- ベストアンサー
明治憲法下でどうして政党政治が成立しえたのでしょうか?
明治憲法って初め藩閥による超然内閣で政治が独占されていたのに、なぜ、政党政治に時代は変わっていったのでしょうか?薩長がそう簡単に政権を手放してしまったのはなぜなんでしょうか?ふつうだったらそう簡単に手放さないですよね。どうして、それをしたのか。また出来たのか、理解できませんでした。どなたか教えてください。よろしくお願いします。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (5)
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
- Yelm
- ベストアンサー率19% (63/324)
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3287)
- Auskunft
- ベストアンサー率53% (35/66)
- cipher_roy
- ベストアンサー率45% (411/894)
関連するQ&A
- 明治憲法下の政治権力
明治憲法下では枢密院や軍部などさまざまな勢力が権力を有する割拠的政治体制を持っていたと教科書に書いてあったのですが、実際に立法するのは帝国議会で、行政は内閣に委ねられてますよね? じゃあ軍部とか枢密院の人達が主に議会や内閣を構成していたってことですか?
- ベストアンサー
- 政治
- 政党が憲法上認められる理由付けについて
政党が憲法上認められるとされますが、その 理由付けとして、議院内閣制がとられているから、と いわれます。 何故、議院内閣制がとられているから、政党は 憲法上認められる、となるのですか? ご教授ください。
- ベストアンサー
- その他(法律)
- 日本政治について
(1)明治憲法体制は、そもそも政党政治を予定しておらず、政党政治に否定的ですらあった。しかし、憲法発布と議会開設から約10年後の1900年には藩閥政府の元勲である伊藤博文自らが政党を結成し、政党政治への道を開いた。すなわち、伊藤を総裁として、伊藤系官僚と憲政党(旧自由党系)とが合流して立憲政友会が結成され、この政友会を基盤として第4次伊藤内閣が成立することとなった。 教科書にはこのように書いてあるのですが、なぜこのような事態が生じたのでしょうか? (2)戦後日本政治において1960年は一つの画期をなす。この年に改定が実現した日米安全保障条約は、現在に至るまで日本の外交・安全保障政策の根幹をなしているからである。また同時に、安保改正に至る政治過程はその後の国際政治にも大きな影響を及ぼした。 では安保改正は以後の国内政治にどのような影響を及ぼしたのでしょうか? わかる方がいればなるべく詳細に教えていただきたいです、、 よろしくお願いします!
- 締切済み
- 歴史
- 明治憲法下における権力機構の多元性について
法学部の日本法制史の授業で、過去に明治憲法下における権力機構の多元性について論ぜよという問題がでていたので論文を書いてみようとおもうのですが、教科書がなく口で説明するだけの先生なのでわけがわかりません。 ノートの走り書きを見てみると、枢密院 内閣 国務が統帥を従属させることに失敗、薩長土肥のもの以外で内閣が占められても貴族院、枢密院でチェックできるようにする 1912 明治天皇→大正天皇 陸軍が国務をおさえつけた 明治憲法下では権力機構の一元化はできなかった などが書かれています。 要するに軍部が力を握っていたということでしょうか?ネットで調べてもこの時期については書かれておらず、2,26事件あたりの軍部についてしかのっていなかったので。 何か分かるかた、教えてください!
- 締切済み
- 歴史
- 日本の政治と理想の政党制
イタリアなどずっと与党の地位にいている政党政治をやっているところもあり、2大ブロック化が進みました。もともと分極的な性質もあるようです。 オーストリアも与党は固定的ですね。2大政党から移行している国のようですが。 フランスやスウェーデンもブロックですよね。 ドイツはずっと連立政権の国なようです。 連立って組み替えは起こりうるのはわかるのですが、やはり固定化しやすいものなのでしょうか? 日本では、自民党公明党と民主党国民新党などのブロック的?な時代があって、その次の時代になっているかと思うのですが、どんな政党制になっていくと思いますか? 一時期、日本は英米的な政治しか有名ではなくて、の2大政党が進んでいて、その後を行っているという認識が出たように思えます。 自民党以外に政権担当能力が疑問ともいわれて、合意形成型の国だとするとどんな政党制が理想なのでしょう?日本でも政権交代可能なのは時代の流れなような気もしますが。 やはり穏健な多党制や2大ブロック的なものなどどちらが理想なんでしょうか?
- ベストアンサー
- 政治
- 明治憲法と日本国憲法の相違点
現在公務員試験の勉強をしているのですが、 問題で疑問点があります。 問題では 1。明治憲法、日本国憲法ともに内閣についての規定がある 2。明治憲法、日本国憲法ともに、衆議院の解散制度が存在する。 この2問なのですが、 1は×で2が正解なのですが、 なぜ2が正解なのでしょうか? 私の記憶では明治憲法下では衆議院は貴族院だったと思うので、 衆議院という表現自体間違っていると思うのですが、、、。 どなたかご存知の方助け舟をお願いします!
- ベストアンサー
- その他(法律)
- 初の政党内閣と初の本格的政党内閣の違い
初めまして、今回は政党内閣についてお伺したく質問させて頂きました。 歴史などの本を見ていると、日本の初の政党内閣と、本格的政党内閣という用語が出てきます。しかし、その違いまでは言及されておらず、私のイメージでは前者が藩閥的な要素が強く、後者の方がどちらかというと民主的なのかなと言う程度なのですが、2者の根本的な違いというのはどこにあるのでしょうか。 基本的なことをお伺して申し訳ないのですが、ご回答賜れれば幸いです。
- ベストアンサー
- 歴史
- 明治憲法(大日本帝国憲法)について
明治憲法(大日本帝国憲法)について どこが違うか 教えて下さい。 ↓ 明治憲法の下では貴族院議員は臣民による制限選挙で選ばれたが、 日本国憲法の下では参議院議員は普通選挙で選ばれる。
- ベストアンサー
- その他(法律)
お礼
みなさまありがとうございました。 本当は全員の方にポイントをおつけしたいのです。皆さんとても参考になる解答ばかりです。これをもってお礼に代えさせていただきます。ありがとうございました。