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消えてしまうのに・・・

自分が死んでも生きていた証が残れば自分は生きていたことになると思うんです。例えば、お墓や親しい人の記憶の中、戸籍などいろいろある訳です。だけどその証さえも残らないとすれば自分の存在をどうやって証明すればいいんでしょうか?まだ先の話ですが宇宙は最後惑星も銀河もブラックホールもみんな消えてしまいあとにはただただ暗い闇が待っていると本に書いてありました。そうなれば地球ももちろん消えてしまいます。だとすれば自分たちがココにいたことも生きていたことも存在していたことも全て否定されてしまうのではないでしょうか?恐竜だって化石が残っていたから存在が認められていたわけで化石がなかったら生きてきた過程そのものがなかったことになると思うんです。そうなれば生きている意味はないと思うんです。早く死のうが遅く死のうが関係ない。最後はみんな「無」になってしまうから。でも自分の人生だから最後は幸せに死にたいと思います。だけどその死んだ後の自分の存在を証明できなかったら寂しいじゃないですか。どうすれば生きたことを証明できるのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.4

死なないんだから心配無用じゃないですか。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3648451.html

abihime
質問者

お礼

すごいですね。そんな考えをお持ちの方がいらっしゃるなんて・・・。死というそのものがないなんて考えたことがなかったです。すばらしい回答ありがとうございます!!

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その他の回答 (6)

  • kaminoai
  • ベストアンサー率25% (12/47)
回答No.7

「消えてしまうのに・・・」を読んで一言。 私達人間に隠されている中の一つですね。私がおすすめしたいのは、キリスト教会(屋根の上に、十字架が立っている建物)に行かれて、牧師様に直接質問されると解決すると思います。

abihime
質問者

お礼

なるほど。このような疑問はどなたに聞けばいいのか分かりませんでしたが牧師様ですか。牧師様ならこの疑問について答えてくれそうな気がします。今度、教会を見かけたら聞いてみますね。具体的にありがとうございました。

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noname#194289
noname#194289
回答No.6

今までどれだけの人が死んだか、あるいは今でも何人が死んでいるか、わかりませんが、とにかく人は必ず死にます。死んだ人のことをあなたはほとんど知りません。また知りたいとも思わないのではないでしょうか。あなたに認められなくてもだれかが認めているからよいのでしょうか。つまり生きている人がいるからこそ存在は認められるわけです。だから自分を認めてもらいたかったら周囲の人を大切にすることです。ところがその人たちもいずれ死んでしまいます。自分というものの存在はその程度のものなのではないでしょうか。永遠というのも言葉だけです。永遠を考えているのも今でしかないのです。おそらく言葉と人を大切にすることが精いっぱいの存在なのではないでしょうか。そもそもあなたは自分とは何かがわかるのでしょうか。

abihime
質問者

お礼

今自分たちが生きていることで存在が認められる・・・だとしたら自分が死んでも後世の方たちが認めてくれるわけですね。全てつながっているんですね。自分が何なのかですか。難しいですね。考えているのですがまだ自分なりの答えがだせていません。今の段階ではわかりませんね。答えていただきありがとうございました。

