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生まれてもすぐに死んでしまう命は何故生まれてくるのでしょうか?

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お礼率 60% (1850/3044)

生まれてもすぐに死んでしまう命は何故生まれる必要があるのでしょうか?

川や海では、魚が産卵した数え切れないほどの卵やアフリカの草原などでは鳥の卵がチーターなどの肉食動物に食べられてしまいます。それは食物連鎖の一部で無駄なことはありません。

でも人間の場合、流産や堕胎、また母胎で自然に消滅してしまう場合、また最近社会問題となっている親から子への虐待などで、「そうされるのならば生まれてこなくてよいはず」の命が、生を感じる間もなくいともあっけなくすぐに死んで(殺されて)しまう現象は、哲学や宗教的な見方では一体どういう意味があるのでしょう?

輪廻転生では、今世は前世のカルマを解消するためにあるということですが、その使命をやり遂げるために、一旦母胎に居場所を与えられ、産み落とされます。その後幾年かで死ぬことになる運命であっても与えられただけのカルマは解消された結果だと思います。
でもまだ他人の支援がなくては生き続けることもできない赤ん坊、この世に生まれいずることもない命は一体なぜ一応生命体となって現れるのでしょうか??
魂がエネルギー体ならば、エネルギーを与えるためのエネルギー(個人的な考えですが、それは神様が使うエネルギー)とエネルギーを一度包括する受容物(母胎)が使うエネルギー、どれも無駄なことではないか?と思うからです。

また哲学的、宗教的な見解、また学問的なことではなくても、率直な感想でもよいです。皆さんのご意見をお伺いしたいです。

回答 (全16件)

  • 回答No.16

ベストアンサー率 31% (558/1780)

再度の11&13です。

私もお釈迦さまの「毒矢の例え」に倣って、形而上的な話題は避けて、質問者さまの為になることをお教えしたいんですが、

私のHNをクリックしてもらえれば呼吸法と姿勢もご紹介してますが、これも便器でも椅子禅、待ち時間での立禅、歩きながらの歩行禅と、いつでも、どこでも出来るんです。

この呼吸法もヨガの呼吸で、お釈迦さまが後世に伝えたといわれるものです。

6年間の苦行の間に、自分をモルモットにして、人体の生理機構を熟知したとも言われているほど、現代科学に照らし合わせても理に叶っているんです。セルフコントロール法を体得したということなんだと思います。


で、行じてこそ仏教なので、是非、気長に挑戦して、心理学的、生理学的にも、傷ついた心(脳)の自己救済にお役立てください。(当のインドでは、現在、仏教は不人気で、激減の一途を辿っているんだそうです。おそらく仏教は「実践(行)」にこそ真価があるからではないかと思いますが・・・、違う理由かも知れません。)

先にご紹介してます本も、是非、ご覧ください。
補足コメント
frau

お礼率 60% (1850/3044)

Syo-ya様の場所をお借りして、今まで回答くださった皆様にお礼を申しあげたいと思います。
こんな漠然とした質問に真摯に答えてくださり、真にありがとうございました。

しつこくも補足に補足をつけ、あるものは質問の趣旨から大幅に脱線してご回答者様を困らせるような質問攻めをしました(恥)。真剣に答えてくださったご回答者様に心からお礼を申しあげたいと思います。

そろそろ締め切ろうと思いますが、ポイントをつけることは今回はしません。というのは評価をつけるというのは、こうした質問に関する答えに対しては妥当ではないと思うからです。この巨大サイトは本当に困っている人に対して、ときには自分の身を削り、古傷を自ら裂いて真剣に答えてくれる人がいて成り立つ、非常に素晴らしいサイトですが、評価をつける体制は私はあまりよいとは思っていません。

ですから今回のようなテーマで、個性ある真摯なご回答に対しては評価をつけることはしない、というよりもできません。評価を期待していた方には申し訳ないですが…。

でもこれに懲りず、未熟者の私としましては、またこのカテで色々と漠然としたことを質問するかもしれません。そのときは「こいつまたいるよ~。ばかだな~」と思うでしょうが懲りずにまたお答えをくださいませ♪

