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内外の要求への無力感

僕は今年で18歳になります。 僕には数年来の悩みがありますが、ひどく抽象的で、おそらくつまらないものです。本当は理解されないのを承知で自分の煮詰まった疑問を周囲の誰かにぶつけてみたい(他人との差異を知りたい)と思うことが何度かあったのですが、僕はそれほどうまく表現できるとは思いません。そこで、ここで質問させて頂くのが最も良い方法のひとつだと思いました。わかりにくい箇所は多々あると思いますが、よろしくお願いします。 1. 僕の問題は、自分の内側に根源的な欲求や衝動があって、それがときどき浮かび上がり、自意識過剰や堕落という形で表面化して実生活ないし精神状態に悪い影響を及ぼしているということです。 僕の根源的な欲求や衝動とは、自分の置かれた環境を理解し、また自分をその中でどう位置づけてゆけば良いのかを知りたい、ということです。根源的というのは、自分のこれまでの経験から、自分の多くの行動や思考や感じ方の法則性の中にその欲求を見出してきたからです。 それがなぜ自意識過剰や堕落に繋がるのかということですが、おそらく自意識過剰は自己像への執着のため、また堕落(もっと具体的に言うと、僕は昔から引きこもりがちで、今もしばしば外の世界から隠れたがります)は自意識過剰と理想の自己像(つまり、自分がそうあるべきものとして位置づけた自己)から逸れた現実の自分からの逃避のためだと思います。 2. と、まあ表現によってはまるで絵空事のようですが、情けない現実です。僕は自分の無力さを本当に不安に感じています。僕は暇さえあれば自分の問題のことばかりを考え、もちろん他者には意識が行かず、いつも部外者のようでした。僕は小さい頃からそのような性質のために諸々の努力は長続きせず、しばしば心身ともに引きこもり、今では理屈っぽく内ばかりを眺めている青白い若者の典型のようです。 差し迫って困ったことは、僕が受験生であることです。受験勉強は比較的長続きしましたが、さまざまな外的な要因が重なってしまい、また現実の自己の否定と羞恥心が目を覚ましかけ、もう少しというところで駄目になりそうです。 また今はともかく、受験生として当たり前の必要もこなせないのでは社会での必要も一人前にこなせないのではないかと感じます。それは今までの自分の経験から判断しても現実味のある話なので気が気ではありません。 これらのことに共通して感じるのは、内側からの要求が外側からの要求への対処能力を削いでいるという感覚です。 3. 感じやすい心が努力を阻害する、という風にいうと、責任転嫁しているように見えるかもしれません。 各々が無意識的に各々の主観を通して世界を見ていて、諸々のトラブルの根源はそこにあるというのが僕の今の人間観のひとつです。だとすれば、僕は意識に浮上してきた衝動のすべてを必ず検閲し、自分の感情や欲望がなぜ・どのような過程で生じたのかを知り、自己欺瞞をなくして常に自分を刷新していたいと思っています。また、そうすれば自分の本意に正直でいられ、自分の本意に正直でいられれば自分の真のアイデンティティ(=自分の世界での正しい位置付け)を獲得できるという密かな期待があります。なので、僕は本心からどうにかしたいと思っているのですが、ただどうしたら良いのかわからないのです。 4. 今までそれらしく書きましたが、僕の考えには初めに直観ありきで、後付けである部分が多いと思います。それに、僕自身が自分の思考回路の中で少し迷っていると思います。非常にわかりにくくて申し訳ないのですが、書くべきと思ったことは大体書きましたので質問させて頂きます。僕はこの悩みとどう付き合って行けば良いのでしょうか。アドバイスをよろしくお願いします。

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  • LOTUS18
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回答No.5

