• 締切済み

本当の宗教

hihi1631の回答

  • hihi1631
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.49

宗教の中に 自分をみいだし 幸福を得ることが出来るのであれば それはすばらしいことですし 周囲の人も それを尊重すべきことなのですが。  少し視点を変えて 自分の存在を客観視して自分自身を見つめる方法を 心の中に自分自身の基準を身につけることになる考え方も あると思うので ここで、紹介致します 『運命』について考えてみては如何でしょう? ーーー運命ですーーー運命を理解する事ですーーー 戸惑われることと 思います 枠が少ないので 先に結論から言いますと 運命を 理解すると 世界感が 変わります  心の基準が 現れてきます 自分自身の内面からです それら 日常の迷いも 迷いのない部分も含めた 自分自身がです 次いで 変化した 価値観を使い 自由にそして前向きに 進む方法を会得出来ると思っています。 私のいう 運命と 言うのは絶対的な この世界を 理解の及ぶ限りの大きな世界の 法則に従いながら 特別な事ではなく もちろん化学的な話にも 参加しながら 生きるということを言いたいのです。しかもこれは妥協の無い はみだしの 許されていない世界 100%の束縛を意味する 『運命』を理解することが始まりです。 謙虚に現実を見つめて 現実を理解しようとしているだけです。説明を少し省略しますが 『運命』『宿命』変える事の出来ないものです 100%の 束縛を意味する言葉で 表現したいのです   信じる事では有りません 自分で理解する事です つまり あらゆる事象を それに照らし合わせて 確認をして理解することです    『運命』は 占いで 変えようとか 努力で変えようとか ではなく 私達の 回りをとりまく 宇宙の法則 絶対的な法則に従った運命のことで誰もそこから 意図して抜け出す事など出来ない世界を (客観的に こんな気がすると云うような妥協を含まない心をもって)理解したいのです (主観的にはその逆のことが起きています) 先ず 運命を理解するとは 一度は100%の 束縛を 受け入れることがはじまりですが 宗教のように信じる必要は有りません 私達はもともと 人間の考え及ばない 世界によって つくられ 生かされています。 好む 好まないに 関係なく あらゆる全てのことが おきているのです これが事実です そして 次に 100%の 束縛に 気付くと はじめてそこで 人には 人としての努力によって得られる 自己の世界が与えられていることに気づき 今までとは 分離自立した自己の存在が自覚出来ます つまりは努力することすら 許されない世界と自分で作った(つもりの)世界とが 存在していることを区別して理解出来るのです。それらは『束縛の中の100%の自由』であり 私達の意識する枠をも 超えた世界をも含めた自由が存在している事によって生かされているのです  100%の束縛と 100%の自由 反対の意味の言葉が ここで同じ方向を向いていてるのは 『次元の違い』があるからです。 この二つの言葉を発するときの 発する側(私達の自覚) の次元です。  例えば物事の限界を感じたとしても それ自体 自由意識の中の限界なのであって 決して決定的なものではないと言える訳です。私が自覚すらしていない 能力がそこに存在し、自覚している範囲を超えて結果が現れるような ことがおきたとしても それも含まれるのです。そこには 私達の知らない 可能性も含むということです。 嬉しいことに そう感じながら生きる自由は私達にあたえられているようです。もし 何も しなくても運命か? と云う疑問があったとしたら その疑問の行く末も 疑問も 全てなるべくして なっていると云う事は事実です。しかし もしもそれが不幸な結末なら それを予想して回避して 行動するように作られている 自分も含め認めるべきなのです。当然私達は ある程度の未来を予測をしたり 判断をしたりしながら 生きていくように作られています、 ここで 与えられた自己としての存在と 自由な自己意識という『次元の違う』はなしを  一緒に混同すると 矛盾を感じて 混乱してしまうとおもいます。    運命を理解すると 私は 慈愛ということばの意味があらためて理解出来るような 気がします 地球のうえで それぞれが それぞれの 役を演じていると云うのも 頷けます  新しい世代の人には 『競争と勝利』と云う考え方や教育も 能力を高めるために 有効な事ではあっても 行き過ぎによる害を自覚出来るような『自己』 と云うものの確立も目指す必要があるのではないでしょうか。     100%の束縛の中にある 100%の自由  私達人間は 自由をもって生まれているように 感じて生きるのです 自分で考えたように感じる そのように 作られていると 言う話です。

関連するQ&A

  • あなたは信じている宗教がありますか?

