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本当の宗教

tumaritou1の回答

回答No.21

本当の宗教は確かに在ります。それは貴方の頭の中に在ります、分かり難い事ですが、貴方を悩ませている者が、貴方の宗教です。貴方の悩みはあなた自身が、あなたの悩みの発信源です。 人間は昔から、洋の東西を問わず人間苦という事に突き当たって来ました。それは人間の心には人間の心を悩ませるものが存在しているからです。それは人間の心が二つ在る事によります。聖書には天国に一番近い存在は幼子と書いてあります。 この事が関係しています。子供の脳は機能が未分化のために心が一つしかないためです。14歳頃から人間の脳は機能分化が完成に近くなります。この頃から人間には悩みが生じ始めます、意識をして自分と他人、或いは様々なもの、事を考え始めます、そうして比べたり批判をするようになります。 今までは何の疑問も抱かなかった処に疑問を抱き始めます。それは心の分裂を意味しています。片方の心が知らせている事を、自我意識が不思議に感じ始めたという事になります。そうして違和感として受け止める場合もあります。この違和感は「罪悪感や漠然とした不安感」という形をしています。この違和感を問題にした場合には、障害が出る事もあります。 この違和感を問題にして心から追い出そうとした場合には「恐怖感」にまでなってしまう場合があります。是がパニック障害というものです。是は心の分裂が為せる業です、その仕組みは自我意識が「違和感」として感じた事を意識し続けるためと言えます。そうして無理やりに心から追い出そうとする事から、自我意識は「悪循環」に入ってしまいます。 人間には心が二つあります。一つは自我意識というものです、その機能は物事を論理的に解決してゆく機能です。ほかの言い方をするならば、割り切れる事には全て対応できる能力と言う事になります。 処が大人になってきて、世の中が見えてきた場合には、矛盾した問題が生じてきます。是が人間を悩ませてきた問題と言えます。割り切れる問題とは有限に属する問題と言えます。何故ならば割り切れる事を有限と名前を付けたからです。 割り切れることしか解決出来ない方の脳に割り切れない問題が割り込んできます。是が人生の苦悩を作ってしまいます。是が人間の悩みです。 割り切れない問題というものの最たるものは「永遠」という事になります。割り切れない事の名を永遠という風に名前を付けたからです。理論や論理で割り切れないもの、分別できない事、是を分別脳で解決を図ろうとする事が「悩みであり、人間の障害」とも言えます。 人間最大の心の分裂それは、死と言えます。或いは永遠の命を願っていると言い換えても良いですが、その二つのものの対比、是が悩み、苦しみの元を成しています。是が心の分裂の正体です。自我意識が死を意識する時に狂おしいほどの苦しさを味わいます。是が心の矛盾ですが。 この時の自我意識の苦しみは、自分で作っている苦しみと言えます、何故ならば、自分には備わった心があったからです。自分の心自身がもう既に永遠そのもので出来ているからです。もう一つの心とは「仏性或いは神自身」だった事が分かります。自分の苦しみは自分で作っていたことが分かります。 その苦しみは心の矛盾です、という事はその二つのものが自分の心の中で争っています。自我意識が「それ」を無視したり仲たがいしていて、「それ」が自我意識を掬い上げようとしていた事が、苦しみの正体と分かります。 それはあたかも、苦しんでいる自我意識を掬い上げようとしている「それ」の手を払いのけようとしている事が苦しみのもとになっていたという事になります。有限を永遠が覆い尽くそうとしてさえぎられる、或いはその手を払いのける。是が人間の苦しみと言えます。 人間の苦しみとは、自分自身が分からないことと言えます。是が「無明」という事になります。自分の苦しみを自分で作っていた事を知らない事が無明という事です。そうして自分の苦しみの原因を知るという事が「悟り」という事になります。自分を苦しめていた者との出会いの事です。自分自身を知るという事です。 自分自身を知る或いは悟りを開く、或いは神と会って和解するという事のテキストがあります、紹介します、「禅問答」です。禅問答は分別脳では解く事は出来ません。是は脳の機能の問題です。分別脳の能力では解けないように工夫されているからです。有限の自我意識が有限の世界で自由を確保できないでいます。分別を捨てる他はありません。 自我意識の能力では「解けない」と知る時に、右脳の意識「神。或いは仏性」が登場します。これで悩みの解消という事になります。是がお釈迦の教えです。その時にははっきりと分かります。自分の心は宗教で出来ていた事が、自分の脳の半分は宗教或いは神仏で出来ていた事が分かります。悩みも心の働き、その解消も心の働きです。人間の頭半分は宗教で出来ています。分かりにくく出来ています、それは無意識を司っていて、自我意識と交代で入れ替わっているからです。

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