#2です。お礼ありがとうございました。 お礼について、疑問点が幾つかあるので もしよろしければ補足をしていただけると嬉しいです。 明確にしていきたい、一方で 曖昧にしようとしている、という感じがします。 最初から外部に答えを探すのではなく 何とかして自分自身の内部に答えを見つけようとしている。ように見えます。 本当はそれだけではみつからないかも、とお思いではないですか。 そこで行き詰っているということは その手段では見つからないということと 今はそれを考えるときではないということ その双方が少なくとも考えられると思います。 >したがって、僕は世界や自分が一体何なのかを知りたいと思うのです。 思考のスタート、大前提として「確固たるものはない」状態なのであれば その上にどんなに思考を積み重ねても揺らぐし 確固たる答えは見つからないのではないでしょうか。 そして世界や自分が一体何なのか、は 各人の感覚によるところが大きいので 自分が「世界はこうだ」「自分はこうだ」と決めてしまえば 自分の中ではそう位置づけられるし そうではないと探し続ければそれもまた可能な命題だと思います。 目に見える答えがないことだからです。 生きる目的についてがよくこのサイトでも質問として挙がりますが それにしても各人の感覚は違い、かといって誰も答えをもっていないかというとそうでもなく 決めたい人は決めているし、決めていない人は決めていない、という感じです。 何がいいたいかというと、そういう果てしないことに囚われていても 受験という状況がある、というのが抗えない現実なので 現時点考えるチャンネルを少し変えてみてもいいのでは?ということです。 今主に考えた方がいい事は 大学にいって何をしたいかとか 今一番自分にとって効率的な勉強法はどんなものかとか 大学に行かない場合の進路について、ではないですかね。 具体化していけることです。自分の「こうしたい」をみつめれば。 >直観で見て取るのは肯定的でも否定的でもない情報です。 summer68様が仰る「直感」がどういうものなのか 少しわかりにくいので補足いただけると助かります。 勉強に関して受け取る「直感」はどういったものでしょうか。 そこには好悪の感情はないですか? 自分が出来ると思ったことが出来ない場合、そこにまつわる「直感」 は自然とネガティブなものにならないでしょうか。 自分が出来ないと思ったことが出来た場合、そこにまつわる「直感」は 自然とポジティブにならないでしょうか。 もしくは「今日は雨が降りそう」みたいな直感なら 否定も肯定もありません。 それについて「そもそも雨という現象は」と事実自体について 考えていくこともできますし 「雨になったら○○は中止だ」と現実的なことについて考えていくことも可能です。 そうすると自然と好悪、肯定否定、可能不可能のカラーがついてくると思います。 単純に「濡れるし、やだな」と思うこともあるでしょう。 「したいかしたくないか」「好きか嫌いか」 取捨選択するとき、一番判りやすい基準です。 >各々が無意識的に各々の主観を通して世界を見ていて、諸々のトラブルの根源はそこにある これはつまり単純に「十人十色」ということだと思います。 シンプルなことを自分の中に取り込んでいたずらに複雑にしていませんか。 自分は特別、と思っていませんか。 それも別に悪いことではありません。 自分を大切に思うこと、自分目線で物事をみること、はとても大切です。 でもそこに固執して壮大な城を築くことは 他者からさらに離れることになります。 社会生活をしていく以上、確固たる自分を持つことも大事で そこに何かしらの答えがあることもありますが 同様に他者の中に探していた答えを見ることもあります。 なので、世代問わず人と関わることは大切です。 自分の成長のためにも。 長々書きましたが おそらく大学にいくなり社会人になるなりして 自分の価値観が根底から崩れるようなご経験をされると 物事の見方も変わると思います。 不本意に鼻っ柱を折られるような、理解できないような人との出会い、 自分が恥ずかしいと思うほどの偉大な人との出会い、 そういったものが 本で得られる知識同様大切です。 煮詰まった疑問を、話の出来る誰かにぶつけてみてもいいんじゃないでしょうか。 私は高校までは一人で色々考えては厭世的になっていましたが 大学以降そのような話を出来る人に出会って 随分楽になりました。 出会おうと自分で心がけていれば、大学はそういう出会いの多い場だと思います。 自分の中で考えるのと同様、 他人とのかかわりの中にもヒントがある、のを意識してみられると いいと思います(^_^)

