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「自己責任」という異常性
危険地帯に自ら足を運び捕まったという点で危機管理不足が主張されるのは一理あります。 ですが他人の死に対して無関係の第三者が偉そうに「自己責任!」と首を突っ込んで叫んでいる状況はあまりに異常ではないですか? 他人の死を自己責任と断じるということは、私にとってあなたが死のうがどうでもいいと言っているのと同じことなのに、にもかかわらず「あいつの死は自己責任!」と声高に叫ぶ必要がどこにあるんですか? 死んでもどうでもいいのになぜそこまで執着して自己責任を言い続けているんですか?誰に向かって自己責任という言葉を聞いてもらいたいと思っているんですか? 思いっきり関心あるくせに檻の外から今にも殺されようとしている人を眺めて、それを見ながら「自己責任」と必死で叫び続ける人の異常さを異常と思えないこと自体がおかしいということに気がつかないのでしょうか。 邦人が殺されればそれはもはや個人の問題ではなく外交問題です。それほど重大な問題だというのに問題のレベルを当人の自己責任かどうかでしか見れない日本人が冷静人を気取って発言してること自体が問題の本質をわきまえていないから世界に恥をさらしているんですよ。 外国からそのことを指摘されてもそれに反論したり無視したりして自己責任を主張し続ける人間は日本の品位をわざと貶めており、売国奴といっていいかと存じます。 自己責任かどうかはどうでもいい些末な問題なのにいつまでもそれにこだわり続けるしか脳のないあたりが皆さんの民度やレベルの低さを如実に表していますね。 斜に構えて冷静なふりを気取るのがかっこいいとでも馬鹿な日本人は本気で思っているのでしょうか?
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- navylight
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まず、責任とは何でしょう。 責任とは、あるマイナスの結果が生じた場合に、その結果の発生を自らの意思で防止することができたのにそれをしなかった人物に対する非難のことを言います。 そして、具体的な損失が生じた際に、誰がその損失を負担しなければならないのかという問題でもあります。 したがって、責任は、そのマイナスの結果が生じるについてそれを自らの意思で防ぐことができたのに、それをしなかった人物に生じます。 結果に影響を及ぼしえた人が複数いる場合は、その割合に応じて各人が責任を負担します。 責任概念は、一見過去の行為に対する反省のように見えますが、それと同時に、将来における人々の行動選択の慎重さを担保し、より良き将来を導くための意義を有するものです。 責任の所在を考えるについては、常にこの観点を忘れてはなりません。 これを今回の件について言えば、「生命の剥奪・2億ドルの支払い・殺人犯の身柄解放のいずれかの実行」というマイナスの結果が生じました。 責任概念は、このマイナスの結果を誰が負担すべきかを決定するものです。 そしてそれは、既に述べたように、その結果の発生を自らの意思で防止することができたのにそれをしなかった人物が負担することになります。 今回に件についての責任の所在はどこにあるでしょうか。 まず、一次的には、イスラム国の人質事件を実行した武装集団及びそれを指示した者にあります。 当たり前ですが、そもそも彼らが人質をとらなければ、今回の事件は生じていません。 しかし、現状、彼らの責任を追及したところで彼らが自ら責任を取ることはありえません。 では、次点ではどうでしょうか。 検討すべき候補としては、人質自身、及び人質がイスラム国の勢力圏内に行くことに関与・指示した人物がいればその人物、税金からの2億ドルの支払い能力を有する国、等が挙げられます。 人質がイスラム国の勢力圏内に行くことに関与・指示した人物については、そのような人物が仮にいたとしても、その人物は2億ドルの支払能力も殺人犯解放の権限も持ち合わせていないでしょうから、結局人質自身か国について責任の所在を検討することになります。 