とにかくも有意義な時間をもてました。本当にありがとうございました!!
投稿日時 - 2004-08-31 07:01:06
お礼コメント
frau

お礼率 60% (1850/3044)

お返事遅くなりすみません。

ご紹介いただいた瞑想方法、ぜひ試してみたいです。なにしろせっかちなじっとしていられない私なので、瞑想が必要で(笑)、かつご紹介いただいたような気軽にできる瞑想方法がよいと思います。

インドでのお話、ショックです。仏教は「実践」、今までのお話をきいてきた私としましては正に納得です。
ご本のほうもぜひ読んでみますね。

ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-08-31 07:00:32
感謝経済、優待交換9月20日スタート
  • 回答No.15

rgn8です。

生まれてこなくてもよい命なんかありません、と
言いたかったので、
先ほどの回答をし、
追加の質問をしてくださってよい、とお答えしたのですが


2度目の質問があまりに、最初の質問とカラーの違う質問なので、
戸惑っております。

どうお答えしたものかと考え込んでしまったので
回答が遅くなってすみませんでした。


信仰の上で、私を含め、カトリックの信者が教えられるとおりのことを書きます。

悪魔は天使が堕落したものであるのは、その通りで正しいと思われます。
ただし、大天使聖ミカエルのことではありません。

神は善なる、善いかたです。
神のうちに悪はありません。

人間は、神になぞらえて「善い」ものとして造られていますが、
神は人間に「自由意志」をもつことをのぞみ、それを人間のうちにお残しになりました。
人間はその自由意志でもって、
善い行いをすることもできますし、
悪い行いをすることもできます。

自由意志をもって、人間が善いことをするか、悪いことをするか選ぶわけです。
人間は、悪いことをするにも、考えたり、すべきかどうか、悪いことはやめておこうかと、思い悩みます。
そういった「誘惑」は、どんな人間にもあります。
誘惑にあうことは避けられません。
 ですから、教会の祈りの中には「わたしたちを(悪からの)誘惑におちいらせず、悪からお救いください」という1文が受け継がれています。

 神は、善なる方であるから、
 人間がもし、誘惑に負けて悪を選んでも、
 「ゆるして」くださいます。
 ゆるして、そのあと、人間に、今までどおりのくらしを安心しておつづけなさい、ただし、今回のと同じ失敗はできるだけしないように、でももし、また同じ失敗をしてしまったら、また、「やっちゃいました、ごめん、パパ」と話においで、ゆるして励ましてあげるから、とおっしゃるかたです。

 悪魔は、「ゆるす」ことはありません。

 あなたも、あんまり、「悪魔」のことばかり考えないで、神様ならばどんな悪人でも、「悪かった、神様、ごめん」と言って、神様のもとに帰ってこようとするなら、以前にしてしまった間違いでもゆるしてくれるということを忘れないでほしいです。

 善と善との戦い、のくだりは、少し質問文が意味がわかりにくいのです。神は善でしかありえませんが、少なくとも神は、ご自分の善のためにかたくなになって、「自分はほんとうは、よいことをしたいのだが、心が弱くて、よいことをせず、悪いことばかりしてしまう」と、自分のものに打ち明けにくる人間を頭ごなしに叱ったりはなさいません。けれども、その「悪いこと」(宗教用語で、「罪」)がどれほど人間の心を汚してしまうのかについては、心配しつづけておられる方です。
お礼コメント
frau

お礼率 60% (1850/3044)

こんにちは。

「善と善との戦い」という説明が不足ですみません。
補足説明と訂正をさせていただきます。

その「自由意志」というのは善と悪との真ん中に位置するものと思います。世界を成立させている「二律背反」=神ですが、神のその善は、善と相反する存在がなくては善も語れないのではないと思います。
「善悪」は神様の専売特許であるが、自由意志は「迷い」であって、神が人に対してそれを試すためのもの、その人自身また神自身においての使い方によっては天国も地獄も、世界さえ作るものでしょう。
ただ人がいくら自由を与えられたとしても、それは神がお造りになった世界の範疇だけです。人の意志は決して神の意志を超えられない、でも超えようとするときの人の素晴らしさを感じます。また人として意義だと思います。

