• ベストアンサー

親鸞教学の学習について

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

回答No.5

 お礼を読ませていただいて少し思うことがありまして、もう少し駄文を連ねさせていただきます。 >>教行信証を完全に理解するということは、自我を捨て、本願に帰命することであり、完全に腹に入った段階で信心獲得ということになるのでしょう。  私はそうは思いません。自我を捨てられるくらいなら、阿弥陀様は必要ありません。阿弥陀様の御本願に帰し、お念仏の心をいただいて「南無阿弥陀佛」とお念仏を称えさせて頂いている内に、自我が納まっていくということはあるかもしれません。しかしそれは、あくまでお念仏いただくことで得られる副作用・副産物です。  自我を捨てることなど到底できない自らの生様の浅ましさを知らせていただき、悟れないこと救われないことが決まった自分であるという絶望の中で、阿弥陀様は救われるものを救うお方じゃなかった、救われないものを極楽浄土へむかえとり仏にまで育て上げて救ってくださるお方だったという大安心いただいたからには「南無阿弥陀佛」と報恩行のお念仏となえずにはおれない。つまりは、ああだこうだ考えないで、ただただお念仏させていただきなさいというだけが、浄土のみ教えのです。だからこそ法然上人は『一枚起請文』の中で、 「智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。」 とお説きになられ、親鸞聖人もまた最晩年のものとされる「自然法爾章」の中で、 「弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて、むかへんとはからはせたまひたるによりて、行者のよからんともあしからんとおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ。」 と説いて、自らのいろいろ考えるんじゃない「南無阿弥陀仏」と念仏させていただくことが「自然」であるとおっしゃっています。  そうやって、いつでもどこでも「阿弥陀様ありがとうございます」とお念仏させていただいていると、いつでも仏さんと二人ずれだからなんだか嬉しくて穏やかに生きていけるというのは、目指す境地ではなく自然と滲み出てくるものなんじゃないかと私はいただいております。  だからこそ、 >>鈴木大拙が、一文不知の妙好人が禅の高僧と同じ境地にいることに驚きの言葉をもって真宗の奥深さを書物にまとめているのを読んだことがあります。  一文不知かたがたでも妙好人と呼ばれるまでのお育てに預かったのは、自我だの何だのということではなく、ただただお念仏を喜び称えさせていただいたことによると思うのです。 >>念仏を申せば往生できるなどと誤解されがちな浄土の教えですが、少しでも本願を至心に味わってみたいと思っております。教学では救われないことは分かっておりますが、裏付けとしては必要なものだと思っております  いえいえ、わたしは「念仏を申せば往生できる」といただけたら素敵なことだと思います。これを、しっかりいただいていなくては先ほど説明したような副作用も得られないと思うのです。  教学を学ぶことは大切です。私も教学大好き人間ですから、学ぶことの楽しさも知っているつもりです。けれども、法然上人はこのようなことをおっしゃっています。 「学生骨になりて、念仏やうしなわずらん」 勉強ばかりしているとそれにとらわれて、一番足大切なはずのお念仏をしなくなっています。では何のために学ぶのか?法然上人はこうもおっしゃいます。 「往生のためには念仏第一なり。学問すべからず。ただし、念仏往生を信ぜんほどはこれを学ぶべし」 極楽往生するためにはお念仏称えさせていただくことが第一義であり、学問の必要はありません。ただし、お念仏称えさせていただく為なら、大いに学びなさい。この二つの言葉は浄土の教えを学ぶものは心しておかねばならないと思います。つまり、お念仏がいただけないということは、学んだことにはならないと私は考えています。 >>中村元氏の仏教語大辞典を使っていますが、もう一冊必要であると感じることがあります。坪井俊映氏の書籍は是非読んでみたいと思います。ご紹介ありがとうございます。  最後に辞書といくつかの書籍や資料などを、もう少しご紹介したいと思います。 辞書 ●『望月仏教大辞典』 仏教辞典として日本で一番詳しい辞書です。しかし、辞書を読むのに辞書がいるというとんでもない辞書です。 ●『浄土宗大辞典』 もうそろそろ新しいのがですはずですから、買うとしたらその後がいいと思います。 書籍 ●『親鸞の本』 学研 ●『響流十方』 袖山栄輝、林田康順、小林正孝 ●『法然浄土教の諸問題』  『続法然浄土教の諸問題』高橋弘次 ●『無宗教からの歎異抄読解』阿満利麿 浄土教学ということで私が感銘を受けたもののなかでも、手に入れ安そうなものを並べさせていただきました。 DVD ●『節談説教布教大会全記録(DVD5枚組)』 ●『また又日本の放浪芸節談説教』ビクター 「節談」というのは浄土真宗独特のお説教のことを言います。落語講談浪花節といった日本の話芸の源流と伝えられています。鈴木大拙先生を驚嘆させた妙好人たちを育てた浄土真宗のお説教はこの節談であるといえるでしょう。    えー。またしても長々自説を並べましたが、急ごしらえのため誤字脱字乱文どうぞお許しください。質問者さんの参考になれば幸いです。  合掌 南無阿弥陀佛

