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死が間近な人の生きる意味

hope01の回答

  • hope01
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回答No.9

私が思うに、彼女はただやみくもになって、資格の勉強を続けていたのではない、と思いますよ。自分の勉強で得た知識が、どの程度のものであったか、常にモニタリングしていた、と思います。最初はまったく歯が立たなかった問題なども、とっかかりができて、回答がでてくる。で、その時の模試などの結果が、前の時よりも、よくなっている。この精神的な充足感が、彼女を支えていた、というより、前へ前へ、と突き進むエネルギーになっていた、と思います。ですから、たぶん、彼女の遺した勉強の記録を調べれば、その資格を取った専門家がみても、合格できる勉強の仕方をしていた、と、言うと思うのです。死という不安と戦うのもありですが、冷静になって、その時、彼女の勉強量が、合格に対してどれくらいにたっしていたか、常に、彼女自身が冷静に自分をモニタリングしていた、で、弱い分野はどこか、しなければならない事はなにか、と、常に勉強に前向きに取り組んでいた、と思えるのです。ですから、彼女はその資格の勉強のスペシャリストになっていた、と思うのです。つまり、やるべきことが、解っていたから、彼女はやっていたわけで、たまたま、そこに、死という時間的制限がつけられてしまった、と、思えるのです。彼女にとって資格を取るための勉強をすることは、その時の自分の蓄積された学力を冷静に客観的に判断できることであり、その判断で、より高みを目指し、結果をだすことで、自分的に満足できる、ということを、知っていたのでしょう。 これは、一種のハイな状態といいますか、脳内麻薬のようなもので、私もある資格試験の勉強をしていた時に、少なからず、経験しました。何度も何度も自分の実力を試して、客観的にあと何%がんばれば、合格ラインに達するか、と、自分に問い詰め、克服していく。つまり、彼女にとっては、資格勉強のスペシャリストになることで、死などの恐怖と向き合う時間よりも、それに没頭することが好きだった、のではないでしょうか。自分を高めていく快感をしってしまうと、死など眼中になくなってしまう。勉強して、自己の能力が伸びているのを冷静に、客観的にモニタリングしていくことを、彼女は常に行っていた、と、思うのです。つまり彼女の中では、ものにできる資格である、と、客観的に、主観的に思えてきたから、やるべきことを、つづけられた、と、思うのです。箸にもポ゛ウにも引っかからない資格勉強なら、彼女はしなかったでしょう。しかし、問題を一つ一つ解くうちに、分る部分、心に引っ掛かる部分、落とし穴などがみえてきて、それは、こうする、ここは、落とし穴だな、とか、見えてきたのではないでしょうか。周囲がどうとか、病気がどうとか、より、自分の主観で、ものになる資格の勉強を合格するためにやっていた、と、私は思えるのです。本当に合格するために、あとどれくらい問題をとかなければならないか、彼女は、自分ではっきり自覚していた、だから、病気で衰弱していっても、止めなかった、と、思えるのです。彼女は、非常に冷静な判断ができる人で、つまり、試験を受けなくても、あとどれくらい勉強すれば、自分の能力が合格ラインに達するか、を冷静に分析して解っていた、のではないでしょうか。単純にいえば、合格という御馳走があり、それをものにする能力があるのに、それをやめる人間がいるでしょうか。しかも、その御馳走をものにするためには、普通の能力では、できない、勉強をするというスキルが必要で、そのスキルを彼女はもっていた、しかも、客観的に冷静に言って、あともう少しなら、なおさら、それを放り出す人間はいないでしょう。がんであろうが、死が直前であろうが、この合格ラインに、達する、という冷静、客観的な自己分析による判断で、彼女の中で、あともうすこしか、もう合格できる、という、兆候が心の中にあったのではないでしょうか。試験を受けれなくても、模試や実力試しで、合格ラインに、引っ掛かっているくらいに、彼女の能力はいっていた、と、私は思えるのですが。ましてや、三年もがんばって来たくらい、努力をつみあげてきたのですから、自分の能力が合格ラインに達することは、物凄い精神的充足感、死をも超越するようなものを、彼女は得て、旅立っていった、と、私は思います。資格勉強という、好きなことをして、死という不安や恐怖を、とりのぞいてくれる、そういうスキルを、彼女は手に入れた、のではないでしょうか。私は、そう思います。

bell2018
質問者

お礼

ご丁寧なご回答ありがとう御座いました。元々彼女は成績優秀な人でした。そんな彼女が文字通り死に物狂いで勉強する日々…あまり詳しくは分かりませんが聞くところによると合格率3%程度の難しい資格だったようです。しかし彼女はきっと実力も相当なものになっていたんじゃないかと思います。彼女がひたむきに頑張る姿を私は忘れることは出来ません。「頑張る」という言葉を私達は普段何気なく気軽に使いますが、彼女の行動こそが本当の意味での「頑張る姿」だったように感じました。ご回答ありがとう御座いました。

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