」という義務も生じさせているといえます。 また極端な例ですが、男女同権で女性が良いポストにつけば落ちこぼれる男性も増えるという現実がある以上、女性も「自分より収入の少ない男性と結婚することを考える」べきであるといえるかもしれません。 セクハラは別の問題であるといえるところもあります。これはコミュニケーションの問題であり、最近では男性への「ハゲ・肥満」などもセクハラ(逆セクハラではない)と認定されるようになり男女のコミュニケーション(つまり女性から男性へのアプローチも)がより平等に判断されるようになってきています。 またセクハラと同様に男性に不利になりやすいドメスティックバイオレンス(DV)についても、男性に対して「能無し!」とか「給料泥棒」のような男性の人格(女性と違い、男性の人格は仕事と一体になりやすい)を否定するような言葉は、DVと判断されるようになってきています。 男女同権もセクハラ理論も破棄する必要は無いと思いますが、権利の裏には義務があり、女性も男性に対して(つまり異性に対して)同様の義務があるのだということを、もうすこし理解するようにしたほうがいいと思います。

noname#105097
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 権利論と義務論は同時進行でなければなりませんね。 ただ、件数的には、男性から女性への問題行動が圧倒していることは確かでしょう。その点から、庇護されるのは正当だが、権利を振りかざすのはあまりに虫がいいということになります。

  • tappara
  • ベストアンサー率37% (260/694)
回答No.2

セクハラやパワハラについてはその対象が女性に限ったものではないので男女同権とセクハラ・パワハラが並立できないってことは無いと思いますよ。 同姓間のセクハラやパワハラもあるわけですからね。 その一方で女性に過大な保護って思われるものも多々ありますけどね・・・ ただ、生理等女性特有の事象についてまで同権なんだから認めないなんて変なおじさんがいたりするのもねぇ・・・

noname#105097
質問者

お礼

ご回答ありがとうございあます。 もちろん、そうなのですが、男性から女性へのセクハラに比べると著しく小数ですね。同列には議論できません。

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1855/6063)
回答No.1

>セクハラパワハラという「女性は保護されるべきもの」という認識があるため、矛盾があります おっしゃる通り、これは認識の問題です。 セクハラもパワハラも女性が男性から受ける被害、という認識が間違っているわけです。 女性による男性へのセクハラ、また同性間で行われるセクハラも十分ありうる、いや既にある解決すべき問題だ、という認識にかわれば良いわけです。 社会の認識が変われば男女同権と同時にセクハラ・パワハラの解決も行えるので誰も損をしません。 私はこの方向で世の中が運ぶことを望みます。

noname#105097
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 女性から男性、女性~女性という例もあるわけですが、問題になるほどの件数ではないでしょうね。

関連するQ&A

  • 男女同権について

    高3男ですが受験勉強の合間に少し考えたことを聞いてみたいと思います。 男女平等参画という考え方についてどう思われますか? 既存社会の女性の地位は確かに上がりつつあると思います。 このまま女性の権利を拡大していくべきか、別の考え方があるならぜひ聞かせていただきたいです。 僕は男女共同参画と言うよりかは、男女同権といったほうがしっくり来ると思います。 もちろん男女の差で賃金に差が出ては行けません。同じ働きには同じ対価が払われるべきです。 しかし、歴史的に男性が支配してきた今の企業社会で、 新たに女性の地位を男性と同じように築くことは無理があると思うのです。 それより新たに女性の社会(僕が考えるのは子育てと教育と環境保護です)を、企業社会と同じか、 それ以上の社会的権利を持たせることが重要だと思います。

  • 「男女平等」の矛盾

     よく、「男性は女性よりも優位に立ちたがる」「女性は男性に守られたいと望む」と言われますし、「男尊女卑」なんて言葉もありますよね。でも、社会は「男女平等」という男女の差が小さくなるような方向へと変化してきました。  矛盾してませんか??  私は女ですが、正直「男尊女卑」か「完全な平等」のどちらかの方が楽でいいです。現在の、本音は「男尊女卑」みたいな感じなのに建前上は「男女平等」というのは疲れます。  なぜ、「男性は女性よりも優位に立ちたがる」「女性は男性に守られたいと望む」という本能のような深層心理を無視して、男女の差がなくなるような「男女平等」という価値観を提唱するようになってきたのでしょうか?

