• 締切済み

八百万の神の思想が一神教だと言うことですが・・?では最初の神は??

この八百万神の思想は、「汎神論」と思われがちだがそうではない。 なぜなら、さまざまな神々の元は一つだと考えられてきたからである。 一つの神から別れて多くの神々ができていった。これは、実際に は神(宇宙)は一つであり、それぞれはその機能神と考えてよい。 「一神即多神、多神即一神」という考え方である。 とウィキペディアにあります。 では、最初の一神は、誰だと説いているのでしょうか? 八百万思想では・・・・???? どなたかご存知のかた教えてください。

みんなの回答

  • kigurumi
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回答No.18

何度もすいません、kigurumiです。 >神道の裏が、唯一神である可能性が出てきましたね!! 裏神道の存在。 とんでも系を読むと、裏神道があり、それによると神は一つだそうな。 ただ、本当に裏神道なんてあるのかどうか。 私は、それはあくまで空想上の産物で、実際は日本の運命を影で左右している裏神道の組織など無いと思っているんですね。 >要は、多神教であるはずの八百万思想も一神教だということで・・・ 日本の神社は大まかに分けると、<出雲系>と<天津系>があると思うんですね。 民間信仰は別として。 出雲はもともと目に見えないさまざまなものを神々として畏怖する宗教だったと思えます。 (アニミズム) 出雲神社をよく知っている人は、本殿ではなくその後ろにある祠にお参りをするのだそうです。 こっちの方が怖いってわけですね。 大国主。 大国主が国譲りをしてくれた となっていますが、早い話、大和朝廷が倒してその宗教体系を奪って自分たちのものとして都合よく変えて採用したってことじゃないか と。 ってことは、出雲の祠は、大国主を封じている穴か? そりゃ 倒した方は、「どもすいません 御願いだからずっとおとなしくしててくださいね」と大国主を閉じ込めた穴を参拝したくなりますわ。 日本書紀では、スサノオの息子ってなっているようですね。 うまくやりましたね。 神道の神社に注連縄ありますよね。 蛇(龍)信仰 すなわち目に見えないが存在するとする八百万の神々畏怖する出雲のシンボルマークが、神道で採用されているのは、大和朝廷グループ、が出雲グループを倒して、その宗教体系を他の集団を取り込むのに採用するため使ったからと思えるんですね。 失礼な! 大国主が国を譲ってくれたんだ? まあ そういう話にした方が聞こえいいですから。 だから大和朝廷(天津系)は、八百万の神々の宗教を持ちながら、一神教なわけです。 今回のテーマでもある天津系は一神教 ってどうしてそう思えるのか。 まず太陽信仰だから。太陽って星のようにいくつもありませんもん。 日本の古事記なのか古文書なのか確認していませんが、次々神々が生まれるという箇所では「そして ○○の神が現れ、、、、そして○○の神が現れ そして」とつないでいるらしい。 「私は男で、そして Aの父親で、そして Bの会社の社長で、そして Cの夫で、そして、、、」とした場合、全部同一人物ですよね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%B8%96%E4%B8%83%E4%BB%A3 見つけました。聖書と古事記の類似点を指摘した本。 常立(永遠)の神が成った→第一日目、光(永遠)の神が現れた。 そして 雲と野を分ける神が成った→第二日目 神は天と地を分けた そして 乾いた地と泥地を成す神が成った→第三日目 神は乾いた地を作り草木を成らせた そして 天空の日本の角で地上を生かす神が成った→ 第四日目 神は太陽と月を作り地を照らした。 以下略。 ・・・ヤハウェストとエロヒストとでは、創世記の天地創造の順番が違ってきますが、 まあ こんな感じですね。 左はそれぞれ別々の神が現れて仕事をしたような印象を受けますよね。 右はたった一つの神がやった仕事が列挙されている。 <そして>をイコールという意味だと解釈すると、たくさん神がいると言っているのではなく、たった一つの神がやったことが書かれてある という答えが導き出される。 うおーー 神道の神とユダヤ教の神は同一だぁぁ。 まあ、、神道の体系はユダヤ人が作った可能性もありますから。 >日本も、キリスト教の神を受け入れられるかも知れませんね!!将来。万歳 え? キリスト教の神ってユダヤ教の神とは直接関係無いですよ。 まあ アダムが最初の人間なので、所詮人類皆親戚 と考えれば、キリスト教の神も、ユダヤ教の神も親戚同士ってなるのかもしれませんが。 閻魔大王って、日本のオリジナルじゃないですよね。 インド方面だったか忘れましたが、最初の人間で最初に死んだ人間が行った国がいわゆる天国みたいなもので、最初に死んだから、そこの支配者になり、死んだ人を審判して、良い行いをしたものだけ入れるってなっていったらしいです。 オリジナルの名前はサンスクリット語でヤマ。 音訳するとエンマ。 だから正月になると門松(山)を設置するのか、山を神として崇めるようになったのか、知りませんけど。 それと一緒で、イエスの話はオリジナルじゃない。 イエスがいたとされるより 何千年年も前の神話の焼き直し。 イエス作家以外も、それより前から、いろんな作家が主人公の名前を変えて焼き直ししていた、最近のバージョンだと主人公の名前がイエスってなっているだけ。 要するに古代人の太陽信仰が物語となり、何千年もその話が繰り返し伝えられているってわけですね。 主人公の名前は毎回変わりますが、内容は一緒だし 太陽信仰。 太陽信仰なら日本に既にありますから、セールスされても「まにあってます」という答えになります。

welovekobe
質問者

お礼

う~ん どうも有り難うございました。なんか難しくて 良く分かってないかも知れません。悪しからず・・・ >まあ、、神道の体系はユダヤ人が作った可能性もありますから。 ここだけは、興味津々ですね。誰か証明してくれたら良いのに。 ユダヤ教の神も、キリスト教の神も同一神です。これだけは 譲れない。でないと、唯一絶対の神でなくなるから・・・ 創造主なる神が二人も三人もいりませんから・・・ 宇宙の究極的な第一原因があるとすれば、それは唯一だと 言うことです。 私は、神話の話をしているのではなくて、実在する神のことを 問うておりました・・・ ではでは。どうも有り難うございました。感謝です!!

