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生まれてもすぐに死んでしまう命は何故生まれてくるのでしょうか?

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お礼率 62% (1785/2876)

生まれてもすぐに死んでしまう命は何故生まれる必要があるのでしょうか?

川や海では、魚が産卵した数え切れないほどの卵やアフリカの草原などでは鳥の卵がチーターなどの肉食動物に食べられてしまいます。それは食物連鎖の一部で無駄なことはありません。

でも人間の場合、流産や堕胎、また母胎で自然に消滅してしまう場合、また最近社会問題となっている親から子への虐待などで、「そうされるのならば生まれてこなくてよいはず」の命が、生を感じる間もなくいともあっけなくすぐに死んで(殺されて)しまう現象は、哲学や宗教的な見方では一体どういう意味があるのでしょう?

輪廻転生では、今世は前世のカルマを解消するためにあるということですが、その使命をやり遂げるために、一旦母胎に居場所を与えられ、産み落とされます。その後幾年かで死ぬことになる運命であっても与えられただけのカルマは解消された結果だと思います。
でもまだ他人の支援がなくては生き続けることもできない赤ん坊、この世に生まれいずることもない命は一体なぜ一応生命体となって現れるのでしょうか??
魂がエネルギー体ならば、エネルギーを与えるためのエネルギー(個人的な考えですが、それは神様が使うエネルギー)とエネルギーを一度包括する受容物(母胎)が使うエネルギー、どれも無駄なことではないか?と思うからです。

また哲学的、宗教的な見解、また学問的なことではなくても、率直な感想でもよいです。皆さんのご意見をお伺いしたいです。
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回答 (全16件)

  • 回答No.5

こんばんは。

立場として・・・・キリスト教徒です。(経験者とも言えるかもしれませんが。)」

なので、輪廻転生説につぃては、お答えできるほどはよくわかりません。

1.
自然流産や病気などで
生まれてもすぐに死んでしまう命の意味について
キリスト教でその意味をどう考えるかについては不勉強でわかりません。ただ、キリスト教、特にカトリックでは、生命誕生の瞬間を受胎のときと認めています。
それらの命は、まっすぐに天国に召されますと教えてもらいました。

2.
実の父母に殺されて生をまっとうできなかった魂(現代風にいうと、「虐待」もそうですし、キリスト教では「中絶」も「殺人」とみなします)については
知り合いのフランス人聖職者が、
つぎのように解説してくれたことがあります。

「その幼い魂に罪はないから
 魂は天にまします父なる神のもとにまっすぐにのぼる。
 彼ら(その魂たち)はそこで、
 彼らを殺した父母の罪がゆるされるように祈っている。」


3.
魂がエネルギーならば、エネルギーを与えるためのエネルギーとエネルギーを一度包括する受容物(母胎)が使うエネルギー、どれも無駄なことではないか・・・・・というお尋ねについて。

無駄ではないと思います。
わたしもかつて子どもがいましたが、亡くしました。
生まれて生きて成長し続ける子ども達に比べれば、
ほんの短い間一緒にいただけでしたが、
それでも、その子を見た喜び、その子からもらった喜びはいまでも忘れることはありません。
悲しかったばかりの時は
なぜ死ぬはずなのに生まれたのだろうと考えて
死んだということから目をそむけたかったときもありましたが
今は無駄ではなかったと思っています



旧約聖書には、
「たとえ母がその子を忘れても
 わたし(神)はあなた(その子)を忘れない。
 今日、わたしはあなたを、わたしのたなごころに刻ん だ」
という1節があります。
人の目からみれば、母親に忘れ去られ、もしかすると殺されてしまう子どもでも
神の目から見れば、忘れ去られることはないということです。

何か、質問者さまの助けになればと思い書き込みました


こちらのサイトのルールの許す範囲でしたら
追って再質問していただいても結構です
(論争は避けたいのですが)
補足コメント
frau

お礼率 62% (1785/2876)

こんばんは!

