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必要な道路など一本もないのではないですか?
道路を作れば、人が企業が流れてくる、その地域にお金を落としてくれる、多くの人はこうした考え方に疑念を持っていると思います。道路作りのための言い訳ではないかと。 そう考えると、道路が必要な理由というのが分かりません。 例えば、家のローンが巨額で生活そのものが大変なのに、増築したり別荘を購入する人はいませんよね? 日本が巨額の借金を抱えているのに、道路に税金を使っているということはそういうことではないですか。 いっそ、借金を返すまで、新しい道路は一切作らず、道路予算は、補修やメンテナンス費用だけといったほうが筋が通っていると思うのですが。 建設業者はもっと淘汰されて、従事している人の数を減らすべきではないですか? そもそも公共事業がないと立ち行かないという事業計画自体がおかしくはないですか?建設業は民間企業ですよね?国営じゃないですよね? でしたら、税金で養うのはおかしいと思います。 大雑把にいって、民間の受注が8割、公共事業が2割程度の、公共事業がなくてもやっていけるけど、あればさらに儲かる、くらいの建設業者が当たり前で健全な状態にならないといけないのではないですか? 建設業に従事したい人はたくさんいるのでしょう。しかし、ほかの業種でもそうですが、誰でも希望職種につけるわけではありません。 どこの世界にも雇用のマッチング、需要と供給があると思います。 どうも土建屋だけが特別な気がします。これらに従事する人の大量の失業者が出て、みんな転職してもよいと思います。それで血税の無駄な支出が大幅に減るのであれば。 私の考えは間違っているでしょうか?
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>必要な道路など一本もないのではないですか? 第二東名高速道路の建設が静岡県では始まっていますが、驚くべきことは、一番必要な神奈川県厚木以降東京の間はどこに設置するかの道路設置計画すら決まっていない現実があります。東名高速道路を使ったことのある人はすぐに理解できるでしょうが第二東名高速道路が一番必要な区間は厚木東京間であることは明らかです。 建設省にとっては、必要な道路など作っていては仕事にならないのです。山奥の道路で土地収用のための地権者との協議が楽にできる、国民にとって不要な道路を作るのを仕事とせざるを得ないのです。 >どうも土建屋だけが特別な気がします。これらに従事する人の大量の失業者が出て、みんな転職してもよいと思います。それで血税の無駄な支出が大幅に減るのであれば。 その通りと思います。政府・自民党は税金で土建産業を支えられると思っているようですが、どだい不可能な話です。昔は政府・自民党は税金でで米作農業を支える政策をとりましたが、高くなる米価に反比例して日本人はお米を食べなくなって、過剰在庫を大量に抱え込んで米作農業を支える政策そのものが破たんしてしまいました。食糧庁という農業を支える専門の役所も廃止されてしまいました。 私は質問者さんの考えを具体的に推進するには建設省は廃止すべきと思います。建設省という無駄な役所があるために、この役所に勤める役人が自分たちがヒマになって失職しないために、土建産業を支え税金が無駄に使われていると考えてもよいでしょう。 建築基準法関係の政務行政事務の統括は総務省に移管できるでしょう。建築技術開発とか技術標準化業務は通産省に移管できるでしょう。国道の管理は法律を変えて、自治体に業務委託すれば良いでしょう、何なら国道は廃止してすべて県道にしても良いでしょう。道州制を採用すれば道州道路にしてもよいでしょう。 道路だけでなくダムや干拓の建設も止められるでしょう。ダムや干拓の建設は税金の無駄使ばかりでなく自然破壊行為でもあって、許せない悪行というべきでしょう。 土建産業を政府自民党が支えなくなるとどうなるかというと、昔ある経済専門家が調べた所によると100万人位の失業者が出るようです。この100万人位の雇用人口はどこから生まれたかというとその専門家によれば農業だそうです。つまり政府が米作農業を支える政策を放棄した結果生じた余剰農業従事人口を土建産業が吸収したというわけです。 100万人位の雇用が失われるのを黙って見過ごすわけには行かないでしょうから、私は土建業は海外に販路を求める政策を推進するのが良いと思います。中近東諸国は膨大な石油収入がありますから、土建技術を生かしたダムや人口河川で砂漠を緑地化する市場開発が可能でしょう。 インドやパキスタン、中国では道路など高い技術と安い現地労働力を組み合わせて建設すれば、感謝されつつ利益をあげられるでしょう。 地方の中小土建業者には、中近東諸国、インドやパキスタン、中国で学校とか病院建設市場を開拓させれば良いでしょう。 建設省役人から見るとこういう発想は奇想天外に聞こえるでしょうが、JETROを抱える通産省から見れば自然な発想に見えるでしょう。やはり建設省を廃止・解体することが土建産業を維持するためには必要で、今のままでは農業同様、ジリ貧となるでしょう。