回答No.17

 自分の理解するところでは、神道の起源となった「八百万の神の思想」は、あくまでも、自然を敬愛すると共に恐れ、祖霊を敬い、いたるところに敬意を表すべき神が存在する、というものであったと思います。  これが、他の宗教を批判するつもりはありませんが、一神教であり、自然は征服・利用すべきものであって先祖の墓参りの慣習もあまりない欧米との決定的な違いです。  一時期、統治者により朱子学等の思想も取り込んだ統治の手段としての側面を持ち、現在の日本人に「君は神教徒か?」と聞いてもぴんとこないかもしれませんが、古来の「八百万の神の思想」が面々と日本人固有のメンタリティを形づくっているのではないでしょうか。

welovekobe
質問者

お礼

どうも感謝です。 そうですね。私も実は、神道は、 大日本帝国時代はともかくも、 元はと言えば、八百万の神の思想であり、多神教であり、 汎神論に近いとばかり信じておりましたが、どうも、 一神教みたいです・・・<(^^)> まっ、それならそれで私は好いんですが・・・ けど、それにしては、日本人は、唯一絶対の神を信じていませんよね。 これが今日の日本の最大の問題だと思うのです・・・ 本当の日本の自虐史観の正体とは、現在、事実上、日本が 「無神論国家」であるということなんだと私は 思っております・・・これが問題なのですね。 だから、確認の為に、質問したのですが・・・ このような思いがけない結論になってしまいました・・・(笑)

noname#80116
noname#80116
回答No.16

 No.2&8&11です。   ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  私は、とにかく、この宇宙には、最初の究極的な第一原因  がなければならないと科学的論理的に考える方なので、  その、これ以上さかのぼれない究極的第一原因が神だと信じて  いるわけです。だから、私は、一神教なのです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《科学的論理的な考え》は 残念ながら 経験思考の枠を逃がれ得ません。非経験の領域にまで 想像力を伸ばして 理論を見ようとしますが その想像力も理論も あるいは 観想も瞑想も いかんせん 人間の有限な能力の範囲にとどまります。  そこで 捉えたという神は すべて 論理と想像の産物となります。名前をつけたとしても ただ それは 仮りに想定した神の 代理表現にしか過ぎません。その言葉・その文字・その発音 これらが 神なのではありません。  神は 経験領域を超えています。その領域に 人間が わづかに 想定するのみです。ただし そういう不思議な経験――《あはっ Ah! 》と発する体験――は 起こり得ます。《考える》ではなく 《信じる(つまり そのなぞを受け容れる)》ということも 人間の行為として 人間は 持って来ました。  さて その神のことですが あらためて 言って  ★ 第一原因   ☆ というように科学的論理的に考えるのは そこから 理性の産物しか得られません。《無限》は 《超経験》ですが それを仮りに 分割しても その部分部分は やはり 無限です。そういう超自然のことが 神であるはづです。  《あはっ / あはれ(天晴れ・哀れ) / あはれみ(憐れみ)》のほうが わたしたちそれぞれの神との関係に近いというべきでしょう。  むろん 昔の人びとは この不思議に関して さまざまな思案をして 何とか 言葉にも表わして 認識できたなら いいだろうと思っていたのでしょう。その成果も それとして 残っているわけです。  おそらく 日本人にとっては 《かみ》という言葉で いいのではないでしょうか。それが 《唯一神》であることは 分かりきっていますよ。あとは 名づけにしろ何にしろ おままごとです。そのぶんでは 《科学的論理的に考える》welovekobeさんに期待しておきます。  《かみ》なら神という言葉は その音韻なりその観念なりが 或る意味で 存在していると言えます。しかも この言葉の存在は 誰にとっても 持たれます。同時に持たれます。同時に カミという音韻を その場の皆が 聞きます。つまり 世界中の人が 同時に この《かみ》なら神の言葉を 自己のもとに抱くことが出来ます。  空気も そうだと言えば そうですが それは 経験的な事物として 変化しています。言葉も 変化するのですが 万人が持つことを為し得ます。それと同じように しかも もっと 根源的に――それこそ 《第一原因》的に―― 《かみ》は 人びとの心に入って行けます。  すでに 生まれたときから 入っていたかも知れません。これが 《あはっ》と そうとすれば意味の分からない不思議なことだと感じて 言い出したとき そのとき 気づいたというかのように 分かる。そういうものではないでしょうか。

welovekobe
質問者

お礼

>おそらく 日本人にとっては 《かみ》という言葉で  >いいのではないでしょうか。 >それが 《唯一神》であることは 分かりきっていますよ。 そうですか!!それを聞いて安心しました。 私としては、自分が経験しようがしまいが、 神というこの宇宙森羅万象を創造した「第一原因」が 「実在」すると信じています。言葉とか観念とかではなくて・・・ 超経験とか人間の考え得る全ての叡智を超えてです。 それが貴殿の言われる一神教の「神」であれば、 それで十分ですっ! どうも有り難うございました~!!