どなたかの言葉かわかりませんが、私の好きな言葉のひとつに「人は誰かの死によって生かされている」という言葉があります。例えば交通事故で年間何万人と死んでいる中で、生きる確立は少ないのにそれでも生きていられるのは、誰かの死によって自分は生かされているということで、素晴らしい言葉だなと思いました。

お子様は、死に代えて、ご相談者様に「子を持つ喜び」を教えられたのかもしれませんね。私は愛する喜びことさえ与えられず死へ追いやられてしまう命を思っていましたが、それでも神様は全ての人を愛しているのですよね。
ご回答者様のお答えによって、「存在の有無」はわからない、でも「存在」としての神を思うとき、少しばかり私は救われます。私はそういう意味で誰の中にも神様は存在するし、またそこに宗教の形は必要ないとも思います(もちろんキリスト教も含めた○○教を否定しているわけではありません。むしろ私は以前教会に行っていたし、哲学としてもキリスト教を勉強しています)。

ご質問を受け付けてくださるそうで、ありがとうございます。このあたりのことについてはいかがお考えでしょうか?

またこれはテーマからずれてしまうのですが、聖書にもでてくる「悪魔」のことです。私の考えでは、サタンは神と同様、人の心の中に存在していて、人生は善と悪との戦いでもあると思っているます。また悪魔の正体はミカエル大天使であるという説があります(聖書にはのっていないことである意味タブーかもしれませんが)。なぜ天使は悪魔になったのか?!という問いは、神や人の存在はもともと善であるのか悪であるのかという問題にもリンクすると思います。元々神の使い=天使であった悪魔が、相反するものとして人の心に共存するということは、突き詰めるところ、善と善の戦いということになるのか?という疑問があります。

ご回答者様のお考えはいかがでしょうか?
投稿日時 - 2004-08-22 03:56:37
  • 回答No.7
レベル9

ベストアンサー率 20% (14/68)

魂自体多もともと、ひとつ。いろんな価値を見出しても
魂はひとつ。同じ記憶を持っている。生きている間にひとそれぞれ、ちがう記憶を作り出している幻想の中で
やっと死によってまたひとつになれる。
そうやって考えると、生まれてくる価値はどんな人も
持っているんだし、死ななければ価値はない。
慰めを言うようだけど、生まれる実感もなく死んだ生物は
他人の記憶に残すために存在しようとした。
だから、魂に新しい記憶を焼き付けたという価値は
少なくともあると思うよ。
生きている価値のない人間は、いないし、逆に殺したい
人類を見捨てようと思うこともあるけど、みんな
何もないところや虚空を切り裂くような試行錯誤をしても
それは魂にとって、なんらかの進歩を目指しているはず。
そんな中で人は間違いを犯すのだから、
神様は人が喜ぶことを喜んでくれるはずだし、
理解できなくても許してくれるはず。
少なくても、俺は許してやってくれと最後の時には
父である神に頼むつもりだ。
お礼コメント
frau

お礼率 62% (1785/2876)

こんにちは。

>生まれる実感もなく死んだ生物は他人の記憶に残すた>めに存在しようとした

なるほど。素晴らしい言葉ですね!
人生とは
「人の魂は誰かとの対=ひとつで、生まれるとき失った片割れを探す旅」
「現世は前世で一緒だったソウルメイトを探す旅」
という言葉がありますが、誰かに何かを教えるために「記憶」というツールを使って残す。またそれがDNAの記憶にも残されて進化し続けるのでしょうか…。

>神様は人が喜ぶことを喜んでくれるはずだし、理解で>きなくても許してくれるはず。

あなたのように神様と対話できる方って本当に素敵だと思います。

貴重なご意見ありがとうございます。
投稿日時 - 2004-08-24 00:10:31
  • 回答No.4
レベル10

ベストアンサー率 28% (42/146)

人の誕生や生物の誕生に意味なんて無い気がします。
意味はひとが決め付けているだけの満足論。常識規定論。
神様が居るとしたら、人はどーでもいいモルモットに過ぎない
どう進化し、どう増殖し、どう変化するかを、客観的データとして扱ってるんじゃないかな
善悪などの判断も、違うでしょうし・・
宇宙の空間の広さ、経過した膨大な時間を考えると、人間は宇宙という実験物のなかでは、ノミのような存在なのでしょう
ただ、個人個人はそれがすべてだから
それを精一杯生きれば良いのでしょうね。