「悪魔」についてなのですが、「善」のために「悪」が存在するのならば、それはまさに「必要悪」と思っているからです。その象徴としての「悪魔」がある意味、神にでなく、聖書には必要だったのだと思います。

(仏教的な考えですが、葛藤は苦であるが、その振り幅の大きさで煩悩も大きくなるでしょう。「意志」こそ人特有のものであって、神が人に試すためのものだと思っています)

「初めに神ありき」で、森羅万象がもともとひとつのもの=神の反映だとします。善も悪も神であるならば、悪ももともと善から派生したのであり、その逆もあるでしょう。でもミカエル大天使がもともと天使で悪魔になったという説をかんがみたとき、悪=もともと善VS現行の善=もともと善である=善と善との戦い、と考えたからです。でも言い方としては間違っていたと思います。

>悪魔は、「ゆるす」ことはありません。
ということについて思ったのですが、輪廻転生説でいう「カルマ」=「悪魔」=「許してくれない存在」であるのならば「許し」とは「カルマの解消」のことだと思いました。とすれば、誰かのための祈りは有効であるけれど、自分のための祈りは神様は冷静になって見つめてらっしゃると思います。もしすべて許されるとしたらそもそも世界は存在しないでしょう。

私もひどく業深い「許されざる者」のひとりです(笑)。
前回は話がとんで考えさせてしまったようで、すみませんでした。貴重なご回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-08-27 16:15:54
  • 回答No.14

ベストアンサー率 20% (94/454)

#2です。ご質問にあったタレントさんとは、向井亜紀さんのことです。本当に母親の病を知らせるために生まれたかどうか私の知るところではありませんが、そのような使命を与えられた赤ん坊であったと考えることもできます。偶然と片付けられないような出来事のように思います。私はスピリチュアルな思想について勉強中ですので、このような発想になりがちというともあります。が、中原中也(詩人)も、赤ん坊を亡くしてからその詩作にも影響が出ているようですし、(奉仕の精神を学ぶ?)スピリチュアルな側面から見ますと、奉仕つまり利他愛が最高のものと考えるので、そのような意味からすると、その苦難が彼を成長させたと言う言い方もできます。私がそのように語るのもおこがましい限りではありますが。ある話を聞いたことがあります。ある一人の女が自分の赤ん坊を亡くし、嘆き暮らしていた。あまり悲しむので悲しみを忘れる方法はないかと釈迦(だったかな、、、)に聞くと、方法はあるが条件があると答えた。その条件は、その村を訪ね、子供を亡くしたことのない家を見つけること。女は辛抱強く子供を亡くしていない家を探し訪ねたが見つからなかった。そこで、どの家も子供を亡くしているということがわかり、悲しんでいるのは自分だけではないと悟った、、だいたいそのような内容の話でした。聞いたことがありましたか。私は初めて聞いて印象深く感じました。この話は、質問者さまの質問の趣旨と多少ずれていますが、母親が赤ん坊の死を通してひとつの悟りなりを得たことは事実だと思うのです。
ただ話として理解できたとしても、実際にこのような出来事に遭遇した場合の心痛は計り知れないものなのでしょう。今日、岡田真澄さんの三男の死についての報道を聞いて、共感とまでは行きませんが、耐え難い心痛であったということは想像できました。
また「僕は十三歳」という本を書いた(名前がはっきりしないのですが)少年の父親のコサミョン(?)さんも同じように、息子の自死を通して歎異抄の世界へと開かれていったことなども考えると何か共通したものを感じるのです。
お礼コメント
frau

お礼率 60% (1850/3044)

こんにちは。

やはり向井亜紀さんのことですか。

子どもは自分に親を選んで生まれてくるそうです。でも親から教えられるために教師としての親を選ぶと思っていたのですが、親に悟すために生まれてくることもあるということ、これは今回の質問によって学んだひとつの見解です。

ここでご質問させていただき、様々な貴重なご意見で学ばせていただきましたが、私も「無駄な命はない」という結論を出したいと思います。

ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-08-27 16:21:05
  • 回答No.13

ベストアンサー率 31% (558/1780)