  • mmky
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回答No.15

追伸 [どうもです。お名前はないんですね? 大根本神ということで・・・・(^^;)] 名前はありますよ。 玉座に座ってる大根本神は霊的に見ると大きな太陽のような「光」に見えますから、呼ぶとしたら「光」なんですね。 霊界にも霊太陽があるので、「地球の光」とか「麗しき地球の光」と呼ばれてますね。 神道では「光一元」などと思想のような表現ですね。代りに「鏡」使ってますね。神道は太陽信仰ではなく「太陽のような光」という意味の「光」信仰ですね。天之御中主の上に名前が無いのもこれでわかるでしょう。「光」ですからね。神と名がつくのは少し人間くさいですね。だから下の方の神様なんですね。天之御中主もちゃんと「地球の光」を拝んでいるのですね。 エジプトも同じですね「光=ラー」ですね。時代を経て「光=ラー」が太陽信仰になってますが本来は「太陽のような光」という意味の大根本神のことですね。 「光=ラー」はイスラム教圏では神と訳されてますね。 ユダヤ教:旧約聖書では「光=エルとかエロヒム」ですね。 インドでは「太陽のような=ヴァイローチャナ=毘盧遮那仏=これ奈良の大仏:大日如来または釈迦大如来ともいいますね。」 認識力の問題ですが、「麗しき地球の光」が正式なお名前、呼び名ですね。みんなにわかるように仏教系では「釈迦大如来」と呼んでますね。 イエスが「アバ」と呼んでいたのは、「麗しき地球の光」という偉大な「光」の大神霊のことですね。神様という人間くさい表現に合わないほど巨大な黄金の光なのでいろんな表現がされてきたということですね。 世界中に太陽信仰と呼ばれるものあるでしょ。これも元は「地球の光」信仰から出ているのですね。 ということで世界中一神教であったということになるのですね。 名前覚えるといいですね。キリスト教では教えてないからね。黙示録でも名は伏せられてますね、現代は明らかにして良いということで明らかにしました。

welovekobe
質問者

お礼

どうも有り難うございます。 だんだん、皆様専門的になってきて、私が ついてきていないような気がいたして参りましたので、 そろそろこの辺でお開きに致したいと思います。 よろしくです。<(^^;)>

  • kigurumi
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回答No.14

No.13です。 失礼、訂正です。 >あら? イザナギは男神じゃないのか? イザナギは男神でしたね。 天照大神も男だが、女神ってことに都合上なったと思えます。 エロエロダンスに天の岩戸を開いてかぶりついて見た天照。  ほらっ 男でしょ! 笑 ちょっと無理な解釈ですが、、、真面目な話、同一人物なので男になるんです。

  • kigurumi
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回答No.13

No.12です。 京都の祇園祭の山鉾巡行、を調べてきました。 「八坂神社! でた~」とうきうきしてしまいました。 秦氏系統は、ユダヤ教系列と私は思っており、八坂神社は秦氏の神社ですから、山鉾巡行は当然ユダヤ教の仕来りになんらか関係があるってわけですね。 山車のリベカの絵、見てきました。 トマスの福音書の内容を思い出しました。 トマスの福音書はグノーシスで、イエスが組んだ水を飲むと、イエスは「もはやあなたは私の弟子ではない。私と同じになったのだ。私の汲んだ水の飲んだのだから」とあり、この井戸というのは、普通の井戸ではなく、何か象徴的なものを指していると思えます。 さて、 天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神。 その当時、どういう音で発音されていたのかわからないので、文字の意味から調べるしかない。 それぞれの神の名前を、創世記の天地創造の7日の神の仕事と相対させた本を持っていたのですが、どっかいっちゃった・・・・。 籠神社の宮司いわく、「ニギハヤヒ命とは籠神社の主祭神である火明命の別名なのです」。 記紀神話(古事記、日本書紀)では天照大神とニギハヤヒ命、火明命とそれぞれ別の名前なのに、どういうことか。 宮司はにっこりして、「神様の世界は現実の世界と違います。時間も空間も超越することができます。御霊を分けて、いわゆる分身を作ることができます。まあ、SF的かもしれませんが、私は、これを『多次元同時存在の法則』と呼んでいます。」 だそうです。 早い話が、小説の中では、時間と空間を飛び越えることが簡単にできますから。 天照大神の正式名。 うわっ、、、長いし常用漢字使われていないし、、、。 すいません、、書くには省略させていただきますが、たくさんの神の名前を合体したかのような名前です。 その長い名前を分解すると、いろんな神様の名前になる。 まるで別の神様となり、記紀にそれぞれ別々(時代、空間が違う)に登場して仕事したことになっています。 が、結局天照大神のことなので、全部、同一人物。 多次元同時存在していることに、物語上可能なので、そうなるわけです。 なので、日本にはたくさんの神様がいるようで、仕事によって名前が違うだけで、一神。 天照大神=ニギハヤヒ命=スサノオ命=神武天皇。 というわけで、神武天皇が祖先とする種族の主張では、天皇は現人神となるわけですね。 天照大神は、イザナギがおもしろい出産方法で産んだようになっており、結局イザナギは天照大神と同一人物になるわけです。 あら? イザナギは男神じゃないのか? 男神だが、統治の都合上、神話では女になったと思えます。 多次元同時存在以外に、男と女がすりかわることも、神なら いや 神話なら可能。 じゃ、結局 創作文学上にのみ存在する神か? 実在しなかったってことか? いや、人間が実際にやったことも、民話として残ったとは思いますが、神話化しており、どこまでが史実かは、調べられません。 なんたって、他の国の神話が、日本の民話にも入り込んでおり、、、、 これは人が移動すると、他の国で伝わる民話も日本に移動し、そこに定住した人たちの神話となるわけで。 その各地の民話を意図を込めて編纂したのが、記紀であり、日本の歴史ってことになっていますから。