  • 原理的な男女平等と男性優位の差別主義的なもの

    世の中に原理的な男女平等と男性優位の差別主義的なものがあるとして。 たとえば、女性をターゲットにした業態などあり、立ち食いソバ屋や美容院に男女半々ということもないわけです。 かといって、男性が男女兼用のものを買って、これは細かい部分まで女性的な部分があると進歩的で間違っているとチェックしているのも差別主義者っぽいですね。 女性的な男性もいれば男性的な女性もいますし、ユング心理学では男性にはアニマがあって、女性もアニムスがあるともいわれます。 でも 男性の女性性の生活スタイルも内でも外でも表現の自由ですし、ペルソナとはちがったことをしたい願望か何かかともいえると思います。境目がないのは、男女が全く同じ嗜好しているとかで壊しているニュアンスはありますが。 陰陽理論や欧州言語の冠詞が男性性か女性性かなどのように、机をドイツ語では男性性でとらえるなどのわけです。 ややこしいですが、いったい何があっていて、何がまちがっているのでしょう?

  • 男女平等

    男女平等を主張する方々は、トイレや更衣室や浴場なども男女に分けることは許さないのでしょうか。 女性専用車両とかレディスデーも不平等と言っているのでしょうか。

  • 男女同権運動に変なのをよく見かけます。なぜでしょう

    男女平等、男女同権って大事な事だと思います。 生まれ持った性によって、人生の選択肢が狭まったり、人からなにかを押し付けられたりする様な事がなければ本当にいいと思います。 また、理由も無く一方の性別にのみ便宜が図られることがあったり、仮になんか理由があっても行過ぎた便宜が図られたり、代替手段を考えずに性差別に繋がる恐れのあることを必要悪だとして他人に我慢させようとしたら、それもどうかと思います。 ところがどっこい、女性差別を非難しているフェミニストや、男性差別を非難しているマスキュリストに、悪目立ちをする輩が本当に多いです。 フェミニストには「男は敵、男が悪い、男を潰せ」な事をいう輩がどういう訳かよくいて、そういうのが本当に悪目立ちします。 マスキュリストにも「女は甘えてる。女が社会の上に立つとその社会は絶対に潰れる」と声高らかに叫んで、悪目立ちをするのが多いです。 それはヘイトスピーチだと思いますし、彼ら、彼女らの言っている事は男女平等ではなくて、むしろ性差別をしようとしているかのように聞こえます。 そして、相手の性別の事を理解もせず、はなから理解しようともせず、根拠の無いまま常に仮想敵にして自分の意見を押し通すことを正当化しようとします。 男女平等を語るべき団体が、なぜ一番性差別をしようとしているのか、そしてまたそういうのがとっても悪目立ちをしますが、どうしてでしょうかね? なんでもっと中立的に考えて、こういう制度が間違っている、というのを冷静に非難しないのでしょうか? 女性差別になる制度を作ったのは、男全般でしょうか? 男性差別になる制度を作ったのは、女全般でしょうか? 女性が社会進出できない原因は、男全般にあるのでしょうか?そういう人事に関する問題は必ずしも男が決めてるのでしょうか? 女性に性犯罪を行う輩は、男全部でしょうか? 合コンなどで男性にだけ収入や職業などをうるさく審査する習慣を作ったのは女全般にあるのでしょうか?女が決めた事でしょうか? 女性専用車両を作っているのは、頑に男性専用車両を作ろうとしないのは、女でしょうか? レディースデーや女性料金、女性専用サービスのみを設けて、女性にのみ高水準のサービスを行うところは、女がそれを決めたのでしょうか?女の人はそれに必ずしも賛成しているでしょうか? 全部違いますよね。 そういう制度を作った団体や、各々の考えが甘いから、制度を作る上で中立性をきちんと考慮しなかったから、差別を社会が許容しているから、長いものが一般の女性や一般の男性に我慢させているからに他なりません。 性犯罪者に関しては、男とか女とかじゃなくて、一部に不届き者がいるというだけのことです。 性犯罪に限って言わなければ、男にだって女にだって犯罪者はいる訳です。 上に述べたものに性別は関係ありませんし、相手の性別すべてを殴るのはお門違いです。 そこが揃わないまま、単に男非難や女批判をしていても、矛先を間違えて殴り合いをしているように見えますし、そういう行為こそが一番の性差別だと思います。 なのになぜかそういう人達が多くみられますし、しかもすっごく悪目立ちします。 なぜでしょうか? むしろフェミニストとマスキュリストは、「男女平等」という目的に向かって共闘して、間違った制度を正して行く必要があると思うのに、自らが間違った方向に進んでいる様に見えて不思議です。

