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明治憲法下における権力機構の多元性について

法学部の日本法制史の授業で、過去に明治憲法下における権力機構の多元性について論ぜよという問題がでていたので論文を書いてみようとおもうのですが、教科書がなく口で説明するだけの先生なのでわけがわかりません。 ノートの走り書きを見てみると、枢密院 内閣 国務が統帥を従属させることに失敗、薩長土肥のもの以外で内閣が占められても貴族院、枢密院でチェックできるようにする 1912 明治天皇→大正天皇 陸軍が国務をおさえつけた 明治憲法下では権力機構の一元化はできなかった などが書かれています。 要するに軍部が力を握っていたということでしょうか?ネットで調べてもこの時期については書かれておらず、2,26事件あたりの軍部についてしかのっていなかったので。 何か分かるかた、教えてください!

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  • kybos
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回答No.1

新井のヤローはホント進歩がねーなぁ。 統帥権干犯のあたりかな。

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