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やはり、最初に地球ありき?そしてその奇跡はこじつけでもないと、とても考えれない!(長文です)

若い頃は確かに私もご多分にもれず、壮大な宇宙の果てや起こりといったこと、また、この地球の起こりや生命の進化といったことにとても興味がありました。 しかし年齢を重ねて、人生経験や日常の生活を日々繰り返していくうちに次第に(勿論、若い頃からの宇宙に対する好奇心は薄れたといえどもまだまだ健在ですが)その考え方というか、つまり人生も先が見えてきた?感もありまして未知数だらけの宇宙に次第に関心が薄れ(考えてもきりがない、というか私の存命中はもとより、はては人類生存中に至ってもおそらくは解き明かされないであろう)、そもそも最初にビッグバンからの宇宙ありきで、その広大な宇宙の或る位置の無数の星の集まりのその中のそのまた或る恒星からちょうどよい距離にあったたまたま一つの惑星がわが地球であり、その進化発展が類稀な奇跡的な星として存在しているに至るといった通説はもう聞き飽きた!という感じなのです。 それより確実に確かなもの、つまり宇宙の中に確かにこの地球がぽっかり浮かび、この地球上でしか生命は存在しないのだということ(=生命という「物質」は広い宇宙でこの地球上だけのもの!)。その多種にわたる生命体のなかで人間だけがその歴史の中で宇宙というものを認識している。言い方を変えれば、宇宙は人類によって存在そのものが認識・確認され、また地球(に存在する人間)を中心とした宇宙自体もやがて人間に発見・認識される必然性を待っていたといういわゆる「人間原理」(注:強い・弱いを含む)に辿り着くのです。 あ、決して私は哲学的・非科学的な考えを前に出そうという気はないのです。はなからそういった問いかけであれば違うカテゴリーで質問致します。 確かに気象(学)などは太陽・月といった我々に身近な天体あっての地球上に及ぼす様々な影響や変化を捉えますし、勿論、天文学はれっきとした自然科学の一分野であります。 これら専門分野の研究者は日々、地道な観測やそのデータの蓄積からひとつひとつ確認や貴重な発見をしているのも周知の事実です。 それはそれで尊いのですが、まずこの地球を考える時・・・もはや通説ですが、つまり宇宙空間に漂う塵やガスが長い年月かかって集まり、星(惑星)を誕生させていったと、そしてやがてあらゆる好条件がいくつも重なり水や太陽光線から最初の生命=タンパク質から細胞へ、そして下等生物が誕生し、やがて進化・発達を遂げ、様々な種に枝分かれしていった?・・・これも人間のご都合主義で学問的に創られたつじつま合わせ?に過ぎないとも思えますしね。 うまく言えないのですが、地球は宇宙の中心で、その中にいる人間は奇跡的とも言えるとてつもない確率での進化を遂げて高等生物(知的生命体)になったわけでもなく、もともと存在すべく必然的に存在した(アカデミックな宇宙誕生論に遡れば宇宙誕生後のある時期に必然的に銀河系内太陽系第3惑星にやがて人間が誕生するようになっていた)。地球を取り巻く無限?的な宇宙空間や無数に存在する星の数々も地球(人間)から見れば添え物にしか過ぎない・・・ まあ、そのようなことを思う(あえて自分自身に言い聞かせる感じ?)今日この頃です。 宇宙・天文学に科学的な見解をお持ちの方々には非科学的で甚だ憤慨のお気持ちを起こさせる由かも知れません。しかし、人間の学問など所詮こじつけや不可解なものほど都合よく理論付けされているとも思えなくもないですし・・・ 科学はこの数世紀で確かに目覚ましく発展してはきましたが、未だ、光合成を行う葉っぱ一枚や単細胞一つすら作れません。 地球上の様々な生物が、さも学者の理論にかくもうまくハマる(こじつけ?)ほどそんなにきちんと系統立って進化・発達を遂げてきたのでしょうか?・・・ すみません、支離滅裂でそもそも質問になっていないかもしれませんが皆さんのご見解・ご意見を伺えればと思います。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • mtld
  • ベストアンサー率29% (189/643)
回答No.7

