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どうして生命は産まれたの?

莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)の回答

回答No.28

 回答番号:No.22 & No.23 再投稿  ☆grooniさん:ですがもし自分が意思のある海水だとして、私は海という広大なものの一部だったんだということを知る事ができたら幸せに感じるかもしれません。  ★投稿者:意志と意思を使い分けておられますか?私は法学専攻で、この区別に最初に戸惑いました。いえ区別がつかないものでしょう。うぅん勝手にというわけでもないのですが、仕切りを自分でして、区分けの中でいる。一種の自己確認のために。それを取っ払う、必要をなくせば、仕切りも区分けもないのでしょうね。  ☆grooniさん & ★投稿者: mmkyさんですね、8番の。  『思いの因子』って、『思い』という『因子』っていうことですね。  必然、偶然、一定の目的というか意思ですね(この場合は意志へと現しますね)。  関連して:  モーゼですか、ファラオの座の前で、杖を大蛇に変え、ファラオは顔色を変えます。そしてその蛇を手にし、元の杖にもどし、ファラオの眼前のナイルに入れて、攪拌します。何と杖の廻りから、水の色が碧にかわります。そしてやがてナイル全体が碧となります。肥沃なナイルの濁った水が澄んだ碧に。  ファラオは口も利けず硬直します。モーゼは下がります。  翌日ファラオはいいます。『大衆幻術を使ったな』、『あぁナイルか、上流の碧の岩が壊れてとけてな、流れてきたことが分かった』と。 このように一切の事は、所謂る物象、物証の次元で理解し、見、生活することもできるし、異なる面もある。  宇宙は物象の衣で覆わないと、顕現できませんから。それが創造ですよね。  そうであるから、物象の意識では希薄な当為の世界、意志の世界は感受できない、存在していない。そういうことなんでしょう?  (回答番号:No.17のお書き込みへの私の思いでした)  23番のことです。  ☆grooniさん :、、、と表記したように空間の広がりと時間の経過という物は同じことであるというふうに考えています。  ★投稿者:私は時間と空間という観念が今のように、私たちにあるのはいつからかな、と思いました。  どうも明治以降ではないですか?その前って、江戸時刻でもわかるように今の時間や空間でないんですね。  時間と空間って、昔のひとが感じていたように、同じことではないでしょうか?grooniさんも私の質問的確認に対して、ノーといわれております。私の勉強した中のカントでは、二つのアプリオリ・カテになっているようですが、この考えに振り回されてきました。  ☆grooniさん :>それと同じようなことになると思いますが、時間とか空間だけって何か確認する仕方がありましょうかね? という質問に関しては申し訳ないのですがどういうことをお聞きしているのかがよくわかりませんでした。  ★投稿者:時間・空間ということですが、これをカントの修正をしてアプリオリ・カテだとしても、認識や紡ぎ、経験の用具であるカテとしても、一つのものだとするとします。  事物や、経験内容がない、時間・空間というものはアプリオリに存在しているのか。  それとも経験や事物と一心同体なのか、或いは従属しているのか。  という疑問だったのです。心理学などの問題でしょうか。認知心理の分析ではなく、存在論という面からのご見解をお教え賜りたいと存じたのです。  時間・空間は人間の意識にあるか、外界のカテか。  事物や経験を含有していない、このものだけというものは存立しえないとなさるかどうか。  その正体は何かという事のお教えを懇請した次第です。  どうかよろしくお願いします。   ◎参考:ターレスを連想するかも知りませんが五要素というものを私たちは教えられています。創造のカテであり、私たちは認識のカテであるものです。  それは、中国の木火土金水になぞらえる人もいますが、これとは全く性格も説明対象も違うもので、土(固形)、水(流れ、力、意志、勢力)、火(構え、仕方)、風(プラナ、意識と生命)、空(アカシャ)というものを抽出しております。  これは人と宇宙のの中にあって、世界を構成し、経験し、認識し、紡ぐものとなっている。という事なんですね。

grooni
質問者

補足

krya1998さん、度々コメントありがとうございます。 >意志と意思を使い分けておられますか? すみません特に使い分けているつもりはありませんでした。本来感情を持っていないだろう海水が感情を持っているとしたら、という意味で使いました。特に深い意味もありません。 でもそうですね、これからは使い分けようと思います。 krya1998さんはおそらく私より二周り以上ご年配の方だと思うのですが、そのせいか私にとって少々難解な文章をお使いになられますね。(実は自分の勉強不足の言い訳ですが。) この掲示板ではそんな方とも言葉のやり取りができるというのは素晴らしい事だと思います。こちらの理解不足や言葉足らずな面はどうかご容赦ください。 ここからは私の単なる持論です。 私は時空という言葉がありますように、時間と空間を便宜上使い分けることがあってもその実同じものだと思っています。 アプリオリという言葉は初めて聞きましたが、時空という存在が概念的なものかと聞かれたら、そうかもしれないと思います。 では私たち生命が存在しなかったら、はたしてこの時空間も存在しないといえるのか、それは難しいですが私はノーだと思います。 例えばですが、インターネット世界というものは我々がこうして過ごしている時限とは違うところに時空と呼べるべきものがあるのではないかと考えたことがあります。 そう考えるとインターネットの広がり方というのはどことなく私たちの宇宙の広がり方と似ていますよね。コンピューターウイルスというものが生命と呼べるものだとしたら、そのウイルスが存在する前からそこに時空と呼べるものはあったでしょう。 つまりはそれと同じように私たちが存在していなくても宇宙というのは存在していると思うのです。 質問にお答えするとしたら、外界のカテであるということでしょうか。 まあインターネット=宇宙説の立証についてはあらためて他の質問として投稿してみようとは思いますが、そう考えるとインターネット世界の住人からしたら私たち人間が創造主ということになりますね。 と、話をもとに戻しますが、最初におっしゃられていたkrya1998さんの思想というものをあらためてお聞きしたいです。

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