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#1です。 「向上」っていうのはピンときません。 現に細い歩道に乗用車がのりあげているんですよ。 迂回できる道がないところに大きな事故が起こったら、救急車はどこを通るのでしょうか。 そんな道ですがバイパスがないために日々トラックが多数通り、ベビーカー1台がやっとの歩道を人がたくさん通ります。 どちらかといえば「危険の回避」のほうが正しいと思います。 道路に限らず日本全体の財布でみたときに、無駄使いは必ずあるはずです。 どのぐらいの、無駄遣いがあって財源がそれでも足らないのかどうかはわかりません。 しかし、無駄遣いや、バランスの悪い支出があるのですから、我慢したら?というのは納得いかなくて当然でしょう。
- kamochi
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他の回答者からは、違う視点から。 >建設業者はもっと淘汰されて、従事している人の数を減らすべきではないですか? >そもそも公共事業がないと立ち行かないという事業計画自体がおかしくはないですか? この部分は、マスコミの報道が恣意的に誤解を招くようになっているように思います。あまり鵜呑みにされないほうがいいかと。 確かに、現在行われている公共事業を突然全てやめてしまうと、業界全体のバランスが崩れてしまいます。減らすとしても、おそらく徐々にしかできません。 しかし、建設業界のためにムリに公共事業を作り出していると考えているなら、今はそういう状況ではないということを指摘したいと思います。 ご存知の通り、中国では目覚しい経済発展に伴い建設ラッシュが起きています。世界有数の技術を誇る日本のゼネコンも、中国需要で仕事はいくらでもあります。 一方、日本の公共事業は財政上の理由から工事単価を上げることができない。需要増で建設資材も高騰しています。 このような状況で、日本では公共事業の入札が不成立になるという事態が各地で起きています。予定価格を下回る価格で入札に応じる業者が現れないからです。 ゼネコンにとっては価格を削ってまで日本で仕事をする魅力など、今はないのです。中国で仕事をしたほうが、ずっとおいしい。 建設業者のために道路を作っているという考えは、改めたほうがいいと思います。 日本には20年も30年も前に計画され、すでに土地の買収が済んで空き地として何年も放置されている道路予定地が各所にあります。周囲の人は、「いつになったら完成するんだろう」と気にしています。 都会のドライバーでも高速道路に表示された「○○道路接続予定地」なんて標識を見ながら、そのときはガソリン税のことも忘れて「○○道が完成すれば便利になるのになぁ」なんて考えています。 それらの周囲の期待をきっぱり裏切り、「やっぱりこの道路は中止しましょう」と言い出す勇気がある人が野党を含めていないから、財源さえあれば更地になった空き地の工事を再開してしまうのです。 結局みんな、総論賛成・各論反対なのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに中国市場という観点は抜け落ちていました。ありがとうございます。 大手ゼネコンは仰るとおりですが、その地域でしか仕事の出来ない、下請け、孫請けの建設業者もそうなのでしょうか? では、なぜ今も建設業者の倒産が起きているのでしょうか? 建設業者の大部分が実は、そうした下請けの地場産業の土建屋さんなのではないですか? そして、公共事業とはそうした人たちの雇用の受け皿だと思うのですが?それが削られているから、現実に倒産していってるのではないですか? そうした人たちも中国に行って働いているのでしょうか? 私見ですが、国会議員が各地方の代表という選挙制度が元凶の気がします。さらに役人を養うための地方道路整備局の存在も道路予算を各地方に引っ張ろうとする力が働くのは当然かと思いますが。 そのあたりをさらに教えていただけるとありがたいです。
