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消えてしまうのに・・・
自分が死んでも生きていた証が残れば自分は生きていたことになると思うんです。例えば、お墓や親しい人の記憶の中、戸籍などいろいろある訳です。だけどその証さえも残らないとすれば自分の存在をどうやって証明すればいいんでしょうか?まだ先の話ですが宇宙は最後惑星も銀河もブラックホールもみんな消えてしまいあとにはただただ暗い闇が待っていると本に書いてありました。そうなれば地球ももちろん消えてしまいます。だとすれば自分たちがココにいたことも生きていたことも存在していたことも全て否定されてしまうのではないでしょうか?恐竜だって化石が残っていたから存在が認められていたわけで化石がなかったら生きてきた過程そのものがなかったことになると思うんです。そうなれば生きている意味はないと思うんです。早く死のうが遅く死のうが関係ない。最後はみんな「無」になってしまうから。でも自分の人生だから最後は幸せに死にたいと思います。だけどその死んだ後の自分の存在を証明できなかったら寂しいじゃないですか。どうすれば生きたことを証明できるのでしょうか?
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恐竜が絶滅したのは氷河期のせいではないのでは? 恐竜が氷河期によって絶滅したとしたら、恐竜の大量死の化石がカナダ等の北半球に集中してるのは矛盾を感じる。 恐竜は足があって温かい南半球に移動出来たはず。氷河期の寒さで死滅するなら南半球に大量の恐竜の化石が存在してるはず。 しかし実際は北半球に恐竜の化石がある。 要するに人間ですらいまの地球の冬は越せているわけで、恐竜は氷河期を乗り越えられていたのだと思う。 恐竜が絶滅したのは氷河期のせいではない。
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お礼
すごいですね。そんな考えをお持ちの方がいらっしゃるなんて・・・。死というそのものがないなんて考えたことがなかったです。すばらしい回答ありがとうございます!!