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「出エジプト」当時のカナン地方の実情は?

知りたい事は次の通りです。ご回答は項目別であろうとなかろうと自由です。 「出エジプト記」が何らかの事実を反映しているとして、その当時のカナン地方の実情は 1 ウガリット王国の実効支配下になかったか。 2 1の場合、カナンでの主産業は農業でなかったか。 3 ユダヤ教徒の祖先(ヘブライ人といってよいのか?)の中にもバアル信仰が浸透しつつなかったか。 4 ユダヤ教徒の祖先は、ややもすると身の危険を感じるほどにウガリット王国の民から圧迫を受けていなかったか。身の危険ほどではないにしても農耕民族の農地の拡大が遊牧の妨げになるなどの障害に悩まされていなかったか。 5 ユダヤ教徒の祖先の指導者には自分達の文化がウガリット民族(アラム人?)のそれに吸収されてしまうという危機感がなかったか。 旧約聖書の分かり難さを考えているうちに1~5に思い至りました。仮に、これらの全てにイエスだとすると「十戒」を初め、旧約聖書がとても分かり易くなります。 よろしくお願いします。 お断り 質問をする前に、この辺りの書籍を読めば、この質問の答があるかもしれないという心当たりがなくはありません(以前、こちらで書籍を推薦して貰っています)。しかし、専門家志向でない、ただの市民にとって、そうした書籍の読書が順番として回ってくるには何年も先になってしまいます。読書の必要性は当然として、手っ取り早く予備知識を得ようという横着者に理解を示せる方の回答を希望します。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

