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江戸時代 身分

江戸時代の身分制度について興味があります。 しかし全く詳しくありません。 士農工商とよくいいますが、本当に農民は上から2番目の扱いをされていたんですか? えた・ひにんとはどのような身分ですか? また、江戸の身分制度の在り方や意味についても意見をお聞きしたいです。

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  • 回答No.8

士農工商の農とは「農地を所有する者」です。 農地は国の根幹であり、この場合は上から2番目と見て良いでしょう。 注意するべき点は農地を所有しない農業従事者、いわゆる農奴(下人・水吞百姓)の存在です。 貧困な生活を送りながらも戦後の農地解放が出るまで農地を持たない農民が数多く存在していました。 「苦しい生活の憂さ晴らしの為に農の下に工商を置いた」とかは大嘘ですw 非人は病人・障害者や罪人です。仏教や神道の影響から穢れ多き者と差別され、賎民身分でした。非人刀鍛冶(士農工商で言えば工)の加州清光が有名です。 穢多は職業の俗称であり、代表的なものに皮革産業があり、また触穢の思想から病人や罪人を 扱う職業も穢多と称されています。浅草の弾左衛門が有名です。

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  • 回答No.7
  • ar300
  • ベストアンサー率15% (15/99)

歴史の教科書は極端なこと書いてあるんです。士は偉くてそれ以下は奴隷みたいだとか。 今の福島県の二本松の五代藩主の丹羽高寛の遺跡「石銘碑」にこんなのがあります。 爾俸爾禄  (なんじの俸、なんじの禄は) 民膏民脂  (民の膏、民の脂なり) 下民易虐  (下民は虐げ易きも) 上天難欺  (上天は欺き難し) これを現代語訳すると、お前達(士)が頂く俸禄(給料)は、人民(農工商)の汗と脂の結晶(年貢)である。下々の人民(農工商)は虐げ易いが、神を欺くことはできない、という意味だそうで。 今で言えば、士は国会議員や公務員というところです。そして彼らは人民の税金で生活してるんだからしっかり仕事しろよ、ということのようです。今の日本の現状はどうなんでしょうね?

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  • 回答No.6
  • tak7171
  • ベストアンサー率40% (77/192)

士は支配階級で別格とし、被支配階級として農・工・商があります。土地を持ち、生産能力のあるものは農です。土地を持たず生産能力しかないものは、農から材料を仕入れてモノを作る工になり、ソレすらも持たないものは、農や工から仕入れたものを輸送・販売する商に携わることになります。つまり、農を基本に、そのニッチ産業として工や商が生まれたわけで、産業発生当初は農-工-商の序列だったと思われます。ところがその後の貨幣経済の発達によってこの構造が逆転、より大きな資本や物資を動かせる順に商-工-農の順に替わっていきました。支配者側からすれば、土地を持った農は固定した税源であり、工や商は変動が激しいもので(農は土地に縛られるために戸籍に載せることが簡単だが、工・商は土地に縛られない。戸籍に載らないということは税を取りづらい)、しかも商はその経済力で支配者側を凌駕しかねません。そこで支配者側に都合がいいよう、身分としては上位が農、工、商を下位としたと思われます。

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  • 回答No.5
noname#140269
noname#140269

江戸時代に確立された身分制度『士農工商』は、実は中国の春秋戦国時代にその文献があり、それが基になっています。「士」は武士・官吏、「農」は百姓、「商」は商人・問屋、「工」は職人・大工を指しますが、実際、農民が二番目に位置された理由は、今で言う税金が関係してきます。今でも色々種類がありますが、当時の租税であるものの中心は「農民」が納める米・農作物の「年貢」でありました。租税の中心を納めるのは「農民・百姓」という事で二番目に位置されてるわけです。商人・職人には「運上」や「冥加」というものが課せられ、これは金銭でありました。金銭の方が重いだろうとなると思いますが、当時の人口に占める農民の割合は細かい数字までは分かりませんが、商人・職人よりも遥かに上でありました。だから「運上」や「冥加」よりも「年貢」に重きがなされていたんです。 要は「士農工商」は、「武士・官吏」以外の「農工商」の部分は、税金を納める額・量で表されていたわけで、農民が身分としては二番目という意味ではないのです。実際、農民の暮らしぶりは決して豊かなものではなく、生活面から身分を決めれば「士商工農」というのが正しい事になるんですが、農民を二番目に位置する事により、農民・百姓の幕府に対する不満を少しでも解消しようという狙いもあったと思われます。事実、「農民を大事にせよ」という「おふれ」も出てましたから。 「えた」は漢字で「穢多」と表記され、主に死んだ牛馬の処理と獣皮の加工やまた革製品の製造販売などの皮革関係の仕事、刑吏・捕吏・番太・山番・水番などの下級官僚的な仕事、祭礼などでの「清め」役や各種芸能ものの裏方、草履・雪駄作りとその販売、灯心などの製造販売、筬の製造販売・竹細工の製造販売など、多様な職業を家業としていた者を指します。 「ひにん」は漢字で「非人」と表記され、罪人・或いは元罪人を指してそう呼ぶという事もあります。町や村は、共同体を維持するため、よそ者や乞食を排除する目的で番人を雇っていましたが、非人はこの役を務める事が多かった様です(番非人、非人番)。番太郎・番太とも呼ばれています。 「えた・ひにん」は卑しい階層とされ「士農工商」のどれにも属さない、言わば「人非人」として扱われていたわけです。「工」に近いものがありますが、内容的には当時としては「卑しい仕事」とされるものが当てがわれていました。