エネルギーを無駄とか考えるなら宇宙系の本を読んでみましょう。地球上の、地殻上の、生物の消費するエネルギーなど「神」云々で語るなら余りに矮小なので気にする次元ではないはずです。
お礼コメント
frau

お礼率 62% (1785/2876)

こんにちは。

>神様が居るとしたら、人はどーでもいいモルモット
私もホント、同感です。私のよーな人生を想うと(笑)。私的には「人生はチェスで、人は駒。チェスゲームに興じるのは神々」と思っています。

>客観的データ
とは面白いですね。データを記してまた進化させるのでしょうか?!
確かに宇宙時間の中では人間は無のような存在ですよね。でもすっごい凝縮された「有」な存在だとも思っています。人間の存在だけに知能があるのはある意味使命かもしれないですよね。神様がお造りになった「有意義」な宇宙や存在の意味などを考えてくれる生き物として。客観的データを取らせるのは=体験させる、考えされるという行為に現れているのかもしれません。
そんなこと思うとき、飼い主に可愛がられるだけで生きる意味があるような、可愛い動物に生まれてくればラクだったのになーと思います。

貴重なご意見ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-08-24 00:35:41
  • 回答No.3
レベル13

ベストアンサー率 30% (413/1372)

 私は「人間はサルの突然変異」、おそらくサルから見れば狂った動物と考えています。多分に脳に狂いが生じたと。
人を含め動物は自身が思うほど完全ではない!
これが哲学か宗教的かは知りませんがそう信じています。
お礼コメント
frau

お礼率 62% (1785/2876)

こんにちは。

ユニークなご回答ですね。

ネアンデルタール人の次の進化の形がホモサピエンスといわれていますが、この間の進化の過程はみあたらないそうです。ホモサピエンスのDNAはある時期に一気に増え、すごい勢いで増殖していった、だからサルの進化の過程上にあるのが人間ではなく、突然現れたという仮説があります。またネアンデルタール人とホモサピエンスは同時期に共存していたのではないか?という仮説も。
「7人のイヴたち」という本に、五大陸それぞれの女性のDNAの遺伝配列を調べると、すべての人種が、かつてアフリカに生活していた一集団の女性に行き着く、という仮説も、ホモサピエンスは進化の過程ではないといわれているゆえんです。

だから「人間はサルの突然変異」というご見解はとておも興味深いです。

貴重なご意見ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-08-24 00:28:14
  • 回答No.1
レベル3

ベストアンサー率 0% (0/0)

あまりこれは宗教的・哲学的に問われるものではないのではないでしょうか?
これは運命という言葉一つで片付けられる問題でもありませんし、流産や堕胎は別にこれは自然です。
別に動物も同じようなことになっていますね。
ファインディングニモみました(笑)?これでは、夫婦が卵を育てていたのですが、すぐさま卵一つを残して、数十の卵が食われてしまうのです。ちょっと違いますが、でもある意味で、流産や堕胎のようなものと変わりません。
あえて哲学的にいいましょうか。
そもそもあなたの思想は、あなたが人間であるということに依拠しすぎています。もう少し目を離してみると、10日の寿命しか持たない生物がうじゃうじゃいます。たいてい哺乳類以外は1年以下でしょう?たぶん。
つまり、それそのものが自然の摂理であり、それぞれの法則なのです。あなたは人間の法則により、だいたい100年ぐらいまでは可能性により、生きられる動物として生まれましたが、それで短き人生を哀れむことは少し人間的すぎます。
もちろん100生きれる人間が交通事故に!とかいうのはあります。しかし、それ自体が避けられない自然の法則とはいいませんが、今の人間の法則なのです。つまり、社会学あたりの領域が多大にからんできます。
猫が鳩を食いころす。これは哀れむべきことでしょうか?確かにはとをみればなんと憐れでしょうね。しかし、自然の摂理からすれば、それはやむ終えないともいえます。そうでなければ、すべてが破壊されてしまうのです。
お礼コメント
frau