うーん。。。 着目点は悪くないのですが、最近つらつらと考えたんですね。 聖書には、ウガリット神話などと同じ民話が入ってしますよね。 例えば天地創造とか洪水とか同じですよね。(古事記も同じですが) どっちがパクったか というのではなく、アブラハムはウル出身ってことになってるから。 ギルガメッシュ神話のウルクとアブラハムの出身地ウルの間の距離は60キロ。 歩くと大変ですが、なんせアブラハムは遠征する軍隊についていった商人でしたから、この距離は意味無いと思えます。 で、アブラハムの父テラは、ある時 カナン地方はいいぞーと情報をもらったのかどうか知りませんが、息子アブラムとその妻サライと親戚のロトを連れて旅立つ。 その子孫が持ってたユダヤの民話が、メソポタミアの神話と共通するのは当然。 出身地だから。 でもアブラハムがウル出身だとしたのは、何世紀も後になってからだそうです。 何者だったんでしょうね。 いずれにせよ この民族、メソポタミアの神話と同じ内容を保持している。 ところで、メソポタミア方面じゃなく、西つながりが強いと思える。 例えば、、、 アブラハムの妻 サラ。エジプト語で王女を意味する。 サラの侍女ハガル、エジプト人。イシュマルの妻もエジプト人。 割礼はエジプト王家、世襲祭司、貴族の義務だった。 けったいなことです。 どいつもこいつもエジプトつながり。 出エジプトを果たしたモーセの時代、エジプトを治めていたのが、アムセス1世。 出エジプトの頃までに、エジプトの文明は洗練の極みに達し、経済的・文化的・軍事的に空前絶後のものとなっていた。 その頃からエジプトの宗教は変貌し、一神教になった。 偶像崇拝の禁止~ などが特徴で、一神教なので、他の神の存在を認めない。 あと平和主義。 面白いの見つけました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3 『トゥトアンクアメンの早急な死後、大神官アイはファラオの位に登り、アメン神殿と宥和して、将軍ホルエムヘブを派遣してヒッタイトをパレスティナより撃退する。ホルエムヘブがやがて、アイの後を襲ってファラオとなり、アクエンアテンの名と存在、その事績をすべて抹消する。こうして、アマルナ革命は、アクエンアテンやその家族、宮廷の記録と共に、エジプトの砂の彼方に埋もれた。 』 んーー んーーー モーセ 時代はいつだ? エジプトの砂の彼方じゃなくて、エジプトの植民地カナンに神官たちを連れて移住したとかじゃないかしら? エジプトはパレスチナの地域も勢力下に置いていた。 アテン教になったとき、戦力が衰退して、植民地取られちゃったけど、アテン教を廃したことで、勢力範囲を取り戻している。 ということは、、、どゆことでしょう。 ヘブライ人というのは、川の向こうから来た人たちの総称らしいです。 チグリス・ユーフラテスの向こうから来たって意味でしょうか。 とすれば、アブラハムご一行様の子孫? それとも単にメソポタミア地域から移住してきた人たち? ともかく、モーセは、エジプトに負けてエジプトに連れて行かれた人々が苛められているのに腹をたてて、いじめた人を殺したことになっています。 で、神からエジプトに奴隷にされている人々を連れて、エジプトが支配するカナンに行けと変なこと言われた。 ようわからんが、行けばいいわけですよね。 カナンはエジプトのシマですから、なにかあったら、エジプトが黙っているはずがない。 で、私こう考えたんですよ。 モーセはヘブライ人じゃなく、エジプト人。しかも養子じゃなくて、王家の血筋の人。 しかもグランドマスター。 で、ピラミッド建築の技術を継承する1人でもあり、アテン教崇拝者。 聖書で奴隷として描かれているのは職人たち。 で、アメン教破れて、職人ひきつれエジプトからカナンに移動。 ユダヤ人の祈り「schema yisrael adonai elohemu adonai echod. (聞け おおイスラエルよ 汝が神なる主は唯一の神なり) 翻訳過程で、エジプト語のtは転写されヘブライ文字のd、同じくeはoになる。 エジプト語でいけば「聞け おおイスラエルよ 我らが神アテンは唯一の神なり」 というわけで、偶像崇拝禁止のアテン教崇拝者たちがカナンに移住。 (あくまで仮説ですよ。) で、やがて王国を建設し、エジプトとも仲良くしていたが、エジプトの英知がエジプトから消えたため、エジプトが衰退してしまい、イスラエル王国が他の勢力に攻め込まれても、自力でなんとかしなきゃならなくなった。 出エジプトの頃って、、、、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB#.E5.87.BA.E3.82.A8.E3.82.B8.E3.83.97.E3.83.88 『出エジプト 古代パレスチナに定着したセム系の遊牧民であるヒクソス(エジプトの言葉で、よその土地の王の意)が、紀元前1730年頃から紀元前1580年までエジプトを支配。この頃にヨセフの一族がエジプトに移住する。だが前1580年ヒクソスが倒され、エジプトはアーモセス第十八王朝となる。このときから外国人であるヨセフ族(ユダヤ人)の奴隷時代がはじまる。 紀元前1230年頃(諸説がある)、エジプトのユダヤ人たちはモーセを中心にしてエジプトを脱出しカナンに向かう。』 1230年頃、として 東の地域は? http://hiki.cre.jp/history/?EraOf+Sumer-AkkadianCivilization 『ウル第3王朝の滅亡後、イシン・ラルサ時代を経て古バビロニア時代に移行。古バビロニア時代以降は、バビロニア史の分野になる。』 ってことで今度はバビロニアですね。(忙しい) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2 『カシュティリアシュ4世(前1243 - 前1235) (アッシリアの支配:前1235 - 前1227)』 うわ アッシリアに支配されだしている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2 んーー んーーー (1)ですが、出エジプトの時代と、ウガリット王国の時代は同じ時期じゃない。 (2)ヘブライ人というのは川向こうからきたよそもの って意味が含まれているらしいです。 どちらにせよ、流れる民ですから放牧ですね。 幕屋かついで移動していた。 神殿作ってから定住しだしたようです。 (3)流れる民がメソポタミアから来た人なら、(アブラハムもそうですが)、その頃はユダヤ教ありませんから、バアル信仰じゃないかと。 (4)<ウガリットは青銅器時代の末期、紀元前1200年ごろ、「海の民」の侵入によって破壊された。>ってありますので、怖いのかウガリットじゃなくアッシリアとバビロニアだったんじゃないかと。 (5)うーん だって民話(神話)共有していますから。 出エジプトの時代はまだこれといったユダヤ教はできていなかったと思えます。 アテン教的だったが、何度も他の宗教に傾倒しては、また唯一信仰になるなど 揺れ動いてきたんじゃないかと。 >旧約聖書の分かり難さを考えているうちに1~5に思い至りました。仮に、これらの全てにイエスだとすると「十戒」を初め、旧約聖書がとても分かり易くなります。 そうですか? 十戒はエジプトの死者の書の簡略版ですよね。(あ 詳しくなかったですね。簡略版なんです。死者の書の方がもっとチェック事項多いんです) モーセがエジプトの王家の人だったら、そういう概念もっていても不思議じゃあない。 で、かたや聖書に奴隷として描かれている人々、アブラハムの子孫がメソポタミアの出身なら、あっち方面の神話が聖書にいくつも登場しても不思議でもなんでもない。 ということで、異文化交流の結果 違う民族同士が結婚して、できた子供がユダヤ教じゃないかと。