welovekobe
質問者

お礼

清みません。お礼が遅くなりました。 要は、多神教であるはずの八百万思想も一神教だということで・・・ どうも感謝でした。 ならば、この日本も、キリスト教の神を受け入れられるかも 知れませんね!!将来。万歳

welovekobe
質問者

補足

京都祇園 お調べ下さり有り難うございました。 とても感謝です!! やはり、ユダヤ教と関係あるんですね!! 神道の裏が、唯一神である可能性が出てきましたね!!

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.12

>根源神が三神もいれば、多神教だと思うのですが、 >それでも、八百万神思想は、一神教と言えるのでしょうか?? 3神のあと、イザナミ、イザナギじゃなかったです。失礼しました。 えっとですね。 最初の神は、2つの神に姿を変えて仕事をしたことになっています。 2神は仕事を終えると消えています。 つまり仕事が終わったので、A現場監督、B現場監督から、元の会長に戻ったってわけですね。 要するに、やった仕事によって呼び名が変わっただけです。 1→3→5神となり、その後 イザナミとイザナギですね。 >ユダヤ教と似ていると言えば、京都の祇園祭の山鉾巡行がそうですね へーそうなんですか。 教えていただいて ありがとうございます。 >リベカがラクダに水をやる絵が山車に掲げられています。 うわっ ほんとうですかぁ。 確認してみます。 >他にも、ユダヤ教と似ているところが一杯あるそうですから・・・ かなりありますよ。 ジョークかもしれませんが、天狗の持つ虎の巻→トーラ(律法)の巻物って節もあります。 天狗って 鼻がとても高くて目がギョロっとしていて、ユダヤの聖職者の服装で、羽生えていますよね。 >七月も確か聖書と関係がありました・・・ うわー 私よりずっと知っていますね。 私変な本、興味があると読んでしまうんですね。 それにこんなことが書いてあった。 古事記だと思うのですが、神様がどんどん生まれた。 神様の名前は漢字で書かれており、漢字には意味がありますよね。 で、その神様の名前を、聖書の創世記の第一日目から第7日目までに相当させたんです。 聖書の方は天地創造ですよね。 太陽と月を作り、天地を作り、植物をはやし、動物を作り、、、って。 それ全部 日本の古事記の神様の誕生順と合致するっていうんです。 仕事の内容によって名前が違うって上で言いましたよね。 だから、古事記のたくさんの神様の名前、全部一つの神様がやった仕事が、神様の名前になっている。 こう解釈すると、たくさん神様いるが、一神ですよね。

welovekobe
質問者

お礼

どうも何度も済みません。有り難うございます。 3神とは「三柱の神(造化の三神という)」のことを申したのですが、 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 高御産巣日神(たかみむすひのかみ) 神産巣日神(かみむすひのかみ) これは役割を変えた実は、同一人物でしたか??!! う~む・・・分ったようなわからないような・・・