お礼率 62% (1785/2876)

お返事遅くなってすみません。

ファイティングニモ見ましたよ。最初のシーンですよね。でもその生き残れなかった卵たちはある意味で神様が殺したと思うのですが、それは何故というそもそもの疑問なのです。

でも「人間であるということに依拠しすぎる」ということ、なるほどなと思いました。星の数ほどの生物のなかにはそのような生物もいるのですね。
また気の遠くなるような長い宇宙時間を思うとき、一瞬で消えてしまうような人間(哺乳類のような)も、それ以上に一瞬で消えてしまうような生物でも、また殺されてゆく生物も、皆懸命に生きたということですよね。

ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-08-23 22:53:27
  • 回答No.2
レベル12

ベストアンサー率 20% (94/454)

赤ちゃんのお母さんのために生まれてくるのかもしれませんよ。例えば、タレントさんの件のように、お母さんに病気を知らせるために生まれてきたということもあるかもしれません。また、子供を亡くすということは母親にとって最大の試練と言っても良い出来事ですから、そのような試練を母親が与えられたのかもしれません。
補足コメント
frau

お礼率 62% (1785/2876)

お返事おそくなってすみません。

なるほど!試練を与えられる、それが自分の子どもから教わるのならば納得して試練を乗り越えられますよね。

ところでそのタレントさんとはどなたのことでしょうか?
投稿日時 - 2004-08-23 22:54:32
  • 回答No.8
レベル14

ベストアンサー率 28% (681/2419)

後の釈尊が釈迦族の王子をすてて出家したのは、
人間には、生老病死(生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみ)の四苦の苦しみがある。この理由を誰も王子に説くことができなかったからだといわれてます。 
この四苦にある生まれる苦しみがご質問にあたるかと思います。
釈尊は、この四苦があの世がある証明であると喝破したわけですね。人間は本来あの世の霊的住人であり、80年ほどの地上人生をおくっているにすぎない。だから肉体は生老病死から逃れることはできないというわけですね。それでも玉石混交の世界でいろいろな経験を積むということに大きな意味があるからこそ生まれてこようとするわけですね。生まれてくるには、親になってもらうかたがたが必要ですし、またその親にある時期までは育ててもらわないといけないのですね。生まれた瞬間に「おぎゃ」と泣くのは厳しいからでしょうね。
だから親には大恩があり、親殺しの罪は五逆の大罪の1つなんですね。
現代では生まれてくるのにも一苦労だし、生まれてきてもいろいろあって人生をまっとうできない場合もありますね。でも経験をつむために何度でも挑戦しているのでしょうね。そのように思います。
参考程度に
お礼コメント
frau

お礼率 62% (1785/2876)

こんにちは。

>釈尊は、この四苦があの世がある証明である
私も「この世はあの世の仮の姿」であると信じています。「死ぬ」のではなく「帰る」と思っています。

>生まれた瞬間に「おぎゃ」と泣くのは厳しい
シェイクスピアも「人が泣きながら生まれてくるのは過酷な世界に産み落とされたからだ」と言っていますよね。
>だから親には大恩があり
これはちょっと私にとっては説教くさいと感じます。個人的な経験から(笑)。

貴重なご意見ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-08-24 00:03:55
  • 回答No.9
レベル13

ベストアンサー率 13% (188/1414)

 たとえ生まれた側に意味が無くても
生んだ側に意味があるんじゃないでしょうか?
お礼コメント
frau

お礼率 62% (1785/2876)

こんにちは。

どなたかがおっしゃるように例えば「試練」などそうですよね。自分の生を犠牲にしてだれかに何かを教える、ということでしょう。
「誰かの死によって誰かは生かされている」という言葉もありますし。

貴重なご意見ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-08-23 23:54:46
  • 回答No.13
レベル13

ベストアンサー率 31% (558/1780)