国についてはどうでしょうか。 今回湯川さん・後藤さんが人質となることについて、これを阻止しえたのでしょうか。 手としては、日本人のイスラム国勢力圏への渡航の禁止等が考えられますが、憲法上海外渡航の自由は人権として保障されていますので、渡航の全面禁止を実現することは不可能でしょう。 勿論、注意勧告等はできますが、それが限度ですし、現に国はそれらの措置は取っています。 しかし、湯川さんは民間軍事会社社長として、また軍事オタクでもあったようですが、自らの意思で、死んでも構わないくらいの気持ちで現地に赴いたようですし、その他の様々な情報と併せ検討してみても、渡航を阻止することは不可能だったでしょう。 後藤さんも、ジャーナリストですし、渡航を禁じれば21条、22条と二重に憲法違反の問題が生じます。 では、イスラム国の言うように、安倍首相が中東支援金をしなければ今回の人質事件は発生しなかったものとして、その点について責任はあるでしょうか。 ここにおいて政治とは、万人にとって利益をもたらす選択というものはありえず、一つ一つの選択について、常に、誰かにとっては利益となり、反面、誰かにとって不利益となるものであることに鑑みると、その政策に反対する者が殺人事件を起こす度にその政策について責任を問うことになれば、政策を理由とした殺人事件さえ起こせば時の政府を転覆させ一国の政治を支配できることとなってしまい、人命を何とも思わない連中が得をする世の中になってしまいます。ですので、政策に反対する者の起こした殺人事件・人質事件の責任を、犯人が非難する政策を選択したことのみを理由として政権に問うていては、もはや政治というものが成立しなくなってしまいます。 また、今回の件についていえば、中東金支援をしなければしないで、日本の防衛を担う米国との関係を悪化させることになり、日本が軍隊を持たない今の世において、それはそれで日本人全員の命を危険に晒す選択でもあるわけです。 以上に検討したように、国としては結局今回の事件の発生を阻止しえなかったわけです。 これに対し、湯川さんと後藤さんは、イスラム国の勢力圏内に行くことが危険であることは十分に知っていました。それを理解した上で、自らの意思、自らの選択で戦地に赴いています。今回の結果の発生を阻止しえた人物は、紛れもなく湯川さん・後藤さん本人です。 したがって、湯川さん・後藤さんの行動によって生じた結果である「生命の剥奪・2億ドルの支払い・殺人犯の身柄解放」を誰が負担すべきかというと、両名自身、ということになります。これが、いわゆる自己責任というものです。 ところで、思うに質問者さんは、自己責任という単語を罵詈雑言、誹謗中傷の類として捉えているように思われます。 確かに、そのような意味合いで用いている人も多いように思います。個人的には、そういった人たちはけしからんと思います。 しかし、自己責任というものは、「身代金を払ってもらえずに死ぬことになっても仕方がない」というように結果の負担の所在を決定付けるものですので、誹謗中傷の意味合いまでは含みません。 私としては、今回の件は自己責任だと思いますが、勿論、人質にされた「被害者」である後藤さんの安否は憂慮しておりますし、湯川さんについては大変残念に思っております。
- ybnormal
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> 檻の外から今にも殺されようとしている人を眺めて、それを見ながら「自己責任」と必死で叫び続ける人 > の異常さを異常と思えないこと自体がおかしいということに気がつかないのでしょうか。 たしかにこの品位の欠如は異常だと思います。 声高に自己責任を叫ぶ人たちのほとんどはいわば単なるやじ馬です。二人に落ち度があったのは確かだが、それを理由に非難することが目的なんだと思いますね。じゃあ非難をしてなにかいいことがあるのかというと、そんなものはないのだけれど、「人の不幸は蜜の味」というように困っている人をさらに窮地に追いやる、あるいは傷口に塩を塗り付けるようなことに喜びを感じるおかしな人間がいるということでしょう。しかしあからさまに「ざまーみろ」とかいうとさすがに言ったほうが悪者になって都合が悪いので、そこで自己責任という言葉をつかうわけです。自己責任と言ってしまえば、責任は二人にある、だから二人を非難してもなんらこっちは悪くはない、という心理状態です。匿名のネットなんてそんな連中の巣窟です。 多少なりとも人命の大切さを理解している人間であれば、いまにも殺されようとしている人に無意味な罵詈雑言を浴びせるようなことはせず黙っているもので、それが最低限の品位というものです。
