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古代ユダヤ人またはその教徒たちの宗教観

質問です。 先日、パレスチナ問題について調べようと、問題の原点を遡っていったらユダヤ人に行きつきました。 そこでかれらの民族がどういった民族で、どういった宗教観を持っているのか初めて知ったのですが、そこでいくつか気になったことがあります。 1.古代(ペルシア王に解放されて、カナンに戻って神殿を再建した頃)のユダヤ人(と教徒たち)たちは、自分たち以外の外国人や多神教を信じる民族に対してもとりわけ排他的だったわけですけど、こと同じユダヤ人同士だとどんな感じだったのでしょうか? 例えば、 ユダヤ人の父親もしくは母親が、病気に罹って早く治療しないと亡くなってしまうかもしれないってなった差し迫った状況に、「いや、今日は安息日なので何もできませんよ」といった風に見殺しにしてしまうのでしょうか?  だからといって、全てにおいて見下している異邦人に頼むわけにもいきませんよね?  「自分たちは神に選ばれた民族なんだ。異教徒なんかに頼るもんか!」 もしそうなら、遺された家族や病気で亡くなる者はどういう気持ちだったのでしょうか? また、 ついこの間まで仲良く遊んでいたユダヤ人の友達が、ある日、急な大雨で増水して氾濫した川の水に流されて亡くなったと知ったら、そのユダヤ人は、 「ああ、きっと彼の、神への信仰心が足りなかったからなんだ。自分ももっと神に祈って、律法をより厳しく守っていかなきゃ」 という風に受け止めていたというでしょうか? 2.当時のユダヤ教における祈り言葉や、神への踊りとか、神への歌とか、そういった祭日などで祭壇で唱える言葉などありますか? キリスト教で言うところの、「食前の祈り」とか「主の祈り」とか。 もしありましたら、具体的にどういった言葉を唱えるのか、どういった踊りや歌だったのか知りたいです。 長くなってしまい、すみませんでした。

みんなの回答

  • SI299792
  • ベストアンサー率47% (769/1607)
回答No.2

 ユダヤ人の父親もしくは母親が、病気に罹って早く治療しないと亡くなってしまうかもしれない…  古代ユダヤ人に関しては、そうだったと思います。  この様なエピソードがあります。  キリストが安息日に目の見えない人を治しました。すると周りから「安息日に働くな」と言われました。キリストは「安息日に善い行いをして何が悪い」と答えたそうです。 (イエスがユダヤ教徒だった事は、前回答者が回答しているので省略します)  聖書には「神が7日目に休んだ」と書いてあるだけで、人間もそうしろとはどこにも書いていません。だから、キリストの考えの方が正しいはずですが、当時の人は神のしたこと(命令でなくても)に従うべきと考えていたようです。  最も、当時の医療技術では、医者に見せても大して延命できなかったと思います。 https://www.christiantoday.co.jp/articles/31577/20221026/read-gospel-of-luke-29.htm  ついこの間まで仲良く遊んでいたユダヤ人の友達が…  これに関しては解りません。参考になりそうなエピソード。 ①原罪:人間は神様から食べるなと言われた知恵の実を食べたので、エデンの園から追い出された。だから生まれながらに罪を持っている。(エデンの園なら災害は無い) ②神はアブラハムに「息子を殺せ」と命じました(殺す寸前で止められましたが)。神が人間に求めるものは絶対服従です。 https://kakuyomu.jp/works/1177354054890980046/episodes/1177354054892220261 ③ノアの箱舟:有名な話なので皆知っていると思います。つまり神にとって人間はペットや家畜の様なもの。気に入らなければ殺します。 ④最後の審判:正しいものが救われるのは、最後の審判の後(神の国へ行ける)現生ではない。  これらは、信仰心が強かったり、善い行いをした人でも、不幸な死に方をすることがある理由の説明として使われたと思います。 2に関しては解りません。祈り言葉はあるみたいです。 https://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/051ee4c9f9e478a8456403c25f43b290 ググるか、AIに聞いてみたらいいと思います。

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11034/34396)
回答No.1

>ユダヤ人の父親もしくは母親が、病気に罹って早く治療しないと亡くなってしまうかもしれないってなった差し迫った状況に、「いや、今日は安息日なので何もできませんよ」といった風に見殺しにしてしまうのでしょうか?  はい。「律法は絶対に守らないといけない」と考える一派はあって、その人たちは「何があっても安息日は何をやってもダメ」と主張します。 もしそれによって人が亡くなるようなことがあったとしても、それは「神の御意志による」ものとされたのです。 でもこれは少なくとも日本人にはとやかくいえる話ではないです。日本中の学校に存在する「バカバカしい校則」なんかは基本的な考え方は同じですからね。「どんなにバカバカしいことであっても決まりなら絶対に守らないといけない」と考えているという点ではね。 >当時のユダヤ教における祈り言葉や、神への踊りとか、神への歌とか、そういった祭日などで祭壇で唱える言葉などありますか? 旧約聖書には「詩編」という詩が沢山残されていますので、それがそういうものに該当しますね。詩編は日本人にしっくりくる言葉でいうなら「お経」です。お経の一部を唱えるのを「念仏」といいますね。ユダヤ教でもキリスト教でもそういうお念仏みたいな言葉はあります。 例えばイエスが十字架にかけられたときに彼が発した言葉である「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」という言葉は、旧約聖書の詩編22の冒頭の言葉です。イエスは十字架にかけられたときにお念仏を唱えたんですね。 「イエスはキリスト教だろうがよ」とはいわないでくださいね。生前のイエスさんご本人は、自分を「ユダヤ教のラビ(教師)」と名乗っていました。イエス自身は自分はユダヤ教徒だと思っていましたし、彼の弟子もその時代は「ユダヤ教イエス派」として行動していました。 「キリスト教」を作ったのはパウロという人で、実はパウロは生前のイエスに会ったことがありません。イエスの死後に弟子になった人です。

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