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親鸞教学の学習について

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

回答No.2

 こんにちは。浄土真宗の俗に僧と呼ばれているものです。少しばかりお話させていただきます。 >>始めたのですが、教行信証がなかなか理解できません。  そうですねぇ。確かに『教行信証』は非常に読みにくし書物です。引用が多く親鸞聖人の意見なのかそれとも引用なのかがごっちゃになってくるときがあります。「狂人の書」と形容されることもあるほど、読みにくいことはお墨付きがついているようなものです。私自身幾度と無く挑戦していますが、本当の意味で理解しているかは何ともいえません。それに『教行信証』のなかにまた新しい文章が発見されて、中身が変わる恐れも出てきましたしね。 >>現在、浄土論・往生論注ノート(永田文昌堂 発行)を読んでいますが、なかなか理解できません。  『浄土論・往生論注ノート』は私も読ませていただきました。たしかに『浄土論(往生論)』や『往生論註』は読まなければならないかと思いますが、最初から手を出すべきものではないと思いますよ。浄土教においても段階があり、『浄土論』や『往生論註』は分かりやすくいえば日本人風に味付けされる前のものです。理解しにくくて当然ですね。 >>1) 親鸞教学を学ぶにあたり、必ずやらねばならないこと、おさえて置かなくてはならないことはなんでしょうか?  これは私の個人的な意見かもしれませんが、法然教学を学ぶことをお勧めします。現在の浄土教において解釈の中心核にあるのはは法然浄土教です。また、親鸞聖人が目指したのも法然上人であったはずです。また、『教行信証』自体親鸞聖人は誰かに読ませるために書いたとは思えません。そういう意味で非常に読みにくいことも納得できます。それに比べますと、法然上人の主著とされる『選択本願念仏集』は九条関白兼実公の要請でかかれたもので、人に読ませるために書かれたものです。そういった意味でも、『選択本願念仏集』は『教行信証』より格段に読みやすく浄土教の要点が上手にまとめられています。 >>2) おすすめの学習方法、著作、学習の秘訣などありましたら、ご教示いただければ有り難く存じます。  学習方法としては、 法然上人(法然教学を中心に善導大師も一緒に学んでもいいと思います)→親鸞聖人→他の七高僧 という段階で学ぶほうがわかりやすいと思います。  著作を挙げますと ●坪井俊映『浄土教汎論』 です。法然教学を中心に浄土教全体をまとめた概論としては名著です。京都の仏教大学の通信の教科書としてこの本をベースに作った『浄土教概論』という本があり、値段は十分の一くらいです。仏教大学に問い合わせてみてはいかがでしょうか? >>3) 教学にお詳しい方は、上述のノート(観教疏ノートなど)を暗記してしまうのでしょうか?  もちろん暗記している部分はあります。けれども全部が全部ではありません。一つ一つ参照しながら調べていく地味な作業を繰り返していました。しかし、最近ではパソコンソフトで『観教疏』や親鸞聖人法然上人または七高僧の著作を、簡単に調べることができるものがあるそうですよ。  最後に辞書も簡単に調べられるものと、しっかりと調べられるものの二つもっておくとよいと思いますよ。私も大きな辞書だけでは三種類くらいあります。  私の思うことはこんな所です。大雑把な説明ですので、不明瞭な点等々あればご質問ください。急ごしらえのため誤字脱字乱文どうぞお許しください。  合掌 南無阿弥陀佛

Eureka_ah
質問者

お礼

ご丁寧に回答していただき、感謝申し上げます。 僧侶の方でも教行信証は難解なのですね。金子大栄氏の現代語訳を若い頃に読んだり、星野元豊氏の教行信証講解などにも挑戦したことがありますが、本当に難しい書物だと思います。まさに、浄土教が「易往而無人」と言われる所以かもしれません。教行信証を完全に理解するということは、自我を捨て、本願に帰命することであり、完全に腹に入った段階で信心獲得ということになるのでしょう。鈴木大拙が、一文不知の妙好人が禅の高僧と同じ境地にいることに驚きの言葉をもって真宗の奥深さを書物にまとめているのを読んだことがあります。それほど難解な書なのですね。 また、浄土論、論注は確かに難しく、仰るように、龍樹から法然に向けて時系列で学習するよりは、法然から入り、法然から善導に入るような形がよいのかもしれませんね。 教学センターから聖教はダウンロードできますし、台湾のCbetaから大正新脩大蔵と卍續大蔵は落とせます。矢張り暗記されるのですね。必要な部分は書き写すことが大切かなと思っております。検索だけは確かにPCの強みであり、学習には便利です。五念門がちゃんと言えないと理解していることにはなりませんから、暗記すべき所は暗記したいと思います。 中村元氏の仏教語大辞典を使っていますが、もう一冊必要であると感じることがあります。坪井俊映氏の書籍は是非読んでみたいと思います。ご紹介ありがとうございます。 ご親切に色々と教えていただき、本当にありがとうございます。念仏を申せば往生できるなどと誤解されがちな浄土の教えですが、少しでも本願を至心に味わってみたいと思っております。教学では救われないことは分かっておりますが、裏付けとしては必要なものだと思っております。 合掌 南無阿弥陀佛

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