- 居眠り一等空佐(@km0710)
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NO.9だけど、礼コメで質問されてたんで追記。 今回の事件含めて様々なマイページの回答履歴オープンにしてるんで暇なら読んで見てください。
外交問題という事は、国民全体に迷惑がかかっているという事です。政府が動くだけで多額の血税も消費されています。尚更、自己責任という謗りを受けるのは当然です。実態と表面的な事とを混同していると思います。
>個人の範囲を超えてと言ったのは、すでにこの問題が個人が背負える自己責任のレベルをはるかに超えて拡散しているのに、この期に及んで自己責任を問うことに何の意味があるのかと言っているわけです。 > >貴方は自己責任という言葉を強く主張されていますが現実問題として今回の問題に自己責任だと言い続けることで何か進展なり解決が見込めるんでしょうか? 意味の無い自己責任論を追求し続けるのは無益な話し合いであると思います。 私は責任を負えと言っては居ません。 ただし、政府としては何もする必要はない、という考えです。 「警告を受けているにもかかわらず行った結果については、自分で尻を拭きなさい。」 というのが基本です。 なので、政府などがわざわざ助ける必要はない。だからそれに対して政府を非難する必要もない。 という考え方です。 >それと以下の話は今回の捕虜に捕まった話とは全く関係のない自己責任についての話なのですが聞いてください。 >我々は犯罪者の責任を問うときに、その責任を100%犯罪者個人の責任とすることは出来ません。司法制度もそれを許していません。なぜなら彼が犯罪を犯した背景には彼の生い立ちや育ってきた環境など、彼の自由意思では制御できない影響が多分に含まれているからです。そのため犯行の理由が100%自由意思のせいにはならないという理念は今の司法制度の根底を構成する要素の一つです。 >次のことを言うために以上を前置きにさせてもらいましたが、つまりそれと同じように、自分が何かをしたとしても、その結果に対して行為者が100%の責任を持つことなど現実にはあり得ない話です。 この辺になると、大元の質問から考え方が変わる物では無いでしょうか? そもそも、今回の捕虜とされた二名は、犯罪を犯したわけではありませんので、それ自体に罪はないと私は考えています。 なので、法律から見たら、悪い事はしていません。 戦争地域に行く事も日本の法律ではその渡航を禁止はしていません。 二名は、単純に考えて被害者なのです。 被害者ですが、それは、偶発的に起こった内容ではなく、危険度がとても高く、政府も支援する事は出来ません。と言う事を政府として発表している地域へあえて自分の意志で出向いたのです。 政府は助ける事は出来ないから、そこへ行かない様に。居たらすぐに退避する様に。と警告を発しているのにわざわざ出向いた人を助ける責任が政府にはあるのか?と言う事を書いて居るまでです。 これは通常の旅行に行っていて、捕虜にされたのとは大きく違うと考えています。 ですので、私の考えとしては、政府として身代金まで払って対処する問題ではなく、その政府に対して非難するべき話ではない。と言うのが私の考えになります。 まぁ、マスコミはそう思って居ても面白いので取り上げているだけの話となります。 基本的にマスコミだけでなく、TVや週刊誌全体には、「人の不幸は蜜の味」という言葉があります。 本人や家族、政府。誰が困ってもそれらメディアには三つでしかないので取り上げるのです。必ずどっちに転んでも非難を出します。 