sono-higurashi
質問者

補足

毎度、長大なご回答に恐縮します。 1 質問文作成時に、出エジプトを紀元前1200年頃として、その当時パレスチナを支配していたのは何国かを調べないではありませんでした。 「ウガリット王国」は地理的にはもう少し北か?、年代的には既に滅んでいるか? という思いはありました。しかし、何者が支配していたかは不明でした。「ウガリット」ではなく「正体不明の海の民」とか「フェニキア系民族」とでもしておけばよかったですか。それも誤りですか。歴史に素養がないせいか、直裁な表現がないと特定できません。私の知識では間接的な記事から知ることができなくて困ります。 「ウガリット」ではなく「正体不明の海の民」とか「フェニキア系民族」とでもして質問文が正しくなれば、ご回答もがらりと変わりますか。その場合にはご面倒でも改めてご回答下さると有り難いです。この場合には決して急ぎませんが質問文に不備がありそうなので締め切りたい気持ちもあります。よって締め切りを待て程度の短いコメントだけでも下さると有り難いです。 私の推測では、質問文が正しくなってもご回答の基本は変化ないのだろうと予想します。この場合は後に述べる理由によって特には、ご返事は不要です。 2 遠回りですが質問文作成の動機を記します。  ア)検索すると旧約聖書には「バアル」が125件登場し、ほぼその全てで神は激怒し、敵視し、嘆いていて異常です。  イ)十戒の初めの3条と残りの7条に落差を感じます。初めの3条は背景に何やら高邁な思想でも隠れていそうなのに対して、続く7条は卑俗に過ぎます。まるで、憲法の中に駐車違反規定が紛れ込んだような違和感です。小学生でも少し気の利いた生徒は、こういうアンバランスな条文は作らないのではないでしょうか。 そこで下手な推理です。実は初めの3条も単純で卑俗な事を述べているのではないかと考えました。つまり「私以外の何者も神としてはならない。 」=「バアルを神としてはならない」、「偶像を作ってはならない。」=「バアルを拝んではならない(バアル像はルーブル美術館にある)」(3条は長くなるので割愛)、こう考えると10条全てが極めて卑俗な命令文で統一されて不自然さがなくなります。 つまり、パレスチナの地は指導者が危機を感じるほどにバアルに汚染し尽くされていたのではないかとの推理が背景にあっての質問でした。 3 しかし、その後、神にはヤハウェとだけで名前らしい名がない理由として ウ)イスラエル12部族の共通の神として等しく受け入れ易くするため エ)名前があって、それが知れると呪詛に遭う恐れがあるため名は無い方がよい などの可能性が考えられることが分かりました。これはまた自動的に神像も無い方が12部族に公平だし、呪術に対しても安全なことを語っています。これが理由だとすると高邁な思想なんぞではなく単なる卑俗な動機であって全10条の統一がとれて違和感がなくなります。 4 十戒に違和感がなくなることは、質問の動機がなくなることです。将来、再び疑問をもつことはあるでしょうが、当面この質問は解決したようなものです。折角お答えを頂戴しておいて何たる言い草かと叱責されてはいけないので、読後感を記してお礼とします。 ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 読後感 A 割礼は家畜の繁殖や管理上の知識が豊富な遊牧民の発想であって農耕民の発想からは生まれないと推理していましたが、エジプト起源説があるのは意外でした。 B モーセ、エジプト人説は幾つかの事柄をうまく説明できそうです。亡命エジプト人ですかね。「シヌヘの物語」のシヌヘも遊牧民の地へ亡命していましたっけ? C アテン神崇拝は偶像礼拝禁止だったのですね。 D 出エジプトとウガリットは、結びつかないほど時期的に、かけはなれているのですね。ウガリットの衰弱期、滅亡期の混乱に便乗してモーセの出エジプトがあった、と考えられないのかとの思いが少しだけありました。 E 十戒は死者の書が下敷きなのですね。これもエジプト起源ですか。 F 言わば十戒発令時をユダヤ教誕生の瞬間と考えて、出エジプト時にはパレスチナの地にユダヤ教もユダヤ文化も存在しなかったと考えればよさそうですね。 G >>異文化交流の結果 違う民族同士が結婚して、できた子供がユダヤ教じゃないかと。 これはよく理解できます。そう思います。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします(お礼の欄には字数制限のため書けませんでした)。 質問文に手入れが必要そうですので締め切りたいです。27日(火)までにどなた様からも特段の回答がないときは締め切ります。