summer68
質問者

お礼

遅くなってしまってすみません。 質問を投稿してから少し時間を経て、自分の中で少しは考えがまとまったと思うのでそれも踏まえてお礼を書かせて頂きます。 LOTUS18さんが最初におっしゃっていることは、確かにその通りです。内部にもともとないものを見つけようとしているということですが、受験につまずく恐れを感じて、自分から自分の可能性に見切りをつけたくなったのかもしれません。 ただ、世界を理解し自分のあるべき立場を探すというのは無理な話だったと思います。未来という不確実な場所に絶対的なアイデンティティを設定することは矛盾していますから。たとえ理想の自己像を設定したとしても、緻密すぎる計画が大抵うまくいかないように、その目論見も失敗するのだと思います。 人はその不確実な未来にも関わらず夢や目標を構想しますが、それは間違っていないと思います。夢や目標には動機があるからです。今まで僕は何もないところから自分の目的地を設定しようとしたから失敗してきたのかもしれません。それがLOTUS18さんがおっしゃるところの“大前提として「確固たるものはない」状態”なのだと思います。 なので、今まで失った時間やその他のものは大きいですが、くよくよしていても仕方ありませんし、最初からやり直しだと思ってまた勉強に専念することにします。まあ……それもそうとして、本当は大学に落ちた後の自分の姿を全く想像できなかったのでもう諦めて勉強するしかないと思ったのです。……なんだか情けないですが。 直観ですが、直観は純粋に知覚的な機能で、好悪感情のように判断的なものではありません。説明するのが難しいので、無責任で申し訳ないですが「直観」(直“感”ではない)で検索していただければだいたい僕の意図しているのと同じ意味の説明が見つかると思います。 直観を使った認識に慣れている……つまり、純粋に知覚的な機能でありのままに物事を観ることに慣れてしまっているので、つい優柔不断になってしまう……ということです。 他者とのかかわりはいつも大切にしています。ただ、上手くできるかどうかは自信がありません。大学でいい縁があればいいと思います。コミュニケーション能力も身につけたいです。 なにはともあれ、行動することによって次に繋がる動機が見つけられればいいと今は思います。重ね重ね、ありがとうございます。

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  • east-with
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回答No.6

