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命を大切に扱うとは
・お金を大切に は ー無駄なお金は使うなー 【使わなくても(なくても)いいお金がある】 ということなので ・命を大切に というのも ー無駄な命は使うなー 【使わなくても(なくても)いい命がある】 ということ なので 命の場合だけ 「あるだけ使え」みたいに粗末に扱うのは 命の無駄使い=命の軽視=命を大切にしていない証拠であって 本当に大切にするというのはお金(命)をなくすことは仕方のないことだと割りきった上で限りあるお金をどう使うかを真剣に考えることだと思うのですが どう思われますか?
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- yayuh
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お金と命をつなげて考えるのは意外性抜群ですね。 お金と命に共通するのは、循環だと思います。 お金は循環しなければ意味を成さないものだし、命もたった一つの命だけでは、生きることはできません。 大切にするとは、つながりを大切にするということだといえないでしょうか。 つまり、お金とは何なのか、命とは何なのか、なぜお金はお金として存在でき、命は命として存在できるのか。 それは、つながりがあり、そのつながりによって変化し流動することができるからではないかと考えます。 つながりが途切れてしまえば、お金はお金ではなくなってしまい、命も命ではなくなってしまう。そう考えると、大切にするものは、お金や命が有るか無いかというところよりは、有ることを、無いことを可能にさせるつながりだと思います。
- mijinco
- ベストアンサー率25% (87/346)
「どう思われますか?」ということですが、 私は、「お金」と「命」を関連づけてのあなたの発想が素晴らしいと思います。 お金と命とは全然違うでしょ、というような批判はいくらでもできますが、考えるということが、あなたの中に内包されていると思います。 ステキです。
- usijima
- ベストアンサー率22% (17/74)
敗北宣言て・・別にこんなこと勝つ、負けるじゃないと思いますけどね・ 僕は基本的にボードリィール、お宅なんで、ただの引用です。あなたがヴぃどけんシュタインオタクで、言葉をこねくり回すのがすきなように・・ お金を大切にする。それはどう使うか?金はただの権利であって実態ではない。その権利をいかに価値のあるもに変容することができるか?ボードリィールがいうところの交換可能なものにすることができるか?というところじゃないでしょうか?そして金自体は交換ができずやがて詩にいたるといったところではないでしょうか ?デリダの言うところの脱構築。それはすべてを否定するのではなく、中間的価値を認めています。ハイデガーオタクの現象学かぶれといった批判もあることですし。 ユダヤ人という、キリスト教のバックボーン。そしてヴィドケンシュタインと同じく所詮、大学教授という、権威と資本氏主義の中でたゆっている、パラドックス。 思想は思想の世界を超えられない・・ そして現在では、思想の価値は、思想界の中でこねくり回され、搾り出されているにすぎなく、思想界自体がすでに、資本主義に飲み込まれていると感じます。結局ヴィドケンシュタインの功績は、哲学会に無尽蔵に富を生み出すシステムを発明したということになるんじゃないんですか? 分析哲学全般に言えることですが、さすがに人の本一冊でアレないですよね。 いろいろいいましたが、現在ポストモダニズムの思想の中で、新たな道を見出せずに迷っている現代。何が正しいのかすら、すべてを否定した思想界。商業主義に飲み込まれた、文学界、そしてアート界。音楽界ではもうすでに音を否定しています。 僕らはこれからどうしなければいけないのか?過去を議論するよりもっと重要なことと考えています。 目の前に困っている人がいる。助けたい。・・が助けることはできない。 なぜか・・?金がないから。この社会に属する限りかねは力です。 戦争をなくしたければ、誰にも戦争で負けない力を持たなければなりません。核をなくしたければ、誰よりも核を持たなければいけません。 誰かに意見したければ、誰よりも強い力をもたなければなりません。 だから金を稼ぎます。僕は本年度、3000万稼ぎました。もっと金のことを考えれいきたいと思っています。 思想は思想の世界を超えられない。確かにそうだと思います・・が思想を現実にリンクする。その媒介が金であることも現時点では否定できないと思います。金と命は自分の信念のためにあると信じます。 思想、理想、現実、そんなこと関係無しに。思想は思想を超えられないだが、机上の理論は何も越えられない。行動。できるのかできないのか?その一点と信じます。 さよなら。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
