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明治憲法下でどうして政党政治が成立しえたのでしょうか?

Yelmの回答

  • Yelm
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回答No.5

敢えて言えば明治体勢は現代の開発途上国に見られる『開発独裁』の走りに近いものです。 アヘン戦争に始まる欧米列強の脅威に対し、明治期の日本政府は数百年に渡り続いた封建制度を捨て去り、近代的な国民国家への脱皮を模索しました。藩閥政治もいわばそのための「必要悪」として認められていた経緯があります。 その結果、日本は世界第三位の海軍大国にして国際連盟の常任理事国という紛れもない「大国」の座を得たのです。 そして開発独裁体制が進展すると豊かになった国民が諸権利を要求しだしますが、戦前の日本でもこれが大正デモクラシーに繋がり、普通選挙の制定と政党政治の進展となったわけです。 ところがこのとき、制定から既に40年を経て大日本帝国憲法は制度疲労を起こし、実態と合わなくなっていました。 ところがさしずめ昨今の日本における護憲論と同様「過去の日本の発展は大日本帝国憲法あってのこと」として憲法の改正には誰も取りかかりらなかったのです。 そしてその結果、ロンドン条約調印時に野党だった政友会は「海軍軍令部の同意の無い軍縮条約の調印は統帥権干犯だ」と政府を猛攻撃します。 それまで軍や憲法学者、政治家の主流は「軍の統帥権はあくまでも純粋な作戦面に限定される」というのもので軍縮条約が統帥権干犯との意見は軍内部でも少数派に過ぎず、あくまでも政府・議会側が突っぱねていれば何の問題も無かったはずでした。 言わば40年を経て制度疲労を起こしていた体制を改正するのではなく、政府の足を引っ張る材料に利用したのです。 またそのような党利党略に凝り固まった行動は当然ながら、政党政治に対する不信感をかき立てることになり、議会の力は更に落ちていきます(当時の現役軍人の書いた書籍ですら「統帥権の独立は時代錯誤で、日本の将来を危うくする」と書いたものがあるぐらいで、学識ある人間ならその程度の事は分かりきった話でした)。 この結果、統帥権は一気に拡大解釈されてしまい、また政治家が軍の行動を非難すると「統帥権干犯だ」と揚げ足を取られるようになり、議会は自ら軍に対する統制機能を放棄してしまうのです。

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