No4です。  その計画に関する話の続きから始めます。理論と現実を行き来する。それは、頭の中では上手くいくんだけど、現実には上手くいかない。そして、悩み焦る。頭でっかちな知識の中で、現実つまり社会や実際に自分で手を使っていても上手くいかない。それってよくあるよ。誰かが宗教書や哲学書を読んだらいいと言ったけど、それは嘘です。お釈迦様や日蓮や弘法大師の教えは確かに人生として人間の良さや有り難身は分かるかもしれませんが、それがあなたの勉強に関係ありますか。いや、それは言いすぎですね。あなたは、宗教が好きで仏教の和尚になる志が高い学生ですか。いや、それは関心です。いいえ、あなたはキリスト教に関する関心が高く神父や修道女になる意欲が高い。それも関心です。ですが、神職や聖職には宗教系の学部の方がいいかと存じます。関西学院大学神学部などに進学してください。きっと四年間に宗教のイロハが分かるでしょう。いや、冗談ですよ。私は鼻から本気で言っていない。ただ、宗教書を読む高校生が今時いるかと思うんですよ。キリスト教系なら聖書を読まされ、仏教系ではお経を読まされは分かります。ただ、そんな高校は聞いたことがない。私立高校には宗教という科目がありますが、宗教学とその高校の系統の宗教に関する話で終わります。ですから、お経や聖書までいかないと思います。下手な宗教書は読まないにこした事はない。そんなに宗教書が読みたければキリスト教の教会で新約聖書を買いなさい。新約聖書は人間がどう生まれ、どう生きるべきかが十分に習えると思います。ノアの箱舟などを勉強してください。でも、話が脱線した。本来は理論と現実の話。人間は考える葦であるという言葉は分かりましたか。でも、頭を動かすだけでは発想が机上の空論になったりする。だから、実際に自分の手を動かしながら、頭で改善する方法を考えることになる。つまり、ノートを書きながら、より見やすく分かりやすいメモの取り方や構成を頭で考える。それが大切。そこに道具があるだけでは意味がない。あなたがそれを組み立てられるかが大切。材料や道具だけ揃えてもダメ。実際のあなたが材料と道具を使って組み立て1つのものにする。理想を頭で考え、手で組み立て一つの結果ができる。その結果を反省して改善する。それが技術やテクニックである。  文章を書くにも、誰に書くのかが問題になる。友達に書くのと恋人に書くのも違う。恋人に付き合ってもらうために書くのは、恋人の趣味や興味や性格や何を自分はしたいかという事を考える。最低でも、恋人に「私は勉学に励み、スポーツ活動をしているので安心してください。」は書いてはダメ。そんなの書いて安心するのはあなたの父母のみです。恋人は、この人は頭が弱いんじゃないと思われますよ。マクドナルト(マクド)に行くだけで、喫茶や飲食なんか書かないですね。あなたが女の子ならどっちがいい。(1)あなたとマクドナルトで飲食し談話したく思います。(2)もし、暇なら後でマクドで何か食べない?(1)と(2)ではどっちがいい。(1)は頭が明らかに弱そうです。今時、マクドで飲食といいますか。マクドはファーストフードで軽食ですね。それと、談話とは固い言葉で、何が難しいように言うだけで、実際にわいわい話し喋り聞いたりで終わりますよ。(2)の暇ならは要らない。でも今ならエイビーカフェでしょう。だから、今の人間に合わない。  青少年よ悪意を抱け。親より彼女を優先しろ。親が門限を作って時間厳守で家に入れなければ、彼女に泊めてもらえ。家族がいやになったら友達に泊めてもらえ。いや、ネットカフェで一晩泊れ。そんな悪意がないといけません。母親が言ったことが絶対に思うなら、彼女にマザコンと思われ付き合ってもらえませんよ。だから、悪意を抱け。  でも、万引きや窃盗や傷害事件などで警察の世話にならないように。補導されますよ。  まず、ひねくれなさい。根性曲がりになりなさい。真面目に生きてもつまらない。相手の空気を読んでから逆のことをしなさい。それくらいしなさい。

