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[心よりお詫び申し上げます」は合っているのでしょうか?

いつもお世話になっております。 「心よりお詫び申し上げます」の使い方は合っているのでしょうか? ある日本の方が回答くださった文章を引用します。 {「心より」を使う人は、たぶん、「心から」よりも「心より」のほうが、表現として丁寧(ていねい)だと考えているのかもしれません。 しかし、マスコミなどでは、起点の意味での「より」は、できるだけ使わないようにしています。 人それぞれに考え方があるとは思いますが、テレビ・ラジオの放送でアナウンサーが「心より」と言ったときは、「この人は現代の日本語を学習していないな」と感じます。} 私はニュースなどで謝罪する場面で普通に使われていますし。辞書でも「多く書き言葉や、改まった言い方に用いられる」と書かれているので 使うのは問題ないと思うのですが。 皆様は「心より感謝いたします」と「心から感謝いたします」どちらをお使いになっていますか? 作文に使うとしたら「より」と「から」どちらを使うべきだとお考えですか? 回答お願いいたします。 また、質問文に、間違っている部分がありましたら、直していただければ幸いです。^^

  • no1eun
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  • ベストアンサー
  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.2

no1eunさん、またお会いしましたね。あんにょんはせよー ^^ 鋭いご質問ですね。 日本人の多くも知らない・・・というよりは気にしたことさえないと思います。 辞書を引くと、「心から」=「心より」となっています。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%82%88%E3%82%8A&stype=1&dtype=0 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%81%8B%E3%82%89&stype=1&dtype=0 しかし、現実には、使われ方が異なると思います。 私の場合は、周囲の人やテレビ出演者が使っている言葉を、 習慣のような感じで会得しただけです。 さて、 お詫びと感謝のほかに、例文をもう3つ付け足したいと思います。 私ならば、このように言います。 ・心よりお詫び申し上げます。 ・心より御礼申し上げます。 ・心[から/より]感謝いたします。 ・心から愛する。 ・心から楽しめる。 こう並べてみると、 相手に何かを(強く)伝えることを主眼とする場合には「心より」が使われ、 単に自分の思いを表現する場合には「心から」が使われる、 という区別があるような気がしてきました。 参考として、Googleのヒット件数を調べてみました。 私の感覚(上記)と一致しているように見受けられます。 ・心よりお詫び申し上げます。 513千件 ・心からお詫び申し上げます。 186千件 ・心より御礼申し上げます。  118千件 ・心から御礼申し上げます。  47千件 ・心より感謝いたします。   146千件 ・心から感謝いたします。   421千件 ・心より愛する。       12千件 ・心から愛する。       346千件 ・心より楽しめる。      0.2千件 ・心から楽しめる。      40千件 >>>質問文に、間違っている部分がありましたら、直していただければ幸いです。 敬語の使い方は、素晴らしいと思います。 重大な間違いはありませんが、こまごまとしたところで修正する部分がありますので、以下に書いてみますね。 まず、この文についてですが、 --------------------- 私はニュースなどで謝罪する場面で普通に使われていますし。 辞書でも「多く書き言葉や、改まった言い方に用いられる」と書かれているので 使うのは問題ないと思うのですが。 --------------------- 主語は「私は」で、述語は「思う(のですが)」ですよね。 主語と述語が文の中で遠すぎると、非常に読みにくくなります。 ですから、修正案は、 --------------------- 【修正案1】 ニュースなどで謝罪する場面で普通に使われていますし、 辞書でも「多く書き言葉や、改まった言い方に用いられる」と書かれているので、 使うのは問題ないと私は思うのですが。 --------------------- です。 あるいは、「私は」を消してしまってもよいです。 主語を書かなくても主語が何であるかがわかりきっている場合には、 その主語を省略できます。 (日本語の特徴の一つです。) --------------------- 【修正案2】 ニュースなどで謝罪する場面で普通に使われていますし、 辞書でも「多く書き言葉や、改まった言い方に用いられる」と書かれているので、 使うのは問題ないと思うのですが。 --------------------- また、下記の2つの文で、「の」が欠けていますから、付け足さなければいけません。 ・皆様は「心より感謝いたします」と「心から感謝いたします」【の】どちらをお使いになっていますか? ・作文に使うとしたら「より」と「から」【の】どちらを使うべきだとお考えですか? 以上、ご参考になりましたら幸いです。

no1eun
質問者

お礼

sanoriさんチョアヘヨ(韓国語で好きですという意味です) sanoriさんの回答を読んで”なるほど”と思いました。 テレビなどの謝罪会見でいつも「心よりお詫び申し上げます」を使っている気がしました。 作文は本当に難しくて会話ならなんとかその場の空気を読んで答えるのですが。会話では「の」の省略とか気にしないのですが。作文とかだったらすごく気になって前に進めません。(泣)sanoriが教えてくださった部分を気にしながら作文を書いてみます。私頑張ります。^^

その他の回答 (1)

  • 3nk
  • ベストアンサー率28% (619/2184)
回答No.1

「から」という意味の「より」は文語(書き言葉)です。 (4)参照  ↓ http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/200506/m0u/%E3%82%88%E3%82%8A/ アナウンサーが「心より」と言うのは違和感があります。 放送では、口語(話し言葉)の「から」を使うのが正しいと思います。 文書で「心よりお詫び申し上げます」と書くのは間違いではないと思います。

no1eun
質問者

お礼

話し言葉では「から」、書き言葉では「より」ということなのですね。 ^^ 分かりやすい説明ありがとうございました。^^

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