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自分都合のセンセイ方
今日のニュースで、道路関係4公団民営化推進委員会が多数決の結果で最終報告書を提出したことに対して、自民党の道路族のセンセイ方は「多数決の結果で出された最終報告書は不正常な形の答申だ」と言われていました。 でも、振り返るとあの方々も強行採決を幾度となくやってきた方たちな訳で、答申という決定的ではない(この後に国会審議される)ものに対して「不正常」というのであれば、自分たちが強行採決をしてきた法案・予算案は更に重要な状況(国民に直接影響がある、という意味)の下で「不正常」に成立させたものだと認めたことになると思うのですが、どう思います?
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政治家とは結果を出すことが使命でしょう。大学教授のように学説を主張するわけではなく、状況に応じて言い方は変わります。これは、野党でも与党でも同じ事だと思います。例えば、国会での審議拒否について、かつて自由民主党が野党だったときどうだったか、その後の与党に戻ってからどうしたかを振り返れば、自明ではありませんか。現実に対処するのですから、自分の主張を政策として形にするためなら、手段を選ばないのが政治家です。支持する政策なら強行採決だってするし、支持しない政策なら廃案のために全力を尽くすのです。 万年野党はそういった経験が無いために、やれ「民主政治の冒涜だ」などと言いますが、数が多数であることは民主政治では必要条件です。必要条件を満たさない政策をゴリ押しするのは、強権政治といいます。そして、その必要条件である多数の議員は国民の選挙で選ばれています。 今回の道路関係4公団民営化推進委員会の人たちは、民意の代表ではありません。首相の諮問に答えて、政策提言をする集団です。したがって、国会に上程して国民のコンセンサスを得られる政策を提案することが使命であって、だからこそ全会一致での答申が望ましいとされるのです。 委員の人たちは自分が国民の代表だと錯覚してしまっていたのかもしれませんが、民意を代弁する立場ではないし、そう主張する根拠は全く無いのですから、彼らが多数決で強行したことは本来の使命を忘れたものでしょう。 国会の決議は、それとは全く性格も意味合いも違うものですから、政治家の使命を引き合いに出すまでも無く、国会議員の主張には合理性を認められると思います。
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政治家は理念で動いているのではなくって、最終的な形を自分で決めて(それが理想として選ばれたのか、実入りがいいから選ばれたのかは別にして)それに向かってネゴシエートするために動いていますから、そのときその場で都合のいい理屈を並べます。彼らにとって、大義名分も理屈も公約もみんな自己の目指す結果を導くための道具の一つですので都合がいい時は声高に叫び、都合が悪くなれば簡単に破りますし無視もします。 言われていること『認めたことになる』というのはその通りなんですが、彼らにとってはそんなことどうでもいいことなんです。その時その場で都合のいい理屈を並べてそれが耳あたりがよくって結局有権者を騙しおおせたり、意見が通ったり、予算が付けばそれでよいと。そういうことだと思いますよ。 小泉さんに期待をかけてる国民も馬鹿だし…どんなに当てにならなくっても、さっさと野党と政権交代させていかないとこのまんまですずっと。
お礼
そういう政治家が主なら、何とも寂しい国です。 予算って誰のためのものでしょうかね。 国民が豊かになるためのものでは・・・
お礼
納得です。確かにあの委員の人たちを国民が選んだ覚えはありませんね。