  • east-with
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回答No.4

 誰にでもあるように思います。  自意識が過剰に出たり、自分自身が堕落していくように思えたり。でも、自分が堕ちていくと分かるのが救いではないでしょうか。つまり、自分自身が自分の世界つまり他者との境界線より内側の潜在意識の中でのみ生きていたら分かりません。自分は堕落している。つまり、破滅に向かっていることに気づく。気付かないと精神疾患や自閉症となんら変わりません。でも、気付くという事は人間にとって改善したいという意欲がある。つまり、人間として日進月歩努力して葛藤している。それは、人間として大事だと思います。  自意識過剰も自分が相手にそう言われると思えるからいいのです。空気読めない人間よりいいです。相手に何と思われているかなど、普通の人間でも思っちゃいますよ。  他人は自分の位置や場所を知る参考になりえる。ただ、他人と同じことをするだけではだめ。自分しかできない何かを探す。自分は●●ができるや得意という感じられる、つまりその認識も必要ではないでしょうか。つまり、他人ができない事に気づく。その事を自分ができるようになる。つまり、人の悪いところを見て、反面教師で自分を直す。それって大事ですよ。自分がよく見える、つまりその感覚は人間として大事ですよ。  パスカルは「人間は考える葦である」と言っています。考えている私は地球よりも大きいと言っているのです。まずは思考ですよ。例えば、同じような項目を1つに整理する、時間的や歴史的に並べ替えたりする。分類思考や歴史的思考は常に考える私であり続けられる条件だと思いますよ。散らばった頭の中の断片の知識を整理したり統合していき、自分の独自の思考回路を作るとかもできます。論理の感覚とは自分が真面目に悩み進むからできる。だから、安定した場所に留まっては人間は頭を使わなくなる。分別思考という「いるもの OR 要らないもの」に分けて考えるのも重要。あなたは頭を使っている。ただ、自分で言葉で説明するのが下手なのかもしれません。あなたの感覚を多くの人に伝えるのもいいのかもしれません。ただ、分かりやすいように丁寧に言いましょう。  自分で認識しているが実行できない。それは人間なら誰でも起こりえる。だって、自分に有利な事しかやらないでしょう。自分の夢は早稲田大学文学部としよう。でも、1日毎にその合格に1歩ずつ近づこうと努力する。ただ、大きな目標を分割して段階を踏めているかという事である。前だけ見て歩いても何も分からない。後ろから数えて、残り何段階進んだらいいのかと考える。それも大事。家から駅に行くとしよう。1つ目は駅から本屋に行き10分で本屋から駅が4分。2つ目は家から図書館まで10分で図書館から駅まで1分。3つ目は家から塾まで3分で塾から駅まで6分。4つ目は家から駅まで13分。どれが一番近いのか。1は14分、2は11分、3は9分、4は13分。だから、あなたなら3で家から塾に行きそして駅に向かう選択をする。それを計画工学では最適化理論と呼ぶんだ。そのように、一番効率的な方法を考えるわけだ。  次に別のパターンでシュミレーション(予測)をする。まず、あなたの財布に1000円がある。ノートが100円。鉛筆が50円。例えば次のパターンがある。1つ目はノート10冊。2つ目はノート9冊と鉛筆2本。3つ目はノート8冊と鉛筆4本。4つ目はノート7冊と鉛筆6本。5つ目はノート6冊に鉛筆8本。6つ目はノート5冊と鉛筆10本。7つ目はノート4冊に12本。8つ目はノート3冊に鉛筆14本。9つ目はノート2冊に鉛筆16本。10つ目は鉛筆20本。その場合にどのパターンを選ぶか。効用を考える。1は10、2は11、3は12、4は13、5は14、6は15、7は16、8は17、9は18、10は20。だけど少し考えてよ。ノートだけでも鉛筆だけでも意味がないじゃん。その通りだ。私なら、6つ目か7つ目のどちらがいいと思う。でも、全額使う必要性もないし、お釣りが多い方もいい。でも、最大効用させた上で制約理論(ノート代+鉛筆代=1000円)は考えてもいいはずだ。でも理論は可笑しい。過剰在庫を生んで何に使うのか。友達にあげたり、恋人にあげる。でもインパクト(印象)がない。  計画で言えることがある。(問題認識→調査→分析→代替案の作成→評価→代替案の決定→実行)のパターンが必要。問題を立てるという事が大事で、どんな課題があるか考える。その次に原因を調査する。そしてどんな原因があるのかを分析する。そして、代替案とは様々な解決方法を複数考えること。一番最適な解決方法を検討する。そして、解決方法を決めて実行。それって、あなたもしているでしょう。私は「人間は考える葦である」といったよ。計画工学は人間がいつもしていることを難しく書こうとしているのだ。なんて酷い。引きこもり気味の私も分かる。そうだ、だったら意識しよう。その通りです。計画する事を意識するのが大切です。  つまり、あなたは考えようとしている。きっと長い時間がかかっても自分で解決法を分かるようになると思います。

