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「江戸時代、庶民も誰もが苗字を持っていた」という説は本当?

「庶民が苗字を名乗れるようになったのは、明治以降。江戸時代の庶民は 苗字が無かった」というのは俗説であり、最近の研究では、江戸時代の 庶民にも苗字があったとする説が一般的になりつつあります。 やはり、「家」を識別するためには、庶民と言えど苗字が無いと不便だし、 庶民にも「家格」はあったはずだと思います。 公には「苗字は武士だけ」とされていたため、農工商の庶民は、ひっそりと 苗字を持っていたそうです。 しかし、疑問が残るのですが、どうして今さらそんな新説が出てくるので しょうか? うちの大正生まれの祖父はもう死にましたが、生前そんな事は言って ませんでしたよ。 祖父の世代から見れば、明治初期はそれほど昔じゃないから、「日本人は 江戸時代からみんな苗字があった」という事実を上の世代から教えてもらって いても不思議じゃないと思います。 「江戸時代、庶民も誰もが苗字を持っていた」という説は本当なんでしょうか?

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回答No.3

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 NO3.の方、まあ、そう怒りなさんな。 takeshi95さんも、自分が納得した方へは、「きちんと」「お礼ポイント」で評価してあげましょうね。 >>「庶民が苗字を名乗れるようになったのは、明治以降。江戸時代の庶民は苗字が無かった」というのは俗説であり、最近の研究では、江戸時代の庶民にも苗字があったとする説が一般的になりつつあります。 まず、結論から言うと、全員ではありませんが「ありました」。 実際の「例」としては、私は、金銀山を調べるうちに、佐渡奉行所のことも調べました。 その中で、大崎村(現:新潟県佐渡市羽茂大崎)の「宇兵衛」と言う豪農が、文化年間(1818~)に金銀が産出されているにもかかわらず、「抜け荷(ぬけに=闇取引)」が横行し佐渡奉行所は火の車でした。そんな折、宇兵衛が金子50両(現在のお金に見積もると1,000万円位)を寄付しました。それにより、佐渡奉行から、 「以後、川口(家)を名乗るように」 と、苗字を賜りました。 このように、「功績」に対する「見返り的」なものが庶民にはありました。 また、全国的に有名なところでは、相撲とりなどで、大名のお抱えなどもあり、「小野川(喜三郎)」とか「谷風(梶之助)」など、「関取名(=芸名)」を名乗っています。さらには、歌舞伎での「市川団十郎」や「中村歌右衛門」なども「芸名」でもありましたが、「苗字」の分類にも入るものです。 あとは、小藩の下級武士が俸禄だけでは食べていけないため、武士を辞めて農民になったような場合も「苗字」を名乗ることができました。 ただし、武士以外の庶民の場合は、書類などに名前を記載する時は、「名前のみ」で苗字を持っていても、「ひけらかす」ことはしませんでした。 また、田舎などに行くと「屋号(やごう)」というものがあり、大概は、初代の人の名を屋号とし、「長太郎(家)」とか「平左衛門(家)」とか、同じ「長太郎」などの場合には、区別をするため、近くに「一里塚」などがあったりしたら「塚(家)」とか坂の下に家があるので「坂ノ下(家)」と、「屋号(やごう)」で呼ぶ風習が残っています。 その後、明治になってから、全ての人が苗字を付けるようになってからは、これまでに苗字を持っていた者は、その苗字を。また、苗字を持たなかった者たちは、領主だった人の苗字を「あやかって」名乗ったり、池が近くにあるので「池端」とか、林の中に家があったから「林」などと、思い思いに「苗字」を付けて名乗るようになりました。 しかし、明治以前には、前書きにも記したように「全員」に「苗字」があったわけではありません。

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  • Tacosan
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回答No.4

「姓」を持つのは原則として武士だけです. 「原則」というくらいだから「武士じゃなくても姓を持つことがある」ということでもあります. #4 にも例がありますが, ほかにも玉川上水を引いた人に「玉川」の姓を与えたという事例もあります. こちらの場合はさらに「上水永代管理」の職も与えられ, 水を使っている人からは (たとえ武士であろうと) 使用料を得る権利も与えられています. で, 「家」の識別に使っているのは同じく #4 の「屋号」と呼ぶのが普通です. 「家」の識別に使う以上は「姓」と同じような働きをしますが, こちらは「勝手に使っている」というものであって「公式なもの」ではありません. その「苗字」というのが実は「姓」と「屋号」の両方を指しているという可能性はありませんか?

  • Scull
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回答No.2

第一に、名字帯刀と言う言葉がある通り、江戸時代に名字を名乗る事が許されたのは武士、またはそれに準じる身分のものであるのは確かです。 ただし、だからといって全ての庶民が名字を失っていた訳でもなく「名字を持っていた庶民も居た」のです。代表的なのが「明智家」で、光秀の反逆以来武家としての面目を失った明智家は江戸時代には名字を伏せて過ごし、徳川幕府が倒れてから明智の家名を復活させたそうです。 もちろん中にはあまり名乗らないでいるうちに「失われてしまった名字」も多くあった事でしょうから、全ての庶民が名字を持っていたと言うのも極論でしょう。 正確な所は「江戸時代であっても名字を持っている庶民もいた。ただし、公に名乗る事は庶民には禁じられて居たので失われた名字も多くあった」と言う事でしょう。 庶民のすべてが名字を持っていた訳でもなく、庶民のすべてが名字を持っていなかった訳でもなく、事実は「その中間にあった」のだと思いますよ。 世の中の事はそうそう1か0かで割り切れるものじゃありません。

  • denden321
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回答No.1

>「江戸時代、庶民も誰もが苗字を持っていた」という説は >本当なんでしょうか? 実際には武士以外でも苗字を持っている (というより「自称」というのが正しいか) 一般人もいたようですね。 ただし、豪農や豪商それなりに功績のあった人間でないと、 公に使えなかったようです。 というより使っちゃうと大変なことになりかねません。 >うちの大正生まれの祖父はもう死にましたが、 >生前そんな事は言ってませんでしたよ。 うちの祖母は大正一桁生まれでした。 生前苗字のことについて聞いたことはありませんが、 もしかしたら一般農民でも何か苗字を名乗っていたのかもしれません。 ですが、世の中苗字のことを気にする人達ばかりではないので 祖母に苗字のことが伝わっていなくても別に不思議とは思いません。

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