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劣等感を原動力にして生きる人間の行く末

noname#132831の回答

noname#132831
noname#132831
回答No.6

 40代男性です。たいへんお悩みのようですね。心中お察しいたします。お役に立つかどうかわかりませんが、回答させてください。 ●あなたを苦しめているのは、あなた自身ではありませんか。    ★自分を責めているのはあなた自身ではありませんか。自分自身に対する最も不当な批評家になっていませんか。    ★いつも裁かれる立場に自分を置いていませんか。  誰かに否定されたり拒絶されるのが怖くて、先回りして自分で自分を否定しているだけではないですか。  人はあなたのことを厳しく採点などしていないのではないですか。人は、あなたが気にしている事柄について、実は物足りないほど、まったく気にかけてもいないのではありませんか。 ●ものごとを悲観的に解釈していませんか。  (望ましくない事件が起きたときに)    ★それを自分の弱点と結び付けて解釈していませんか。    ★それが長く続くと思っていませんか。    ★そのことを拡大して解釈していませんか。  【楽観的な解釈とは】    ★それを自分の弱点と結び付けて解釈しない。    ★この望ましくない事態はいつか終わると思う。    ★そのことを限定的に解釈する。 ●失敗は悲劇ではない。失敗した自分を他人がどう思うかを考えた時にそれは悲劇になる。  劣等感を原動力にすると、劣等感が強くなるだけです。劣等感をバネに、楽しんで目標に向き合える人のそれは、本当の意味での劣等感ではないのかも知れません。 ●行動はその背後にある動機を強化し、選択はその背後にある世界観を正当化する。 ●私たちは、具体的な“事実”が私たちを幸せにしてくれると信じていますが、実はそうではなくて、事実に対する“解釈”の仕方が、幸せになるか不幸になるかに重大な影響を与えているのです。  http://www013.upp.so-net.ne.jp/kata-kuriko/m02.html 自意識過剰  http://www.kato-lab.net/lecture/index.html 加藤諦三 講演テープ    「心の健康 ~幸せになれる人、なれない人~」    「行動を変えれば自分は変わる」      少しでも楽になれたらいいですね。参考になさってください。

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