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人格を変える為の努力について
堕落した人間が、良い人格になろうとするには、意識して思考した上で、行動をしないといけないので、常に努力しなければ保てないものでしょうか? いずれは、特性となり身につくものでしょうか? 良い人格者は、意識しなくても自然と考えや言動にその人格が表れると思うので、人格を保つのに努力は不要なのかな、と思うのですが、実際は、良い人格者でも小さな欲求(心の中の天使と悪魔)と日々、戦っているものなのでしょうか? (人格とは、幼い頃決まると言われている気質ではなく、人への思い遣りや、誠実さ、協調性などの人柄かと思っています。) そう考えると、堕落した人間と良い人格者は、努力するかしないかの違いになりそうだと思います。 (思い遣り等の深さなどは様々だと思いますが)
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質問者が選んだベストアンサー
「自己創造の原則」がいいと思います。加藤諦三氏がウェインバーグというアメリカの精神科医の本を訳したものです。 かなり説得力ありますが、古本ばかりのようなので、アマゾンで探すのをお勧めします。
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堕落した人間は、向上する為に常に努力が必要だと思います。努力していずれ習慣となれば身についた証拠だと思います。 人格の高い人(天使)は、人格を保つのに努力は不要なのですが、人格の低い人や悪い環境(悪魔の囁き)にそそのかされて駄目になる人もいます。
お礼
返答ありがとう御座います。 悪い方へ落ちるのは一旦どうでもよくなると簡単ですね。 努力が必要ですね。
- kyoutoukyo
- ベストアンサー率6% (97/1560)
>堕落した人間と良い人格者は、努力するかしないかの違いになりそうだと思います。 違う。 堕落した人間が努力して良い人格になろうとするのは当然と思いますが、周囲の者たちにも多大な努力を強制することになりますよね 元々良い人格を持って生まれ育った人であれば、周囲は最低限の努力だけで済みます
お礼
返答ありがとう御座います。 すみませんが、周囲の人たちにも多大な努力を強いることになる理由が分りませんでした・・・。 コミュニケーションを図ろうとする際、上手くいかないことによる迷惑を掛ける度合いの違いでしょうか?
- youchan37
- ベストアンサー率37% (248/669)
努力は必要だと思います。しかし決して、良い人格を装って演技をし続けているというものではありません。 良い人格者でも、心の中の悪魔と戦うことはありますよ。 森田 正馬という精神医学の大先生が、 「自分の心には獣欲がある。しかしこれを異常と考えれば何とかこの心を消し去ろうとあがき、 苦しみが大きくなる。誰にでもそのような心はあると知れば、煩悶とはならない。 要は実行しなければ良いのだ」と仰っています。 まぁ今のは必要以上の戦いをしない工夫ということも含まれていましたが、まぁ少しは戦うでしょう。 又、誰の心にもある、私の心にもあると仰っていますよね。正しくその通りだと思います。 それからこの先生は、酒を止めたりタバコを止めたりする時も、それなりに苦しみました。 その時はやはり悪魔と戦った、ということになると思います。 >人格とは、幼い頃決まると言われている気質ではなく、人への思い遣りや、誠実さ、協調性などの人柄かと思っています。 この貴方の仰っていることは、私が考えていることと同じでしょうか? 貴方が幼い頃決まると仰っているものは、遺伝的、気質的、器質的に、生まれた瞬間において既に持っているものと、 それからその後親にどう育てられたのかと、この二つのことになると思います。 この二つは自分ではどうすることもできないものです。これがその人の運命です。 それで、この運命を背負うことができた時初めて、人への思い遣り、誠実さ、協調性などの人格が備わっていくのです。 >人格を変える為の努力について 人格を変える努力というのは、要は自分の運命を受け入れて自分が背負うということです。誰のせいにもせず。何のせいにもせず。 加藤 諦三さんの「運命のうけいれ方」をお読み下されば分かると思います。
お礼
演技からくるストレスをうまく処理できず、誰かに八つ当たりしたり、本来の良さを見失うなら演技しないほうがいいと思いました。 私は、気質は幼児期の環境や占い的な姓名判断や誕生日のようなものでも決まるものかと思いました。でも、その後の環境、育てられ方も大きそうですね・・・。 考え方や行動により、気質が変わらずとも良い方向へ生かされると良いなと思いました。 「運命のうけいれ方」、探してみます。
補足
ありがとう御座います。
- dai-ym
- ベストアンサー率22% (848/3824)
意識してやっていく内に無意識に出来るようになるものも多くあります。 努力するしないの前に自分が堕落していることに気がつく、堕落している自分から脱却したいと思うという大事な段階があります。 努力よりもこちらの方が難しいと思いますよ。
お礼
ありがとうございます。 堕落からの脱却・・・なんらかの感動が必要そうですね。 その後はじわじわとしても変われたらいいなと思います。
- roze333
- ベストアンサー率34% (32/93)