noname#80116
noname#80116
回答No.11

 No.2&8です。  ★ スサノヲの神と、スサノヲが観た神とは違うのですか?  ☆ 同じです。《あたかも見た》体験にもとづき その神が スサノヲらに 信仰とあわれみを与えるようになったと――スサノヲらの主観それぞれにおいて――捉えられました。  ★ また、良く登場する「天の御中主の神」とは違うのですか?  ☆ スサノヲの神のほかは 自然現象の神格化もあるでしょうし 全般的に言って 付属品です。もっと言えば どうでもよい文学的な創作であるか 政治(まつりごと)のための創作であるか 商売のための宗教です。  ▲ (古事記・神代冒頭) ~~~~~~~~~~~~~~~~  天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時 高天原(たか〔あ〕まのはら)に成れる神の名は 天之御中主(アメノミナカヌシの)神。次に高御産巣日(タカミムスヒの)神。次に神産巣日(カミムスヒの)神。  これら三柱(みはしら)の神は みな独り神と成りまして 身を隠したまひき。・・・  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   ☆ というふうに 延々と 神々の名を挙げていきます。  おもには 自然環界のものごとです。《むす=生す・蒸す》というように また 《むす・こ/め=息子・娘》の語例のように です。  ただし なかで 《アメノミナカヌシ》は 少し毛色が変わっています。《独り神》という規定も おもしろそうですが けっきょく   ▲ タカマノハラにに成れる神  ☆ という記事に注目することができます。なぜなら かのアマテラスが 父のイザナキから  ▲ 汝(いまし)命(みこと)は タカマノハラを知らせ(* 統治せよ)。  ☆ と命じられているからです。ちなみに スサノヲは 《海原を知らせ》との職務分担でした。  ですから 要するに すでに のちに アマテラス帝国が出来あがってから このように 古事記が編纂され そこで 冒頭に 《アメノミナカヌシ》が 挙げられているというふうに疑ってみても 非科学的ではありません。  つまりは 広く為政者としては 二つに分かれ それらは 執行役員のごとき権力の地位に立つ者と 権威を象徴する者とがいます。その後者を アメノミナカヌシを筆頭に掲げることで 暗示しているというのが 無理のない解釈ではないでしょうか。河合隼雄は このことを 《中空構造》と言いました。《アメノミナカヌシは 第一人(神)者だが 何もしない。そのような統治構造》だということのようです。《君臨すれども 統治せず》と言いますね。  これは わたしは 人間の尊厳を傷つける世迷い言だと思っていますが そのことは 措いておきます。生まれた初めから 社会的身分が違うと主張しているとしたら あほらしい議論です。  つまりは アメノミナカヌシにしても 何にしても どうでもよい神々であると言っていいでしょう。そもそも   ○ 最初の一神が アメノミナカヌシだと言う人は どういう意味なのかを説明しなければならないでしょう。名前が分かったからと言って 何になるのでしょう。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  キリスト教でいう宇宙・人間を創造した神が、  スサノオの神(スサノオが観た神?)だとすれば、  「天の御中主の神」の上にいる根本神ですね!!??  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ あはっと言って あたかも見たように感じ思った神 それが ひとに対するあわれみの源です。あとは この信仰に 宗教が 飾り付けをし 上塗りをします。それは どうでもいいことです。というよりも わたしは 悪だと考えています。  もし スサノヲの神を もう少し詳しく説明せよということでしたら その用意はあります。  モノはコトです。( e = mc^2 )   モノは どちらかと言うと 質料・身体であり コトは エネルギ・精神にかかわります。  いにしえのわれらが祖先は この二つの側面から ひとや神を捉えたようです。  モノ(物)―――もの(者)―――――オホモノヌシ(大物主)  コト(事・言)―みこと(美言・命・尊)―ヒトコトヌシ(一言主)   ↓         ↓            ↓  自然・社会・・・・・ひと・・・・・・・・・・・・・・かみ  この範式において 次の図式も得られます。  モノの木――――――ねこ(根子)――――――生命の木  日の移り行くコト――ひこ・ひめ(日子・日女)――日(光源)  そうして 記紀には 《おほたたねこ(大田田根子)》という人間が 出て来ます。《ひ・こ/ひ・め(日子 / 日女)》は 《彦・姫》という言葉になりますが 《大地に根を張った木にも喩えて ひとのことを ねこ(根子)》とも言いました。このオホタタネコが オホモノヌシの神の子であったと記しています。  あたかも三位一体のようですね。つまりは モノ=コトですから オホモノヌシ(大物主神) 即 ヒトコトヌシ(一言主神) 即 オホタタネコ(人)だというわけです。くわしくは わたしの回答で  ◆ 《質問番号:4399753:日本的霊性について》の No.1  http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4399753.html を参照してみてください。  さらに ちなみに 人間は その主観が ひとつです。その信じる対象(じつは なぞですから 非対象)は 仮りにいくら分割されていても ひとつに決まっています。  或る時は 商売の神様 或る時は 安産の神様 また或る時は 学問の神様うんぬんと言っていたとしても こころのあり方は ひとつです。一つなる心にとって 唯一神以外は 有神論と同等だと言うべき無神論を除いて すべて おままごと遊びであるか 商売のためであるか または いかさまです。  《多神教》も その多神教という一つのまとまりを 全面的に訴え この多神の中の一つに入らないなら 認めないと言ったとすれば それは いわゆる一神教と同じく 排他的なのです。

welovekobe
質問者

お礼

どうも懇切丁寧に有り難うございます。 懇切過ぎて理解できてないかも知れません。済みません。 私は、とにかく、この宇宙には、最初の究極的な第一原因 がなければならないと科学的論理的に考える方なので、 その、これ以上さかのぼれない究極的第一原因が神だと信じて いるわけです。だから、私は、一神教なのです。 宇宙が出来た根本原因が3つも4つもあるはずがないと・・・ だから、多神教は間違っていると思うのです。 もし、八百万の思想が、スサノヲの神という一神教の思想なのなら それはそれで大歓迎します。ちょっと意外でしたが・・・ ただ、私にとってはそれだけのことなんでございます。 どうも有り難うございました。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.10

追伸: [ということは、八百万の神の思想の根本神は、キリスト教の唯一絶対の神でよいのでしょうか?つまり、根本神は、「天の御中主の神」ではない!!という認識で良いのでしょうか?念のため、確認です。] そのようにとって間違いはないですね。もう少し付け加えると遥か昔(億という歳月の昔)に地球霊系団を創造した神を「全知全能の神=愛の神=太陽のような神」といっているのですね。イエスはこの大霊を我が父と呼んでいますし、天の御中主の神に日本の国づくりを命じられたのもこの大霊で間違いないですね。この大霊は宇宙ができる以前(1000億年前)から存在していた大根本神の一部であることも間違いないのですね。それ故、天地創造を語ることができるのですね。それが霊的事実ですからどの宗教も本来は全知全能の神をもとにする一神教ですね。イエス様は正直だから「我こそは唯一の神」といわなかっただけですね。でも地球霊系団では玉座の右手に座るナンバー2の偉い大霊なんですよ。ちなみに玉座の左手には孔子大霊が座っていますね。偉い神様ほど謙虚なのですね。

welovekobe
質問者

お礼

どうもです。お名前はないんですね? 大根本神ということで・・・・(^^;) 八百万の神の思想は、一神教といことで・・・ どうも感謝でした~!!