それに乗せられて騒いでいる一般の方も、マスコミのそういう所を判らずに書かれている方も多いので、そういう話ではないでしょう?と言う所で回答しています。 私個人としては、聞かれれば自己責任なんだから、法外過ぎる身代金を政府が払ってまで助ける必要はないでしょう。と答えますけどね。 悪いことしてないんだからその人を責める必要なんてないんですから。 そもそも、自己責任だからと最初に騒ぐ人はほとんどいないと思いますが? 何で助けないんだ!政府はなにやってるんだ!と言う人がいるから、自己責任でしょう?と言う人がいると思いますけどね。 今回の人質問題は、犯罪者としてのその責任とは違います。 私は、捕虜になった二人を犯罪人とは一つも思っておりません。ですので、犯罪上の責任問題の追及方法とは全く違う内容だと考えています。 >斜に構えて冷静なふりを気取るのがかっこいいとでも馬鹿な日本人は本気で思っているのでしょうか? 冷静に構えるのではなく、対応しない。と言うのが良いだけの話です。 きちんと警告は出しているのですからね。 ここでは議論は禁止されて居ますので、規約違反になっている状態とおもいますので、このQに対する回答としてはこれで最後にさせて頂きたいと思いますね。
- a_SOC038
- ベストアンサー率12% (8/64)
>自己責任という言葉を使えば >この問題が丸く収まるとでも思っているんですか? では、責任は誰にあるの? 現地に行った責任は この2人には、無いのですか? アナタは、無関係の第三者じゃないの? 同じ様に無関係なのに偉そうに 「自己責任!という事を異常性」と 質問する方が、異常でしょう
>そしてあなたは自己責任に対して「本当の覚悟」という言葉で答えていますが、要するに自己責任の「責任」の上限を個人の範囲を超えた極限にまで広げて使われていますね。 はい、「自己で責任を取る。」それが自己責任だと考えていますからね。 貴方の言う個人の範囲を超えてと言うのはそもそも意味が分かりません。 じゃぁ、捕虜にされないでそのまま殺されて居たら、この様な話にはなったと思いますか? そういう事は考えないのでしょうね。 どっちが影響は少なかったでしょう? 最低限でも自己責任で責任を取る覚悟(影響が少なくなる)があるのなら、なにをするべきなのかくらいは判るはずです。 それが最低限の責任の取り方で、「自己責任と考えますよ。」何せすでに、日本国政府からは「行くな!そこに居ても退避しろ!」と警告が出ていたのです。 それでも行くなら、それくらいの覚悟をしたうえで行くのが、「自己責任」と考えます。 現にまだ捕虜にされている人は、そういう内容のメッセージを残していますよね。 残念ながらとても理解に苦しむ内容です。 >私は今回の問題はもはや自己責任の語では説明できないレベルだと考えています。意味内容が明らかで無いのに自己責任という語だけがいたずらに乱用されている現状は憂慮すべき現象であると強く主張します。 私は、そういう危険地帯にわざわざ出向く事はしませんけどね。 同じ様な状態になったとしたら、自分では責任を取れない範囲になりますので、迷わず被害を拡大しない方向を選びます。 きびしい事を書くかもしれませんが、 起こった事に対して仕方ないと考える事は私はしますが、その被害を拡大させないと言う事が最低限度の自己責任の取り方と考えます。 なので、今回の問題も、自己責任と言いながら自分で責任を取れない様な状態で、のうのうとあんなビデオにとられるような状態になって居るという状態になるというのは、自己責任とは言えない。と考えます。 それが本来の自己責任と言う物だと思っていますよ。 カッコいい事を言って、どうにもならなくなったら、助けを求めるような行為に移る。そりゃ自己責任とは言いません。最後まで責任を取りなさいよ!といいますよ。 取りきれない責任で有れば、被害だけでも最小限にとどめられる道を選ぶ。と言うのが最低限の責任の取り方だと考えています。それも決断できないような人が軽々しく「自己責任」という言葉を使うべきではないと思っています。 それ位の考えも無しに「自己責任だから~」なんて言っている人を見るのが一番嫌いですね。
- ueda21