こんにちは、 おばさんの回答です。 >堕落した人間が、良い人格になろうとするには、意識して思考した上で、行動をしないといけないので、常に努力しなければ保てないものでしょうか? 堕落した人間といっても程度がありますから事情はよく分かりませんが、どんな人にも欠点や弱点はありますから良い人でも常に努力しています。 >人格とは、幼い頃決まると言われている気質ではなく、人への思い遣りや、誠実さ、協調性などの人柄かと思っています。 人は他の人から愛や親切を示されることによってそれを学びますから、そのような環境で育てば良い人生の土台が出来ます。 しかし、段々大きくなって友人といる時間が長くなると、今度どんな友人を持つかで性格や価値観に大きな影響を与えます。なぜかというと気質や性格は人にうつるからです。 堕落した人が自分を治したいと頑張っても、周りにいる友人が同じような人ばかりなら自分を変える事はかなり難しいでしょうし、逆に周りに良い人たちがいれば、その手本で学ぶ事が出来ますので、人格を変えることも可能となります。 人格を変える事は可能ですが、u303aさんから見てとても良い人のように思える人であっても、常に努力しているんですよ。 >堕落した人間と良い人格者は、努力するかしないかの違いになりそうだと思います。 始めから堕落した人で生まれてくる人はいませんし、自動的に良い人にうまれてくるわけではありません。つまり、どんな環境にいるかで大きな違いが生じていくのです。ある程度人格形成されてくると、それを直すのはかなりの努力が必要ですが、良い友人を持ちそうした人達のお手本から学べば少しずつ変化できます。 中には今はとても良い人でも、以前は犯罪者だった場合もありますし、悪だった場合もあります、しかしそれぞれ努力して、新しい人格を身に付け日々努力しているのです。 完全な人は一人もいませんから皆間違いをします。違いは何を手本としどんな目標を持つかで、つまり価値観の違いによってそれぞれ手本や目標は全く違うものになるでしょうし、同じ努力でも随分差が出ます。 ですから、ただ闇雲に努力しても空を打つような場合もあります。しかし、自分を変えたいという気持ちはとても良いと思いますよ。素晴らしいと思います。何かの参考になればと思います。応援していますよ。
お礼
ありがとう御座います。 良い目標・・・心から信じられる良い人間は身内に居ます。 確かに欠点が良い人格者にも見られます(欠点と判断してるのは私ですが)。良い部分を見習う方がためになりますね。
- tgs1212
- ベストアンサー率25% (20/77)
>努力するかしないかの違いになりそうだと思います。 仰せの通りです。 堕落した人間も、天使も悪魔もいないのです。 人間は皆、同じ神性を持っています。 一般に「悪い人」といわれている人たちは、未熟なだけなのです。 良い人格者といわれる人たちでも、肉体を持っているがために、「肉体を守る」という本能が働き、欲求や煩悩と闘っています。それを何らかの方法(修行等)でより少なくした人たちが、良い人格者と言われる人たちなのではないでしょうか。 いい言動、いい努力を重ねていくことは、最初は大変ですが、徐々に雪だるま式にそれが当たり前となっていき、身についていくことでしょう。
お礼
ありがとう御座います。 新しい言動が当たり前となれたら人として素晴らしいですね。
- gldfish
- ベストアンサー率41% (2895/6955)
人への思い遣りや、誠実さ、協調性などの人柄 ・・・は、人格とは少し違い、経験や意思である程度レベルアップしていくものだと思いますよ。 例えば、現に社会人になる多くの人は(程度の差はあれど)学生やフリーターをやっていた頃に比べ色々と気が利くようになったり、誠実な態度や姿勢が養われてきたり、協調性が身についたりしてきますね。・・・というより、会社等の組織・集団あるいは客商売としてやっていく限り、最低限のそれらを身に付けないとやっていけないというのもありますね。
お礼
ありがとう御座います。 社会で生活するために身に着けないといけないものに背を向けなければ自然と身につくものなのでしょうか。 表面上の行動と思われるものでも、行動できるということは、行動しないでふて寝してるよりも、成長と思えるなと思いました。
- orayama
- ベストアンサー率22% (13/59)
私の考えでは、 『いかに多くの人と多くのコミュニケーション(意思疎通)を図ってきたか』 だと思います。 単純に例えるならば、子犬は子犬同士の噛み合い(じゃれあい)で、噛むときの力加減を覚えるそうです。強く噛んでしまえば相手は痛がりますし、強く噛まれれば自分は痛いです。 人間関係における思いやりも同様な道理ではないでしょうか。 多くの人たちとの意思疎通により、思いやりや、誠実さを身につけるのだと思います。”意思疎通”と明記したことにも理由があります。 世の中には、自分の意志を一方的に伝えるだけで満足してしまう人たちがいます。それはコミュニケーション(意思疎通)として成り立っていません。 それらは特性や努力の結果ではなく、自然と身につく(あるいは身につけるべき)ものだと私は考えています。 しかし人間ですから、自分中心に考えてしまうこともあるでしょう笑 そういった悩み苦しみも、思いやりや誠実さを考えるためのきっかけになるのだと考えています。 以上、参考になれば幸いです。
お礼
返答ありがとう御座います。 コミュニケーションによってしか感覚的な理解は出来なさそうだと思いました。 思い遣りをもっても、行動に移せるかどうか、違いが大きいですね。 人に思い遣りを向けるのも、意思疎通をしないと望みが分りませんね。 一方通行のコミュニケーションが私にひどく思い当たります。
- dog-fly
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日頃の行動で身につくってことでしょうか。 日頃から考えてるとか。
お礼
ありがとう御座います。 考えから行動に移るかな、と思ったのですが、行動から身につく考えもありますね・・・。 ここですみません。自分の質問の補足として、 >堕落した人間と良い人格者は、努力するかしないかの違いになりそうだと思います。 ↑の文章初めに“変わろうと思った後の”を追加したく思います。
お礼
ありがとう御座います。 探して読んでみます。