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.9

追伸: [やはり「天の御中主の神」ですか?? けど、この神様は、宇宙や人間を創造したキリスト教の 神と同じ創造主なる神ではないですよね??????] 神の本質は、神(宇宙)は一つであり、それぞれはその機能神と考えてよい。 「一神即多神、多神即一神」であるということなのですね。この意味がわかればいいだけですね。 どこの国でも上の偉い神様は一人なのですね。「我こそが唯一の神」と信じなさいと異口同音に言うわけです。それは纏めるための「方便」ということですね。その神様にさえもっと大きな世界で言うと上下関係はあるということなのですが、この上下関係という意味は「古いか新しいか」という程度の意味なのですね。なぜなら元はひとつでそれから分かれたからですね。これが「一神即多神、多神即一神」なんですね。元のひとつを「根本仏とか根本神」というのですね。 「天の御中主の神」は日本の主宰神ですが、すぐ上にはイエスが我が父と呼んだ神様の一人もいるわけですね。イエスの認識力にしても誰を我が父と呼んだかわからないぐらいですから難しいものですね。何人かいたんですね。 ユダヤ教のように生贄を望む神もいるわけですから同じではないということですね。神道系は生贄を望まない神ですから上はユダヤ教の神と同じではないということは明らかですね。仏教系も殺生や生贄などはないですね。つまり、日本の一番偉い神様は「愛」や「秩序」それから「創造性=日本人の特性」を重んじているということですから「創造主」と呼ばれる方に近いですね。はっきりいって現状は「天の御中主の神」の上は「地球生物の創造主=あらゆる宗教が指名する全知全能の神」ですから一神教ですね。それを「天の御中主の神」が代弁したということだけですね。えらい神様の下にはいっぱい神様(ちょっと認識力が低いだけ)という構図になってるだけですね。 この構図をユダヤ教、キリスト教やイスラム教では理解できてないだけのことですね。民度(認識力の程度)の問題なのかもしれませんね。ユダヤ教、キリスト教やイスラム教が戦争好きなのも彼らの唯一神が創造主ではないのがわかるでしょう。創造主がいることはわかるが信じているのは違う神という笑えない状態におちいっているということですね。世界を見回しても日本ほど平和で創造性のあふれる国はないはずですよ。

welovekobe
質問者

お礼

纏めるための「方便」ということですが、 私は、科学的な見地から、創造主なる唯一絶対の神がいなければ おかしいと思っている一人なのです。 方便ではなくて・・・ 実在すると信じているのです。唯一神が・・・・ それがキリスト教で言うところの神だと私は思っています。 その神様と、「天の御中主の神の ”上”」にいましたもう神とは 同じと考えて宜しいですか??宇宙や人間や神々を創造した 一人なる根本神として考えてもよいですか?? そして、その神は、「日本名」は何かありますか? スサノヲの神ですか??

welovekobe
質問者

補足

どうも何度も済みません。 なかなか、すぐに理解できないので、失礼なことを申すかも 知れませんが・・・ はっきりいって現状は「天の御中主の神」の上は 「地球生物の創造主=あらゆる宗教が指名する全知全能の神」 ですから一神教ですね。 ということは、八百万の神の思想の根本神は、キリスト教の 唯一絶対の神でよいのでしょうか? つまり、根本神は、「天の御中主の神」ではない!! という認識で良いのでしょうか?念のため、確認です。

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    汎神論と多神教(八百万の神?)の違いは、簡潔に言うとどのような点にあるのでしょうか?また、汎神論は一神教特有の考え方でしょうか?宜しくお願いします。

  • § 5 多神教は その一まとめとして一神教である

     1. ヒンドゥイズムは 多くの神々から成っている。けれども それらの神々をまとめて 全体としてのヒンドゥイズムは ひとつの宗教であり それとしての自他の区別をはっきりとさせているからには 多神なる全体が ひとつの神として機能している。ゆえに 一神教である。  2. 八百万の神々をいだくシントウイズムは 同じく 一神教である。多神は 全体としてひとつなる神の分身だと捉えればよい。  3. もしくは そのような神話を基礎として 社会のあり方が 言ってみれば   《アマテラス公民主導‐スサノヲ市民従属》なる逆立した連関制  としての二階建て構造を成しており このひとつの国家という単位社会が 多神教を基礎とした全体としての一神教を形成している。  そのただひとつの神とは では 何か? たぶんこの社会形態としてのいわゆる国体であるのだろうか?  4. 汎神論も その観念体系をオシエとしてひとつの宗教を構成しているなら それとして一神教である。ただし その汎神論というオシエが ほかの宗教とのあいだで自他の区別をせずに 世界中のいろんな名前の神を分け隔てなく受け容れるなら 個人としての普遍的な信仰を成すと言ってよい。のではないか?  5. 国家という社会形態を 人びとの生活共同としての単位体であると見なし得て しかもそこに或る種の宗教をおおむね排他的に共有しているとやはり見なし得るならば そこに醸し出されるナショナリズムなる思潮は オシエたり得て けっきょく一神教を成す。一党独裁なる体制が それである。  6. 一党独裁制ではない場合 たとえば韓国の国家としてのナショナリズムは 果たして 宗教でないであろうか?  7. 唯一神形態としての一神教は 必ずしも国家として 一神教としての自他の区別や差別をしないが 組織宗教として個人から信教・良心の自由を 政治的に奪うおそれがあり 集団的な行動においては 他の宗教に対してまさに排他的になる。  ☆ 疑問形でないところについても その成否・当否を問います。ご教授ください。

  • 多神教は もし宗教であるなら 一神教ではないか?