テレビでよく批判している報道は極端な悪い例ばかりです(もちろん北海道などのようにどう考えてもいらない道などたくさんあると思います) しかしその報道ばかりを鵜呑みにしてはいけません。 地方へ行けば必要な道路は沢山あります。 一ヶ所土砂崩れが起こったら救助にも行けない集落とか、渋滞があったら全く抜け道がない道路とか。 そういう本当に必要な道路を作ってくれればいいんですけどね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 もちろん、テレビ朝日に代表されるように、政府を批判するために意図的に極端な例を挙げていることは知っています。 わたしはテレビ、新聞の情報は基本的に信用してませんので。日本は先進国で唯一のクロスオーナーシップをとる大問題のマスコミですから。 ただ、限界集落の拡大、都市部への人口の集中という事実は間違いないと思います。そうなると、ますますそうした集落に道を作ることは箱物のようにあとであれは無駄だったねということになりませんか?例えば10世帯のために何10億かけて道路を建設することは、対費用効果としていかがなものでしょう。各家庭に一億円あげて、引き払ってもらうほうがはるかに使われる税金は少なくすむと思いますが。 といいますか、それでは戦前、そこに住んでた人たちはどうしていたのでしょうか?昔に比べたらヘリコプターもありますし、恵まれてませんか? 渋滞緩和も道路建設が唯一の選択ではないと思うのです。都知事ではありませんが、通行税を取るとか。 貧乏人はお金を使わずに知恵を使って工夫するものだと思うのです。 歳入45兆円で、歳出80兆円なんて、貧乏以外の何者でもないと思いませんか?しかも借金もあるんですから。
考え方としては間違っていないと思いますが、 よりよい道を欲しい。とりあえず道が欲しい。 という感覚は地方の山間部にいけば切実なものがある ことも事実です。 もっとも、そんなところだと、免許も持たない、 車にも乗れない高齢者ばかり・・・なんて事態もでてきました。 政治・・とは、つまりみんなから集めた金をどう配分するか。 ということにつきますから。 ただ、今まで通りでは立ちいかない。ということに皆が 気付いているのに、大きく舵を切ることができないということなのだとおもいます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに道が欲しい方はいらっしゃるでしょう。 そうであるならば、中心部に移動していただくか(いずれ限界集落になって移動するかもしれないのですから) 赤字になってでも小さなバスやタクシーを地方自治体が移動手段として用意すればよいと思うのですが。 もちろんそれに税金は使われますが、新道路建設よりもはるかに安上がりだと思います。 その政策で政治家の票が集まるかどうかはわかりませんが。
- mat983
- ベストアンサー率39% (10265/25670)
間違っているというより良くご存じないのだと思います。 東京でも渋滞は一向に解消されていません。 渋滞対策として、それを逃がすための道路が必要です。 渋滞すれば二酸化炭素の影響で環境が悪くなります。 下記サイトが具体的で分かり易いです。 http://www.city.tajimi.gifu.jp/toshi/Doro/doro_top.htm
お礼
ご回答ありがとうございます。 わたしは何も必要な道路整備が完了し、市街地の渋滞もなくなり過疎地の人々も充分と思っているとは考えていません。 東京で渋滞が起きるのは当然ではないですか?1000万人が生活しているわけですから。それを道路建設で全て解決しようとすれば、今試算されている道路予算どころではないと思うのですが。 つまり、渋滞することが当たり前なのです。それを解決するには人や物流を分散させるといったコストパフォーマンスに見合った解決策はいくらでもあるのではないですか? 環境悪化に対する健康被害が問題なのであれば、都市部に人口は集中しませんよ?一般の人たちは真剣に考えているのでしょうか?環境悪化? 一説には東京の人口が5000万人に達するのではという試算があります。他の地方都市でも、中心部への人口の移動は加速しています。今後はますます加速するでしょう。