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宗教を信じる理由について

hhitujiの回答

  • hhituji
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回答No.9

質問者さんの問いに答えます長いのでひとつずつ (1)満足のいく説明について  聖書以外の古代文献にも奇跡物語はたくさんありますが、聖書以外に奇跡物語が信じられていないのは次の理由によります。  まず、その奇跡物語が、当人が死んでから非常に長い年月がたってから書かれていること、そしてそれを裏付ける文献がないことです。たとえば、マホメットの奇跡物語は、コーランにはまったく出てきません。しかし、彼の死後200年以上たって書かれたハーディス(言行録)には奇跡物語が出てきます。  それではイエスの復活の奇跡について話をしましょう。これは反クリスチャンの研究者もほとんど同意する奇跡物語です。  イエスの復活に対する最も古い記述はIコリント15:3からの記述です。これは文体様式の研究から、おそらくイエスの死後数年から10年以内には文書化されていたと考えられるのです。  それでは、それに対する裏づけの資料とは何でしょうか?これはイエスに敵対していたユダヤ教の古い論争の記録が最適です。  これには、復活したイエスに会ったという記述こそないものの、イエスの墓がからであったことは認めています。そして、そのことについてあれこれ言い訳が始まるのです。  では、イエスの死体はどうなったのでしょうか?墓の入り口には2トン以上ある石でふたをされ、ローマの番兵が見張っていました。そして、もし墓があらされたら番兵は死刑であったことがローマの軍規から確認されています。  弟子たちが命をかけて盗んだのでしょうか?でも、彼らはイエスが逮捕されたときに裏切って逃げて行ったような人物です。そのような人物がイエスの死後、人が変わったように死を恐れずにイエスの復活を証言し、その結果11人中10人が拷問などで殉教しています。  もし、イエスの復活がうそならば、そんなうそのために命をかけられるでしょうか?  彼らは間違いなくイエスの復活を信じていたのです。 これに対する反クリスチャン研究者の説明は、弟子たちが幻影をみたか、イエスが仮死状態であって死んでいなかったというものです。  しかし、まず最初の幻影ですが、まず11人の弟子が時と場所を変え、全員幻影を見るということが医学上説明できません。特に、トマスのように疑い深い人物がそういう幻影を見ることは医学では非常に説明しにくいのです。また、イエスの復活を認める人物はそれだけでなく、もともとイエスを迫害していたパウロのような人物もいて、とても幻影では説明できないのです。  また、イエスが仮死状態だったというのはまったくありえなく、罪人の心臓を最後に突いて死を確認するのはローマ兵の義務であり、これを怠れば処刑人が死刑です。  このような状況において、大昔の証拠という以前に、奇跡に対する反論が説明できないのです。

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