命もお金も両方とも大切ですし、それを無駄にしてはいけないと言うことは分かりますが、命とお金を同列に並べて論じるのは言語道断だと思います。 その証拠に、石油のためならイラク人の百万の命も、米国兵の4千人の命も取るに足りないと言うことが、現に実証されているでしょう。事実、ブッシュ大統領や、マケイン大統領候補はイラク戦争の米国帰還兵に対する生活保護に関する法律をアメリカの国会が通そうとしたときに、ずっと反対していましたものね。 また、今度のグルジアの問題も、カスピ海で採れる石油と天然ガスのパイプラインをロシアの地を通さずに、アメリカ育ちのグルジアの大統領が、そのパイプラインをグルジアを通過させることによってアメリカに利権を与えようとしていることが本当の理由で起こって来た問題ですよね。その利権のためには、2千人と言われる今回の南オセチア人の命なんて、石油の利権と比べれば、取る足りない物だと言うことを、今度の紛争も実証してみせてくれましたね。 もし、本当に命がお金程大切な物だったら、私にはイラクやグルジアで起こっている一連の問題をどう理解して良いか分からなくなってしまいます。 頭の中で言葉の遊びをしているのではなくて、現実に起こっているこの事実に基づいて世界なり自然なりを認識することを至上命題とする実証科学の立場からすれば、人間に取って命がお金と同じぐらい大切な物だと言う論理は、机上の空論だとも思いたくなってしまいそうなのですが、質問者さんはどう思われますか。
- magga
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「お金を大切に」はーお金は無駄に使うなー 【自分にも他人にも有意義に働くように使いなさい】 【自分にも他人にもためにならないことに使うな】 【財の無意味な消費は自他の有意義を捨てているからもったいないよ】 ということなので 「命を大切に」はー命は無駄に使うなー 【自分にも他人にも有意義に働くように使いなさい】 【自分にも他人にもためにならないことに使うな】 【生命の無意味な消費は自他の有意義を捨てているからもったいないよ】 「命」とは何か 【動いていること。止まらないこと】 【六根で感じること。苦・楽・不苦不楽の感受】 【変化し、反応するもの。】 【言葉・行動・意識において何か行うこと】 「有意義」「ためになる」とは何か 【苦しみを減らすこと。滅すること。】 【充実感を感じること。】 【長い楽しみを得ること。平安を得ること。】 【八正道を歩むこと。】 と考えています。 つまり「いかに生きるか・使うか」が大事だと。 しかし、「いかに生きるかは重要じゃない。生きることこそ大事だ。」「命を失ったら負けだ」「命意外守るべき物はない」といってしまえばちょっと話は変わってきますね。 我々は命を守り続けることはかなわずに、老いて病にかかって事故で事件で、死ぬんですから。結局は負けるんですね。 「死」こそ我々に確実に現れるもので、いつ起こるか解らないのですから。そもそも成り立ちません。 それを受け入れれば、残るのは「いかに善く生きるか」だと思います。 優先順位を「いかに善く有意義に生きるか」よりも上に「生命の維持」を置いた瞬間から道徳は曖昧または成り立たなくなり、外は敵になり、恐怖と不安と恨みと悩みと苦しみが生まれるようになると思います。そして自分も苦しめ他者にも苦しみを振り撒く。 それこそ命の無駄遣いだと感じます。
- qsxdrfvgyh
- ベストアンサー率22% (17/76)
>・命を大切に というのも ー無駄な命は使うなー 【使わなくても(なくても)いい命がある】 ということ 「無駄な命は使うな」が誤用です。 無駄な命「にするな」 が正解です。 【なくてもいい命がある】も誤解釈・誤用です。 無駄にしてしまう命がある(それが残念だ) が正解です。
- ma3zu
- ベストアンサー率27% (285/1036)
自分のお金は増やせますが 命は増やすことはできません なのでお金と命を同じようにあらわすのは 難しいことだと思います。 命とは寿命、残り時間を消費するだけのものです 命=時間ですよね お金は自分の時間をかけることで手に入れることはできますが 同じ金額で時間を手に入れることはできません。 質問文の命というのは合っていないように思えます 質問文の「命」を「時間」に変えるとしっくりきます
難しいですね・・・ 私の考えでは・・・ お金は「限り」ありますが、お金は必要なことに使うべきだと思います 贅沢や無駄というのは、本人がその買うものへの姿勢で変わってくる気もします 人がそれは贅沢だと言っても、その人がそのモノを持つことによって心が豊かになってポジティブになって人や何かに役立つことが出来るようになったとすれば、それは贅沢ではなく必要なのかなぁ・・・と 命も「限りある時間」ということで・・・ 時間も本人にとって必要なことに使うべきなのかなぁと 芸術であれ、何であれ、その人が心が豊かになったりして、これからの人生(命ですよね、限りある時間)に対して充実するのであれば、何に時間を費やしても良いんじゃないかな もちろん、贅沢や無駄というのは、本人が時間を費やすその何かへの姿勢で変わってくる気もします 他人が無駄な時間だと言ったとしても、人間悩んだり迷ったり、色んななことをして、そこから出した考えを自分のものにするっていうのも、ある意味無駄ではない時間の費やし方なのかも知れません 表現下手ですみません とにかく大切にするというのは、ん~、難しいですが、一生懸命自分と向き合い自分の気持ちに素直に生きるということではないでしょうか。