客観的認識は認めないと話が進みませんね? 客観的 事実 だけが 真実 を表すとは限りませんが 真実の断片若しくは別な形の現れ と言って良いのではないでしょうか? ビッグバン説は最有力候補である事は間違いありませんが証明された訳ではありません しかしビッグバンの発生そのものが不自然です 突如爆発し宇宙スケールで膨張 何故そんな事が起こったのでしょうね? ビッグバン説はこれに対して答えがありません 何かの力が働いたと考えるのが自然ではありますが 現在の科学レベルではそんな超~超~巨大な力は想像すら出来ません 過去ログにありましたが 天文学者に 宇宙の事はどれ位解ったのでしょうか? の質問に 1%位かな? だそうです つまり 真実は何時も見えている訳ではありませんし現在の科学で全て掴める訳でもありません 微々たるものです でも過去に比べれば格段に解ったのではないでしょうか 同時に新たな疑問が出て来て まるで扉を開けたら その先に扉があり それを開けたら 又扉 そんな具合です 先はまだ遠い事を予感させます 今後の進展を見守るほか無いのではありませんか? そのような状況でありながら僅か100年程の短期間で格段に進んだ為か 科学万能と思われる現代社会の風潮ですが細胞一つ作れない事からでも謙虚になりたいものです 最近になってやっとロボットが歩けるようになりましたね でも私の思い付き計算では精々1時間位で電池切れの為に動けなくなるでしょう 30分位かも 人一人持ち上げたら果たして100mも運べるでしょうか? ですので確かに言われる通り 後付け で つじつま合わせ に間違いありません きちんと系統立って進化・発達を遂げたとは思いません 何かの力が働いていると考える方が自然です ご存知かと思いますがアインシュタインは晩年に こう言っております 「宇宙意思有り」 と ですが 大方はそんな事ある訳が無いと思い込み 思考が停止しているのです 為に先に進めないのだと思います 回答になっているでしょうか?  自信有り としたのは別な根拠を私自身確認しているからです。

jupitan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 扉が延々と続くお話、なるほど納得です! 人類史上、先の100年間ほど科学が目覚しく発達した世紀はないと思います。例の細胞の例え、分かって頂き感謝です。笑 仰せの様に、二足歩行ロボットがやっと出現しましたよね。バッテリー消耗計算、ご苦労様です。でも、やはりモーターとバッテリーなのですよね。人間(動物)は骨に付随した筋肉・腱・靱帯でしなやかにも力強くも思いのままに動かせるのに・・・まだまだというか、到達までの道のりは長いように思われます。 やはり、つじつま合わせと思われますか。アインシュタインも然りですね・・・ ここにきて何だかやっと?同じ考えの方に出会えた感がしました。

その他の回答 (10)

回答No.11

僕自体は化学系のエンジニアですが、一般に科学と称する手法は過剰に神聖視されてきたのではないでしょうか?反証可能性といっても宇宙論なんて反証不可能なんだから科学ではないですね。そもそも何をもって実証できたと言うのかも謎なんですね、ある日ニトログリセリンの融点が世界的に変化するかもしれない。 20世紀に科学は大きく進歩したと言われますが、この時使われる科学と言う言葉は後付けなんですよ。実際の科学者は試行錯誤や直観でモノを創ってきた、ある程度体系化された基礎知識や技術を使って。基礎学問にしても一般化された狭い世界を断片的に巧く説明できるだけで、この世界の全ての事象をまとめて数式で表現することなどできないんですね。 科学にしても人文学にしても、結局は人間の関心を誘うものや実用的なものしか対象にしていないんですね(芸術でさえも)。魅力のある側面から世界を理解するためのアプローチの仕方の一つでしかないんです。この点で自らが欲する事のみしか行わない他の動物と一緒なんです。(ただ圧倒的に複雑な快楽を求める。) 人間原理についても、宇宙の中で自然発生した人間が宇宙を認識するということが可能なこと自体に何の問題もありません。そもそも人間も宇宙の部分ですし、認識できる世界の範囲が他の生物より多少広いだけです。そもそも本当の問いは、何をもって認識していると言えるのかということです。認識とは何であるのか?という問いがはじめに来るべきで、宇宙論などは僕にとっては瑣末な問題ですね。こうなると人間原理のような人間中心主義になるようですが、宇宙(この世界)を考えるならば、やはり考える人間自体を問いの出発点とするしかないのではないでしょうか。