- ベストアンサー率15% (82/542)
暇を持て余していることと、自分の現状への不満をぶつける対象が見つかったからでしょう。 フジテレビで72時間までのカウントダウンを画面に出して批判されたみたいですが、マスコミもエンターテイメントとして捉えている節があります。 人の死を悼むことなく安全地帯から批判は人としていかがなものかと思います。品性がなく貧しい心がみえます。
お礼
普段社会問題とかに全く関心を持ってなさそうな人間が今回に限ってだけ偉そうに自己責任とか言っちゃってるんだろうなという雰囲気をぷんぷん感じます
- WAN27
- ベストアンサー率9% (4/42)
無論というか当然『自己責任』です 都合のいい解釈ですね 何でもかんでも無論というか当然『自己責任』ですか あなたの家族がテロに攻撃されても無論というか当然『自己責任』です 訳ですか バカの一つ覚えでないです それで納得いくでしょうか 海外では日本国民を笑い者に自己責任の言葉だけが.. 中身のない自己責任ではないかそれではあなた達の家族や大切な人がテロにあっても 自己責任だから諦めろと言える 自己責任自己責任自己責任自己責任自己責任と言う連呼する人たちの無責任さが つまりバカッター同じです
お礼
文章の主旨と意味がよくわからないのですがどういうことでしょうか
政治は多数の幸福を求めるものでしょう。ただ今注目を浴びているだけで、彼一人の命を助ける労力や費用を他に当てた場合に、他の大勢の命を救うことが出来るのなら他を優先すべきです。毎日、自殺や交通事故や病気や怪我で、何の注目も浴びずに大勢の日本人が死んでいます。過失無く死んでいく人達も沢山います。何が何でも彼一人の命だけ救えと言うのもおかしな話です。現実的には命の取捨選択はせざるを得ません。過失のある人よりは過失のない人を優先すべきでしょう。一人よりは大勢を優先する政策に汗をかくべきです。注目を浴びている事だけ見て何の斟酌もせずに命は地球よりも重いというのは理想ではあるけどここはエデンの園ではありません。
お礼
不思議なのがあなたはなぜ肝心のイスラム国に対する言及は全くせずに捕まった人だけの自己責任を問うているのでしょうか。 普通の人の普通の感覚ならまずはじめにイスラム国を非難し、その二の次に自己責任かどうかの議論をはじめるのなら納得できるのですが、他の回答者の方々を見てみても、なんで皆さんいきなり自己責任論から話をはじめているんでしょうか? それと、救助に反対ということは救助を全力で実行しようとしている現安倍政権に対して否定の立場を取る人間の一人という認識でよろしいでしょうか? その人の政治的立場がどのようなものかが発言内容に大きな影響を与えている気がするのでお聞かせください。
お礼
個人の範囲を超えてと言ったのは、すでにこの問題が個人が背負える自己責任のレベルをはるかに超えて拡散しているのに、この期に及んで自己責任を問うことに何の意味があるのかと言っているわけです。 貴方は自己責任という言葉を強く主張されていますが現実問題として今回の問題に自己責任だと言い続けることで何か進展なり解決が見込めるんでしょうか? 意味の無い自己責任論を追求し続けるのは無益な話し合いであると思います。 それと以下の話は今回の捕虜に捕まった話とは全く関係のない自己責任についての話なのですが聞いてください。 我々は犯罪者の責任を問うときに、その責任を100%犯罪者個人の責任とすることは出来ません。司法制度もそれを許していません。なぜなら彼が犯罪を犯した背景には彼の生い立ちや育ってきた環境など、彼の自由意思では制御できない影響が多分に含まれているからです。そのため犯行の理由が100%自由意思のせいにはならないという理念は今の司法制度の根底を構成する要素の一つです。 次のことを言うために以上を前置きにさせてもらいましたが、つまりそれと同じように、自分が何かをしたとしても、その結果に対して行為者が100%の責任を持つことなど現実にはあり得ない話です。 何度か他のお礼でも書いていますが、皆さん自己責任という言葉の意味をあまりにも都合が良いように使われていると感じたので今の話をさせて頂きました。