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ロシア農奴と江戸時代の農工商、えたひにん

ロシア農奴と江戸時代の農工商、えたひにん ドストエフスキー、トルストイを読んでいます。 小説に出てくる農奴解放前後、特に解放前のロシアの一般庶民はずいぶん、悲惨な感じがします。 江戸時代の農工商えたひにんと、農奴解放前後、解放前のロシア庶民の比較異動を教えてください。 特に生活レベルとか、持っていた権利などについて、 できるだけ具体的に、詳しく知りたいです。 よろしくお願いいたします。

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  • pri_tama
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回答No.1

農奴  移動、職業選択の自由はない。  一応、個別の家族、住居、耕具の所有は認められる。  (人間としての人格を完全否定される奴隷ではない。ただし人間としての人格が保障される事は稀)  簡単に言うと、一定量の農産物を生産する為の、荘園の付属品です。  (時には土地と共に売買、譲渡の対象となった。) ロシアだと、1861年にアレクサンドル2世によって農奴解放令が発令  移動、職業選択の自由が与えられた。  (富国強兵の為の、人員の確保が出来る様になった。[兵隊や工場従事者の確保が可能に])  ただし、元農奴が土地所有者であった貴族から土地を購入する事は金額的に出来なかった為、殆どの者は農奴であった時と変らない待遇で生活をする事になります。  (事実上の農奴の温存。これが変るのは革命を待ちます。) >江戸時代の農工商えたひにん  昨今の研究では、江戸時代には士・農・工・商・穢多・非人と言う厳格な身分は存在していなかったのではと言われています。  御家人株などを購入すれば、農・工・商であっても武士に成れた。坂本竜馬の先祖も、財を蓄えた事で商人から郷士に成っています。  また、一般農民であっても米以外に町で金に換えられる作物や商品(「工」の役割を担ったり)を生産したりしましたし、大農家ともなれば海運を担ったり大名貸しなどの金融業もやっていました。  (「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」と呼称された酒田の本間氏など) >特に生活レベルとか、持っていた権利などについて、  生活レベルは、ピンキリ(豪農や豪商は、大名並な生活を送っていましたし、水のみ百姓や丁稚奉公などは奴隷の一歩手前)です。  穢多・非人で有っても相応の財を溜め込んだ者もいるようです。  (穢多頭の矢野弾左衛門は、殺生や穢れを嫌っていた当時の風潮から皮革の製造加工を独占し、旗本並みの格式と十万石の大名並みの財力を有すると称された。)  差は、武士には帯刀などの儀礼的特権があり、一般民衆は特に何も無く(才覚が全て)ただ農村と都市部の違いで別れ、抑圧階級(住居や職業に対する制限)として穢多・非人(地域によって差異が有り明確には…。)が居ると言う所でしょうか…。

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