お返事ありがとうございます。再度の11です。
以前にも他のカテゴリーで質問者さまの質問に投稿していたようです^^

で、仏教はそもそもは生きている人の救済を目指したものです。
まあ、現在は手垢だらけで、難解の極みになっていますが。。。
勉強するのならば原始仏教が良いと思います。


で、先にも書きましたように「分別」が苦の発生する原因なんです。
好き嫌い、勝敗、損得、幸不幸、生死、善悪、美醜、優劣、正邪・・・・です。
選り好みとも、葛藤とも、分別とも、相対とも、二元的対立とも言って良いと思います。

で、以前「素直・・」という問いがありましたが、その素直さも、何らかの分別の上に成り立っていると思うんです。
例えば、この質問も虐待は絶対悪であるというスタンスに無意識に立って設問しているんです。
(虐待は確かに悪ですが)

その他にも「あの人はこうなのに、自分は・・・」とかも分別地獄ですよね。
「自他」の関係になると、必ず分別が始まってしまうんです。
自他の関係では「自」に執着してしまいますから、分別が始まってしまうんです。

しかし、こちらの2&6を読んでみて欲しいんですが、
http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=972426
「自」というのも「他」があって初めて生じさせられているのであって、純粋に「自」を追い求めると「無」「空」になってしまうんです。

全てのものが「縁」によって繋がって生じせしめられているから、「自分」という存在の本性は「無」「空」であるということです。【縁起、ゆえに無自性】
で、仏教(特に禅宗)は執着を超えて(分別を超えて)無を悟れと言います。


こういうような思想背景(心理的作用)に基づいて、さらに坐禅(姿勢+呼吸法)によって実際に生理的作用を求めるというのが本来の仏教なんです。ですから、ほとんど自己救済なんです。 ですから仏教には神様とかは存在しませんし、形而上的な話も無いんです。逆に神様等の形而上的な存在を認めてしまったら他力本願になって、自己救済の為の「行」が滞ってしまうからでしょう。

で、実際に坐禅を科学している学者(大脳生理学、神経生理学、脳波学・・・)というのが大勢いて、その効果は現在でも高く評価されていて、特に最近、メンタルヘルスの要であるセロトニン神経の強化にも繋がるということが解ってきたのだそうです。
http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/aruserotoninn/serotoninn_1.html
http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/aruiyasi/ih_1.html
http://physi1-05.med.toho-u.ac.jp/arita/arita.html

「お釈迦さまは最高の生理学者であった」という生理学者もいるほどでして、2500年も前に自分の身体をモルモットにして、いろいろ研究した結果、坐禅とその呼吸法を後世に伝えたのだということです。弟子に対しても「坐禅をしろ」と、しつこく薦めていたようです。

私のHNをクリックしてもらえれば坐禅と呼吸法、姿勢をご紹介してますので、気長に続けてみてください。姿勢を保つのもセロトニン神経が関係しているんです。(抗重力筋)

つまり心理面の考え方を正し、生理的面から脳を鍛え直すことが自己救済になるのであって、お釈迦さまにとって、それ以外の形而上的な話はどうでもよかったんだと思います。神様が居ても居なくても関係なかったんでしょう。

こちらの本も図書館でご覧ください。
『声に出して読む般若心経』. 山名 哲史著(素晴らしい内容です)
お礼コメント
frau

お礼率 60% (1850/3044)

こんにちは。

有意義な時間をもたせてもらっています。

「分別」って「二律背反」のことだったのですね。
よく「あの人は分別がない」と悪くいわれますが、いちがいに言えないと思いました。この言い方は「物分りがよくない」という意味にとらえられますから。
「葛藤」=「苦行」だと思いました。森羅万象は二律背反で成り立っています。ということはこの世=苦界だということでしょうか。あの世に行けば極楽があるのではなく、地獄も極楽も自分の中にあるということで、形而上的なことは教えなの中にはない、ということなのでしょうか?

