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三国時代の人物の字(あざな)について

当時の人たちの字は、兄弟がいる場合は上から伯、仲、季、幼、などとなっていますが、兄弟がいない(と思われる)人物でもその文字を使っている場合があるのはなぜでしょうか。縁起の良い文字だからでしょうか。それとも、兄弟がすでに亡くなっているから?ご存知の方お教え下さい。 パッと思いついたのは陸遜(伯言)と董卓(仲穎)でした…

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  • shota_TK
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回答No.1

字(あざな)は,「他人の名前を呼ぶのが失礼だ」という考えから付けられる 「呼び名」ですよね.どんな漢字でも使えるというわけではないので, どうしても限られてきちゃいます.「伯」や「仲」はいい意味を持った漢字 ですから,兄弟のことを気にせずに付けたんだと思いますよ. でも,もしかしたら兄弟がいたのかも知れませんね.記録に残っていないだけで. 中国では,同姓同名がよくありますよね.特に,後漢の前の王莽の時代に 「二名の禁(2文字の名前を禁止)」をしたこともあって,それ以降の 時代(三国時代ぐらいまでは)は,同姓同名をよく見かけます. 歴史上の割と有名な人物で,字まで同じっていう場合もあるみたいですね.

参考URL:
http://nt.sakura.ne.jp/~skymap/rekisi-mania/namae.html
souken
質問者

お礼

なるほど、新の時代にそういった事があったのですか。参考サイトはとても勉強になりました。ありがとうございます。

その他の回答 (1)

回答No.2

 NO.1の方の「記録に残っていない」というのは十分ありうる話しだと思います。歴史(史書)に名前が残るのは、その時代でよっぽど異彩を放った人に限られてきますから。  一例を挙げれば、「白眉」の故事で有名な馬良ですが、「馬氏の五常白眉最もよし」という言葉から5人兄弟であったことはわかるのですが、史書にそれとわかる形で名前が残っているのは、馬良と末弟の馬謖の2人だけだそうです。  あと、兄弟の順番についてですが、私は割りと厳格につけていたのではないかと思います。孫策伯符、孫権仲謀などは良い例ですよね。対外的に名乗ったときに、一家の中の位置づけがある程度わかる(ああ、この人は総領息子なのだな、とか)ので、その辺は厳しかったのではないかと思ったりするのです。 こちらは私見なので自信はありませんが・・・。この点に詳しい方、教えていただければ幸いです。

souken
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに、史書に残っていないということもありそうですね。人物の伝をでも、○○郡○○の人などと生国は記されていても、何人兄弟の何番目とは書いてありませんしね。 kokurakutenさんの私見も、充分説得力はありますね。家や一族の事を優先して考える傾向が極めて強かった昔の事ですし。

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