• ベストアンサー

ブッダの美女マーガンディヤー事件

来生 自然(@k_jinen)の回答

回答No.11

「慈悲は 経験現実か」 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4531636.html での回答No.15にて >>> ☆ 出典を思い出せませんが 《大小便の詰め込まれた》という表現は 当時 慣用句だったそうです。 <<< ですが、出典は判りますでしょうか? No.2にて >>> もう一点あったのですが、こちらは少し調べてから、投稿させていただきます。 <<< と、記述していたのですが、(再購入した)「スッタニパータ」の注釈部分には載っていなかったので、ご教示いただけましたら幸いです。 さて、 >>> (師((ブッダ))は語った)、「われは(昔さとりを開こうとした時に)、愛執と嫌悪と貪欲(という三人の悪女)を見ても、かれらと婬欲の交わりをしたいという欲望さえも起らなかった。糞尿に満ちたこの(女が)そもそも何ものなのだろう。わたくしはそれに足でさえも触れたくないのだ。」 <<< では、一人の女性が対象なのか、三人の女性が対象なのか、明確ではありません。 もし仮に、「糞尿に満ちた」が慣用句であったなら話は変わってくるかも知れないのですが、そうでないなら、「さとりを開こうとする時に排除すべきもの」として、「愛執と嫌悪と貪欲」のみを述べるのであれば、対象として女性をだすこともなかったでしょう。 しかしながら、(男性の側から記述するという場合)「淫欲」をそれらに付加して並べようとするとき、「最も守りにくいもの」でしょうから、過度に戒めを説く目的から、あえて「糞尿に満ちた」といった萎えるような言葉を付け加えたのかも知れません。 「八つの詩句の章」は、伝承によって伝えられてきたため、「覚えやすいように」若干改編されていた可能性も考えられます。 ご指摘のこの部分は、比較的すんなりと繋がっている方であり、何度読み返しても「?」な部分は他にも多くあります。 おそらく、(伝承で伝えられたならなおのこと多く取り入れられているであろう)当時の慣用句的な表現が含まれていて、解釈を誤りがちになりやすいのかもしれません。あるいは、当時の風習を知らないゆえに、誤った視点からみているのかもしれません。 もし、解釈上「?」な部分が出てくるのなら、「なぜ?どうして?」といった視点にて明らかにするべきでしょうが、それをもって「○○あやまてり」といった一方的な「解釈」に立つべきではないと考えます。 二者択一的な評価(真偽への方向性)は、「○○を解釈するにあやまてり」への方向性しか向き得ないでしょう。 仏典にしても聖書にしても、また、新興宗教の類にしても、(人の思考と手を介して)書かれたものの意味よりも、「その向こう側」に「人々が(何かを)求めようとする方向性」こそが大切なのだろうと思っています。

bragelonne
質問者

お礼

 しかも おしえてもらった英文のサイトでは このマーガンディヤー説話は ほんとうのブッダのおこないであるとしてその人びとは捉えているようです。§835などは そのままブッダのおしえであると受け取っているのですよ。  そのことについてどう考えるか わたしに聞くのではなく その人たちに いえいえ ご自分に尋ねて明らかにするべきなのです。  このマーガンディヤー事件は間違いであるしかない よって削除すべき記事である――というのならそれとして 明らかにすべきです。  一方でそして基本として 資料の確定につとめるという態度を受けとめ見習うべきとの教訓を胸に刻むとともに 他方ではしかも その初めの段階で同時に――その初めの段階で同時に―― 記事の内容はそれとして分かっており明確になっているのですから これはおかしいとまづ言って 検証・研究をすすめるというのが ふつうの態度だと考えます。二つの側面は 同時にです。  基本の態度が基本だという意味は 学問としてという意味でもあります。これを無視しては何にもなりませんが 生きるという問題の上では 学問の結論が出る前から ひとは自分の判断を持っているものです。そのことを明らかにし見解の交換をおこなっていても 学問をないがしろにするものではありません。いまある資料にもとづき これこれの条件をつけてなら これこれの解釈ができる――こういう見解の表明に何のおそれもありません。  ここまで来てやっとこのように話しが合うというのは これだけまじめな k_jinen さんにして いったいどういうことですか?   一定の条件のもとでなら こういう判断が下せるという見解の表明――これをぜひ k_jinen さんには もはやなれなれしく要請します。わたしからの絶対命令ですよ。なぜならそこには 何のおしつけも誤謬もないからです。