お返事ありがとうございます。再度の11です。
以前にも他のカテゴリーで質問者さまの質問に投稿していたようです^^

で、仏教はそもそもは生きている人の救済を目指したものです。
まあ、現在は手垢だらけで、難解の極みになっていますが。。。
勉強するのならば原始仏教が良いと思います。


で、先にも書きましたように「分別」が苦の発生する原因なんです。
好き嫌い、勝敗、損得、幸不幸、生死、善悪、美醜、優劣、正邪・・・・です。
選り好みとも、葛藤とも、分別とも、相対とも、二元的対立とも言って良いと思います。

で、以前「素直・・」という問いがありましたが、その素直さも、何らかの分別の上に成り立っていると思うんです。
例えば、この質問も虐待は絶対悪であるというスタンスに無意識に立って設問しているんです。
(虐待は確かに悪ですが)

その他にも「あの人はこうなのに、自分は・・・」とかも分別地獄ですよね。
「自他」の関係になると、必ず分別が始まってしまうんです。
自他の関係では「自」に執着してしまいますから、分別が始まってしまうんです。

しかし、こちらの2&6を読んでみて欲しいんですが、
http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=972426
「自」というのも「他」があって初めて生じさせられているのであって、純粋に「自」を追い求めると「無」「空」になってしまうんです。

全てのものが「縁」によって繋がって生じせしめられているから、「自分」という存在の本性は「無」「空」であるということです。【縁起、ゆえに無自性】
で、仏教(特に禅宗)は執着を超えて(分別を超えて)無を悟れと言います。


こういうような思想背景(心理的作用)に基づいて、さらに坐禅(姿勢+呼吸法)によって実際に生理的作用を求めるというのが本来の仏教なんです。ですから、ほとんど自己救済なんです。 ですから仏教には神様とかは存在しませんし、形而上的な話も無いんです。逆に神様等の形而上的な存在を認めてしまったら他力本願になって、自己救済の為の「行」が滞ってしまうからでしょう。

で、実際に坐禅を科学している学者(大脳生理学、神経生理学、脳波学・・・)というのが大勢いて、その効果は現在でも高く評価されていて、特に最近、メンタルヘルスの要であるセロトニン神経の強化にも繋がるということが解ってきたのだそうです。
http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/aruserotoninn/serotoninn_1.html
http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/aruiyasi/ih_1.html
http://physi1-05.med.toho-u.ac.jp/arita/arita.html

「お釈迦さまは最高の生理学者であった」という生理学者もいるほどでして、2500年も前に自分の身体をモルモットにして、いろいろ研究した結果、坐禅とその呼吸法を後世に伝えたのだということです。弟子に対しても「坐禅をしろ」と、しつこく薦めていたようです。

私のHNをクリックしてもらえれば坐禅と呼吸法、姿勢をご紹介してますので、気長に続けてみてください。姿勢を保つのもセロトニン神経が関係しているんです。(抗重力筋)

つまり心理面の考え方を正し、生理的面から脳を鍛え直すことが自己救済になるのであって、お釈迦さまにとって、それ以外の形而上的な話はどうでもよかったんだと思います。神様が居ても居なくても関係なかったんでしょう。

こちらの本も図書館でご覧ください。
『声に出して読む般若心経』. 山名 哲史著(素晴らしい内容です)
お礼コメント
frau

お礼率 62% (1785/2876)

こんにちは。

有意義な時間をもたせてもらっています。

「分別」って「二律背反」のことだったのですね。
よく「あの人は分別がない」と悪くいわれますが、いちがいに言えないと思いました。この言い方は「物分りがよくない」という意味にとらえられますから。
「葛藤」=「苦行」だと思いました。森羅万象は二律背反で成り立っています。ということはこの世=苦界だということでしょうか。あの世に行けば極楽があるのではなく、地獄も極楽も自分の中にあるということで、形而上的なことは教えなの中にはない、ということなのでしょうか?