Eureka_ah
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。又、たくさんの書籍をご紹介くださり、感謝いたします。 多々、申し上げたき事はありますが、同行や他宗との争論は好みません。ただ、口に称える念佛では、信心は絶対にいただけませぬ。口称念仏は、信心をいただいたうえでの報恩謝徳の南無阿弥陀佛。信心はこれ難中之難です。おおかたの同行が悩んでいることでしょう。善き知識がお寺におられないことも原因かと思われます。貴殿のように、教学をしっかり学び、本願のいわれを門徒にしっかり話せる方が多くいなければ、日本のお寺は葬式仏教のままで、人を救うことができない単なる宗教法人のままです。 本願の不思議は有り難いものですね。 合掌 南無阿弥陀佛

関連するQ&A

  • 親鸞の言葉を英訳すれば

    親鸞の重要と言われている言葉を英語に翻訳すれば、どうなるでしょうか?英語に堪能な宗教家もしくは浄土宗or真宗の方で、英語の得意の方おられれば、ご教授賜れれば大変在り難いのですが。 例えば、 1、「非僧非俗」(現代風に言えば知識人であらず庶民であらず)、 2、「三願転入」(三度改宗というか転向した?)、 3、「悪人正機」「愚者正機」、 4、「宿業」(母胎内で宿った男女の業?何世代にもわたるDNAの累積の結果)「業縁」(宿った業が外界で出会う縁)、 5、「正定聚」(=「化仏土」?)、 6、「他力本願」「絶対他力」、 7、「往相回向」「還相回向」、 8、「煩悩具足」、 9、「造悪無碍」「本願ぼこり」、 10、往生(往って生きるですから、ある地点に行って其処からの視線を獲得し、現世に還相《げんそう》回向する?) 11、自然法爾(じねんほうに)、 12、菩提心と大慈悲、 13、聖道門(難行道)と浄土門(易業道) 等などです。 親鸞言葉の理解でお可笑しいところあれば、それもご教授いただければ大変ありがたいです。

  • そこまで菩提心が問題なのか?