    あなたは信じている宗教がありますか? もしあったならそれはどんな宗教ですか?またなぜその宗教を信じているのですか?心のよりどころですか?教理に共感してですか? もしくは、信じる宗教がなかったなら、あなたは何を信じて生きているのですか?科学ですか?自分ですか?家族ですか?仕事ですか?会社ですか? 人は何かを信じて生きていくべき生物なのでしょうか?その方が精神衛生上良いのでしょうか? 質問が散文的ですが、あなたが思っていることをお書き下さい。

  • 宗教について

    多くの宗教は信仰をして、人間性を高めたり、愛や思いやりの心を高めるという事をしていますよね。そういった事は尊い事だと思いますし、素晴らしいと思います。でも、信仰の対象となる特定の存在とか、波動や何次元がどうのだとか、生まれ変わりだとか、霊だとか、そういうのなくていいと思うんです。人間性を高め、愛情深くなり、思いやりの心を持つという事を目指しつつ、上記のような霊とか波動とか非科学的な事を取り入れていない宗教のような(宗教以外でも)団体は存在しないのでしょうか?ご存知でしたら教えて下さい。宜しくお願いします。

  • 霊や宗教に対する信仰が消えていくのは良いこと?

    まず質問をする前に、科学的概念が第一のものであると前提します。つまり、幽霊や気功、超能力などといったものがあるにせよないにせよそれは科学的なものとして認めるということです。 要するに、この世のすべてのものごとは科学的なものと前提するということです。 (この前提に対する意見は望みません) さて質問です。 科学の進歩によって、人々は霊や宗教といったものを信じなくなりつつあります。霊があるにしろないにしろ、また死後の世界があるにしろないにせよ、人々の間からそういったものに対する信仰がなくなっていくということはどういうメリットやデメリットがあるのでしょうか? そして結果として、霊や宗教、死後の世界といった信仰が人々の間から完全に消えてしまうのと消えてしまわないのではどちらのほうが人類にとって有益なのでしょうか? こうではないかという意見もぜひ聞かせて下さい。

  • 宗教について

    世の中には様々な宗教がありますよね。その中でもよく聞く宗教団体があります。 創価学会や霊波之光、幸福の科学、エホバの商人など。これらの宗教ってどんな活動や信仰をしているのでしょうか。ご存知の方いらっしゃったら、差し支えの無い範囲で教えてください。 ちなみに、私は無宗教です。(実家は浄土真宗)

  • 生まれ変わり。

    輪廻と転生があるそうですね。 皆さんはこういう現象を必ずしも否定しませんか? 科学的立証の外のことであるから、否定も肯定もしないというだけですか? それは誰しもがそうですよね。 私は否定しないということより、むしろあるのではないかという方に強くなびいています。 六道輪廻はさておき、転生っていうことについて皆さんのご論述やご感想をお聞かせください。

  • 「哲学」は「宗教学」に近いのですか?

    当カテゴリで、いまだ未締め切りの質問を抱えている者です。 「哲学」がなんたる学問かについては良く知らず、 自分の質問内容が投稿先の候補としていた「心理学」や「国語」には多分当たらないであろうとの 消去法で「哲学」カテゴリに投稿した次第です。 私が投稿した質問はごく日常的な疑問です。。 何人かの方がすぐに回答下さり、とてもありがたく思いました。 しかし、ふと「哲学」カテゴリの質問リスト(回答数も載ってる)をみてみると、 タイトルに宗教的なものが多いように感じたのです。 聖書がどうしたこうした、仏がどうしたこうした、神がどうしたこうした… しかも、宗教的な質問ほど多くの回答が集まっているように見える。 これは私が考えていた「哲学」とは異なる傾向です。 「哲学」は宗教などから離れて、あるいは少なくとも宗教の教え等は第三者的な視点から捉えて、 人間の真理を追究する学問と思っていたからです。 ざっとみた感じなので申し訳ないのですが、 どうにも「哲学」カテゴリが「宗教」に巻き込まれているように思えてならないのです。 たとえば、本カテゴリで興味深い質問をみつけ、少し見てみたのですが、 回答された内容に、「輪廻転生」を前提としたものが複数見られました。 私は「輪廻転生」自体は否定しません。 しかし、「哲学」カテゴリで、 「人間は生き返るのだから大丈夫だよ」などとする意見はどうしても受け入れ難い。 これってまさに宗教的じゃない?気持ちわるーい!と思うのです。 私の「哲学」に対する認識は間違っているのでしょうか?