jupitan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 とてもいいことを仰せです。 静かで淡々とした文章からその専門(化学)分野から核心であるところの真理を追究される方のみが語れる深みのある言葉と思いました。 「科学にしても人文学にしても、・・・他の動物と一緒なんです。」 確かにそう思います。人間は利口で、ずるい動物です。極めて欲に満ちています。だからこれまで地球上のあらゆる資源・環境を実に上手く利用・実用化してこれたわけです。自然を認識するために科学を発展させてきましたし・・・しかし、人間の存在と科学の発展はここにきて逆に自然破壊などの問題を抱えてしまいましたが。 科学も芸術も暮らしもetc・・・全て自分達の都合のよいように発展してきた感がありますね。勿論、それは当然なのでして、人類の長い年月(歴史)の中であらゆる現象やその起源、経過、結果、また物事の考え方に普遍的なもの、絶対的なもの、真理といったものがあるということも自然とに考えてきました。 「意識」「認識」するという点で人間は他の動物などとは全く違う存在です。それは現在、考えられる限り我々人間をおいて他には見当たらないから。 仰せの様に人間原理は科学的な見地からもとても自然だと思えます。 その宇宙論では、宇宙の意志により知的生命体としての人間が誕生させられたとあります。宇宙の精神が自ら創造した宇宙を認識させるため人間を誕生させたと、やがてその存在を感じた人間が神を創造したのでは・・・だとしたら宇宙の意志が反映された自然を認識することは、宇宙の精神を知ること、さらには神を知ることになるのでは?・・・ ただ、ここでの神は宗教上のものとは違い、最終的に科学で認識出来る何か?だとも思えます。

回答No.10

>人間原理が即ちゴールであると同時にスタートのような気がしてならないのです。 この意味がわかりません。 人間原理を誤解されているのではないでしょうか。 なぜ地球が、太陽系が、宇宙が、物理法則が、こんなに人間に都合よくできているのでしょう。 その疑問に答えてくれるのが人間原理ですが、人間原理は何も導いてはくれませんし、神は必要ありません。

回答No.9

No.6で馬鹿げていると書いたのは、「この地球上でしか生命は存在しない」も「宇宙には地球以外にも生命は存在する」も主張できるほどデータはありません。どちらを主張するにしても私はそう思う程度の話です。 しいて言うならオッカムの剃刀で不要な仮説が必要ないほうを選択すべきです。これも価値観によって違ってくるので難しいところですが。 ところで逆質問ですが、あなたが「この地球上でしか生命は存在しない」と考えられる理由は何でしょうか。 1.自己複製する初期の生命の誕生が難しい。 2.自己複製だけの初期の生命から突然変異などで、自己複製能力を保ったままバリエーションを増やすことが難しい。 3.バリエーションと自然淘汰で進化し、人間のような高等な生物ができることが難しい。 4.その他。