    ~~~~~~~~~~~~ 法然は,また十二章「釈尊、定散の諸行を付属したまはず。ただ念仏をもつて阿難に付属したまふの文」においては,観経に説く「菩提心」に関し、次のように言う。 発菩提心とは,諸師の意不同なり。天台には即ち四教の菩提心あり。謂はく蔵・通・別・円これなり。 つぶさには止観の説の如し。真言には(中略),華厳には(中略)、三論・法相に,おのおの菩提心あり。 つぶさにはかの宗の章疏等の説の如し。また善導の所釈の菩提心あり。つぶさには疏に述ぶるが如し。発菩提心その言一なりといへども,おのおのその宗に随つて、その義不同なり。(中略)願はくはもろもろの行者,一を執して万を遮することなかれ。もろもろの往生を求めむ人,おのおのすべからく自宗の菩提心を発すべし。たとひ余行あしといえへども,菩提心をもつて往生の業とするなり。 この文に関する限り,法然は「善導の所釈」の浄土門に固有な菩提心の存することを認め,同時に聖道門・顕密諸宗の菩提心についても、これを全面的に否定する如き立場をとつてはいないのである。しかし同章の後段において,法然は再び菩提心否定の立場を明確にする。 答へて曰く,「仏の本願を望むに、意、衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称せしむるにあり」と云ふ。定散の諸行は本願に非ず。 経中に「定散を説くことは,念仏の余善に超過たることを顕はさむがため」に過ぎず,したがって 「菩提心はこれ浄土の綱要なり。もし菩提心なき者は,即ち往生すべからずと」考えることは誤りである。菩提心を含め「定散は廃せんむがために説き、念仏三昧は立たせむがために説く」のが経の本意である。法然において,菩提心は往生業としては,究極「余行」として位置づけられる。法然のこの菩提心観は,その思想の中核をなす本願念仏説を構成する契機である。しかしそこに,明恵から大乗仏教の基本的立場に反するとの批判がなげかけられる理由がある。明らかに菩提心は大乗仏教一般の基本をなすものであり,このことは中国・日本の浄土系思想において一貫した思想的伝統であった。しかるにこれを法然は否定したのであり,ここに法然浄土教の独自性と,同時に問題が存する。 菩提心に関する一考察 ――明恵・法然・親鸞の所説をめぐって―― 熊田健二 http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/2587/1/al-no57p001-017.pdf 5~6ページ ~~~~~~~~~~~~~~~ 私はもうokwaveに参加したくないのです。 中国人や韓国人にとって日本の浄土教の菩提心の解釈など、どうでもいいでしょう。 いやみばかりいってくるようですが、そんなに気になるならpdfを読めばいいでしょう。 批判したいならpdfの作者にすればいいでしょうが。 本当に嫌になる。

  • 宗教は政治にどこまで関与出来るのか

      私は浄土真宗の門徒です。先日当宗主催の[ 平和のつどい( 副題全戦争犠牲者をしのんで )」という行事に参加しました。その時の講演で講師の方が、「 仏教徒(真宗門徒)として仏教的(真宗的)立場から政治的主張・行動をする 」ことは正しいという旨を述べられました。その方は当宗教学研究所に以前所属され、言わば真宗教学の現代のトップクラスです。   私は800年昔の親鸞聖人の時代のように、日本人だけのことで思いを巡らしている時代には、それでも済むと思いますが、現代のように キリスト教国、イスラム教国等、はては社会主義国(なのかどうか?) など基本的な価値観の違いが国内外(門徒内)に影響している現在、教団内に政治的主張を持ち込むべきでは無いと思います。   特に真宗は戦争に積極的に協力した過去の事実を深く反省しているため、戦前の国と教団の在り様を全否定しつつ、現代の政治の在り様も 悉く否定しています。   私は真宗の教えは一人のものと心得ています。同じ様に政治的意見も一人のものと思います。真宗の受けとめ方が一人一人違うように、政治的意見や立場も一人一人違って当然と思います。   出来るだけ冷静な文章にしようと勤めたため、大変抽象的な文章になってしまいました。皆さんのご意見をお聞きしたいと思っています。特に真宗門徒の方のご意見をお待ちしております。

  • 親鸞についてです

    親鸞は、称名念仏と観想念仏のどっちですか? それとも、絶対他力だから念仏すら唱えないんですか?

  • 親鸞について

    親鸞の歴史、親鸞がしてきた事であなたが一番すごいなとか、奇抜だなと思ったモノを一つとその理由をあげて貰えませんか? 一種のアンケートみたいなモノですので気軽にお書きください。

  • 親鸞の偉大さって何ですか?

    親鸞の偉大さって何ですか?

  • 親鸞

    親鸞が説いた浄土真宗の信心の特徴って何でしょうか?

  • 親鸞

    親鸞の宗教思想って何ですか?

  • 親鸞

    親鸞の宗教思想ってなにですか?

  • キリスト教学

    ノーベル文学賞受賞者でありアウシュビッツ生存者であるエリーウィーゼルの言葉「ホロコースト後の世界では、神が存在しないよりも存在するほうがかえって厄介である」これを説明してください。