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汎神論と多神教(八百万の神?)の違い

oncepdeottの回答

回答No.4

汎神論は、世界を、神の(体の)一部、あるいは神そのもののように考える。 多神教は、自然現象や人間の情念を、人間や動物の姿で象徴して、それを神として信仰する。 子供(といっても中学生以上)に私が説明するとしたら、上記のようなものになると思います。  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  でも、やっぱり、Wikipediaには敵わない。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%8E%E7%A5%9E%E8%AB%96 “ほとんどの宗教における神理解は、一神教・多神教を問わず汎神論的要素を含んでいるとされる。”  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  神は世界とは全く別に、世界のはるか上に存在していて、世界のすべてを統べている。…こういう考え方をするのが一神教。(一神教信者の中にはそんな意識をもっていない人も多いと思うが、エッセンスを取り出せば、結局はこういうことになるかと思う。) 私見を言わせてもらうと、こういう、現象や人間を含む動植物そのものよりも、それらの背後にあって、それらを支配しコントロールしているとされる存在(つまり唯一神)の方が尊いのだとする考え方は、物質的で現世的なもの(つまり肉体や世界)を不当に卑しめがちで、それが結局は環境破壊などの遠因にもなってしまうようで、あまりいい気がしません。

i-tad
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 大変参考になりました。

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