  • 男女平等主義です。どこまで主張したら…

    40代女性です。 小さいときから、根っからの自然な男女平等主義で、性別で差別されることに対しては戦います。 そして、女性という理由だけで“優遇”されることも嫌いです。 ただ、その場を壊すほどに、自分のポリシーをその場で主張する事には抵抗があり、俗に言う、空気を読んで、行動したりします。 例えば、宴会などの会計のとき。上司などが、強く「ここは男性持ちだよ!!」と言って下さったら、内心は仕方なく従います。 仕方なく、と言うのは女性だから奢るよ、と言う気持ちに抵抗があるためです。 奢ってあげよう、と思ってくださるお気持ちに、感謝はあります。 上の立場の者が下の者に奢るのも、悪いとは思いません(当たり前とも思いません)。 でも、意見を言いたいときもあります。それは、対等な友人同士のとき。 大昔からの、対等な友人関係なのに、男性が女性より多く払おうとする場面が多いので、いつもスッキリしない気持ちになります。 対等なのに、なんでちょっと奢られたり奢ったり、になるのだ??と。 私は「友人同士なんだから、ちゃんと割り勘にしようよ」と言いますが、参加者の男性も女性も、“女性はちょっと少なめでOK”派がほとんどで、私が主張しすぎてモメるのもイヤなので、2回くらい言って、結局引き下がりますが、楽しかった飲み会の最後の会計でそうなるので、毎回スッキリせず、モヤモヤして帰宅します。 女性に、少しいい格好をしたい、というだけなんだから、固く考えないでよ~~と言われ、それも分かるので、だから引き下がりますが、& 私に同調してくれる女性が少ない(ほとんどいない)ので、引き下がりますが、私みたいな方、いらっしゃいますか? どうされてますか?

  • 女尊男卑!と逆セクハラ!

    男女雇用機会均等法が施工されて以来、男女は同質ではないが、平等であるということが世間に浸透してきたと思います。 しかし、昨今、思うのですが、社民党党首の福島瑞穂氏が言っているように「日本は欧米に比べて女性差別が根強く残っている」と言うことですが、私はむしろ逆のような気がしてなりません。 なぜならば、日本の女性たちは都合が悪くなると“女の特権”を前面に出して「私は女だから!」と言って責任から逃れようとします。それから、「男のクセに!」という捨て台詞もよく聞かれます。すると、周りにいるカッコつけ男が「そうだ!お前チ〇ポついてるんだろ!」といわれようものならば、固まってしまい、何もいえなくなってしまいます。 男女平等を主張するならば責任義務も果たさなくてはならないと思います。権利だけ主張して責任を取らないのは「いいとこ取り」ではないでしょうか? それから、「男のクセに!」という表現は男性差別(逆セクハラ)になると思うのですが?(女性に年齢、体重、婚姻の有無を尋ねるとセクハラになるのに?) この点について欧米の事例などを出して教えていただけないでしょうか?

  • 男性、女性上司からセクハラ?について

     男女同権について考えているときに飛び込んできた、「女性上司に男性部下裸見られる、セクハラでない、と逆転判決」という記事について質問です。  内容は、女性上司に浴室で裸を見られセクハラを受けた、という男性部下で原告の訴えを誇張、脚色されるなど不自然で、信用できないという理由で男性の訴えを棄却。勤務中の入浴と女性上司が疑い扉を開けて問いただしただけだった、との裁判所の判断についてです。  詳しいことは分かりませんが、もしこれが見たのがら男性でみられたのが女性だとしたら判決は変わっていたと思いますか? 私は変わっていたと思います。  こんな話題を質問すること自体、男女同権から考えるとおかしいとおっしゃられるかもしれません。お気を悪くされた方、申し訳ないです。  是非、皆様の見解、意見をお願い致します。

  • 区別したら平等ではないですか?

    男女差別しないのが男女平等。 かと言って区別をしたら平等ではないのですよね。 つまり男女を差別しなくとも区別したら男女平等とは言わないのですか? 男女同権・機会均等の現代であっても、育休はともかく産休は女性しか取れないですよね、これは区別と理解できます。 ですが男女同権・機会均等、対等な立場になっても、区別がある時点で平等とは言わないのでしょうか?

  • 本当の男女平等って・・・

    一昔前から、男女雇用機会均等法やフェミニズムやジェンダーフリーとか正直、一般の私には小難しい言葉で、男女同権・平等などがうたわれていますが、実際のところ、目に見える法律上の権利としての平等は普及していても、目に見えないシーンでは、まだまだ「平等」に壁がある部分が正直あると感じています。 私は、今年で社会人10年目を迎え、今年の春に企業をする女性です。 今まで営業という職業がら、女性としての有利・不利な場面を目の当たりにしてきました。 ただ、決して女性の権利云々をここで書きたいのではなく、いくら平等が大切だとしても、せっかく入社しても彼氏中心の価値観の女性や、チョット厳しい注意をしただけでしょげる男性も結構多いです。 ここで皆さんにお伺いしたいのは、男女平等って本当に必要なんでしょうか。 本当に必要とする平等は、社会進出意欲のある人たちに、雇用チャンスや出世チャンスが男女問わずに平等に機会を与えられることなんじゃないかと思うんです。 どうですか? ぶっちゃけたご意見をお伺いできればと思います。 ちなみに、私がここで書いている権利とは、社会進出における平等という視点で書いています。