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右と左の定義
grothendieckの回答
- grothendieck
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私は素粒子などの何らかの性質を左右の定義とすることは望ましくないと考えます。物理法則は物の性質を定量的に述べるためにあるものであり、何らかの概念を定義するものではないからです。「××粒子は右方向に多く放出される。」「それでは右とはなにか。」「××粒子が多く放出される方向である。」これでは循環論法であり内容のない言明であることはお分かり頂けると思います。「××粒子は右方向に...」と述べる前に××粒子とは独立に右というものが定義されていなければならないのです。しかし私たちは××粒子が放出される方向を認識できないことはありません。それは右とは箸を持つ方であり、多くの人が利き手としている方であることを経験的に知っているからです(利き手で差別する意図はありません)。右の定義としては「多くの人が利き手としている側」という単純なものが最良であると思います。人間の利き手と、CP保存の破れと、磁場中で電流が受ける力と、太陽が昇る方向というように全く無関係に思えるものに関係をつけているところに物理法則の価値と内容があるのであり、左右の概念はこれらの関係式の総体として理解するのが良いかもしれません。しかしこの関係式のなかでどこかに基準を固定する必要があるかもしれません。基準を固定するとすれば私は60COの崩壊などではなく、人間の利き手を基準に選びたいと思います。それから♯9の方へ。運動量保存は空間反転不変性ではなく空間並進不変性、エネルギー保存は時間反転不変性ではなく時間並進不変性だと思います。ラグランジアンの連続変換に対する不変性から保存則が導かれますが、離散変換からは導かれないと思います。
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