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全ては一体化から始まって・・・
精神はあらゆるものと一体化したがる 私は男、私は女 私は日本人、私はアメリカ人、 私は仏教徒、私はキリスト教徒 私は健康、私は病気 私の車 私の財産 私の体 私の気持ち 私の幸せ この一体化された精神と概念が「私」と呼ばれるものだ 無自覚にあらゆるものと一体化し人は次第にコントロールを失っていく ある人はその一体化自体に疑問を持ち精神自ら一体化を放棄していく それを悟りというのだろう 解脱とは一体化からの解放だ それまでの過程を輪廻とよぶのだろう 一体化から始まり、後にその解放へと進む それが人の生だ 宗教も哲学もこの悟りの動きを部分的にとらえたものだね そんなとこだろう?
- shift-2007
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- 哲学・倫理・宗教学
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- Y Y(@yy8yy8az)
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彼の釈尊が言うはずはないので、凡夫の私が言っておきます。 shiftさんに捧げる言葉、 「漱石枕流」 不満ですか? ☆ 言葉は大切に取り扱う、と云うことを私はここ哲学カテで学びました。 せっかく「一体化」と独自の表現をされたのに、一体化から解放へ進むのが人生、向上心の表れ、だと受け止めているはずなのに、そして私はそう解釈したのに、回答が舌足らずだったのか私のその思いは理解されなかったようですね。 念が残ります。
- Y Y(@yy8yy8az)
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shiftさんのお礼文を読むと、それならばなぜ仏教用語である「悟り」という言葉を使うのか、という疑問が湧く。 “B”さんのようにご自身の言葉を模索してほしい。 せっかく質問文で「一体化」といった独自の“言葉”を使っているのだから、“悟り”なんて云ういう言葉に頼らないでほしかった。 shiftさんの「思い」は仏教でいうところの悟りとは違うのだから。
お礼
言葉はしょせん概念でしょう ツールであるとしか言えないです。 花という言葉は花そのものではないです。 あまり言葉を重視しないほうがいいです。 ご回答ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
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「私は男」というのは、男として一体化しようとする ものであるとも言えるし、性別のない無性状態から 分化したものであるとも言える。 究極的にそうした分別(有限化)は、不確定性原理 において、本質的に確定化しようとすると無限不確 定化(真の一体化)するものを、階層現象表面的に 捉える事で、二次的に派生するものに過ぎない。 (自我仮説(経験による定性化)による時空仮説の 相補分化)
お礼
そうでしょう そうでしょう ご回答ありがとうございました。
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
そういうことだね。 >私は男、私は女 今日も一体化しました。 一応、開放されますが明日も一体化します。 男は大変だ。
お礼
精神はガソリンのようなもの 耕運機に入れば畑を耕し 車に入れば高速で町を移動し 飛行機に入れば空を飛ぶ 一体化を知らないガソリンは私は耕運機だ、車だ、飛行機だという だが違うお前は燃料だ ご回答ありがとうございました。
- Y Y(@yy8yy8az)
- ベストアンサー率17% (89/501)
私=自意識 人間は成長と共に「私」を形成してゆく。 肉体は栄養を取り込み、不要物は捨てる。 でも、精神は知識を吸収し、捨てることなく膨張する。 膨れ上がって、コントロールを失う。 見よ、あの釈尊を。 何不足ない恵まれた環境で育った釈尊は、それでも膨張(満たされぬ心)する「私」に疑問を抱き、コントロールする術(すべ)を見つけるため、身についたすべて(不要物)を“捨てよう”と思い立ち、家を出た。 一体化は生命力。 人間が他の動物と違うのは、満たすことのできない心を持っていること。 宗教や哲学はそうした「精神」の求め心の現れ。
お礼
肉体も、命も、知識もすべて私ではある しかし、「私」もまた一体化によって生まれた概念という産物 もっと深いところに本質がある ご回答ありがとうございました。
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
悟りを得ても自分は消えない 解脱うんぬん、輪廻どうこうは其処にいる者への言葉 悟りを得ても腹は減るし、女も抱きたい >一体化自体に疑問を持ち精神自ら一体化を放棄していく 半分正解、半分混迷 自他は有って自他は無い >解脱とは一体化からの解放だ 解放され無い事の理解が束縛からの解放 自身で掛けた鎖を見つけ、それを受け入れる それが第一歩
お礼
悟りとは究極の精神状態のことを指す言葉ではない ある種の流れを指す言葉 ご回答ありがとうございました。
- Y Y(@yy8yy8az)
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質問文中の「悟りの働き」を私なら「悟りへの働き」としますね。
お礼
ここは案外重要 悟りに終わりはない 永遠に悟り続ける状態 だから目指すべき究極の状態というのはない ゆえに今がその悟りの中 ご回答ありがとうございます。
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- 哲学・倫理・宗教学
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お礼
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