それらを解決するためにまた道路を作らなければならないのでしょうか? そもそも企業は渋滞を前提に、商品の輸送等おこなっていますよ。 スーパーでも何でも良いですが、小売業、飲食業が、渋滞で届くのが遅れているので、今日は店休みますとかありえますか? 知恵を使う、問題を解決するということはそうしたことではないですか? わたしも歳入が歳出を上回っているのであれば安易に道路を作ってもいいと思いますよ。余裕があるのですから。 しかし、借金がたくさんあって食費が足りないのに、さらに借金をしてまで健康食品を買う人がいますか? 教えていただいたリンク先が都市政策課というのが素敵ですね。 彼らのお仕事は予算をとってくることですから、一番はじめに「道路を増やす」とくるのは当然予想されることです。彼らは当事者ですからその主張に客観的な正当性はありませんよ。できれば第三者機関のリンク先でも教えていただければよかったのですが。
いいえ、必要です。 生活しているものの実感です。 私のすんでいるまわりは人口や家屋に対して極端に道が少ないところです。 道路渋滞があっても救急車は迂回することはできません。 通学路は細い細い歩道で、その歩道も救急車がくれば一般車両がのりあげることもあります。 早く道をつくってほしくて仕方がありません。 ただ、政治家や自治体は必要ではないところにつぎこみ、必要なところには作っていないミスマッチはあると思います。 必要な道路はまだ存在すると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 つまり回答者さんの地域の必要性とは、利便性と安全性の「向上」のために道路を作って欲しいということですね。 たしかに、そうした整備状況が充実している住人に比べれば不公平感があるかも知れないですね。何で自分たちはこんな不便を強いられるのかと。 それではお聞きしたいのですが、例えば一戸建てを新築し10年が経ちました。ローンがあと30年あります。もっと暮らしやすくしたいのでリフォームをすると、ローンがあと50年になります。 いくら便利になるからと、さらに借金をしますか?常識的に?ふつうはガマンしますよね。 ですから、借金をある程度減らすまで、新しい道路を作るのをガマンするというのも、日本という一つの財布から見れば当然だと思うのですが、どのようにお考えなのでしょうか。 舗装されてるだけ、道があるだけマシとは思えませんか?今ある道路で何とかしようと思いませんか?もちろんもっと楽してる、恵まれている地域もありますよ。でも地域であれ人であれ格差というのは存在すると思うのです。本当の意味での共産主義国家でない限り。 戦前に比べたら、今の道路で充分楽な生活してると思うのですが。
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お礼
再びのご回答ありがとうございます。 もちろん危険が回避できればいいですよね。しかし、あらゆる事態を想定して完全に安全な都市を作ることってできるんでしょうか?事故が起こって救急車が通れなくなったら、その状況で最善の方法を考えればよいのではないですか?例えば、密集した住宅地で消防車が入れない場合もあります。それでは危険なので、その地域に家を持っている人たちに道を広げるから、ちょっと家を壊して小さくしてもらえませんかと国にお願いされて納得しますでしょうか? どうも、自分の財布ではなく、誰かの財布だから、自分たちの生活向上のために使って欲しいという欲求があるのではないでしょうか? そもそも、今日もその場所で生活しているんですよね?本当に危険で生活できないなら座り込みをして連日電話をかけて、今すぐにでも着工させないのはなぜですか?皆さんの税金を預かってる回答者さんの住む地方自治体は予算を真っ先にその道路に使わないのでしょうか? 本当に危険なら、住民、担当者双方が何かしら行動するのではないですか? していないという現実が、事実なのだと思います。 財源は足りませんよ。歳入<歳出ですから。 借金があって、食費も足りないわけです、医療費も足りないわけです、移動が不便なわけです。家計簿をつけたら無駄がいっぱい出てきました。そのとき、最低限の食費、医療費を削るよりも、まずはその無駄の分で借金を返しましょう。乗用車を軽自動車に変えるか、いっそ車を売ってバスを使いましょう。そういう考え方はどうですか?借金を返すまで不便で大変でも移動手段にお金をかけるのをガマンしましょうという考え方です。新しい道路を作らないというのはそういうことです。