jupitan
質問者

お礼

さて、オッカムの剃刀、自己複製、等々はこの場合、ちょっと措くことにしましょう。 地球と地球以外を考えた場合、この両者を唯一客観的に認識することが出来るのは我々人間です。この広大な宇宙に恒星やそれを回る惑星・衛星の類はそれこそ無限に(星の数)程あるでしょう。ただ、現在、知的生命体はもとより何らかの下等生物・原始的な単細胞すら他の天体においてその存在は確認されていません。仮にどこかに地球と同じような惑星があり、様々な環境や条件が揃ったとしてはたして同じようなものが誕生・進化するでしょうか?YESにしてもNOにしてもこれは科学的推測や仮定の域を出ず、誰にもはっきりと答えは出せません。 ただ、確実に言えるのは地球という星が確かに宇宙空間に存在し、様々な種が日々、誕生・成長・繁殖・滅亡を繰り返しているという事実。そして、はじめて地球外に飛び出し客観的にその姿を見ることができたのは今のところ人類だけです。 宇宙の果てや他の惑星に於ける生命の存在などはおそらく当分?は分からないでしょう。いえ、永遠に分からないかもしれません。 確実に分かっているのは、「生命」という「有機物質」が存在するのは今のところこの宇宙広しといえども「地球」だけです。そして地球に住む最高の知的生命体である人類だけが日々の本能的な生命活動はもとより、より高度な知能・思考により例えば自己と他、大きくは地球とそれ以外をはじめて認識・確認したのです。もっとも我々より以前に地球はありましたし確かに長い間には進化?もあったでしょう。しかし根源的な「では一番、最初は?」については仮説の域を出ません。 我々は地球という唯一無二の星に居ながらほぼ現在しか分からない。言い換えれば今を生きるべくして生きている。でも、それが本来の姿です。過去も未来も、それは謎であり明確な答えなど出ないと・・・このことは地球以外についても同様かと。 アカデミックで極めて科学的な思考から決して離れたくないけれど、しかし「人間原理」の如く神・哲学といった理屈を越えた「何か」がその根底に確かにあるように思えるのです。人間であるが故にそこに行き着くとでも・・・私は今、かつて宇宙飛行士たちが見た筆舌に尽くしがたい神の啓示の如くの感動や、多くの科学者がその研究の果てに実は辿り着いた人間原理が即ちゴールであると同時にスタートのような気がしてならないのです。

  • N64
  • ベストアンサー率25% (160/622)
回答No.8

アインシュタインは、その当時の通念に従って、宇宙項を方程式に追加したそうですが、これなどは、まさしく、「つじつま合わせ」なのでしょうね。あのとき、もしも、「宇宙は、加速膨張している。」と予言していたら、相対性理論でも、ノーベル賞を取っていたかも知れませんね。ただ、なにもかもつじつま合わせ、というのは、悲観的すぎではないかと、思います。もっと、楽しく前向きに考えましょう。私も66歳の高齢者です。がんばりましょう。

jupitan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

回答No.6

人間原理が宗教的といわれるのは、証明も反証もできないからです。 ただ一ついえることは、「この地球上でしか生命は存在しない」と主張するのが馬鹿げていると同程度に、「宇宙には地球以外にも生命は存在する」と主張することも馬鹿げています。

jupitan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 どちらも馬鹿げているとは思えません。 仰せの中で、特に前者・・・ かつて米国の壮大なアポロ計画で実際に月の土を踏むことが出来た、たった12人の宇宙飛行士が異口同音に「漆黒の宇宙空間にぽっかりと浮かぶ我が地球を見た時、地球と地球以外の宇宙のすべてとは、まったく別物だと確信した。その否定しがたい事実が目の前に突きつけられるそのとき、これは神の直接の創造物以外ではありえないと思った」と言っています。 ・・・科学者でもあり正しく強い意志とフロンティア精神に満ち溢れた彼らをしてこの説得力ある言葉。 我が国でも、物理学の雄、京都大学の松田卓也博士が「人間原理はそれ自体が研究の対象というよりは、ひとつの哲学である。」と著書「これからの宇宙論」の中でも述べておられます。さらに、「人間原理の立場に立つことによって、もろもろの考え方が、パッと目が開けたようになるし、宇宙からさらに話をすすめて文明の進化といったものにまで一つの暗示を得られるような気がする」と書かれておられます。 ホーキング博士の:「我々はどこから来て、どこに行くのか?」というような、いつまでも暗闇の中を手探りするように運命づけられているのではなく、宇宙を解明する完全な理論への突破口もやがて開かれることでしょう。そのときこそ私たちは本当に「宇宙の支配者」となるのです・・・この自信に満ちた言葉こそが「人間原理」の考えに基づいたものと思われます。

noname#56851
noname#56851
回答No.5

とても宗教的ですね、まるでガリレオを裁いた側の人間が現代に現れて、「それでも地球は止まっている」とつぶやいているような感じがします。 感想まで、でも面白いです。 ここが討論禁止なのが悔やまれますね。

jupitan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 まるでガリレオを・・・の件、思わず笑ってしまいました。 面白いとの事、とご賛同頂き嬉しく思いました。