  • 転生輪廻とお墓、お盆について

    仏教では、転生輪廻が説かれていると聞きました。そこで疑問があるのですが、 お墓にお参りとか、お盆とか、仏壇などは、その方が転生輪廻したら関係ないのでは と思うのですがどう思われますか?例えば、生まれ変わって今の私になっているの ならば、生まれ変わる前の私が盆に家にかえったり、お墓なども不要となるような 気がします。 もし、詳しい方がいらっしゃいましたら回答ください。仏教を信仰されている方であれば、どの経本に書かれているか教えてください。調べてみます。 また、別の宗教で、転生輪廻が説かれているならば、ご回答くださればありがたいです。 よろしくお願いいたします。

  •  霊って本当にいるの?

    もし存在するならば私達と同じ肉体をもたない普通の人間と考えています、しかし存在するならするでなぜ日時を指定し正式に集団で現れ挨拶をしないのでしょうか?そして人間が死んでからの世界をキチっと現世の人間に説明すべきと思います、挨拶すればわざわざ現世の人間を惑わす事も無く、死後の世界もハッキリとしてオカルト宗教も壊滅するでしょう。私は無宗教ですが最近輪廻転生を信じる友人を見て悲しくなります。そして人間の都合とか霊界の都合とかハッキリしない説明にはうんざりです。そこで質問です、霊って本当いますか?いるのなら何故みんなの前に正々堂々と存在することを説明しないのですか?

  • 幸せと学会員。と宗教。

    わたしは最近悩んでいたので 幸せとかそんな事をぐぐっていました。 そこで興味深いサイトを見つけました。 そこに、幸せとはとか 愛とはとか書いていました。 最後に幸せとは 論理とか飛び越えて 超越? 科学とか宗教とか色々な視点?がある 科学では表せない どうたら~。 と書いていました。 大体読んで、多分作者の 言いたかったことは、 宗教とか信仰心が必要とのこと。(多分) ざっくりですが、それは正しいと 思いますか。 今、宗教自由の日本で 難しいお題だと思います。 作者は、人の心を踏みにじる 事をしてはイケナイ うんぬん、それを理解出来るなら Iqの高い人は犯罪を犯さない。と書いています。 それを理解するのは難しい。 らしい。 だから宗教が必要らしい。 わたしは、それを読んでなるほどな と思いましたが、他の人の意見は どうですか。 話は題名に戻りますが。 それは学会員に釣られても意味があるって 事ですか? 少しでも心落ち着くなら? それは大きな落とし穴なのかな? わたしはニ世ですが、洗脳されかけているのでしょうか。 しかし、草加学会と関係のないサイトを読んで 信仰心を持つのもいいことだな と思いました。 インターネットで調べられることも 限られていますけどね。その辺も気になります。最近。ネット依存なのか、それが当たり前のツールなのか。 は!しかしやっぱり学会は、 よくないと思います。 (理由は省略) なので違う宗教に目を向けるのも いいかもな~なんて思います。 さて となると 悩みゆえに 宗教に頼るのは甘え でしょうか。それとも修行でしょうか。 何せ、本材のサイトを提示してないし 大変大変解りにくい文章だとは思いますが。 ご回答を宜しくお願いします。

  • 科学万能主義的な宗教は設立可能か。

    以前、『科学万能主義の宗教はあるか?』と質問したのですが 無さそうでしたので、いっそつくってはどうかと考えました。 ただ、宗教は神など霊的なものを基本的に信仰しており そういったものに許可が下りるのか疑問です。 そこで2つ考えたのですが ・神や霊はいないと説き、現実的な思考をするように説く宗教 ・知や技を神と崇め、能力を高めることで神に近づけると説く宗教 このどちらかは設立可能でしょうか? この2つ以外でも設立可能そうなものがあるなら知りたいです。