不可算名詞に形容詞がついて可算名詞化する現象
前回の質問投稿<ものが数えられるものと判定される基準について>の続編です。
まず、私の考えを提示しますので、それについておかしいと思うところがあれば指摘をお願いします。
数えられないものなのに形容詞がつくと数えられるものと見なされることがあります。例えば、
a heavy rain(A heavy rain began to fall.) という使い方があります。ただし、形容詞がついても数えられないこともあります(Heavy rain began to fall.)。
では、heavy rainが数えられるものであると判定される条件はどのようなものなのでしょうか。それと、なぜ、可算と不可算の両用の使い方があるのでしょうか。その二つが今回の質問投稿の趣旨です。
まず、heavy rainが数えられるものであると判定される条件ですが、冠詞の解説書などでは、不定冠詞がつくのはrainが形容詞が付加されることによって種類分けされ個別のものと見なされるからとあります。不定冠詞がつくことは個別のものであることの表明なので、<個別のものと見なされるから不定冠詞がつく>という因果関係は成立しません。ということは、問題は形容詞が付加されるとなぜ個別のものと見なされるのかという点に絞られることになります。
前回の質問投稿<ものが数えられるものと判定される基準について>で説明しましたが、何かが数えられるための基準は、そのものが空間的または時間的に制約(一つのまとまり)を持つことです。
heavy rainの場合、時間的な観点で言うと、ざーざー降っている期間がそれ以外の期間と異なる(種類の)ものと見なされて、あるいは、その期間における降りざまがいつもの降りざまと異なるものと見なされて、その期間を時間的なまとまりとみなすことができます。空間的な観点で言うと、ざーざー(局地的に)降っている場所をそうでない場所を区別して、その場所を空間的なまとまりとみなすことができます。
ところが、heavy rainが数えられないことがある(aがつかない)ということは、heavy rainが上のような降雨(自然現象)として意識されるのではなく、ざーざー降る雨水(流動物)として意識されるからではないかと思います。この場合は、時間的にも空間的にもまとまりを持つものとしてとらえられることはありません。
同じheavy rainという語を話者が降雨(自然現象)ととらえるか、それとも雨水(流動物)ととらえるか、その判定の主導権は話者にあります。よって、話者の考え方や生活習慣やその都度の気分次第でどちらにもなります。この考えでいいと思うのですが、いかがでしょうか。
今回の質問に対する説明がこれで十全なものになったかということですが、そうは思いません。rainにつく形容詞すべてについて上のようなことが当てはまるか確認しなければなりません。つけられる形容詞としてはheavy以外に、mist, fine, hard, light, gloomy --- などがありますが、これらはrainの属性で様相(降りざま)を表すものです。その他の共通点は、どれもが話者の主観的判断と関わるものだということです。ということは、様相(降りざま)を意識するか、それとも空から降ってくる水(流動物)として意識するかの判定が話者にその都度ゆだねられることを意味します。
mist, fine, hard, light, gloomyにrainが後続する場合の空間的・時間的まとまりは容易に把握可能です。普段と異なる降りざまなので降雨の場所と時間帯がそのときだけ際だったものとしてとらえられるはずです。gloomy rainの場合は話者の気分が降りざまに投影されていますが、同じように考えることができるはずです。
ところが、acid, radioactive, caesium-contaminatedという形容詞もつきます。これらは降りざまを表すものではありません。また、化学物質の含有量は測定されるものなので話者の主観が関与することもありません。普段の雨とは性質の異なるものなので、それらが降る地域や時間帯をそれ以外の地域や時間帯と区別して不定冠詞をつけることができそうですが、実際には検索結果を見ると不可算扱いです。
このことから仮説を提示できます。<rainに形容詞を付加することで可算扱いにできるのは、その形容詞が話者の主観的判断と関わるものである場合に限られるのではないか>というのが私の仮説です。いかがでしょうか。
(ただし今回の議論においてはSeptember rainというふうに固有名詞がつくケースは除外します。全く別の議論だと思うからです。又、<acid rainは慣用表現化しているために形容詞acidの限定力がなくなりrainを個別化することができない>といったような議論も棚上げにします。汎用的な議論ではないからです。caesium-contaminatedは慣用表現ではありません。)
お礼
回答ありがとうございます! 古い中国語のテキストからとったもので… この文は很はつかなくてもいいんですね。 こういう見極めが学習者には難しいですね。 ありがとうございます☆