その他の回答 (1)

回答No.1

まず出エジプトはいつだと断定されていないと思います。 だからウガリットが出エジプト当時どのような国家だったかも 断定できないと思います。ウガリット自体どのような国家かはっきりと分かってないと思いますし。 私がおすすめするのは変ですが、「日本人に贈る聖書ものがたり」(中川健一著)をおすすめします。 これは文字通り素人の日本人に分かりやすく、歴史小説仕立てですすんできます。そして進みながら情緒的ではなくアカデミックに解説がされます。アブラハムの時代から中東戦争まで、分厚い4巻ですが、読んでいてとても楽しかったです。 http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E8%B4%88%E3%82%8B%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%8C%E3%81%9F%E3%82%8A%E2%80%95%E6%97%8F%E9%95%B7%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%B7%BB-%E4%B8%AD%E5%B7%9D-%E5%81%A5%E4%B8%80/dp/4835558510

sono-higurashi
質問者

補足

「出エジプト記」を執筆した人になって下さいませ。 史実にもせよ、想像にもせよ、推測にもせよ、創作にもせよ、出エジプトが何時であり、エジプトに於ける同胞とモーセの置かれている状況、神との会見の様子、シナイ半島の地形やオアシスの分布、カナンの政治状況や風土、そうした諸々が作者のイメージとして完成していないと執筆できません。 何から何まで史実として断定できるものが一つとしてないのは論を待ちません。つまりは今となっては作者のイメージしたカナンが一番実情に近いだろうということです。そしてまた、当時のオリエント一帯をよく研究している方のカナン像ほど、「出エジプト記」の執筆者の抱くイメージとよく合致するだろうということです。そういう方に質問文の1~5の評をお願いしている訳です。 責任をもてないのは当然としても学識に応じたカナン像はあるのだと思います。 書籍のご紹介はメモをしました。 ありがとうございました。またの機会にもよろしくお願いします。

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