     1. 多神教は もし宗教であるなら 一神教ではないか?  2. 多くの神々から成りつつその多神のまとまったかたちは 全体としてひとつの神 すなわち《唯一神》なのではないか?  3. クリスチアニズムのような特にはっきりと唯一神をかかげる宗教に相い対したばあい 相手を《あなたは 一神教である。ゆえに どうだこうだ。うんぬん》というふうに述べるその視点は やはり一神教としての立ち場にもとづくものではないのか?  3-1. けっきょく 一神教 vs.一神教という図式になっているのではないか?  4. あるいはただし そのときさらに込み入った状態・情況が派生していると思われる。  4-1. すなわち 多神教の側は――というのははっきり言えば 日本人の日本教を捉えて言っているのですが その八百万の神々を擁する唯一神体制の側からは―― その神々の中に ブッダもヤハヱーもクリストスもアッラーフもあるいは 《無い神》もコミュニストの無神もぜんぶ入っている。  4-2. マジワリをつうじて入って来る神はすべて その多神制の内にひっくるめたかたちで それらが全体としてひとつなる神と成っている。  4-3. つまり 《一神教》ではないのか? その多神体制よりほかには 宗教のかたちはあり得ないとまで思っているとすれば 明らかに一神教ではないか?  5. と問うたのちに――いえ 問うと同時に―― では 宗教をめぐる寛容とは どういう姿が描かれるか? これを問います。

  • 「八百万の神」の本来の意味は

    「八百万の神」とよく言います。八百万はもののたとえで、実際に日本の神々を数えたらそれほどは無いと思いますがそれにしても多いです。また「八百万の神」という表現はかなり昔からのものらしいですがこの数字は古代の日本の人間の数=人口より多かったと思います。まして古代の日本の範囲は地理的にもいまよりずっと狭かったわけですから、古代日本は神様だらけの国のようです。  そこで質問ですがいまでは「八百万の神」は「神様だらけの日本」というように自嘲的に使われる場合もありますが、古代ではいろんな神様がいたるところにいらっしゃるめでたい国というような意味で使われていた可能性はありませんか。昔の日本人は神々に囲まれて神々とともに生活していた、そんな世界観・宗教観を持っていたのではないでしょうか。アニミズムと言ってしまうと味気ないですが、「八百万の神」と言われるとなんかにぎやかでかつ神聖な印象があるんですが。

  • 多神教は 一神教と違うと思っていませんか?

     1. この問いは 個人にとっての信仰については ほとんど脇に措いておきます。  社会のナラハシとしての宗教を扱います。  2. だとすれば 商人がお稲荷さんを拝もうと その妻が極楽浄土の阿弥陀仏に帰依すると言おうと あるいは天国を夢見て教会でアーメンと唱えようと それぞれみな 一神教でしかない。  3. 狐や仏さんや神さんをいだくというその姿としては それぞれ一つの神を信じることでしかない。  4. 自身が経営の神様なる松下幸之助がどんな神を受け容れていたか知りませんが 仮りに自分がよいと思った神をみな信じていたとしましょう。すると だから 多神教となるか?  5. なりません。神さま仏さまお金さま等々すべての神々を おのれという一人の人間が人格全体として統覚するかたちで信じていると見る限りで それらはまとまって一つの神であるはずです。さもなければ 分裂状態か さぞうまく信じ分け使い分けていることになります。  6. 一つの社会ないし国として多神教を標榜しているという場合にも 実際の情況は 一神教の状態に同じです。  7. なぜなら その集団としてまとまって《一神教より多神教のほうがすぐれている》と宣言したそのとき その多神教社会は よそから見れば 一神教状態にほかならない。  8. 言いかえると 多神教社会は 一神教を自分たちの社会の中に輸入した場合には 多神教主義という一神教の中に従属するかたちでしか存続させないのだから。  9. もっと言えば 日本は 多神教ではなく 日本教という一神教であり その基にいろんな宗教・宗派が――マルクス教や反日教などをもふくめて――支部をつくっているというに過ぎない。  いかに?

  • 八百万の神々は誰が造ったのでしょうか?

    「古事記」を読めばわかるのかも知れませんが、まだ、読んでいないので教えてください。 日本の神話では、八百万の神が登場するようですが、これらの神々は、誰(何と言う神)が造ったのでしょうか?あるいは、ある神の子孫でしょうか? 要するに、一番最初の状態を知りたいのですが....。 最初から八百万の神々がいたのか、ある神が造ったのか、ある神から生まれたのか、あるいは、初めから存在する複数の神の子孫として出たのか、あるいは、ただ一人の神から出た子孫なのか....。

  • 死んだ人間を神に格上げする、靖国の思想

    死んだ人を仏と言いますが、仏は神様ではないし、一神教では到底、死んだ人間を神にはしません。 靖国では戦士した軍人軍属を軍神として祀っていますが、死んだ人間を柱という神の単位で数えるなど、死んだ人間を神とする思想は、神道の思想なのでしょうか。靖国独自の思想ですか。戦前は天皇が神様だったので、死んでも神として祀られることは無かったと思いますが。多神教ゆえですか。

  • キリスト教のデウスを神と訳すことの問題。

    キリスト教のデウスを神と訳すことの問題。 キリスト教のデウスは大日如来と同一視されたなんて話もあったらしいですけどこれは少なくとも神道の神とは別ものとして当時の日本人は受け取ったんでしょうか。 でも仏教を通して日本に入って来たインドの神々は天と称されることも多いです。 よく無神論や多神教対一神教では神で扱ってますけど無天論や無仏論は聞いたことがありません。 デウスが天主と訳されていたら無天論になってたんですかね。なら無神論はカテゴリーエラーになるし他の宗教と比較しあうのもカテゴリーエラーの気がします。 ここまで書いて比較宗教学はナンセンスな気がしてきました。同じ土俵ではないんじゃないんですかね…。

  • 多神教は他の国からどんなイメージを持たれてるのでしょうか?