noname#122427
noname#122427
回答No.3

あーあーあー、、、何か分かるように思います。 私もそういう風に考えて考えて、 きっと端から見るとやっぱり「悩む事を楽しんでいる」って見えるんだろうなあとも思うし、でも悩みは悩みでした。 現在20代後半の女性です。 学生時代の悩みの深さは大切だと思っています。 学生当時もそう思っていましたが、今はもっとそう思います。 学生は暇だから、、、とか言われ易いですが、その「暇」を根源的な悩みを悩んで過ごす事は、大人になって「悩む暇が無くなった時」に先にストックが出来ている、と言う強みでもあると思うのです。 ただ、、、現実として「己の歩みが止まってしまう」のは、自分でも苦しいですね。 抽象的に悩む事と、現実として歩みを止めない事と、がバランス取れれば一番良いのですが、、、 なかなかそう上手くは行かないし、 計算して動けるようであれば、元から悩みませんよねえ。。。。^^ 中島敦の「山月記」ってご存知でしょうか? あの作品って「悩む事と現実の歩みのバランス」について描いている気がしてなりません。 それも厳正に冷酷に、でも何処か暖かく。 一度お読みになってみてはいかがでしょうか? >僕の考えには初めに直観ありきで、後付けである部分が多いと思います。 それで良いと思います。 その「後付け」も一つではないでしょう? 自分でも不思議なくらい「物事には色々な面が有る」と思いませんか? その多面性の渦の中、「僕はこの面が好ましいと思う」「この面で世界を見て解釈して行きたい」と思える物を見つけたら、あとは「その方法で物事を見つめる為に自分に足りないもの」を身に付けて行けば良い。 当時の私は偉そうに?そう考えていました。 今の私はもっと強くそう考えています。^^ 「世界の眺め方」をあなたはきっと探している最中なのでしょう。 素敵な眺め方を見つけてくださいね。 そして「それに見合った自分」に成る為の努力なら、尻に火がつくかも^^

summer68
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ストックですか……そういうものなんでしょうか。 「山月記」には心揺さぶられるところがありました。ドストエフスキーの「地下室の手記」という小説、僕は最後まで読まなかったのですが、あれの主人公も「山月記」と同様のテーマを抱えていたと思います。自分の創造性を通じて社会と関わりたいのだが、内向的で自意識過剰な性格に阻害され、行き場に困った創造性のエネルギーを漢詩や手記に人知れず書きためるだけの結果に終わってしまう。自意識から解放されることの難しさを感じます。これらの主人公たちは内的世界の中で普遍的で揺ぎない自己像を探していたのかもしれませんが、逆に「地下室の手記」を書いたドストエフスキーの、また他の多くの作家の仕事が自分の生活の必要に絶えず影響されていたように、確固たる創造性とかアイデンティティは「普遍性を追求した最小限の生活」より「不安定でどろどろした文脈の中の生活」に見出されるのかと思うと、やはり環境や他者との関わりは重要な役割を占めているのだろうかと感じます。自分の置かれた状況に照らし合わせてみると複雑な心境です。 僕は賛否両論どちらも納得するタイプなので、それで腰が定まらないのだと思います。おっしゃる通り、僕は自分の世界観を模索している最中です。でも、自分の内面をさまよい歩くのではなく、人生の文脈の中で模索していくべきなのかもしれませんね。その中で、普遍的な内面の世界と混沌とした外の世界との折り合いをどうつけるかが課題になりそうです。

  • LOTUS18
  • ベストアンサー率31% (1808/5784)
回答No.2

娯楽的に、難しく難しく考えたい感じなんですかね。 私もどちらかというとそういう感じなので なんとなく判る気がします。勘違いだったら申し訳ないですが(^_^;) 言葉の使い方から推測すると 自分のつむぎだす言葉の中で心地よく酔っている風に感じられました。 悩んでいる、とあるのだけど 悩んでいる自分を楽しんでいる、ように見えます。 それはそれでいいことだと思いますが。 現実とのすりあわせができると ずっと楽になりますし、 他者とある程度あわせることが可能になります。 ものごとは複雑に考えようとするとどんどん複雑にすることができ 逆にシンプルにしようと思うとそれも容易に出来ます。 1、 社会の中での「こうありたい自分」像と現実がかけ離れていることのいいわけ、ともとれるし 「こうありたい自分」を目指す葛藤、ともとれます。 ポジティブに解釈すれば 「なれるからそう望んでいる」という感じでしょう。 2、 自分の世界で生きていると すべては予期できるので、 想定外の自体で慌てふためくことがないため とても安全なシェルターにいるようなものです。 心が不本意にブレることはありません。 自分の中で一人で考えて悩んでいることは、 自分が好きでブレさせていることなので 他人の影響は関係ないことです。 だから努力が長続きしなかったり外的要因に心が左右されるのは 耐性ができていないから、といえると思います。 受験生なら四の五の言わずにその目的にあった勉強をするでしょう。 進学が必要と思っていない、か 勉強ができない自分を認めたくない、のではないですかね。 3、 シンプルに好きか嫌いか、したいかしたくないか、の判断は出来ると思います。 それにいたる心の経緯はさておき、 直感的な方なのであれば物事に対し 瞬間的に好悪、善悪、の感情は持つと思います。 それに従えばいいだけです。 深く考えたところで、結論は先に出ているのですから。 4、できること、できないことをシンプルにわけてみてください。 できないことのうち、できるようになりたいことを選び それをできるようになるには具体的に何をどうしたらいいのか そこで初めて「考えて」ください。 本来考えるべきことを意図的に考えていない状態をつくり さしあたって考えなくてもいいことの中に 逃げ道を作って停滞している感じだと思います。 どんなに言葉を連ねても、それは「逃げている」ことです。 いらないものは削ぎ落として、自分の本心をみてください。 思いを具体化していくことは勇気のいることかもしれません。 でも考えるだけでは前進はありません。 行動して始めて、変化が訪れます。

