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自己責任てあやしい。
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- jakarta
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自己責任というのはいろいろなとらえ方があると思います。 学習の例でいうと、認定された教科書はそこに書いてある情報について 国が正しいと認め保証しているものです。しかし、最近では インターネット上でもいろいろな情報があります。しかし正確で あると保証されていない情報の方が多いわけです。この不正確な情報を 元にし不利益を被っても誰かが弁護してくれるわけではありません。 この点について自己の決定による判断は自己へと帰結する責任(自己責任)を 負うということがいえるかと思います。また不正確な情報によって社会に 困惑をもたらすようなことがあれば社会的責任というのも発生しますし、 法律に反することであればそれも責任といえましょう。 ここでは「自己責任の問題と経済の関連性」ということになって いますがぱっと思い付いたのは、「コーヒーメーカーを落として 壊したために買い直すはめになった」というようなものではないかと。 得られるものは大きいが成功しない時にはリスクを伴うものとして 競馬・競輪などがあります。これについては馬券の購入が自己責任に基づく というのは理解していただけるかと思います。 民法で扱われる意思表示などはあくまで売買契約などを想定しているものです ので責任が自己へと帰結されるものとは本来違うもののはずです。 消費者にとって不利益なことを明確に表示・説明する義務を怠ったために 自己責任として片付けられるのは違法という訴訟があったのですが、 これはちゃんと説明せんといかんという民法の規定による保護となります。 心理学的なところで扱うとしたら責任をとるべき本人の社会的な 人格障害などがあげられるのではないでしょうか。 下の不景気の問題ではないですが、物事の判断はできるけど責任能力が ないっていう人は少なくないのではないかと思うこともありますよね。 (いや…実際には判断能力がないということなのか…)
- muzan
- ベストアンサー率0% (0/8)
この世の中、何でも「おとな」の行動には「自己責任」がついて回ります。つまりこのような「回答」にもそれなりの「自己責任」が付くということです。まるっきりの「いいかげん」では無いと言う事で、今社会で問題になっている、この平成の大不況の責任問題です。その最たるは「あの銀行の不良債権解消問題です」、普通の会社なら「とっくに倒産している状態」なのに「お金の流れの中心にある」というだけで、国民の税金で倒産を防いでる状態、つまり「大銀行が潰れると、あまりに多くの庶民の貯蓄が消えて無くなる」。今や我々の生活の支払いや給与振り込みは、ほとんどの人が銀行を使用しているのが現状。カと言って銀行経営責任は,その銀行の最高幹部個人に明確に有り、そのような幹部が,平然と高額の給与、退職金をもらって何ら「自己責任」をとらない「幼稚な人々」だと言う{情けない」有様だと言う事です。
なるほど。 そういうことだったんですね。 >がんばって、その小さな人生をまっとうしなさい これは自己責任とはちょっと違う気がします。 生まれが貧乏なのは自分のせいじゃないですし。 もし、読んだ本に、このようなシチュエーションを指して「自己責任」と書いてあれば、それは書いた人が意味を取り違えてるか、あるいは読者が文章を理解しきれてないんだと思います。 ですが、それって仕方ないことですよね。 理想をいえば、そりゃあたしかに誰かに助けてもらえれば楽でしょうけど、助けてくれる人がいないわけですし。 でも、しょせん「平等」なんて言葉は、理想ではあれど嘘っぱちなんですし、最終的には自分で何とかするしかないでしょう。 それは自己責任とかいう問題じゃないですよね。 道に岩が落ちていて通れないとしても、岩が落ちていること自体は自分の責任じゃないです。 でも、岩を動かそうと思ったら、そこには自分でやんなきゃいけないという責任が発生するわけです。
お礼
一応僕の立場を示しておきますが、一般的に「中産階級」と いう幻想を抱いているような家庭で生まれました。 仕方がないこともどんなことでも、それは自己責任になります。 独立行政法人化で大学が、主用国立大学を除いてほぼ、私立並に なります。 これに伴い、学費も高騰するでしょう。 この背景には、研究成果の上がらない底辺大学への補助金の 削減や、教授への給料の削減が上げられると思います。 そして、それにより浮いた資金をより高度な研究機関に 回そうとしているのだと思います。 それにより子供を大学へ遣れない家庭が生じます。 金のあるうちは子供を大学に進学させることができ、そうでない子は よっぽどの秀才でない限り膨大な学費を払わなければならないでしょう。 周知のとおり、学歴社会は崩壊する気配を見せません。 新たな(より強固な)学歴の秩序が形成されている昨今、 学歴がある人がいい人生かはともかく、有利な人生を送ることは わかりきったことです。 これは一つの例ですが、貧乏な家庭(笑われるかもしれませんが、 このまま日本がアメリカ型の社会に移行した場合、このような家庭が 大量に発生することが予想されます)に生まれた子はその人生を 自己責任の下生き抜かねばならないのです。 またアメリカを例にとって考えれば、よっぽどの金持ちでもない限り なかなかいい大学には行けません。 徹底的な学歴社会の米国ではこれは、階層問題にもなりかねません。 なんでも自己責任と言う言葉で覆い隠し、真実を大衆に 見えなくするような仕組みが出来あがっているような気がします。 (大衆もその価値観を内面化している) なんか、ちょっと言いたいこととずれている気もする…。 寝不足…。