  • NAZ0001
  • ベストアンサー率29% (508/1743)
回答No.4

>かつて著名な科学者の講演内容から引用しました 対象について勉強したのではなく、「誰かが何を言った」だけの知識ですか?。 あなたのいう「光合成」とは何のことですか?。 ちなみに。 葉緑素をはじめとする光合成たんぱく質を利用した太陽電池なら、かなり前に開発されています。「太陽電池 葉緑素」でGoogleてみてください。 「太陽光をエネルギー源に、水と二酸化炭素から炭水化物を合成する」なら、化学的に十分可能です。 単純に言って、生物がコンパクトにやっていることをコンパクトに代替することは、難易度が高いですが。代替自体は十分可能なことが多いですし、さまざまな分野で研究がされていますし。その生物そのものを利用するのも技術の範疇です。 再度書きますが。「なぜ出来ないのか」「どうすればできるのか」について、もう一歩踏み込んで勉強をしましょう。あなたのやっていることは「自分の望んだ回答を引用している」だけです。

  • NAZ0001
  • ベストアンサー率29% (508/1743)
回答No.3

学問とは、知れば知るほど、自分が何を知らないかが増えるものです。 「先が見えてきた」というのは、地平線を望遠鏡で見ているようなものです。 >光合成を行う葉っぱ一枚や単細胞一つすら作れません。 せめて、これくらいの質問に「なぜ出来ないのか」「どうすればできるのか」を理解する努力をしてから、悩みましょう。

jupitan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 面白いたとえですね。 尚、光合成を行う葉っぱ一枚や単細胞一つすら作れません。・・・ですが、 これは質問ではなく、かつて著名な科学者の講演内容から引用しました。ちなみに光合成を行う機械を開発出来たとして、大学等のかなり広い実験室一部屋分は楽に占領するだろうとのことです。植物はそれを小さな葉っぱ一枚でおこないますが・・・

  • Sompob
  • ベストアンサー率21% (110/516)
回答No.2

最初は「屁理屈」が必要でしょう。説明する為に。 貴方の主張自体、屁理屈だし。 しかし、実験の裏付けが取れない屁理屈は消えゆくのみ。 所々、カン違いしているなとクビを傾げる部分は、先ず、 「奇跡的とも謂える途轍もない確率での進化」の下り。 貴方の想像は... 文字を覚え始めの幼児が遊ぶ「文字」のブロック。 此れを何億、何兆個も用意して、よくかき混ぜて置く。 ここから、ブロックを1ヶづつ、十分な數を取り出した 結果、たまたま、それが小説だった.... こんな事は到底あり得ないから、此処に神の御意が働 いているに違いない。 こうでしょ? 確かに。化合物が、全くアット・ランダムに他とくっ つくならば、貴方の謂われる通り。 ボクでも、神サマ、何て事、して下さるんですか、っ て謂いますよ。 これと同じ事を200年前に、得意に成って主張した、 英国の神学者も居りましたが... 生憎と、原子は、出逢う脇から、女と合体するが如きの 無節操はしないの。 ある程度、組み合わせは決まってんの。水素と酸素が出 逢えば、水と呼ばれる化合物しか出来ない。 HO2,H4O6 なんて化合物は金輪際出来ない。 (充分な)材料と環境が整えば、最初の一突きは自動的 に始まるでしょう。どっちに突つかれたかで結果は多少 変わるでしょうけど、何れにせよ、充分な時間が在れば 知的生命の発生は免れ得ない。 ましてや、これを「進化」だなんて、トンでも無い思い 上がりだよ。ボクに謂わせれば、「退化」。 生命の主要な機能の一つが、環境に応ずる事、ならば、 人間は単細胞程にも適応力は無いよ。天地異変が起き れば、絶滅でしょうね。単細胞は生き残り。 この観点から謂えば、 環境適応能力を失って、何が「進化」なもんですか。 それを「進化」と称するは、自己中心的優越の現れ以 外の何ものでもないでしょう。バカも休み休み謂って くれ、ですよ。全く。 それから、科学は課程だから、終わりは無いの。世の中 解明する事が無くなった...こんな事は宇宙が終わる まで頑張ってもあり得ない。 どんな小さな一部分も、全体と同じだけの複雑さを持っ ているのが宇宙だから。 建設途中のビルを見て、それが完成品と思ってない? 確かに、細胞一つ満足に作れないけれど、それが何か? 現状、その働きを充分理解していないから、真似したく とも出来ない。それだけの話。 だから、けしからヌ、不満だと主張されるおつもりか? 子供(人間)は大人(神サマ)ほどにモノを知らぬから ふざけてる、との主張にも聞こえる。 生憎、宇宙には大人は居ないから、子供は自力で知るし か手が無い、その(終わり無き)学習過程が科学でしょ うに。 何か、根本的にカン違いしてるとしか思えぬ。 真理は一つのみ。科学だけが真理へ近づく唯一の道でな い事は認めるが、最も手間の掛からぬ方法が科学。 これがボクが信じる所の科学。