bragelonne
質問者

補足

 k_jinen さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  そうですね。まづ k_jinen さんが いわゆるオブスクランティスモに陥っておられるのではないと分かっただけでも よかったです。先延ばし・先送り・お役所ことば(わたしの言葉でアマテラス方言)の常習の方ではないと分かっただけでも ひとまづ安心です。  要点を一つひとつ確認しておきます。  (1)   ☆☆ 《大小便の詰め込まれた》という表現は 当時 慣用句だったそうです。  ☆ これはそのときに検索して得た情報だったはづです。ですが 今回調べても出て来ません。サイトが変更・消滅したと考えられます。(こんなことは 想像やでっち上げで言うわけありませんから)。  (2)   ★★ (No.2) もう一点あったのですが、こちらは少し調べてから、投稿させていただきます。  ☆ これは k_jinen さんが見つけられた《おかしな点》ですから わたしは分かりませんですよ。  (3) スッタニパータ§835は   ○ もしマーガンディヤ(=父親)による縁談の申込に対する答えとすれば それはおかしい。  ☆ これだけを指摘できればじゅうぶんだという見方です。言いかえると この《もし》という条件をつけて判断を下すのなら 今の段階でも言えるという意味です。  それだけでじゅうぶんだという意味は あとはブッディストの見解ないし研究者の研究にゆだねてもよいはづだということです。  (4) したがって 本文に《編集つまり改編》がどれだけあったとしても 現在の資料について こちらの見解としては 条件づけをしておかしいと言えると指摘しますし ブッディストの側は 現在の状態についてとさらに研究検証のあとの状態についてと二つの段階において見解を明らかにすべきだという物言いです。とうぜんの主張であるはづです。  (5)  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  もし、解釈上「?」な部分が出てくるのなら、「なぜ?どうして?」といった視点にて明らかにするべきでしょうが、それをもって「○○あやまてり」といった一方的な「解釈」に立つべきではないと考えます。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 二千五百年のあいだ放ったらかしにしたのは 誰でしょう? そういう問題です。わたしが 条件づけした場合には《ブッダあやまてり》と判断するという意味は 実際とうぜんの内容です。もし判断が行き過ぎだと思うのなら とうぜんブッディストの側は その検証について怠るべきではないという意味です。  デーワ゛ダッタ悪人説については 今ではかなり緩和したようにも聞いています。マーガンディヤー悪女説については どうなのですかと問うているに過ぎないとも言えます。k_jinen さんは とがめられるべきは誰かについてしっかりと把握すべきと考えます。  ★ 二者択一的な評価(真偽への方向性)は、「○○を解釈するにあやまてり」への方向性しか向き得ないでしょう。  ☆ §835は 糞尿の箇所が慣用句である場合でも 答弁としておかしいことは 子どもにも分かることです。そこから出発しないのなら  k_jinen さんの感覚もおかしいとはっきりと訴えます。  そのあと このスッタニパータの記事はまちがいだったともし分かった場合には なるほど!という安堵が来ます。条件づけして判断していただけですから 何ら片寄った見解でも何でもないというのは 現段階で分かっています。  (6)  ★ 仏典にしても聖書にしても、また、新興宗教の類にしても、(人の思考と手を介して)書かれたものの意味よりも、「その向こう側」に「人々が(何かを)求めようとする方向性」こそが大切なのだろうと思っています。  ☆ 新興宗教については 気休めか金儲けです。聖書については 《文字は殺し霊は生かす》という大原則があります。文字通りの意味はきわめて限られた記事にのみ当てはまるという意味です。  仏典については たとえば容易に時空間を飛び越えて話が為されているのですから 明確に読み方についての原則を定めるべきです。  しかも k_jinen さん いいですか こんなことは前から分かっていることです。いまさら何を言うのですか。いまこの(1)から(6)までのことを k_jinen さんはどういう思いで述べておられるのか。五百年も千年も遅いということです。  (7) 経典にある事柄であるにもかかわらず その読みが確定していない。こんな懈怠がゆるされるはづがありません。自分の側に不利な内容の記事については 触れずに放っておく。いかにだらしないかの物言いでもあります。

関連するQ&A

  • お経の内容を理解しないであげることは?

    お経を理解しないで読むことの是非についてご意見をお伺いさせてください。 供養で両親が熱心にお経を読んでいるのですが、 生きている人間本位の供養になっていないのか疑問を感じています。 私の中でお経を読む意味は2つあると思っているのですが、 (1) ひとつは、お経という説法を読む本人が内容を理解して、 本人の意識を通じて故人に伝えることによる供養。 (2) もう一つはお経という手段で故人に対して 死の理解をうながし、「いつも想っています」 という気持ちを伝えることによる供養。 お経は釈迦の説法を中国語?に翻訳したものであって 直接の釈迦の言葉でもなければおまじないでもないということを聞いたので、 故人が肉体を離れたからといってお経を急に理解できるようになるというのは 考えにくいことだと思っています。 そういうことを考えた場合、内容を理解できていないまま お経を読むこと自体の意味がないのではと思うのですが如何思われますか?