補足
結局言いたかったのは最後の文章です。 なんでも自己責任で片付けるのは怪しいです。
- capricorn
- ベストアンサー率35% (21/59)
ドモ、カプリコーンです☆ 自己責任って流行ってますか? 何でも自己責任で片付けてしまって良いことなのだろうか?> 良いんじゃないの? 自己=個人、自分、他の物ではない自分、 戸籍上の記載事項と認識を一つにする人間 責任=難しいので辞書から (1)「引き受けてしなければならない任務」 (2)〔法〕「自分の行為について、他人もしくは社会から、 法律上の不利益または制裁を負わされること」 ということなので、わざわざ自己と付けなくても、 もともと責任には自分のという意味が含まれてますね☆ ということは、自己責任とは責任をよりいっそう 強調した物と言う事がいえますね★ 経済との関連性ということなので 私自身そんなに詳しくないのですが 401K積み立て年金を例にとって自己責任を述べると、 今までの年金が例えば積み立てた分だけ年5%なら5%利率がつくとしますはね、 (100万預けたら105万ですネ) 401Kを選んだ場合またそこから運用先を決めるのですが (その辺の仕組みは詳しくないです(笑))、 最終的に年利15%なれば(100万なら115万)、 運用失敗で(どういう場合かは割愛)預けたお金が半分(100万が50万) になっちゃうこともある(らしい)☆ (すべて、私の理解の範囲なので間違っていることもありえます) そこで、運用方法、運用先を決めた 本人の自己責任という言葉が出てくるわけですよネ(あ~、長かった)。 もう一つは「巨大企業における自己責任の不在」が私の中にあるのですが。 おそらく、カテゴリーが違うと思いますので、またの機会に。
お礼
回答ありがとうございます。 企業レベルで自己責任と語るのはよいのですが、個人レベルで 語るということが増えると、さびしい社会になるような気がしますね。 というかこの流れは仕方がないことなのでしょうね。 地縁の共同体も崩壊して行くだろうし…。
子供の頃は金銭も身の安全もすべて親が管理しているので、高校生~新人社会人くらいになって、段々自分で何でもやらなきゃいけなくなると、「どうして俺が」と思いたくなるようなこともあります。 しかし、どれくらいの範囲の責任を自分で抱えなければいけないか、ということを学ぶのも大人になるために必要なことです。 自己責任と経済は関係ありません。最近になって言われはじめたために、何か不景気と関係があるような感じがするだけです。 自分のやったことに対して自分で責任をとるというのは、今も昔も同じで、当然のことです。 自分とは関係ないことに対しては責任をとる必要がないわけですから、元より押し付けられた責任でない限り、すべては自己責任に終結します。 >本当に何でも自己責任として片付けてしまっていいのだろうか? いいんです。それが人間として当然のことです。 たとえば――。 今までは警察が管理することで「国民が危険に触れる」という状況を回避してきたわけですが、インターネットが普及して、必ずしもそれが可能とはいえなくなってきました。 警察があてにならないことに「やっと気づかされた」だけで、元より自分の身の安全というのは他人任せにしていいことではないのです。
お礼
回答ありがとうございます。 僕が聞きたかったのは(質問文ではまったく言い切れていませんでしたが…)、 すべて自己責任で済ますということと、経済合理性との関連です。 確かどこかの本で読んだことがあるような気がします。 リスクとリターンとか経済的に自己を操る。なんだかちょっと 変な感じです。 自分のやったことに対して責任をとるのは、会社などの ある一定のルールにそった社会では、通用するかもしれませんが、 たとえば生まれなどは人それぞれ違うわけです。 あなたは貧乏な人や発展途上国で生まれた人に、「それも 自己責任です。がんばって、その小さな人生をまっとうしなさい」。 と言えますか? でも、おおかた彼らは不平等な人生で弱者として生きなけれ ばなりません。 これはしょうがないことでしょう。 しかし、僕はこれが人間として当然のことだとは思いません。 何かちょっとでも手伝って上げたいな。と、思ってしまいます。 (たいてい行動には移しませんが) あと、心理学と経済学は学問的にとても近いですよね。 その視点からもお願いします。
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