ご紹介いただいた「世界とは?」は以前拝見してます。
興味深く読ませていただきました。「世界」は主観であるというのは日常よく感じています。一般的にも「物事は自分の考え方ひとつでよくも悪くもなる」と言われていますよね。
私の考え方は「世界とは単なる記憶」と思っています。脳細胞、潜在意識に刻み込まれただけのものです。でも「世界観」というのは、刻まれた世界への主観的な見方だと思っています。またそれを構成する要素を集める自分だけの趣味であるともいえます。
昨日までの過去の嫌な記憶がいとも簡単に消せたらと思っています(笑)。

そしてお釈迦様が形而上的な存在ではないと知り新鮮でした。また最近呼吸が見直されていますよね。「すべては呼吸から始まり呼吸で終わる」、身体から心まで、呼吸によって左右されるされるそうなのですが、当たり前のこととしてあまりにもないがしろにしてきましたよね。
座禅は呼吸を整えることで身体と心も整えるという見方が許されるのでしたら、今科学的に検証されているこうした生理学的なことは、すでにお釈迦様が数千年(?)前から実践していたわけですよね。

単に言葉のみで教えを説く宗教よりも、自分で実践させ己のなかに真実をみつけさせる能動的なある仏教は深い!ですよね。仏教は巨大な教えですが、本来は仏陀の個人的な悩みから始まったのですよね。
だとしたら私も個人として、親しみやすいし、それだけリアリティをもってせまってきます。基本から学びたいです。

ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-08-27 09:52:02
  • 回答No.12

ベストアンサー率 19% (199/1001)

#10です。お礼をありがとうございます。

補足させてください。

私は徹底的な無神論者です。
神の意思=宇宙の法則 と考えています。

今現在のこの銀河系を含む宇宙は
ビッグバンからの拡大の時期です。
つまり、熱エネルギーは拡散し、密度は薄くなっていく、
というのがその法則だと思っています。

あらゆる元素は時間と共に崩壊し、
熱は冷め、物質に凝縮していたエネルギーは拡散していきます。

生命とは、物質のエネルギーを運動(熱)エネルギーに変換し、
空間に放出していく単なる「現象の連鎖」です。

ですからほんの一瞬であれ一千億年であれ、
その現象の個々の結果は同等のものです。


釈迦の「悟り」とは、はっきり言って「食物連鎖の発見」です。
これは当時を思えば「哲学の科学的考察」という画期的なものでした。
(このことについて宗教学者や哲学者が何も指摘しないのは怠慢ですが)

輪廻転生の輪からの脱却を願い、
亡骸を荼毘にフして灰となり食物連鎖の輪から脱却しようとあがいても、
その行為自体が「エネルギーの拡散」でした。
(もっとも諸説あり、釈迦が提唱したかどうかは定かではありません)

>生物として生まれて死ぬ行為が神の視点から見てどのような意味があるのか

神の視点、とはエネルギーの空間的拡散であり
言い換えれば熱エントロピーの拡大ですから、
のちの仏法説的に表現しても、現象としての生命は
「宇宙大の神の手の内から逃れられない」事象だと思います。

したがって、一瞬たりと言えども存在した生命には、
宇宙の法則に従って高きから低きに流れる水のごとく、
現象としての確固たる意味があると思います。
  • 回答No.11

ベストアンサー率 31% (558/1780)

お釈迦さまが居た頃には、輪廻転生等の形而上的な話題はあえてしなかったそうです。
何故ならば、本当の仏教は心理学であり、生理学であって、生きている人の救済を対象にしていたからです。
でも、一部の弟子には「お前は何時、何処に、生まれ変わる」と教えていたそうです。

で「なんで生まれ変わるのか?」の質問に対して、お釈迦さまは「渇」があるからだと答えたんだそうです。

「渇愛」と訳されていますが「愛」は、後に中国で加えられた言葉で、原語は「渇」だそうです。
これはインドらしく喉の乾きのような餓えを現しているんだそうです。
この「渇」が生まれ変わりのエネルギー?(原動力)になっているんだそうです。


で、話が変わりますが、生死とか、虐待の善悪であるとか、どの段階で死ぬか? というのは、あくまでも人間の価値観、人間のモノサシでしかないんです。 もし、時代と共に価値観が変わって「早死にが美徳である」「虐待こそが真に強い人間を作るんだ」という時代になれば、この世界では賞賛されてしまうことだってあるんです。実際に「生贄」として殺されることが、幸せや誇りだったりしてたんです。