  • 美女マーガンディヤーとゴータマ・《ブッダ》

     コーヒーブレイクです。  スッタニパータに載ったゴータマの発言について 思うところを述べておしえてください。  すなわち 次の詩句 835 の言葉についてです。  これは マーガンディヤなるバラモンが その娘で美女のほまれ高いマーガンディヤーを ゴータマに嫁がせようとして結婚を申し込んだその問いに対するゴータマ自身の答えだと言われています。  すなわち その求婚をことわる言葉なのですが その内容について みなさんは どのように受け留めるのか? そこが知りたいところです。  ▼ (スッタニパータ・<9、マーガンディヤ> 835-847) ~~~~~  http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm  835  (師((ブッダ))は語った)、    「われは(昔さとりを開こうとした時に)、    愛執と嫌悪と貪欲(という三人の悪女)を見ても、    かれらと婬欲の交わりをしたいという欲望さえも起らなかった。       糞尿に満ちた身の(女が)そもそも何ものなのだろう。    わたくしはそれに足でさえも触れたくないのだ。」  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これを聞いた当の本人マーガンディヤーは ゴータマに対して恨みをいだきます。これが のちのちまで尾を引きます。・・・  質問者としては 心が理念――アマテラス普遍人格語――の一辺倒であって もはや蛸壺地獄に落ち入っている です。

  • チベット僧への虐殺は、真実ですか?

    Yahooニュースからのコメントコピペ: わが国は如何なる国との軍拡競争には参加せず=中国国防部 サーチナ 2月25日(土)16時12分配信 mekochan(iti...)さん 『中国はいかにチベットを侵略したか』 「妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに小便をかけるように命じられた。さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と中共兵に嘲られ、挙句に全員射殺された。おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。 -------- 上記のことは、真実でしょうか? これでも、世界は何もしないのでしょうか?

  • シャカの行った悪事について説明しよう。

    シャカの行った悪事について説明しよう。 死の燎原とは、立ちすくす者には真実であり、いかなる苦難も歩み乗り越える者にはぼろしだ。 私は世界は苦に満ちているといったシャカに背き、私は世界に幸福を見ると立ちはだかる。 実在する仮面ライダー。 黒き明星だ。 う~んっ、プリキュア仕事が長く続いたが、久しぶりの男仕事だ。 シャカが仏陀であることとは、彼が人間存在の中心になるだけの資質があったからこそで、人々の群れの中で特別に仏陀の称号を獲得した。 彼の教えの中心は「無」だ。 人が自らの存在に完全な自覚を持つと迷いはない。 それは自己の境地なので、他者に直接語る(悟らせる)「言葉は無い」 神の存在証明という哲学の命題は有名だが、仏陀型の賢人の特徴は、「自己の存在証明」ともいえるだろう。 証言をすると、仏陀に到達すると意図していなくても神様とお友達になれる。 人格神を地上に降臨させる強力なシャーマンの一人になるのだ。 文明勃興の熱気に満ちたバラモン僧たちは、神について多くを語る。 それは社会に秩序をもたらす効果があり、職務上の必然だ。 人間としての完成を成立させ、神と直通対話可能な仏陀の立場では、「バラモンらは何も語っていない」だ。 したがって、 君たちは何も語っていない。 私は何も語らない。 ならどっちにしろ無だという事にしましょうや。 そして、仏陀である幸福を語りながら、「あ~ら、かわいそうね~、君たちは虫けら以下ではいつくばって、何をするの苦しそう」「美しい世界すらも、苦痛がゆがめるのね~ン」(だからこそ地面を這いつくばる虫けらを人間にあてはめむやみに踏みつぶさないように配慮することが美徳だ。)ここにしかりと答えるものあれば「じゃあ、世界って全て苦痛なのね~ン、でも私は幸せよ!だってブッダだも~ン」このようにやらかした。 このように娑婆世界観というのが形成した。 そして、仏陀を所詮理解していない者たちだけが、シャカの伝承を語り継いだ。 そして、救いを祈願するという習慣が宗教に取り込まれる。 そして、無の論理が完全に喪失して、仏教の経典の編纂時期には実質的に信仰信への到達を意味する「空」に変容していた。 さてと、物語は今回以上です。 研究要素について検証のために質問していまして、基本的な募集回答は「読書感想文」ですが、ここは変人のたまり場で、ほぼ制限なしに好きな落書きをしてくれてかまいませんよ。

