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この世界に信じるに値するものは何か

質問に先立って前置きです。 悪は概念のみであり空絵ごとです。 罪もまたそうです。 欲望は私には正体不明です。 「この世」という言葉がありますがこれが何を表すかというと、空想の産物たる「あく」「罪」などが実在する幻の世界です。 脳の空間を認識するの産物で自らの心の中だけの空想の産物です。 夢を見ながら彷徨っているのだとお考えください。 夢の中に閉じこもっているのです。 現実と「この世」は異質であるとの前置きでそれでは現実たる「この世界」に信じるに足る真実とは何でしょう。 現代人はそれこそが愛であると学んでいます。 そこで心情において問題になるのがその「愛」は確かめた上で信じているのか、判らないで(時には判ろうともしないで)盲目のまま信じているのかです。 後者は信仰でなくとりすがりです。 一応「愛」を引き合いに足りましたが、信仰に限らないで「この世界」とはいかなるものとお考えでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.21

難しい議論にはついてゆけない(時間が無い)ので、 回答だけ もう一度書くことにします。 わたしの考えです。 「この世界」に信じるに足る真実とは、 と言えば、 (1)何かうれしいことがあれば伝えずに入られなくなる人と人との間の 素朴な人に見られる人間のそのような単純な本質です。 (2)そして、この存在(この世界)には、無限にうれしいことが人の心の奥に用意されプレゼントされている事、 この二点です。    短く書けば、それが私の中でいつしか「希望」の世界、あるいは闇の中の光となっています。 後は、そちらの直感(テレパシー?)で判断してみてください。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 心地よい文章ですね。 この世界を受け入れることが出来るのでしょう。 しかも手放しで。 私はおもちゃ屋さんに勤めていますが、子供に対して大人が出来ることは、一つでも多く幸せな体験をさせることだと思っています。 同じ見解ですよね。

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その他の回答 (33)

回答No.3

「この世界」とは「変化」ではないでしょうか。 信じられるものは、変化するということしかありません。 夢の中の安定とその土台たる変化にただただ驚いてます。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 感覚的に、いい感じですね。 でも夢の世界だけ安定しても安住できないんですよ。 私の心境ではそうです。 永遠も真実も確かめきっていないとでも申しましょうか。

noname#117439
質問者

補足

bananasandさんへの反応でなくこの質問そのものへの補足です。 よそで私が出したコメントです。 日本人は信仰の中で「絶対」と言う言葉の使い時を知らないのでしょうね。私も純粋な光が絶対の存在であるかどうかには関心がありませんので確かめようともしません。私は以前に自らの心の究極の姿について、「その背中は自らの存在に疑いを持ったことがないので、疑問めいた問いかけに答えようが無い」と、表現したことがあります。 何が言いたいかと言うと。 自らの本質の姿は絶対であり、それは内包している。 とでも言いましょうか。 デカルトの試行錯誤ではまさにその不変のものお確かめたのでしょうが私はそうではなく、この世界の全てを問いたいのです。

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noname#80116
noname#80116
回答No.2

 bragelone です。  考えるに そもそも 《信じる》のは 《この世界》を超えたところのことです。しかも 《この世界》において《信じるに値するものは何か》という問いでしょうか。  そうですね。  ○ 存在です。  ☆ でも 存在は 抽象的ですから  ○ 現実存在 つまりいわゆる実存です。  ☆ しかしながら それらは 言わずと知れた移ろいゆくものです。  ○ その移ろいゆく存在からも 発せられる心のことば です。  ☆ これを わたしは 信じるに値すると考えます。どの国ないし民族の言語にも属さない心のことばです。けれども あるいは まだ そのような言葉にも わたしたちは 欺かれるかも知れません。《信じるに値する》部分はあるでしょうね。  たとえば 自民党を信じない。官僚を信じない。というとき いや いやしくも人間であるのに あたまから信じなくていいのか? という言葉を 胸の底から聞きます。そういうたぐいの言葉です。  そのときには 腐った人間でも信じよう・愛していこうという気持ちを持とうとした場合に その反面で 公共的ないきどおりをも 感じていることがあります。この公憤は 心のことばであるかも知れません。  それらには 多少とも 《信じるに値する》部分があるかと思います。

noname#117439
質問者

お礼

brageloneさん。ご回答ありがとうございます。 私がかつて苦闘した人間を信じる行いの解説ですね。 私は頭ごなしに体当たりで人間を信じようとしました。 brageloneさんのコメントの場合は、そこに考える行いが含まれていますが、私だって未だその全てが認められないもろさがあるので、ご判断は適切でしょう。 実存が移ろい行くことはそれを信じない理由にはならないかもしれませんが、そういえばかつて鬼神が「魂」といえばそれは永遠に純粋なまま変わらないと言っていました。

noname#117439
質問者

補足

本当はA1のwiz0621さんへのご回答ですが、失礼します。 wikiわれ思うゆえにわれあり。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E6%80%9D%E3%81%86%E3%80%81%E3%82%86%E3%81%88%E3%81%AB%E6%88%91%E3%81%82%E3%82%8A たとえば寝ている間に自我不在で寝返りを打つことは誰にでもあります。 いろいろ自らが人体実験をしていますが自分自身が不在のままの思考やその痕跡としての反応はあるみたいです。 検証法として全てを疑うことで確かめられるのが真理の輝きなのかは私自身は疑問です。 私は逆に全てを信じる行いに挑戦しています。 このコメントは論戦を仕掛けているのでなく個人的な備忘録です。

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  • wiz0621
  • ベストアンサー率42% (182/430)
回答No.1

質問者さんと同様の疑問を持った人物が400年ほど前に居ました。 名前をルネ・デカルトといいます。高名な数学者である彼は 様々な遍歴の後、ある真理へとたどり着きます。 全ての存在が虚偽であるとしても、 そのように疑っている意識存在、我だけは確実に存在している。 つまり、 『我思う、故に我あり(コギト、エルゴスム)』 です。この発想の瞬間こそが中世の終わりでした。 この言葉が全ての近代哲学の源流となり、 結果として人類は数千年続いた盲たる時代が終わり、 そして宗教の呪縛から逃れ『個』を手にすることとなったのです。 もちろんこの言説、特にエルゴ(ergo,故に)が正しいのか、 については今日に至るまで議論が続いています。ですが、そういった 考えの上でも"この世に存在するかもしれない絶対的なもの"、 を探すにあたってはまずそれを考えている自分の存在を 認めなければなりません。 その上で、外部の世界と自分の世界の関係性を 一つ一つ検証していくことで、多くの問題は 解決できるのではないでしょうか。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 デカルトといえば有名人ですが私はそんな初歩的な思想の内容すら無知でした。 ご回答の後半にありご回答者さまご自身の見解も適切です。

noname#117439
質問者

補足

質問の判りにくいだあろう箇所の補足です。 「この世」と現実の対比だと無神論的思想丸出しなので今回の趣旨のそこに信じるものはあるかが判りにくくなると主って「この世」と「この世界」を境界があいまいなまま対比させました。

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