summer68
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 考えるのは、直観が受け取った非言語的な情報を言語化するようなもので、補助的に使っているのだと思います。 悩むのを楽しんでいるように見えるのは、自分の中で何回も同じ悩みを反芻してきたために純粋な悩みの色彩を失ってきているからだと思います。細部まで構造が見えてしまっていて、それを説明しようとすると全てが自明のことのようで白々しくなってしまいます。 1. 僕は理想の「こうありたい」自分と現実の自分の差を意識したとき恥や失望感を感じますが、実は理想の「こうありたい」自分というのもよくわかっていません。僕がときどき理想の自分だと感じとすればそれは一時の感情で、確固としたアイデンティティに基づいているわけではないのです。生まれつきそういう感覚が欠落しているように思います。したがって、僕は世界や自分が一体何なのかを知りたいと思うのです。 2. 安全な内面の聖域に引きこもっていることはおっしゃる通りだと思います。 受験については指摘された両方が当てはまると思います。僕はとりたてて進学する必要はなく、ただベターだろうという選択肢を選んだだけです。ただ、内外の「必要」の優先順位が「(どちらかと言えば選んだほうが)良い」選択肢の優先順位に勝るためにいとも脆く崩れ去る……というのが自分の考えなのですが、僕自信もこの考え方にはどこか欺瞞の臭いがします。もう一度自分と正面から向きあってみます。 3. 直観で見て取るのは肯定的でも否定的でもない情報です。ですが、常にその時々だけでも旗色は鮮明にしていたいと思っています。 4. そうですね……。時の流れと環境の変化が解決してくれるのかもしれませんが、自分からも歩み寄らねばなりませんね。自分の内に逃げ込まないよう外へ意識を向けていく努力をしたいと思います。 ありがとうございました。