jupitan
質問者

お礼

「ボク」・・・はこれまで一度も質問したことのない回答専門マニア? このgooを借りて質問する側は、そのやがて寄せられる回答に感謝しながらも一喜一憂するもの。これは実際に、質問した者でないと分からない。 時に、随分と子供じみた、大人にあるまじき最低限の言葉のマナーさえも劣る輩がいる。当然、その回答内容を読ませて頂く以前の問題。 お互い顔も分からないネット上の相手とはいえ、仮に反論や意見があろうともまずは己の感情を抑えて言葉使いに気をつけながら一応相手のことを念頭において回答するのがまともな人のやり方。 でも、いちいち気にはしていない。世の中いろいろな人がいるから。 ここは、ひとつ大人になってドーンと構える!私は常にそうしている。 だから、自身が回答する時も言葉のマナーには細心に気をつけてるし、仮に反論や異論がある時も一歩下がってまずは丁寧に説いてみる。 おかげでいままで、質問時は数々のご回答に感謝し、回答時は質問者の方から多数感謝されたりで来ている。 勿論、自由なのだが、得てして回答専門の人は常に一方通行で語り口がごう慢な感じが多い。バーチャルなため、素性の知れない似非(えせ)専門家気取りも多い。良回答獲得のオンパレードでやたら上得意・天狗も多い。それが文章にも如実に出ているのですぐに分かる。 でも、なんか錯覚してない?? >自己中心的優越の現れ以外の何ものでもないでしょう。バカも休み休み謂ってくれ、ですよ。全く。 >何か、根本的にカン違いしてるとしか思えぬ。 一体、誰に言ってるのですか? 面識も無く素性も分からないどこの誰かも分からないような人間にこのようなことを言われる筋合いはない。よって、この文章、そっくりそのまま貴方にお返しする。

  • tappara
  • ベストアンサー率37% (260/694)
回答No.1

認識をするためにはこじつけや理論が必要なのでははいでしょうか? 認識なき物は存在していないという哲学的な考え方とかはすきですが、 そもそもの前提が地球って人間認識に基づいたものの認識解釈の問題でしょうから地球って語る時点ですでに前提が人間認識から始まってます。 理論が後付けって前にすでに理論を付けるべき主存在の認識自体が後付けなんですよね。 そもそも地球の誕生理論についてつじつまだって前に地球ってものの認識自体が後付けですよね。(地球だってあるべきものに地球って共通認識で呼んでるだけです。理屈ってのもあるべきものに人の言葉を付ける行為です) ちなみに、机といすの違いを説明できないのと一緒ですね。 机に座ればいすでしょうし、言葉と認識のみが両者の違いを分けてますね。 ここに理屈でその違いを分けようとしたら体系的な説明を作ることになります。だって正解がない以上理屈の骨組みをしっかり作っていくしかないですから。

jupitan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 地球を語る=人間認識という前提、仰せの事柄確かに・・・ですね。 正解がない以上、何かしらで理屈を用いるしかない・・・これも分かります。 その、文章からソフトな語り口、かつ的確に核心をついたご回答でご回答者様のお人柄が分かるようです。とても参考になりました。

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