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ブッダの美女マーガンディヤー事件

来生 自然(@k_jinen)の回答

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回答No.13

「全体的に」という視点に立つのであれば、スッタニパータ(ワイド版岩波文庫、1991年)の中村氏の註内に散見されるように、 1.ゴータマ・ブッダ自身、最初期には宗教へと変遷していくとは思いもよらなかった。(以後、当時のブッダの思索全体を「ブッダ思想」とします) 2.あとから加えられたであろう説話や、ブッダ思想が広まるにつれて(思想に対して)辺境の地に存在した文化や価値観が、ブッダ思想との相互作用で変遷していったことは容易に推察できる。それら変遷についてブッダの制御範囲を超えていたことは、たとえばコーサンビー国での破僧事件が物語っている(今回の問題が該当)。 http://www.sakya-muni.jp/shousai/ronbun19.html ブッダ思想と破僧の思想について、コーサンビー国内では区別することはできなかったであろうし、そうであれば、(外伝的な)マーガンディヤーの説話自体、破僧の思想と当時のコーサンビーの文化とが相互作用して生み出されたのかも知れない。(要検索) 3.ブッダ自身は、「ひとりの人間」として、当時の宗教概念や社会風習から「完全には」離脱できないし、ブッダ思想で扱われている主題・死生観(輪廻観)・神概念の多くは、従来からあったもの。(このことは、スッタニパータの中村氏の註にも明示されている) 4.スッタニパータは、ブッダ思想へと至る過程の経験を踏まえて、「どうすれば、そのような考えに至るのか」と「それは、どのような考え方か」という二つのことを、複数の立場の人に対して説いているものが、寄せ集まっている。それら二つの視点が混在すると言うことは、(当時のインドの風習や風土を顧慮するならば、異文化から見て)既に矛盾を含まざるを得ない状況にあるといえる。(たとえば、中村氏も註にて指摘しているお布施問題など) 5.「ブッダあやまてり」のブッダを、一人の人間であるゴータマ・ブッダ自身に向けるのであれば、彼自身、その後の歴史的変遷やインド以外の諸世界の文化を知り得なかったわけであるから、そういった諸問題(今回の外伝にも相当)については「ブッダを解釈する人あやまてり」にしか、なり得ない。 6.「ブッダあやまてり」のブッダを、スッタニパータ等の最初期レベルから離れて、その後のブッディズム(仏教)全体における「ブッダ」概念へと向けるならば、「ブッダ」概念自身が、解釈する方法・人によって異なることは当然であり、「仏説、○○」と付け加える人々(ブッダ概念を解釈する人々)に責任があることは明白。すなわち「ブッダあやまてり」とはならずに「ブッダを解釈する人あやまてり」になる。 7.もし、どうしても「ブッダあやまてり」と言いたい(マーガンディヤーが実際どのような女性であったのかは別として、質問の当初から既に解答を準備し、それ以外の説を排除したい。)のであれば、 http://www.sakya-muni.jp/shousai/ronbun19.html >>> このように釈尊は、成道後の12年余は王舎城を中心に活動されていたのであって、仏弟子たちは諸国に布教に出ていたけれども、新規の出家希望者が出るとそのつど釈尊の元に帰っていたのであるから、諸国に仏教が根を下ろすということはなかった。おそらく諸国に布教に出た弟子たちが、その地に根を下ろして布教活動を開始するようになったのは、三帰具足戒が許され、さらに白四羯磨具足戒法が制定されて、正式なサンガが成立したおそらく成道12、3年目のことであったであろう。 <<< にて見られるように、破僧を生み出す原因となった「直接の弟子以外を弟子としてみなすようになった制度を認めたこと」ぐらいでしょう。 直接の弟子以外を弟子として認める制度が発足するということは、まさに「ブッダ思想」が「ブッダ宗教」へと変遷することを意味しています。 以上です。 ※bragelonneさん。ワイド版はお勧めです。文字が大きいと、ほんとうに見やすいです。

bragelonne
質問者

お礼

 補足欄での《締める》予告を取りやめます。  調べておられるのは この主題にかんしてでしょうから そのままここも開けておくことにします。

bragelonne
質問者

補足

 k_jinen さん k_jinen さんの良さを引き出すには――あっ ご回答をありがとうございます―― どうも少々荒っぽい言い方をするに限る・・・のでしょうか。ま これは常習にはしませんが ぎゃくに言えば ありがたいですね。質問者の趣旨を汲んでいただけて。  むかしは新聞の文字も小さかったですね。一斉に大きくしたときがありましたね。大きくしたあとは ほかの書物などで小さいと 困るということが起きて来ますね。歯磨きを使うようになると これを使わずにいられなくなります。虫歯になります。蚊取り線香を使うようになると もうこれを使わないと困ります。  くだらない話から入りましたが おかげさまで一件落着なのではないでしょうか。  個人の信仰から 観想の内容が言葉に置き換えられ やがてこれが《おしえ》となる。この教義ないし/および教祖を押し立てて 組織としての宗教ができる。  この・信仰と宗教とはまったく違うという命題につながる歴史事例をもおしえていただきました。  そして質問としましては  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  6.「ブッダあやまてり」のブッダを、スッタニパータ等の最初期レベルから離れて、その後のブッディズム(仏教)全体における「ブッダ」概念へと向けるならば、「ブッダ」概念自身が、解釈する方法・人によって異なることは当然であり、「仏説、○○」と付け加える人々(ブッダ概念を解釈する人々)に責任があることは明白。すなわち「ブッダあやまてり」とはならずに「ブッダを解釈する人あやまてり」になる。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ありがとうございます。そしてこまかくきちんと言おうと思えば  ○ 《美女マーガンディヤー説話》は――かのじょのブッダへのうらみとその仕返しにかんして―― 誰かが憶測によってつくったものであろう。  ○ この説話は 仏説でありとうといおしえであると受け取られている向きもあるが 内容は ブッダの振る舞いといい その後この振る舞いに恨みを持ったマーガンディヤーのその後の復讐劇といい 道理に合わない間違いを含むと捉えざるを得ない。  ○ ブッダの説話には ひとの手になる勝手な創作が交じっており あやまちと言わざるを得ないものが見られる。  ☆ となるでしょうか。  これでこの問いにかんしては 満たされたと思います。詳しい研究はむろん必要でありとうぜん続くはづです。このマーガンディヤー事件についても もし真相が判明すればなおいいでしょう。そのときにも このいま得た暫定的な結論およびその検討の過程が無駄になることはないでしょう。素人としてはこれで満足していいと考えます。  ありがとうございました。この問いは締めることにします。k_jinen さん どうぞまたよろしく。

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