    日本って多神教ですよね、すいませんよく解って無いのですが・・・ キャンプに行ってお日様ありがとう、森林浴で草木に感謝等普通に感じます お墓参りで先祖に感謝 漠然とですがすべてに感謝と敬意を覚えます 八百万の神々とウマイ事言うものですね~ でも、多くの他の国は違うそうですね キリスト教でしたらキリスト=神なので 多神教の日本の宗教感覚は理解出来ないと想像できます エジプトも多神教ですよね? 同じ様な考えなのにあまり交流が無い様な・・・ 本題ですが 多神教と言いますか八百万に神々と言いますか、この考えは他国から見てどんな印象を持ってるのでしょうか? 特に近隣の韓国や中国のが持ってるイメージが知りたいです よろしくお願いします

  • クウキ教たる一神教としての日本教をどうあつかうか

     たたき台です。自由に哲学としてたたいてください。  日本人にとっては ムラムラにおける自然との共生を生きる古くからの―- 一人ひとりにとっての――信仰が息づいていると見ます。生活の問題です。  ただしこれを基礎として 社会形態が国の家というごとく二階建ての構造となったときには それとしての民族宗教がつくられました。あるいはつまり 民族としてのひとつにまとまった神をまつる実質的に一神教が――空気のごとく――形成されてきた。  ムラびとたちは これに くにゆづりをした。ムラムラのマツリは お二階さんたちのマツリゴトによって吸収されるかたちを採った。ムラびとたちどうしのヨコの助け合い寄金が――あるいは神々とのタテの祀りの品が―― お上なる二階とのタテの関係(国家財政)の中へ吸収されて行った。  民族宗教とは 日本教であり 実質的にクウキ教である。  クウキによるコミュニケーションを 守るべきオシヘとする。  このわれらがシュウキョウを これから どうするか?  《クウキ教》は 守り遵うべきオシへの役割りをも帯びている。  しかも言葉としては何ごとにも・何ものにも精霊を感じてのようにおよそアニミズムとしての多くの神々をも持っていますが これ(クウキ教)は いわゆる多神教のままには留まっておらず そうではなく すでに――国家が出来てからは――あくまで《日本教》として一神教を成す。  ヒンドゥー教は その名もヒンドゥー=インドであるごとく多神を擁していてもそのまま全体として一神教としてのインド教です。よその神々を受け容れても 民族宗教としてまとまり 対外的には あたかも唯一神をいただくのと同じ振る舞いにおよびます。  ユダヤ教は 明らかに対外的にも対内的にも 唯一神をオシへとして共有する生活様式を形成する民族宗教です。  あるいは アマテラシテたる王をいただくイギリス教のごとく日本教は 対外的には一神教としてまとまった民族宗教です。その中にいろんな神々をよそからも受け容れているという――対内的には――多神教であったとしてもです。  この日本教=クウキ教には 神道をベースにして 仏教の諸仏を採り入れ そしてキリスト教の姉妹編としての唯物論教(つまり 無神論教)をもじゅうぶんに有益にはたらくかのような異端分子としてやはり採り入れています。  日本教・総本山   神道   仏教支部   儒教支部(?)   キリスト教支部   マルクス教支部   無神論教支部   《お花畑》平和教支部  護憲平和教派は さすがにキリスト教の神を持ち出すことはないようですが そのベースには同じ排他的な一神教の神(《無い神》)が祀られているかのようであり じゅうぶんにほかの多神と対立しつつも大きく日本教の一環として根を張ろうとしています。  日本人は 知らず知らずのうちに 宗教(じつは 信仰)への関心を育み生活を息づかせて来ており ただしそれがお二階からクウキ教の浸透によって絡め取られるときには いわゆる排他的な一神教としての民族宗教を形成するようになります。その中に入れば 排他的ではなく馴れ馴れしくなあなあ主義的になります。  ふるくからの個人個人にとっての信仰を保つ日本人は――第十代崇神ミマキイリヒコイニヱのミコトやその時の市民オホタタネコをあたかも代表とするかのごとく《イリ歴史知性》たる日本人は 応神ホムダワケや雄略オホハツセワカタケルさらにあるいは継体ヲホドの《ヨセなる超歴史知性》によって《全国制覇大作戦なる雄略》を実行されて それに対して国ゆづりをしたとしても―― そのような宗教現象をなおただウワベのこととして その優勢に対して まさにくにゆづりをした出発点を保って生きて来ています。    それらの人たちは 宗教から・オシへを垂れるあらゆる宗教から 自由です。ユヅリアヒの生活を千五百年おくって来ています。(はっきりと二階建てとなって行った継体ヲホドの頃からと見ての時間です)。  いちどゆづったのだから 口が裂けても 返せとは――大政奉還せよとは――言えないであろうか。どうでしょう?