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お金の価値の本質を哲学した人いますか?

arayata333の回答

回答No.14

>形式的ないい回答<という、そちらが期待している回答とは、 それぞれが本質的にきちっとした筋がとおってる理論であれば質よりその量を今は求めているということなのでしょうか? そちらにとっての「いい回答」を書くには、無学な人間からは難しいことなのかもしれませんが、 お金の本質に関わる質問にはつい、回答したくなってしまうところがあります。  ついというよりどうしてもそういう気持ちになってしまうという感じです。 * >例文<の中の《お金の本質は、「モノの交換時の経済的価値をコピーしたもの」》という定義は 厳密でかつ解かりやすいですね。 もちろんわたしも そのような取り決めであることはある程度は理解していたつもりです。  あたりまえかもしれませんけどね。 でも、そういう取り決めであるとしても同じ事であり、私はそれを人の一生の中の価値との比較で常に考えますし、 そこがわたしにとっての切実な哲学となっているわけです。 一億円の名画は、その対価として交換時に一億円という値段が付けられたことで一億円の経済価値として計算できる価値の世界に移行した価値をそこに付け加える形になるのでしょうが、 その値段のコピーであるお金自体はその名画が無くなってしまった時点で 経済価値として計算できなくなるわけですが、  その名画が名画であるならば、記憶の中には残り、それはいつ、どこでその人の人生の価値の中にどれだけ深く大きな価値なるか 計算できない価値とはいえ、 この経済価値と 実際の効果の価値との対比は どうしても私には哲学しないではいられない思索領域なのです。 ほんとうは、 そのことの切実さをより多くの人に解かってもらうためには、 こうした例示をよりたくさん掲げたほうがいいのでしょう。   しかし、回答の紙数が限られている以上、また質問者様の興味がどこにあるのか、その例示は質問者様の人生や思索にもフィットする例示なのか、その辺は 迷いつつ書くしかないところと思います。 そこで、すでにいくつか出ている問題について、私の方からのその「どうしても回答したくなる」観点と絡めて、 同じ観点からの私の主張(哲学)ですが、回答の筆を進めていってみたいと思います。 たとえばサブプライム問題。 サブプライム問題が、証券を同時にセットで売ったため、それで資産のプラス・マイナスが解からなくなり、 それが世界の投資家を混乱させ、実際にはそれなりに利子回収は出来た(つじつまを合わせることが出来た)問題、あるいは20%にすぎないそのような問題であると聞いていますが、にもかかわらず、 実際にたとえば その証券とかを買ったわけでなない日本の銀行が貸し渋りとかをせざるを得ないような実態経済の混乱にまで発展してしまったこの問題にしても同じ問題の渦中ということです。 投資ということが、 あくまで《“もの”と“もの”の交換時においてすでに、半分以上は計算できない価値取り決めの世界でもあり、ニーズの奥の価値の世界とも関わっている世界が見えてこない限り、安定した予測とかが出来ない世界》と関わる経済世界であるために、 それがゆえに今回 その計算不能な世界が混ざってしまったことで、  利子の問題を越えて大きな危機的に見える事態を生んでしまった ということです。 その問題こそ これまた、今回の問題の哲学すべき本質だと思うのですが、  これが哲学したうちに入らないとするならば、 哲学って何なのでしょう。 いや、学問の世界とか アカデミックな哲学の世界は、もっと悠長な論理の積み重ねを必要とする世界なのかもしれませんね。  私は何かあせってるだけなのかもしれません。   私のような考えの者は、学問の世界よりもまず 事業家の道に身を置くべき者であるべきなのかもしれません。 老体に鞭打ってでも 私こそそんな方向で玉砕でもすべきところなのでしょう。 例示は それなりに無学ながらもまだまだたくさん掲げることはできますが、私の方からは形式的にうまく書けそうにも無いですし、 あとそちらがコメントくださった「コピー」と価値の問題について、私の方から書きたくなったことだけ書いておきます。 小室さんは、人間として「わざと失敗した」のかもしれませんね。 誰にも家族にさへも黙ってです。 私は音楽産業は、その功罪の奥から再出発をするべき時を迎えてると思っています。 いわゆるデタラメな歌自体には遊びとしての価値すらないと仮定して話ますが、 そうではない歌の価値の幅は ある決められた範囲の形式の枠内での完成の世界(現時点のプロ達の追いかけてる世界)に押し込められる世界ではありません。   いわばうまい下手を越えた 音声の躍動の世界と その価値の深さ 切実な創造価値とかの世界からは、今までの音楽産業の世界は 功罪両面があると言えます。   その詳しいことはここではともかく、 だからそこにコピー文化としても機能する面があったということです。  そこをうまく活用して一時代を築いたのが小室さんという方です。  おそらく最初からピエロを演じていた孤独なプロデューサーなのだと思うのです。 音楽が全面的に虚構ということはありえないですからね。 たとえ経済価値に主導権を明け渡しても (というよりそう見えるように持っていったとしても)です。 情報化時代、PC時代、 価値自体は、コピーされてもいい新しい時代が来ています。 来ようとしています。   わたしは、そのへんの理解をあなたが、 さらに拡大して考えているのかなとかってに思っていました^^。 量は質へと変換される時が来ます。  きちっとした考察を積み重ねられてください。   結果 もしお金の哲学に解答があるのならば、 私たちは、結局この人間の生涯の中の 今の生活感を越えた価値の世界にいきつくはずだと私は思ってますが。    そちらの質問の意図にそぐえなかったかもしれませんが、私の方からの回答の筆は ここまでは伸ばさせていただいたしだいです。   

ceelee-boy
質問者

補足

arayata333さんの哲学は人生哲学の哲学ですよね。 私の好きな哲学は(当たり前に思えるようなことを)「ちゃんと考える」というか、正確にいうと「ちゃんと考えたつもりになる」哲学なので、話はかみ合わないと思いますが、 コピーについての認識は似ていると心強くなりました。 海賊版を野放しにしろとまでは主張しませんが、今の著作権という権利はかなり行き過ぎている権利だと思っております。 お金が実体の価値のコピーなら、コピー自体に価値があることになりますから。 まあ、違うことなんでしょうが、写真なんか、あからさまなコピーですけど、写真自体にも著作権ありますからね。 コピーを肯定的に考えるにしても、コピーのコピーは、利息にさらに利息をつけるのが悪なように(まあ、元本組入れという儀式を行うと罪は浄化されてしまいますが)、否定すべきものだと感じます。 今回の経済危機は、お金そのものじゃなくって、債権、証券、株券、金融商品っていうもっとあやふやなもの達のせいで起きています。 自分の今回の驚きは、お金って適当に印刷していいものだったんだって所です。

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