ご紹介いただいた「世界とは?」は以前拝見してます。
興味深く読ませていただきました。「世界」は主観であるというのは日常よく感じています。一般的にも「物事は自分の考え方ひとつでよくも悪くもなる」と言われていますよね。
私の考え方は「世界とは単なる記憶」と思っています。脳細胞、潜在意識に刻み込まれただけのものです。でも「世界観」というのは、刻まれた世界への主観的な見方だと思っています。またそれを構成する要素を集める自分だけの趣味であるともいえます。
昨日までの過去の嫌な記憶がいとも簡単に消せたらと思っています(笑)。

そしてお釈迦様が形而上的な存在ではないと知り新鮮でした。また最近呼吸が見直されていますよね。「すべては呼吸から始まり呼吸で終わる」、身体から心まで、呼吸によって左右されるされるそうなのですが、当たり前のこととしてあまりにもないがしろにしてきましたよね。
座禅は呼吸を整えることで身体と心も整えるという見方が許されるのでしたら、今科学的に検証されているこうした生理学的なことは、すでにお釈迦様が数千年(?)前から実践していたわけですよね。

単に言葉のみで教えを説く宗教よりも、自分で実践させ己のなかに真実をみつけさせる能動的なある仏教は深い!ですよね。仏教は巨大な教えですが、本来は仏陀の個人的な悩みから始まったのですよね。
だとしたら私も個人として、親しみやすいし、それだけリアリティをもってせまってきます。基本から学びたいです。

ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-08-27 09:52:02
  • 回答No.14
レベル12

ベストアンサー率 20% (94/454)

#2です。ご質問にあったタレントさんとは、向井亜紀さんのことです。本当に母親の病を知らせるために生まれたかどうか私の知るところではありませんが、そのような使命を与えられた赤ん坊であったと考えることもできます。偶然と片付けられないような出来事のように思います。私はスピリチュアルな思想について勉強中ですので、このような発想になりがちというともあります。が、中原中也(詩人)も、赤ん坊を亡くしてからその詩作にも影響が出ているようですし、(奉仕の精神を学ぶ?)スピリチュアルな側面から見ますと、奉仕つまり利他愛が最高のものと考えるので、そのような意味からすると、その苦難が彼を成長させたと言う言い方もできます。私がそのように語るのもおこがましい限りではありますが。ある話を聞いたことがあります。ある一人の女が自分の赤ん坊を亡くし、嘆き暮らしていた。あまり悲しむので悲しみを忘れる方法はないかと釈迦(だったかな、、、)に聞くと、方法はあるが条件があると答えた。その条件は、その村を訪ね、子供を亡くしたことのない家を見つけること。女は辛抱強く子供を亡くしていない家を探し訪ねたが見つからなかった。そこで、どの家も子供を亡くしているということがわかり、悲しんでいるのは自分だけではないと悟った、、だいたいそのような内容の話でした。聞いたことがありましたか。私は初めて聞いて印象深く感じました。この話は、質問者さまの質問の趣旨と多少ずれていますが、母親が赤ん坊の死を通してひとつの悟りなりを得たことは事実だと思うのです。
ただ話として理解できたとしても、実際にこのような出来事に遭遇した場合の心痛は計り知れないものなのでしょう。今日、岡田真澄さんの三男の死についての報道を聞いて、共感とまでは行きませんが、耐え難い心痛であったということは想像できました。
また「僕は十三歳」という本を書いた(名前がはっきりしないのですが)少年の父親のコサミョン(?)さんも同じように、息子の自死を通して歎異抄の世界へと開かれていったことなども考えると何か共通したものを感じるのです。
お礼コメント
frau

お礼率 62% (1785/2876)

こんにちは。

やはり向井亜紀さんのことですか。

子どもは自分に親を選んで生まれてくるそうです。でも親から教えられるために教師としての親を選ぶと思っていたのですが、親に悟すために生まれてくることもあるということ、これは今回の質問によって学んだひとつの見解です。

ここでご質問させていただき、様々な貴重なご意見で学ばせていただきましたが、私も「無駄な命はない」という結論を出したいと思います。

ありがとうございました。
投稿日時 - 2004-08-27 16:21:05
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