つまり幸不幸、生死、善悪、美醜、優劣、正邪・・・・等々の「二元的な分別」というのは無常であり、流動的ですから、これらの価値観に執着することは、苦しみを産むばかりで、あまり意味の無いことと言えるんです。


ですから、「すぐに死んでしまう命」とは、二元的な分別の元に語れる話では無いと思いますが、全てのものが「渇」により生まれ、「縁」によって繋がっている(縁起説)ということを考えますと、なんらかの役目? 役割? 意味? は必ずあるんだろうとは思いますが、人間の脳、叡智では到底計り知れないことだとも思います。
お礼コメント
frau

お礼率 60% (1850/3044)

こんにちは。

このような回答は私の求めていたことです。
ということはやはり宗教的なことを知りたかったのかもしれませんね。

>「二元的な分別」というのは無常であり、流動的…
確かに時代共に人間の価値観や世界観はいとも簡単に変わりますよね。また現代でも別の文化圏では自分がいる文化圏で非常識なことが常識ということもありますし。

>本当の仏教は心理学であり…
そうだったのですか!形而上的な話はしなかったなどとは意外です。代わりに心理学という学問的技術を用いることは、お釈迦様が科学的=現実的に救済を実践しようとしていたということですか?それならば言葉だけで救いを教える宗教もありますが、説得性が強いと思います。とくに私は心理学を学んでいるので嬉しいです。
例えばユング心理学などは、宗教に近い心理学です。いや、「心」に関することは宗教、科学の対立の線は必要ないと思います。
別件で「すべての学問は慰めにしかならないのか?」と質問させていただきましたが、ここに答えがあると思いました。

また
>「愛」は、後に中国で加えられた言葉…
我々は「愛」という言葉をいとも簡単に消費しますが、後天的に意味づけられたものとは知らなかったです。またひとつ勉強になりました。
これについて私は「渇」が初めにあり、「渇」のために愛を必要とするのでしょうか。また「渇」とは本能のことでしょうか?でも本能が食欲、睡眠欲、性欲などの三大性欲の他に心理学では「群居」という群れを必要とする本能も人間にはあるそうです。「渇」=「群居」ではないかと思います。それによって「愛」の必要性も生まれてくるのかと思いました。

>人間の脳、叡智では到底計り知れないこと
同感です。神様にお伺いしないとわかりませんよね。私的には早く真理をお伺いしたいです。ということで別に長生きすることは求めていません(笑)。

貴重なご意見ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-08-23 23:37:50
  • 回答No.10

ベストアンサー率 19% (199/1001)

生物とは
「物質のエネルギーを運動エネルギーとして拡散させる」
為に存在する「地球上の熱エントロピーの連鎖的拡散」です。
あらゆる微生物も細胞もこの法則性に支配されていますので、
宇宙空間が拡大しているこの宇宙的時期にはこの法則性に支配されています。

したがって、生物として存在することに意味があるのであって、
存在した時間の長短や、生きて何をしたかなどは現象的には
まったく意味がありません。

でも、意味が無くても「無駄」ではありません。
無駄な現象などありえませんので。
お礼コメント
frau

お礼率 60% (1850/3044)

こんにちは。

「熱エントロピー」=乱雑な度合いが大きいことと辞書にありました。つまり太陽がなければ全ての生物は生きられない食物連鎖(法則)に終始する限り、無駄な命はない、ということですか。

でも私が知りたいことは法則通りに生まれてきても、生物として生まれて死ぬ行為が神の視点から見てどのような意味があるのか、ということです。物理学、生物学のなかこそその意味は隠れているかもしれません。法則に課することで神様はその意味から逃れているかもしれません。
よって
>意味が無くても「無駄」ではありません。
あらゆる「偶然」も「必然」であるように「無駄」なことも「必要」であるということに答えがあるのかもしれません。

貴重なご意見ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-08-23 23:53:02
  • 回答No.9

ベストアンサー率 13% (188/1414)