  • beingpeace
  • ベストアンサー率19% (203/1025)
回答No.1

1.ヴィパッサナー瞑想をする。 ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践 (単行本) http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%80%E3%81%AE%E7%9E%91%E6%83%B3%E6%B3%95%E2%80%95%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%8A%E3%83%BC%E7%9E%91%E6%83%B3%E3%81%AE%E7%90%86%E8%AB%96%E3%81%A8%E5%AE%9F%E8%B7%B5-%E5%9C%B0%E6%A9%8B-%E7%A7%80%E9%9B%84/dp/4393710576/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1258285048&sr=8-1 人生の流れを変える瞑想クイック・マニュアル―心をピュアにするヴィパッサナー瞑想入門 (単行本) http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AE%E6%B5%81%E3%82%8C%E3%82%92%E5%A4%89%E3%81%88%E3%82%8B%E7%9E%91%E6%83%B3%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB%E2%80%95%E5%BF%83%E3%82%92%E3%83%94%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%81%AB%E3%81%99%E3%82%8B%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%8A%E3%83%BC%E7%9E%91%E6%83%B3%E5%85%A5%E9%96%80-%E5%9C%B0%E6%A9%8B-%E7%A7%80%E9%9B%84/dp/4393199022/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=books&qid=1258285092&sr=1-3 自分を変える気づきの瞑想法―やさしい!楽しい!今すぐできる!図解実践ヴィパッサナー瞑想法 (単行本) http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E5%88%86%E3%82%92%E5%A4%89%E3%81%88%E3%82%8B%E6%B0%97%E3%81%A5%E3%81%8D%E3%81%AE%E7%9E%91%E6%83%B3%E6%B3%95%E2%80%95%E3%82%84%E3%81%95%E3%81%97%E3%81%84-%E4%BB%8A%E3%81%99%E3%81%90%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B-%E5%9B%B3%E8%A7%A3%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%8A%E3%83%BC%E7%9E%91%E6%83%B3%E6%B3%95-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%A0%E3%83%83%E3%83%AC-%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%A9/dp/4901679082/ref=pd_sim_b_5 2.小池龍之介さんの本を読んでみることをお勧めします。 http://iede.cc/ もう、怒らない (単行本) http://www.amazon.co.jp/%E3%82%82%E3%81%86%E3%80%81%E6%80%92%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84-%E5%B0%8F%E6%B1%A0-%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B/dp/4344017420/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1258285192&sr=1-2 煩悩リセット稽古帖 (単行本(ソフトカバー)) http://www.amazon.co.jp/%E7%85%A9%E6%82%A9%E3%83%AA%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88%E7%A8%BD%E5%8F%A4%E5%B8%96-%E5%B0%8F%E6%B1%A0-%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B/dp/4887596820/ref=pd_sim_b_5 仏教対人心理学読本 (単行本) http://www.amazon.co.jp/%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%AF%BE%E4%BA%BA%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%AA%AD%E6%9C%AC-%E5%B0%8F%E6%B1%A0%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B/dp/490450741X/ref=pd_sim_b_1 3.また、西洋哲学では、竹田青嗣さんの本を読んでみることをお勧めします。 http://www.phenomenology-japan.com/takeda.htm 中学生からの哲学「超」入門―自分の意志を持つということ (ちくまプリマー新書) (新書) http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%80%8C%E8%B6%85%E3%80%8D%E5%85%A5%E9%96%80%E2%80%95%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AE%E6%84%8F%E5%BF%97%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A4%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%83%BC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%AB%B9%E7%94%B0-%E9%9D%92%E5%97%A3/dp/4480688196/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1258285294&sr=1-2 自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫) (文庫) http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E5%88%86%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%AB%B9%E7%94%B0-%E9%9D%92%E5%97%A3/dp/4480081097/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1258285463&sr=1-1 4.心理学では、岸田秀さんの本をお勧めします。 嫉妬の時代 (岸田秀コレクション) (単行本) http://www.amazon.co.jp/%E5%AB%89%E5%A6%AC%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3-%E5%B2%B8%E7%94%B0%E7%A7%80%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E5%B2%B8%E7%94%B0-%E7%A7%80/dp/4791791010/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1258285557&sr=1-1 ものぐさ精神分析 (中公文庫) (文庫) http://www.amazon.co.jp/%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%90%E3%81%95%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E5%88%86%E6%9E%90-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B2%B8%E7%94%B0-%E7%A7%80/dp/4122025184/ref=pd_sim_b_1

summer68
質問者

お礼

ヴィパッサナー瞑想というのは初耳です。調べてみたいと思います。 小池龍之介さんのホームページをすこし拝見しました。得るところがたくさんありそうです。書店に行ったら本のほうも見てみます。 竹田青嗣さんの本はだいぶ前に何か読んだ気がします。紹介していただいた本は書店でもよく見かけますね。 岸田秀さんも「ものぐさ精神分析」を3,4年前に読んで印象に残っています。本棚に眠っているので気が向いたら読み直してみます。 闇雲に試行錯誤するより本を読んで自分の価値観を換気するのもいいかもしれませんね。もし良いと感じたものがあればその本の導くところにしたがってみようと思います。ありがとうございました。

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