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  • 回答No.4

> 士農工商とよくいいますが、本当に農民は上から2番目の扱いをされていたんですか?  いいえ。当時の農民は、唯一年貢、つまりこん日言うところの税金を納めた人たちでしたので、「大事だと、書いておこう」という程度のことです。実際は土地に縛り付けられた哀れな存在。税金が高いからと言って逃げる(逃散)と処罰されましたし、一揆を起こせば指導者は死刑だったらしいですし(おこされた大名も処罰されたそうですが)。  ちなみに、当時の年貢率は四公六民と言って、年収の4割が税率だったようです。いまはなんだかんだ税金や掛金を混ぜると高いほうは6割7割くらいになりますね。一揆確実。  で、一般の工商は無税でした。店を構えた大商人は店舗の間口に応じて税金を払ったりしていたようですが。 > えた・ひにんとはどのような身分ですか?  死体を始末したり獣の皮を剥いでなめしたりという、人がいやがる仕事をしてくれていた人たちの階層のようですね。自分がやりたくないけど、誰かがしなくてはならないことをしてくれる人だから、本当ならば大事にすべきなんですが、農民たちの不満を横にそらすために一番下にしてしまったケースです。不幸な人も、もっと不幸な人を見れば自分を幸せだと思うことができるという・・・ 。  いま流に考えれば、政治家や事務職の公務員、東電の社長なんか、みんながやりたいんだから薄給にしてOK。逆に、原発の汚染ゴミ清掃のような人が嫌がる仕事をする人に厚く報酬を支払うべきなんですが、実際には「放射能が移る」とかいって嫌悪したり、避難してきた子をいじめたりする。間違った発想による差別ですね。  逆に、差別された事実を利用してカネを得ている人たちも今はいる、それもまた現実です。 > また、江戸の身分制度の在り方や意味についても意見をお聞きしたいです  これはねぇ、論文が書けますよねぇ。石川英輔の「大江戸○○○○」というシリーズものの小説、ノンフィクション(講談社文庫)をお薦めします。  小説のほうは、現代人が江戸時代の江戸に転時して、医者や下層武士とつきあい、脚気を治して大名と知り合いになったり若いとても若い芸者とうまくやる・・・ というフィクションでとてもうらやましくて面白く読みやすいものですが、史料をよく調べて書かれていますので、ためにもなります。  それを読むと、「士」階級の苦労、とりわけ大名の奥方などは悲劇的だという状況がよく描かれています。

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  • 回答No.3

 老若男女という四字熟語があります。これはすべての人びとという意味です。士農工商も順位を表すのではなく、職業すべてという意味でした。これを封建時代の社会階層だととらえるのは一部の儒学者だけでしたが、明治以後、農本主義を唱える保守主義者によってゆがめて伝えられました。  もちろん、身分格式は封建時代の基本的特色ですが、これは統治階層である武士の間で厳密に運用されていました。農工商のそれぞれ内部でも身分の差はありましたが、主として経済的な貧富の差によるもので、現在でも事情はそれほど変わりません。

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  • 回答No.2
  • gadovoa
  • ベストアンサー率28% (835/2910)

江戸の時代にもよりますが、 農民は常に下ですよ。 逆に商人は侍に金を貸すようにもなっていたので、 頭が上がらなかった人もいます。 基本的に農民は侍の次だからとえばる事はできません。 当たり前ですが。 侍以下は全て同じ平民なのです。 しかし侍がえばり、農民や商人が虐げられていたら嫌気が刺しますよね。 だから「えた・ひにん」という制度を徳川幕府が作り、 少しでも階級による不満を募らせないように他へ移したのです。 しかしえた・ひにんはつい最近、いえ今でもその部落が住んでいた出身者を 差別する風習があります。 そしてそれを利用した部落開放同盟。 もう訳がわかりませんが、 人間が階級制度をひいて、その政権が健全であったためしがありません。 質問の回答になってませんが。

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  • 回答No.1
noname#140587
noname#140587

士農工商とよくいいますが、本当に農民は上から2番目の扱いをされていたんですか? 僕が学生時代に聞いた話ですが、江戸時代の士農工商とは、武士が一番上なのは当然ですが、その次の農業、工業、商業は、仕事が大変な順らいしです。特に当時の農業は、現在のように機械を使用していたわけでなく、全て手作業で行っていたわけで、かなりの重労働なので、農民を納得させる為に武士の次に偉いということにしたらしいです。次の工業は農業の次に大変で、商業は楽して稼げるということで、一番下の身分になったらしいです。 えた・ひにんとはどのような身分ですか? えた・ひにんは人の扱いでは、なかったみたいですね。 また、江戸の身分制度の在り方や意味についても意見をお聞きしたいです。 江戸時代の身分制度も大変なものだったと思いますが、現在の社会においても、会社内の社員、非正社員というのは、身分制度みたいなものだと思いますが・・・

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