 たとえ生まれた側に意味が無くても
生んだ側に意味があるんじゃないでしょうか?
お礼コメント
frau

お礼率 60% (1850/3044)

こんにちは。

どなたかがおっしゃるように例えば「試練」などそうですよね。自分の生を犠牲にしてだれかに何かを教える、ということでしょう。
「誰かの死によって誰かは生かされている」という言葉もありますし。

貴重なご意見ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-08-23 23:54:46
  • 回答No.8

ベストアンサー率 28% (681/2419)

後の釈尊が釈迦族の王子をすてて出家したのは、
人間には、生老病死(生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみ)の四苦の苦しみがある。この理由を誰も王子に説くことができなかったからだといわれてます。 
この四苦にある生まれる苦しみがご質問にあたるかと思います。
釈尊は、この四苦があの世がある証明であると喝破したわけですね。人間は本来あの世の霊的住人であり、80年ほどの地上人生をおくっているにすぎない。だから肉体は生老病死から逃れることはできないというわけですね。それでも玉石混交の世界でいろいろな経験を積むということに大きな意味があるからこそ生まれてこようとするわけですね。生まれてくるには、親になってもらうかたがたが必要ですし、またその親にある時期までは育ててもらわないといけないのですね。生まれた瞬間に「おぎゃ」と泣くのは厳しいからでしょうね。
だから親には大恩があり、親殺しの罪は五逆の大罪の1つなんですね。
現代では生まれてくるのにも一苦労だし、生まれてきてもいろいろあって人生をまっとうできない場合もありますね。でも経験をつむために何度でも挑戦しているのでしょうね。そのように思います。
参考程度に
お礼コメント
frau

お礼率 60% (1850/3044)

こんにちは。

>釈尊は、この四苦があの世がある証明である
私も「この世はあの世の仮の姿」であると信じています。「死ぬ」のではなく「帰る」と思っています。

>生まれた瞬間に「おぎゃ」と泣くのは厳しい
シェイクスピアも「人が泣きながら生まれてくるのは過酷な世界に産み落とされたからだ」と言っていますよね。
>だから親には大恩があり
これはちょっと私にとっては説教くさいと感じます。個人的な経験から(笑)。

貴重なご意見ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-08-24 00:03:55
  • 回答No.7

ベストアンサー率 20% (14/68)

魂自体多もともと、ひとつ。いろんな価値を見出しても
魂はひとつ。同じ記憶を持っている。生きている間にひとそれぞれ、ちがう記憶を作り出している幻想の中で
やっと死によってまたひとつになれる。
そうやって考えると、生まれてくる価値はどんな人も
持っているんだし、死ななければ価値はない。
慰めを言うようだけど、生まれる実感もなく死んだ生物は
他人の記憶に残すために存在しようとした。
だから、魂に新しい記憶を焼き付けたという価値は
少なくともあると思うよ。
生きている価値のない人間は、いないし、逆に殺したい
人類を見捨てようと思うこともあるけど、みんな
何もないところや虚空を切り裂くような試行錯誤をしても
それは魂にとって、なんらかの進歩を目指しているはず。
そんな中で人は間違いを犯すのだから、
神様は人が喜ぶことを喜んでくれるはずだし、
理解できなくても許してくれるはず。
少なくても、俺は許してやってくれと最後の時には
父である神に頼むつもりだ。
お礼コメント
frau

お礼率 60% (1850/3044)

こんにちは。

>生まれる実感もなく死んだ生物は他人の記憶に残すた>めに存在しようとした

なるほど。素晴らしい言葉ですね!
人生とは
「人の魂は誰かとの対=ひとつで、生まれるとき失った片割れを探す旅」
「現世は前世で一緒だったソウルメイトを探す旅」
という言葉がありますが、誰かに何かを教えるために「記憶」というツールを使って残す。またそれがDNAの記憶にも残されて進化し続けるのでしょうか…。

>神様は人が喜ぶことを喜んでくれるはずだし、理解で>きなくても許してくれるはず。

あなたのように神様と対話できる方って本当に素敵だと思います。

貴重なご意見ありがとうございます。
投稿日時 - 2004-08-24 00:10:31
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