  • この事件も未だにウヤムヤで、死んだ者は死に損

    生徒のいじめ自殺で毎度くり返されるこんな隠ぺいを、みなさんはどのように感じますか? ●山形県立高畠(たかはた)高校の女生徒自殺から1年 11-25 05:45:27 | 教育と研究より引用 http://blog.goo.ne.jp/charotm/e/9172fda2ad7a3a5cc05b39e0acd3290e  さて、昨年11月22日午後に、山形県立高畠高校で2年生女生徒が校舎から飛び降り自殺をした。私は、この件について対処に不熱心な佐藤県教育長(当時)の姿勢を批判した(高校女生徒の死よりもワイン乾杯が大事なのか)。  それから1年、女生徒の一周忌法要に際し父親が彼女の実名と遺書内容の公開に踏み切った。山形新聞によると、 ●父親が遺書の一部を公開 高畠高の自殺女子生徒 11月24日(土) 08:47  高畠町の県立高畠高(山田陽介校長、354人)で昨年11月に飛び降り自殺した同校2年渋谷美穂さん=当時(16)=の一周忌法要が23日、米沢市の寺院で営まれた。  美穂さんの父親である渋谷登喜男さん(55)が法要後に記者会見し、美穂さんが携帯電話に残した遺書の一部を公開するとともに、真相究明のために第三者を交えた再調査を県教育委員会と学校に引き続き求めていく考えを示した。  美穂さんの遺書には、つらかった部分、自分の心情、訴え、両親に対する思いなどが記されており、このうちつらかった部分を写し取って公開したという。遺書には「皆が言った暴言痛かった。いつも泣きたかった」などと記してあり、クラス内でいじめを受けたことをうかがわせる内容。  登喜男さんは遺書を公開した理由について「いじめの事実は確認できなかったとする県教委と学校の調査報告書には納得できないので、第三者を交えた再調査を要望してきたが、県教委は再調査は無理との見解で、議論は平行線をたどっている。遺書を公開することで娘の名誉を守り、再調査を求める根拠を示したかった」と説明した。  美穂さんの一周忌に当たり、登喜男さんは「娘の死はいまだに受け入れられない。昨年6月ごろ、娘から『お父さんがいじめに遭ったらどうする』と何げなく聞かれたことがあった。その時、なぜ娘の言葉に疑問を持たなかったのかと悔いが残っている。時間は掛かっても娘が自殺した真相を究明する活動といじめ問題への取り組みを続けていきたい」と述べた。  法要には美穂さんの同級生、高畠高の教職員、親族ら約100人が参列し、登喜男さんは「自分の心も他人の心も大事にしてください」と生徒たちに呼び掛けたという。 http://www.yamagata-np.jp/newhp/kiji_2/200711/24/news20071124_0392.php  父親の渋谷登喜男さんは、県教育委員会と県立高畠高校の調査内容に納得が行かない気持ちなのだ。「いじめの事実は確認出来なかった」とする県側の見解に対し、「では何故娘は自殺したのか、死を以って何を娘は訴えようとしたのか」とのやるせない思いが募るのは当然だろう。県立高畠高の山田陽介校長は、これ以上の調査をする考えは無いようだが、なお遺族の理解を得る努力をすると言う。

  • ブッダについて

    ブッダの人生観について教えてください! お願いします!

  • ブッダについて

    閲覧ありがとうございます。この世を一切皆苦と表現したブッダですが、何故子どもをつくってはいけないという教えを作らなかったのでしょうか?

  • ブッダ

    ブッダの説いた「無我」について詳しく教えていただけませんか?? ウパニシャッドやアートマンや五蘊などの点で特に・・

  • 「美女」「湯けむり」「事件」・・・・温泉。

    こんばんは。 「美女」「湯けむり」「事件」・・・・。 と聞いて貴方はどこの温泉を連想しますか? 「美女」「湯けむり」「事件」・・・・。 実体験としてそう言う温泉はありましたか?(事件はないにしても) 宜しくお願い致します。

  • 両親に子どもの人生を諦めさせるには?

    両親に「早く結婚して子供を産め」「早く正社員になれ」とよく言われます。 しかし私はこれまで一度も異性に好かれたこともなく、また職歴も汚いです。 そのため「今まで異性に好かれなかった女が結婚できると思うの?私は独りで死ぬつもりだから諦めて」「難関資格を持ってるわけでも無い、こんな職歴の人間を正社員で雇う会社がまともなはずがない。底辺で生きるしかない」と伝えていますが、どうにも響きません。 子ども(私)が社会的に求められていない=欠陥があることに対する実感が無いんです。「自分の娘はなんとかなるはず」と思っています。社会が見えていません。そんな甘い世の中ではないのに。自分の子どもが孤独死確定していることに対して、「育て方を失敗した」と認めたくないのでしょうか?