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.5

>宇宙は最後惑星も銀河もブラックホールもみんな消えてしまいあとにはただただ暗い闇が待っていると本に書いてありました。そうなれば地球ももちろん消えてしまいます。 宇宙の創造はいろいろ言われているが、まだ決定していませんよね。 でも、考えてみてください。 何も無い状態で何か生まれるか? 何かあったから誕生したわけですよね。 つまりブラックホールは真空ではなく、いろいろなものが凝縮されているの かも しれないです。 地球もやがてサイコロ1個分くらいに凝縮され、臨界点に達したら爆発すると思います。 で、爆発したた破片は エネルギーは? どっかに存在し続けるはずです。 じゃないと、一体どこに消えたのか、その消えた場所が必要になりますもん。 砂時計、上にあった砂 消えてますよね? では砂は消滅したのか? ちゃんと下に砂は存在し続けていますよね。 >だとすれば自分たちがココにいたことも生きていたことも存在していたことも全て否定されてしまうのではないでしょうか? うーーん 例えば、あなたは10代前の祖先を知りませんよね? どういう人物だったか、どういう生き方をしたか? でも、存在しつづけていると思ったことありません? その証明が「あなた」であると気づいたことありません? 少なくとも10代前の人が存在したことは、あなたの存在をもって証明できますよね。 あなたの遺伝子の中に取り込まれています。 あなたにはその特徴が出ないかもしれないが、子孫に出るかもしれない。 自分が生まれる前に亡くなった祖母にそっくりな性格だ と祖父に言われた場合、隔世遺伝かもしれない。 従って、祖母が生まれ変わってあなたになったのではない。 その祖母だって過去の人の遺伝子を受け継いでいるわけで、器なわけです。 その一方の器と、別の器が交合して、父なり母が相続して、そしてあなたにバトンを渡しているわけです。 さらに遡っていけば、かつて宇宙のどこかでに存在していたが後に爆発し、その星のかけらかもしれない。 >恐竜だって化石が残っていたから存在が認められていたわけで化石がなかったら生きてきた過程そのものがなかったことになると思うんです。 別に恐竜は自分達が存在したことを人間に知らせたいとか思っていなかったと思います。 単に人間が、人間が誕生する前に、大きな動物が地球上にいたと、知っただけ。 知られない生き物なんて そりゃあ 星の数ほどいたと思います。 >そうなれば生きている意味はないと思うんです。早く死のうが遅く死のうが関係ない。 確かに。 地球にとっては、あなたが死んだとしても、何の影響も受けません。 ただ、あなたを構成している物質・エネルギーが宇宙に解放されるだけです。 そのエネルギーがまた、別の物質 あるいは 生命を構築するパーツになるわけです。 >最後はみんな「無」になってしまうから。 これは間違いだと思いません。 有たるものは無になりません。 ただ、<現在の私>というものは維持できません。 存在は全て諸行無常を避けられません。 存在しないものは諸行無常などありません。 >でも自分の人生だから最後は幸せに死にたいと思います。 あなたは自分の人生がこれだと決定できます? 自分がなんたるかを知っています? >どうすれば生きたことを証明できるのでしょうか? うーーん 向井千秋さんが、自分が存在したことを残したいから、子供を産みたいと言っていましたよね。 じゃあ 子供を持たない人は、証明できなくて、子供を残した人のみ、存在が永遠に証明されるのか? 100年後、あなたの子孫が、あなたの日記を読み「ああ そういう女性がいたのか」と感銘にふけり、そういう女性がいたから、今日の私が存在するのか と感慨ふかげになると思います? あなたどうです? あなたの10代前の人の遺伝子を持っているわけですが、何か感じます? 感銘にふけれます? 人は生きたことを証明するために存在するのではないと思います。 それが最終目標 最大の目標などでは ちっとも無いと思います。 私達はこの世を構成しているものであり、現在の私というものが変化して別になっても、存在し続けることはわかっています。 何故なら 無からは何も生じないから。 で、、、私が感銘を受けた思想なんですが、これネットで教えてもらったので、よかった 読んでみてください。 全編を読みたければ、聖書を買うことになるのですが。 ちなみの私はアンチキリスト教なので、(笑) 布教目的じゃないとわかっていただけると思います。 http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/28kohereto.html 死んで終わりというはかない人間の生が空しいって嘆いているわけです。 だったら 生まれてこないほうが幸福じゃないか とも言っている。 金を蓄えたところで、それは死んでしまっては終わり。 権力を得たところで、死んでしまえば終わり。 どんなにいろいろやったところで、全て死がひっさらってしまう。 その限定的世界において、私達が限定を免れている1つのものがある。 それは「労苦したことに満足すること」 これだけは限定世界に生きる私に誰も妨害できない。 神といえども、妨害は不可能。 ということを考えると、自分が生きた証を永遠に残そうなんて、愚かなことだと思いません? 自分が労苦したことに満足する。それ以外何が高貴なものだと思います? 永遠に生きることはできないし、自分しら自分がなんたるかを説明できないのに、どうやって後世に人に知ってもらえます? たとえ後世の人が知ったところで、あなたはそれを知ることはできないんですよ。 諸行無常の世界において、私達がその束縛から逃れて自由になることは、自分の労苦に満足することじゃないですか? 宇宙の爆発が今現在の私につながっている と想像することも可能ですが、途方も無いもので、実感わきませんよね? 実感が沸くのは労苦しているという私という事実。 <我思う ゆえに我あり>→<格闘している我の自覚、ゆえに我は存在している> 世の中にはいろいろ言われています。 <我々はこの世を構成するパーツだ。だから死後の世界も存在しつづける。>     ↓ でも それって今の私じゃなく 別物になったうってことで、じゃあ やっぱり 私は消滅しているじゃないですかぁ・・・ といいたくなる。 結局 今の私を永久に保存することは不可能ってことでしょ? じゃあ 私は死後存在しないってことじゃないのさぁ って思います。 人間は肉体と魂を持っており、死後肉体は消滅するが、魂は存在し続ける。     ↓ あの・・・3歳児なら信じるでしょうけど。。。 そんなのな子供だまし話信じるほと 知能低くありません。 誰も魂の存在証明した人いないじゃないですか。 それに脳が壊れてしまった人 どう説明するですか? 彼らは肉体はありながら、魂は消えたってことですか? 体から魂が抜けて、どっか宇宙に飛んでいっちゃったってこと? なわけないでしょ。 って思います。 いろいろ なぐさめの言葉を人間は編み出しますが、永遠の命を貪欲に求める欲望により、引き起こったデマなわけで、煩悩が引き起こした悪夢なわけです。 壮大なスペースオペラに感動するのは小学生まで、 大人になれば、地に足つけますので、お子様思考にはなりません。 魂の存在? 私達は宇宙とつながってる? 途方も無いもので、生きている私には漠然としてちっとも実感がわきません。 遺伝子がうんぬんと言われても、実感もてません。 が、今煩わされる諸事と格闘しているのは、リアルに感じることができる。 うりゃーーと戦って奮闘していているのは生きているから。 一戦交えて、「おぬしもなかなかやるよのう でも あたしもがんばっちゃった えへ!」と満足すると、負けても、にまっとしちゃうんですねぇ。 誰だっけ、「がんばった自分を誉めてあげたい」って言いましたよね。 ですねぇ ですです。 結局 これだと思うんですね。

abihime
質問者

お礼

ご丁寧にお答えいただきありがとうございます。なるほど・・・そうですね。宇宙の終わりはまだ誰も分からないし、恐竜だって存在を認めてほしくて化石を残したわけでもないし、もし自分の存在が後世に知られていても肝心の自分がそのことをわかっていなければ意味がないわけですよね。大体は納得?っていうのか分かりませんが自分の考えを改めてみることにします。けれど最後の魂の話は自分には少々受け入れることはできないかもしれません。それでもそうな考え方があるんだなと覚えておきます。お時間を割いてまでお答えいただき本当にありがとうございました。

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  • sukelock
  • ベストアンサー率17% (79/440)
回答No.3

何を残しても自分自身が生きていたことの証明にはならないような気もします。 生前、一緒にすごした人たちの心の片隅に残っていてくれたら、 私はそれでよいと思います。

abihime
質問者

お礼

モノではなくて心に残すですか。私も誰かの心に残れるように一生懸命生きてたくさんの人の心の中に残りたいと思います。どんな残り方でも。 お答えいただきありがとうございます。

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  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.2

こんにちは。 具体的な方法としては、 ・ご自分が書いたものを残す。 ・作品を残す。 ・ご自分が写った写真やビデオを残す。 などが考えられます。 しかし、そんなことをしなくても「魂」は残ると思います。 私は不信心ですが、人の魂は残ると思っています。 周囲の人の心の中には、あなたとの思い出が残ります。 その思い出こそが「魂」なのではないでしょうか。

abihime
質問者

お礼

魂ですか。考えつかなかったです。目に見えるものとしては残らないけど想いが残る。そうなのかもしれませんね。生きるってことが自分なりにわかった気がします。ありがとうございました!

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  • uuing
  • ベストアンサー率25% (53/206)
回答No.1

あなたが死ぬということは、「寂しい」と感じる主体であるあなた自身がこの世からいなくなるということであり、よって >死んだ後の自分の存在を証明できなかったら寂しいじゃないですか。 というのは矛盾となります。

abihime
質問者

お礼

そうですよね。自分がいないのに寂しいなんて。気がつかなかったです。すごい納得しました。本当にありがとうございます。

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